第81話 貴女の為に調べ物を
ロサの名を聞いたフィンは、少しだけ考えると諦めた様に顔を振るいアイナを見る。
無駄な思考はローラの邪魔になる。個人的な感情での出過ぎた真似は控えるべきだと、フィンはこの時思ったのだ。
それはいつ頃の話なのか、その後ロサの接触はあったのか。
アイナに対し最低限の話を聞くのに留めたフィンは、また己の欲が顔を出さない様に話を切り上げる事にしたのだ。
「有難う。助かるわ」
「あ、はい」
「では、私はこれで。失礼させて頂くわ」
直ぐにでもローラに報告しなければ。
あのリュウとか言うローラ様に馴れ馴れしい男が言っていた言葉に、全てが繋がった。
ロサは何かを調べているとあの男は言っていた。
もう、偶然を願うには情報が揃い過ぎている。
明らかな、意図がそこには確かに存在しているのだ。
「あのっ!」
勇気を振り絞って、去りゆくフィンに向かってアイナは叫んだ。
何事かとフィンが振り向けば、震える手を前に組みながらアイナがフィンの目を真っ直ぐに見る。
「アイナ?」
「あの、私、ずっとフィシストラ様の味方ですから。何があっても、フィシストラ様を信じております。だから、どうか、変わらない貴女でいて下さいっ」
フィンに彼女の真意はわからない。
フィンにとって、アイナ・ヴィサージュと言う少女はかつてのクラスメイト。それだけだ。
寧ろ、彼女が自分の事を覚えていると言う事実にさえも驚きを覚えた程。最早、彼女を助けた記憶すら彼女の頭の片隅にも無かった。
それ程、フィンは周りに興味などなかったのだ。
ただ、いつか迎えに来る掌だけに想いを馳せて、捨てられた事実を知りながら待ち続ける地獄の日々を送るしか無かったのだから。
「有難う。でも、それは無理だわ」
だから、彼女は簡単にアイナの言葉を退ける。
「人は変わる。良くも悪くも、変わろうとすれば、変わってしまう。私は、もう変わってしまった」
アイナが知る頃のフィシストラ・テライノズは何処にもいない。
彼女の目の前にいるのは、フィンと言う騎士なのだ。
「だからね、昔貴女にそんな事を言われても私は何も思わなかったでしょうけど、今は、その、有難う。そう思ってくれるだけで、凄く嬉しいわ」
下手な笑顔を、フィンはアイナに向けた。
「私、貴女のその心に感謝できるぐらいに変わってしまったの。良いか悪いかはわからないけど、私はそんな自分が誇らしいの。昔の私には二度と戻れないぐらいに」
御免なさい。本当に、本当に少しだけ。
表情を申し訳なさそうにするフィンにアイナは目を見張った。
彼女の笑った顔も、申し訳なそうに眉を潜める顔も、初めて見た。初めて知った。
彼女にも感情と言うものがある事を。
彼女も人間だったと言う当たり前の事実を。
「では、失礼するわね。アイナ、お元気で」
そう頭を下げたアイナは、手を強く握ってフィンが見えない背後で深々と頭を下げた。
理想とは違うフィン。
それでも、それでも。
私は生涯貴女の味方でございます。
どんな言葉をあの人に言われても。貴女を売ることは絶対に御座いません。
アイナ・ヴィサージュ公爵令嬢は、フィンの背中にそう誓ったのだった。
「おかえり。早かったわね」
「はい。ただいま戻りました」
「アイナ様からお話は聞けた?」
「ええ」
「そう。こちらも、良い知らせがあるわ。先程、王子から伝言を承った騎士生徒が足を運んで来られたの。アスランが無事城に着いたみたいよ」
「それは、良かったですね」
「ええ。……何かあったのかしら? 余り、表情が晴れて居ないわね」
「……はい。ローラ様の読み通り、アイナは毒草の本を貸し出しておりました」
「矢張り。お相手は、アクトね?」
「ええ。と、言いたいところですが、中間に割り込みが発生しておりました」
「割り込み?」
私が眉を潜めると、フィンは力強くうなづいた。
つまり、アクトがアイナと接触する前に他の誰かがアイナから本を借り受けたと言うことか。
しかし、誰だ?
この事件に関与して居ない純粋な第三者が?
