第5話 祭りの後
女子更衣室に侵入した男がいる――――。
教師にはバレたらしい――――。
クラスを問わず騒ぎたがりの男子は、その男を一目見ようとレイホのいる八組に足を運んだ。
翌日、レイホが登校すると、
「おお! 来た来たあああ!」
「やっちゃう系の人だ!」
「どんだけ変態なの? もっと凄いことできるの?」
玄関先の廊下で腹を抱えながらそんなことを訊いてくる男子に囲まれた。
そんな男子達に対し右手を掲げるのみで、レイホは愛想笑いすら返さない。そして、集る男子達をそれぞれ指さしながら、「俺はごく普通の高校生だ! 良いか? お前ら、女子に漏らしたら許さないからな?」と、冷然たる口調で言い放った。
この時、レイホは思春期高校生の思考回路を見誤っていた。中学時代からもずっと塾だ宿題だと押し付けられ、強制されてきた彼らがすんなりと受け入れてくれるはずもなかった。彼らを抑制することは、むしろ逆効果でしかなかった。
あんな大それたことをしておいて、この堂々たる貫禄はなんだ。ついにはレイホを神格化して、祈りを捧げ始める者まで現れてしまう。
「ああ……、こんな方とお会いできて光栄です!」
黒縁の眼鏡をかけ、運動部が長かったのか、やや色黒の男は、気付けばレイホの間近にすり寄り、両手を抱えて瞳を潤ませていた。レイホはその男から、これまでにないほどの忠誠心を感じ取ると、そいつの手を取り、いつもの問いかけをした。
「お前、兄弟はいるのか?」
「ああ、はい。妹がいます」
男達に囲まれ、男臭いこの空間に眩い一筋の光が差し込んだ。レイホの顔が瞬時に強張りを見せる。
「妹がいる? 妹がいるって?」
「は、はい。なんで二回言ったんですか」
またこの類の男か、とレイホは溜息とともに首を大きく振った。
「で、その妹は何歳だ」
「えっとー、中一なので十二歳ですけど」
そこまで聞くとレイホは、その男の腕を掴み人気のないトイレの方向へと進んだ。集まる男子達から距離を取り、その男を壁際へと押しやった。
「お前、名前は」
「な、南崎です」
「南崎か。お前は俺が女子更衣室に入ったことを知っているのだよな?」
「はい、昨日も現場近くにいました」
尋問するかのように迫りくるレイホに、南崎はだいぶたじろいでいる。
「お前は俺の言うことを聞けるな?」
「で、できる範囲であれば」
「そうか……、なら妹の下着を一つ俺に献上できるな?」
傍から二人の様子を窺っている男子達は何やら真剣な話でもしているかのように見えていただろうが、その内容が妹の下着を渡せという話だとは誰も知る由はなかった。
「え? それをどうするんですか?」
南崎の愚問をレイホは鼻であしらった。
「そんなの決まってるだろ? 添い遂げるんだよ。添い遂げるというか、刻んで食べちゃうかも。あ、ちなみに使用済みじゃないと意味ないから洗濯機に放り込まれたやつを頼む」
昨夜、俺は普通だ、彼女もできると何度も言い聞かせていたレイホだったが、どうしても拭い去れない不安があった。そう、レイホは当り障りのない代替えとなるものを探していた。心の保険として。この話が通ればレイホは救われたかもしれない。社会全体的には救われないとしても、高校生活という限られた社会においては。
「いやぁ……、それはちょっとお断りします」
南崎はそう言って、引きつった笑みを浮かべながらレイホから目を逸らした。信仰心は高くとも、所詮は他と同じ愉快さを求める者。レイホが望む身内を巻き込むような話には到底同意などできなかった。
「あっ、もう一限始まるので戻りますね」
「おい! 待て待て待て!」
レイホは七組の教室に向かおうとする南崎の腕を放そうとしない。南崎も負けじとレイホの手を振りほどいた。
「変態行為は学校だけにしてください!」
「お、お前……!」
南崎が上げた大声に愕然としたレイホは、大きく後ろに一歩引き下がった。そして、女子に聞こえてはいまいかと辺りを何度も見回す。どうやら女子の姿は見当たらず、レイホはホッと息を撫で下ろした。
初対面で下手な交渉などするものではないな、などと考えながら、レイホは教室の席に静かに座った。
前に座る白鳥との約束を早々と破った罪の意識からか、レイホは白鳥の身体を見るのすら憚られた。ただ、そんなレイホにも一つ楽しみがあった。それは机で出来るだけ前に肘をついて、前方から微かに流れてくる白鳥の香りを愉しむことだ。
しかし、白鳥は背後からの鼻息が近いことを悟ると、机と椅子を前方にズラしてレイホとの距離を広げた。昼休みになる頃には、二人の間隔は歪なほどに離れ、一メートルを超えるまでに達していた。
新天地に来て二週間。
中学時代のように女子から敵意を向けられてこそいないが、何一つ上手くいっていない。
「ああ! もう! どいつもこいつも!」
昼休みになると、弁当箱を持ってレイホの席にやってきたイキルを放置して、上履きのまま中庭へと駆け出た。
「俺はまだ女子とおはようの挨拶すらしていない! 白鳥とは……、あれは話した内に入るのか? くそっ! 俺のことを意識している女子はいるんだ。桜咲ちひろ――――、嗅ぎたかった! 嗅ぎたかったぞおおおおおおおお!」
レイホは校舎の壁を右拳で思いっきり叩いた。思い通りに行かない悔しさ、誰も言うことを聞いてくれないもどかしさ。そして、何よりも女子にバレることを恐れていた。
「南崎の大声みたいに、俺はこれから怯えながら過ごすしかないのか……」
強く握られた拳も、先が思いやられる今後のことまでを考えると、その力も次第に抜け落ちていった。
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