第82話 貴女の為の死化粧を
「アクト様でございますね?」
銀色の髪の女子生徒がアクトに声を掛ける。
「誰?」
見覚えのない容姿端麗な少女を訝しげに見ながら、アクトは本に伸ばした腕を止める。
「ローラ・マルティス公爵令嬢の使いの者です。主人がタクト様に伝言があると言付ったのですが、タクト様の姿がお見受け出来ないので、弟君であるアクト様からタクト様に主人の言付けをお願いしたく伺いました」
ローラ・マルティスだって?
噯気にも出さずにアクトは心の中で眉を潜めた。
あの女が、一体兄に何の用事だ。
「成る程。良いよ。用事とは何かな?」
勿論、彼には兄に伝えるつもりは一ミリもない。
そもそも、最近何かと忙しそうな兄の所在などアクトの知る所ではなかった。
が、あの女と兄の密会現場はアクトの興味のあるものだ。
一体、何のようだったのか、最近忙しい兄に問い詰めるいい素材にはなるだろう。
聞いておいて損はない。
「私もただの小間使いなもので、内容は存じ上げておりません。ただ、主人はいつもの部屋では無く、医務室の寝室に来る様にと仰せ使っております。時刻も、いつも通り月が上がる時に、と」
「分かった。伝えておくよ。ご苦労様」
「いえ、これが私の仕事ですので。では、よろしくお願い申し上げます。失礼致します」
ペコリとお辞儀をすると、銀色の髪の女子生徒、フィンはアクトに背を向ける。
ちょろい男だな。
眉一つ動かさず、フィンはアクトを値踏みした。
ローラから話は聞いていたが、兄が嫌いであれば、兄への伝言など受け取るものかと思っていたが、まさか自分から尻尾を振って寄ってくるとは。
呆れてモノが言えないとは、この事か。
「本当、男は馬鹿だな」
ポツリと漏らす言葉に、通りすがりの男子生徒がビクリと肩を揺らすが、知った事か。
ちょろい奴はすぐに死ぬ。
剣の道でもそうだ。
隙が多いんだ。
しかも、ただの隙ではない。他人様にわざわざ踏み込ませる程の隙が。
あのアクトとか言う男も同じだろう。
ローラ様に無礼を働けば、一太刀。誰よりも簡単に倒せそうだ。
フィンはローラの名前を心の中で唱えると、少しばかり顔を歪ませ長い溜息を吐いた。
まったく。
私の主人は些か無茶が過ぎる。
しかし、彼女の無茶で回した思考全てが今迄で起こる最悪の数々を回避出来たのも事実。
彼女は賢い。誰よりも。
そして、彼女は優しいのだ。誰よりも。
彼女の無茶を無理なく押し通すのもまた、自分の仕事の一つだ。
左腕として、いや。これは彼女の騎士としての誇り。彼女は今も尚続く最悪の事態を回避すべく動いているのだ。
例え自分の身がどうなろうとも。
彼女は他者の為に身を投げ打つのだろう。何度も何度も。
それを受け止めるのが私の役目。
フィンはもう一度長い溜息を吐くと自分の主人の元へ歩き出した。
「ご苦労様。手筈はどうかしら?」
「滞りなく。今夜間違いなくここに訪ねてくるでしょうね。あの様子なら。素直な男だ」
「ええ。本当に、呆れるぐらいね」
新しい制服に残った腕を通しながら、私はフィンの言葉に笑った。
フィンが持ち帰ったアイナからの情報を聞いた後、私はフィンに無茶を承知でアクトとの接触を早める様に取り計らったのだ。
ロサは、婚約指輪の秘密を調べていた。
そして、事実を突き止めた。
しかし、ロサ自身は婚約指輪に何なの関係もない位置にいる筈だ。
少なくともギヌス、またその上に居るであろう黒幕からは彼女に婚約指輪の情報を何一つ与えて居ないだろう。
しかし、用途だけは伝えなくてはならない。
彼女に盗みを働かせるだけの理由を。
ギヌスも黒幕も、悪事を働くと言う理由では動いていない。ギヌスの発言を見るだけでも、大意は世直し。悪事ではなく世直しならば、これを使ってどう世直しをするかを熱を持って説明する筈だ。世直しの為の行動なのだから。
その説明に、アリス様の存在が仄めかされたのは想像するに容易だろう。
そもそも、ロサはアリス様を知っている。
彼女は腐っても貴族出身の平民。そんな立場の人間がなんの縁もない、都から程近いアリス様の村の教会にシスター見習いとして席を置くのだろうか。
そうだ。
あの話を聞いた時、私が一番引っ掛かったのはそこなのだ。
貴族の除名は、汚点の一言に尽きる。
家にとっても本人にとっても。それは変わらない。
フィンの一族は爵位を金で買う程名誉に溺れている。その為に違法行為にまで手を染めているのだ。彼らにとって、ロサは汚点以外何者でもない。
なのに、何故都に程近い教会に居る事を許したのか。
本来なら都には一歩たりとも近づけさせない筈だ。その為、遠くの村、いや、あの一族なら国外追放だってするだろう。
しかし、ロサは許された。
何故?