そんな偶然があるものか。
毒草の本だぞ。何の目的もなく、他人が借りたそんな本を欲する訳がない。
明らかにそれは意図があってだ。
まさか、ギヌス? いや、ギヌス陣営は少なくとも婚約指輪の秘密を知っていると私は睨んでいる。
知らずに、ただ王子を釣る為の餌として盗んだと言う可能性もなくはない。ギヌスも盗んだロサも知らなかったかもしれないが、二人のバックにいる黒幕は少なくとも把握して居た筈だ。
それに、ギヌスが何かあの指輪を不審に思ったところで毒草の本に書かれている発想が出来るとは思えない。
私だって、思わなかった。
今回、私が気付いたのだって、ただ、ランティスがたまたまその本を見て、覚えて居た。その偶然の賜物だ。
人が、少なくとも本陣営にいない人物が借りて居た本にそんな情報があるなんて誰も分からないだろうに。
一体誰が……。
「その人物の名は?」
「ロサです」
私はフィンの言葉に目を見張る。
ロサ、ですって?
嘘だろ?
先程私が言った様に、ギヌスは毒草の本に婚約指輪が載っていると言う発想はなかったはずだ。
それに加え、例え毒が入っていようが入って無かろうが、ギヌスには関係がある話には思えない。
何故、ロサが?
「あの長髪男の言葉通り、ロサは調べて居た様ですよ」
「……毒草の本を?」
「いえ、指輪の秘密だと言った方がいいかもしれない。時期的にも、アリスの部屋から指輪が盗まれた直後に彼女は指輪について調べて居たらしいです」
「そうなると、ロサは指輪の秘密を知って居た? それも、盗んだ後に?」
「はい。アイナはロサに本を渡して居ます」
「でも、ロサは文字が読めないわよね? 本があったところで……。いや、そうか……」
何も、ロサ自身が読む必要はない。
「ロサが死ぬ直前に聞いた、男の声……」
誰かに呼んで貰えば、そんなもの些細な問題だ。
「クソッ」
思わず、私は声を上げる。
「浮かれていた。私は浮かれていた。まだロサの謎が残ってると言うのに、そんな事を忘れていた。アスランに聴けるのは、私だけだったのに……っ!」
ロサが死ぬ直前に、隣のメイドが聞いた男の声。
それがアスランかどうか確かめられたのは私だけだったと言うのに。
「ローラ様……」
「不甲斐ない……。折角、リュウ様も調べてくれたと言うのに、何も生かし切れなかった」
「ローラ様。確かに、今回の件はローラ様の不手際の結果だと私も思います」
いつもならば、そんな事はないと言うフィンが、私に向かって言い放つ。
いや、慰めて欲しいわけじゃない。
実際、フィンの言う通り、私のせいなのだから責められても当然だ。
だから、フィンの言葉に傷つくつもりは無い。
でも、やはり、いつもと違う彼女に戸惑いを覚えないわけがない。
私は驚いた様に顔を挙げれば、フィンは強く頷いた。
「しかし、今更時を戻す方法は無しです。それに、私達には、貴女の叡智と私がいる。いくらでも、挽回は効きますよ。ご自分を責める前に、一緒に前を向きましょう」
そう言って、フィンは笑った。
「……アイナ様と何かあったの?」
「え? 突然どうされたのですか?」
「少し、何だがフィンが、そうね……。可愛くなったわ」
何か変わった。
いつものフィンとは違う。
確かにそうなのだが、どの言葉も相応しくない様に感じたのだ。
柔らかくなった。肩の荷が降りた様だ。
矢張り、何処か違う。
だとすると、これしかないだろ。
可愛くなった。と。
「か、可愛くですか?」
「ええ。凄く」
「可愛くは、なってませんよ。其れぐらいは自分でも分かります。少し変だったのでしょ? 先程なら、いつもの私ならば真っ先にローラ様を庇いますものね。勿論、今も庇いたい気持ちはあります。けど、私はもう貴女の左腕、貴女の一部になったんだと思って。……実は、アイナに変わらないで居てくれと頼まれたんです」
「アイナ様に?」
「ただの旧クラスメイトで、この数年は会ってもいない私の事を覚えていて、変わらないでくれと。いつでも味方だと、言われました。けど、私は刻一刻と変わっている。フィシストラ・テライノズが、フィンになって、貴女の騎士になって、そして、今では貴女の左腕だ。それに、気付かされました。だから、庇うよりも私達二人で前を向うと思ったんです。出過ぎた真似をしましたね」
「そんな事はないわ」
私は、フィンの手を握る。
「出過ぎた真似なんて、私と貴女には存在しない。そうでしょ? 先程は取り乱して仕舞ったわね。もう、大丈夫よ。話を続けましょうか。ロサが、薬草の本をアイナ様から受け取ったと言うわけね」
「はい」
「……ロサは、あの婚約指輪の秘密を知った可能性が高い、と」
「ええ。少なくとも、あの晩誰かに彼女は毒草の本を読ませて居た」
「ギヌスは? 本を読ませた男はギヌスだったと言う事はないのかしら?」
「私の憶測ですが、ギヌスに対してそんな事を彼女は命じられないでしょうね。そうなると、己より下の人間、アスランの可能性が高い」
