第79話 貴女の為の安楽椅子を

 アリス様はロサと仲が良かった。断言は出来ないけど、別れの際に自分の物を相手に渡すぐらいの情は、ロサは持っていたと言う事だろう。

 なのに、そのロサはアリス様に幻覚剤を飲ませようと企てている一旦を担った。

 フィンの話では、ロサはギヌスを狂信していた。

 これは世界を救う為だからと、唆されたのだろうか。

 私の中で、ロサは憎しみを込めて素性の知らぬ人間を殴れる人でなしだ。

 自分の為には人を殺すことを厭わない。冷淡で身勝手で、それでいてプライドの高い元貴族の令嬢。

 何か噛み合わないな。

 いや、人間と言うものは表面を見た所で本質など理解できるわけがない。

 リュウも、アスランも、フィンでさえ。

 決して表には出さぬ裏の顔を持っていた。

 それは、血塗られた過去だったり、本質を隠す余り噯気にも出せぬ底の底に仕舞い込んだ願望だったり。

 人に見せたくないものは誰でもある。私だって、その一人だ。端々を掻い摘んで理解しようとする方が傲慢だと言っていいだろう。

 髪飾りを見つめたまま動かないフィンを見ない様に彼女に背を向ける。

 見られたくはないだろうに。

 ロサの形見をまるで迷子の様に見つめる自分の姿なんて。

 弱さを見せる時は、いつでもフィンは私を抱きしめる。でも、今は違う。私には共有されたくない弱さを彼女は見せているのだ。

 そんなもの、見ないでやるのが優しさだろう。

 私は、ゆっくりと目を閉じる。

 穏やかな夜が、あとどれだけ続いてくれるのだろうか。


「思った以上に、噂は酷いものですね」

「あら、そうなの?」


 朝食のパン粥を片手で流し込みながら私が返事をすると、フィンは何とも言えない顔をする。

 異議申し立てはある様だが、ことの内容を言うのには気が引ける。そう言った所だろうか。

 噂など、碌なものではないのは分かりきった事だ。今更気に病んでも致し方ない。

 割り切っていると言えばそれまでだが、今まで令嬢殺しとの異名を付けられていた身にとっては、それこそ今更でしかないのだ。


「良いのよ。噂は所詮噂だわ。私の事を本当に理解してくれている人が私には少なからず居てくれる。フィン、貴女の様にね。ただ、少し気にはなるわね。何故、今更私の悪評を流す必要があるのかしら?」


 評判なんて地に落ちている私を今更、更に落とした所でどの様な利点が向こうにあるというのか。

 噂は噂。それ以上でも以下でもない。しかし、任意の情報操作となれば話は別だ。


「アスランの名前は上がっていて?」


 まさかだと思うが、アスランの悪評に繋げようとしているのか?

 しかし、アスランはこの学園では珍しい不良枠に籍を置いている。

 勿論、アスラン自身は不良でも何でもない訳だが、それこそ情報操作の賜物だ。

 既に不良として知れ渡っているアスランの悪評を広げた所で意味などないだろうに。


「いえ。アスランの名はで回ってはおりませんね」

「そうなると、矢張りターゲットは私と言う事ね……」


 矢張り、アスランの名を下げる事が目的ではないのか。

 そうなると、何故私の?

 ギヌス達の目的は何なんだ?


「今この学園では王子の婚約破棄の噂で持ちきりですよ」

「それは噂ではないはね。真実だわ」

「次の婚約者はアリスだと」

「そうなってくれれば私も嬉しいわ。けど、何故アリス様なのかしら……?」


 何故、彼女なのか。

 確かに、貴族ではない彼女を婚約者にする事で必然的に話題にはなる。シンデレラストーリーと言うものがあるが、のし上がる話に人々は心を動かされる。

 しかし、それは彼女と同じ平民ならだ。

 貴族側、いや、のし上がっているステージにいる人間の心はそれ程動くどころか自分たちの立場が脅かされる存在に心が動く者は少ないのではないだろうか。

 貴族の娘は、良い家の嫡子に嫁ぐ為に日々努力させられている。

 そこから掻っ攫うトンビが現れて、手を合わせて有難がる者なんてごく少数だろうに。

 何故、皆揃ってアリス様を持ち上げるんだ?

 ここが平民の学校ならそれはおかしくは無いが、自分達の存在意義を、努力を、日々の生活を脅かす存在だぞ?