答えは簡単。
全てが仕込まれた事だからだ。
ロサの除名も、ロサがあの教会に行く事も、そして、多分アリス様とお近付きになるのも。
ロサは命じられて行なっている。
命じたのはロサを除名した王族。
全てが、計算されて行われているのだ。
でなければ、ロサは早々にこの学園に来るだろう。この学園はこの国であっても独立した場所だ。己の身を守るのならここ以外有り得ない。
そんな選択肢すら捨てて、都の近い教会に入ったのも全ては仕組まれていた事だからだ。
だとすると、今回婚約候補にアリス様が選ばれるのも必然。
彼らの思惑と唯一違ったのは、ロサがアリス様に心を許した事。
確かに、彼女の性格からは想像が付かないと言える事だ。
しかし、アリス様には人の心を溶かす力がある。私も溶かされた一人だからわかる。それが、彼女の一番の魅力。それは彼女に接しなければ、分からない事だろう。
だからこそ、見落とした。
そして、大きな穴がそこから開いてしまったのだ。
正直、ロサの件がなければ我々がこれ程までに踏み込める橋は掛かっていなかっただろう。
まず、ロサと言う人物に注目がいかなかった。
今思えば、ロサが私に対してあれだけの暴力を働いたのは私が令嬢である事よりも、ローラ・マルティスの名を出した為かもしれない。
彼女は私の顔は知らないものの、ローラ・マルティスの名は知っていたのだ。
ならば、噂も知っているだろう。
アリス様を虐める悪名高いローラ・マルティスを。
彼女の拳は憎んでいた。フィンの話から一人はや合点し、嫉妬の余りだと思っていたが、彼女の思いの人を虐めいる一味に対しての怒りがそこにあったと思った方が納得がいく。
ロサは全て私と同じアリス様の為に動いていたのだ。
そして、彼女を思うあまり……。
自分から身を投げた?
いや、其処は可笑しい。自分でも整合が取れていない部分だ。
アリス様を救いたいのなら、彼女は生きていなければならない。しかし、彼女は首を吊って亡くなっている。
いや、首吊りは偽造の可能性も高い。
首を吊って死ねば、顔は膨れ本人だとはわからないと聞くが、彼女はそうではなかった。
死後硬直が始まった後に誰かが、ギヌスが吊るしたのか?
でなければ、椅子の倒れる音を聞いていないと言うのも頷ける。
こればかりは、推測の域を出ないが……。
「ローラ様」
随分と考え込んでしまった私にフィンが呼びかける。
「何かしら?」
「お髪、如何致しますか?」
「髪?」
いつも通りの長い髪をただ流しているだけだが?
「炎のせいでお髪も随分と痛んでおります」
無くなった左腕ばかり気にしていたが、確かに髪も随分と炎で焼かれ散り散りになっている箇所がある。
今迄は寝てばかりだったが、今日からはそうは行かない。
「ハサミはあるかしら?」
「ええ。如何するのですか?」
ハサミを渡しながらフィンが私に問いかける。
「もう、王子の婚約者でも時期女王でもないもの。大切に守るものなんで何もないわ」
私はバッサリと肩までの髪を切り捨てた。
「ロ、ローラ様!?」
「ふふ。これで少しは身軽になったかしら? フィンやランティス様程じゃないにしろ、少しぐらい動けないと困るものね」
風のように早くは走れない。
けど、アリス様の為にいつでも飛び出せる用意が私にもいる。
「右は上手く切れないわね」
「……ローラ様は唐突すぎます。一言私に仰って頂けますか? これでは心臓がいくらあっても足りないですよ」
「フィンは止めないの?」
「止めた所でお聞きにならないでしょ? それに、今は私が貴女の一番の理解者ですよ。なんたって、私は貴女だ」
「…ありがとう。では、右をお願いできる?」
「勿論。刃物は昔から得意ですよ。少し整えますので全体も切りますね」
「お任せするわ。素敵に仕上げてね、騎士様」
「私がローラ様を素敵にしない事なんてあり前ませんよ」
私からハサミを受け取ったフィンは手際良く髪を切っていく。
見る見るうちに、肩にかかるぐらいの長さになっていく。
「凄いわね。本当、フィンって手先が器用。見習いたいわ」
「そうですか? 自分ではわかりませんね」
「ええ。まるで、私が私じゃないみたい。ふふふ。こんな世界に来て、こんな事を思うなんてね。少し自分が可愛く見えてしまうわ」
「ローラ様は可愛いではないですよ」
フィンは溜息を吐き、私の髪をとかす。
少々浮かれすぎたか。
思わず自分の発言に顔を俯き頬を開く染めそうになると、私の顔を真っ直ぐ上げて、フィンは花の様に笑った。
「ローラ様は美しい、です。可愛らしいと言うと、アリスやシャーナの様な天真爛漫さを言うのですよ。ローラ様の様な知性と淑やかさを兼ね揃えている女性は、美しいですよ」