「下?」
「ええ、前も言いましたが、ロサは何処かアスランを下に見ていましてね。アスランも気が小さい所がある為か、彼女に強く出れないまま関係を続けておりました。二人の間に少なくとも恋愛感情はなかったでしょうね」
「アスランが……」
確かに、彼の気は些か小さい。
強く出られたら戸惑いながらも、何でも聞いてしまいそうなところぐらい想像にたやすいな。
「でも、待って? リュウ様の話では、ロサと声の男は喧嘩していたはずよ? アスランが誰かに声を荒げるなんて、想像がつかないわ」
少なくとも、ギヌスを恐れて居た頃のアスランでは誰かに対して声を荒げるなんて無理ではないだろうか。
例えば、素性も知らない弱そうな令嬢相手になら強く出る事も可能だろう。
私だって、図書館では出会い頭に怒鳴れた。しかし、その理由もアスランが私ぐらいには勝てそうだからと言う理由だと言っていた。
少なくとも、幼少期の頃から強く出ているロサ相手に怒鳴る等の横暴な態度を取れるものだろうか。
「はい。私も、其処が気になりましてね。アスランが声を荒げる所なんて見たことがないのですよ。大抵、あの男は泣くだけで、口は黙るのです」
「となると、アスラン以外?」
「しかし、彼女のプライドが自分の文字が読めないと言う汚点を他者にバラすとは考えられない」
「答えは出ないわね。もう、二人ともこの学園にはいないもの。今は調べようがないわ。では、アスランが読んだとして、何故ロサがこの指輪を調べてのかしら?」
「アリスから盗んだ指輪を、婚約指輪だとロサは知っていたんでしょうか?」
「そうよね。アーガストの時もそうだけど、もし、ロサがアーガストを任されて居たとして、アーガストの能力を説明されていなかった可能性の方が高い。そもそも、末端役と言ってもおかしく無いロサにわざわざ事の説明を手厚くするかしら?」
「私ならしないですね。下手に情報を与えて、手を止められても厄介だ」
「私もフィンと同意見ね。それに、ロサはアリス様を知って居たのよね?」
「昨日の会話をお聞きになられて居たのですね」
「ごめんなさい。勝手に聞き耳を立てていたわ」
「良いですよ。私は、貴女の一部です。隠し立てる事は何も無い。少なくとも、信じられない事にロサはアリスには友好的だった。あの髪飾りを渡すぐらいですからね。あれは、随分と昔から彼女のお気に入りで、どんな時でも手放さないものでしたから」
「そんな大切なものを託す程の仲なのでしょう? 彼女が、アリス様に嫌がらせをしていたとは考えられない。まして、階段から突き落とそうとするだなんて」
そうだ。
極悪非道のプライドの高い元ご令嬢なら話は分かる。
しかし、彼女は明らかにアリス様には何か友情にも近い情を抱いて居た。
そんな人間を階段から突き落とそうとするものか?
「そもそも、ロサが実行犯なのでしょうか?」
「他の誰かが居ると? 否定は出来ないけど、そうでないとギヌスがロサを側におく存在理由が無くなるわ」
「血縁者と言うのに、彼女が何を考えて居たか分からないなんて……」
「血縁者でも、他人は他人だわ。貴女が気を病む事は何もない。しかし、文字が読めない彼女が何故こんなにもこの婚約指輪について調べようと思ったのかしら? そんなに変わった指輪とは思えないのだけど」
確かにデザイン性に置いては悪い意味で目を見張る物だが、それ以外は特に変わった事はない筈だ。
「その婚約指輪に何か思うところがあった、と?」
「ええ。調べると言う事は、そう言うことよね」
「そう、ですね」
「あら? 何か他に思うところでも?」
「いえ。そう言うわけではないです。確かに、何か思う所が無ければ調べないと思うので。けど、私なら違うかなと……」
「フィンなら?」
「ええ。私の一番は、ローラ様ですから」
「どう言うこと?」
「特に不審な点がなくても、ローラ様が身に付けられる物は隈なく調べます」
「私の?」
「大切な、人ですもの」
当たり前の様にフィンは私の目を見る。
嬉しい。嬉しいのだが……。
「……それよ、フィンっ!」
私はフィンの手を掴む。
「ローラ様?」
「ロサは、大切な人の、いや。大切な友人の為に調べて居た」
「大切な、友人? まさか……っ!」
「ええ。恐らく、お相手はアリス様。アリス様がその婚約指輪を近々付けることを、ロサは知っていた!」
もし、私と婚約破棄をした時、相手は誰だろうか。
どうして、その相手を選ぶのだろうか。
答えは、全て噂が答えてくれる。
全ては、ギヌスの噂の情報操作の先にある。
クソ野郎。
其処迄、仕組まれて居ただなんて……っ!
_______
次回は11月23日(土)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
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