そう言って、フィンは私の唇に指を触れた。
「……フィン?」
「……唇も荒れていますね。火傷部分はそれ程なかったが、栄養面でも見直しが必要だな」
「……フィン?」
「あの男に会う事だけが実に不服だが、床に臥せた噂は最早広がりきっている。弱さを見せる隙を与えぬ為にも、いつも以上に麗しいローラ様でなければ……。馬油は向こうにあったな。頬は……」
「フィンってば」
「何か?」
「何か、ではないわ。行成、どうしたの?」
「……ローラ様は、ご自分の噂をどうお考えで?」
突然どうした。
私の問いにも答えぬ彼女の姿にやや不思議に思いながら私は首を傾げる。
「悪い令嬢だと?」
「いえ、昔のではなく今回の噂ですよ。ローラ様とアスランの逢引によりローラ様は襲われベッドに臥られている」
悪名がこれ程高くなると、噂と一口に言われてもどれがどれやら思いつかない。
地味で目立たない様に生きていた前世の私が知れば、倒れそうだな。
「ああ、それね。確かに、何でわざわざ今更そんな噂を流すのか、その利点に想像も付かないわ」
奴らにとっての私の役割は、どう考えても婚約者の席を明け渡す事。その一点に尽きる。
確かに、悪名を流し王子に決断を迫るのも手かもしれないが、最早そんな周りくどい事は必要はない。
なんたって、私は左腕が無いのだ。
誤解を招く言い方かもしれないが、この時代のこの王国の中では、私は欠陥品と言う事になる。
欠陥品は、女王の席には相応しく無い。
私のチケットは取り上げられる理由としては十分過ぎるほどに。
だからこそ、わさわざ私の悪名を流した所で彼らの得には何一つならないのだ。
なのにも関わらず、今回は丁寧にアスランも巻き込んでの噂。自分たちを辿られる恐れのある餌まで巻き込んで、何が利点があると言うのか。
「私は、貴女の隙を作っている様に感じるんです」
「隙?」
「ええ。隙と言うのは些か語弊があるな。そう、貴女が、殺されても可笑しく無い理由を」
「私が?」
「知っていますか? 人を殺す為には、その人の懐に飛び込まなくてはならない。遠くから殺す事は出来ないんですよ」
「それは……、どう言う事?」
屁理屈を並べるなら、飛び道具があれば人は簡単に遠くから殺せるじゃ無いか。
確かにこの時代に大砲も銃もないかもしれない。
しかし、弓ならばあるし、現に殺されかけた。
でも、フィンはそんな事を言いたいわけではないのは分かっている。だからこそ、そんな茶々を入れずに私は彼女に問いかけた。
「隙がなければ、入り込む余地が無ければ、剣は振れない。でも、剣を振り下ろすのは誰でしょうね?」
「間合いに入るって事かしら? ならば、ギヌスなら簡単に私の間合いに入れるでしょうに。フィンだって……」
彼女の顔は夕陽に照らされ赤く、そして冷たく染まっている。
「違いますよ。剣を振り下ろす理由が、必要なんですよ。間合いに入り込む為に。ならば、誰でも出来る。そう、貴女に殺される理由があれば、王子のせいにも出来るのです。精神的に、貴女の近くに入り込ませる要因が、必要なんですよ。誰でも、剣を振るえる様に」
「私を?」
「弱った貴女の首を狩るのは、ギヌスではないです。噂はクソの様になんの役にも立たないが、事悪い事については例外。誰でも弱った貴女を殺していいと言う合図になる。だからこそ、貴女は美しくなければならない。ローラ様、隙を与えない為には何が必要がご存知ですか?」
「何、かしら?」
フィンの言葉を頭で噛み砕きながら、私は首を傾げた。
確かに、そうだ。
私は弱っている。
いつでも、誰でも殺せる程、身体は力なく萎びている。
「殺し合いではないならば、弱く振る舞わない事。相手に弱らせている事を、悟らせない事です。だから、少しお顔に色を塗りましょう」
「……フィンは何故そんなことを?」
知っているの?
そう問いかけそうになった口を急いで閉じるが、時すでに遅し。
フィンは困った様に笑って私の頬を触る。
「どれ程身体が弱っていても、私は殺し合いをしていましたからね。甲冑の下でも。経験談です」
そんな事を言わせたくなかったのに。
「さあ、ローラ様。月が来ます。急ぎましょう」
「……ええ」
そう言って笑ったフィンの手は氷の様に冷たかった。
_______
次回は11月29日(金)0時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
次回から何とか更新頻度も上がると思うので、よろしくお願いします!
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