 いくら情報操作されているとは言え、彼らにとって得のない情報がこれ程拡散されるのは矢張り、些かおかしな話過ぎるだろうに。


「そこは、私も気になりますね。確かに、話題性と言う点に置いては良いですが、この学園に長く身を置いている身にすると、矢張りひっかかる。アリスの身分に限りなく近い地方貴族が湧き上がるのは分かりますが、ここにいる多くは都に集う貴族の子供達。彼らがアリスを持ち上げる必然性が何処にもない」


 フィンもその不可解さに首を傾ける。


「それに、こんな噂を流してギヌス達が何を得れるのか。本当に噂を流しているのはギヌス達なのでしょうか?」

「違う人物……。第三勢力の可能性は確かにあるわね。でも、彼らだってアリス様の噂を流した所で得られる物があるのかしら?」


 仮にフィンの言うように第三勢力が存在したとしよう。

 しかし、この学園に籍を置く第三勢力ならば、出生の多くは貴族だ。貴族の誰が平民を持ち上げ得をするのだ?

 だが、だからと言って完全に第三勢力の存在をまったく否定する事は出来ない訳だが。


「私には、ない様に思います」

「奇遇ね。私もだわ。でも、選択肢から外すだけの根拠もない。全く。如何なっているのやら。早く、このベッドからの出れれば自分でも調べられるのだけど……」


 これでは、安楽椅子探偵だ。

 いや、それ程推理力もなければ情報だって入ってこないのになを上げるなんて随分と烏滸がましい事である。


「そうですね」

「医者は何か言っていた?」

「早くて三日、だと」

「三日なんて、長いわ」

「言うと思っていましたが、こればかりは何ともなりませんよ。何か私にできる事があれば仰ってください」

「そうね……。そういえば、事件の時に着ていた私の制服はあるかしら?」

「はい。ありますが、随分と血で汚れております。残念ながら着る事は……」

「大丈夫。着わけじゃないわ。私の制服から、スカートのポケットに紙が入っているから持ってきて欲しいの。頼めるかしら?」

「ええ、それなら。勿論」


 言うが早い。

 フィンはそのまま部屋を出ると直ぐに私の頼んだ紙を持って戻ってくる。


「あら。紙も随分汚れてしまってるわね」

「夥しい量の血が流れておりましたからね。だからこその安静ですよ」


 あのギヌスとの戦いが、どれ程凄まじかったか思い出す程に紙は赤く染まっていた。

 しかし、数枚イングが滲み読み取れない箇所もあるが、私が求めていた箇所はどうやら無事の様だ。


「この紙は何ですか? 生徒の名前が随分と載ってますね」

「ええ。拾ったのよ」


 私はページをめくり、一枚一枚確認していく。

 

「拾った? 一体誰から?」

「ええ。それをフィンに確認して欲しいの。それが次の依頼よ」


 私はリストを指で追っていくと、一つの項目で動きを止めた。


「アイナ・ヴィサージュ……」

「アイナ?」

「あら、知り合いかしら?」

「いえ、知り合いと言うわけではないですが、初等部の頃に同じクラスになった事があります」

「あら。級友なのね。都合がいいわ」

「彼女に何か?」

「ええ。悪いけど、このアイナ様に誰か図書館で借りた本を貸して欲しいと頼まれなかったから聞いてくれる? また、借りた本の題名も一緒に」

「ええ。構いませんが、一体何故?」

「恐らくだけど、件の本のありかが見つかるかもしれないわ」

「件の……? つまり、毒草の本と? ローラ様、これは一体どう言う事なのですか?」

「ええ。これは、とある人が落とした図書館の貸し出しリストを写したもの。そして、見てみて。一枚目の頭から取り消し線が引いてある。しかし、最後のページには一つも線を引かれている箇所がない」

「一枚目は全て線が引かれてますね」

「これは、何か確認が終わったから名前を消している跡だと思うの。二枚目も同じよ」

「本当だ」

「そして、三枚目のここ。ここで線を引くのが止まっている」

「アイナからは線が引かれてませんね」

「即ち、ここで確認を止めたからよ。途中だったら、落とした後になんらかのアプローチがあってもいいけど、特に探しているそぶりも無ければ私に問い詰めてきてもないところを見ると、もうこのリストは不要と言う事。つまり、このアイナ様でこのリストの探し物が終わった事をさすわ」


 この事実にはリュウのリストを見た時に、気付いた。

 リュウも同じ方法で女子生徒をピックアップしており、彼が声を掛けた女子生徒はリストから外す為に取り消し線を引いてあったのだ。

 この持ち主がリュウと同じ事をしているのは明白。ただし、彼はリュウと違って人を探していない。

 勿論落とし主の性格的な理由でもあるが、リュウの様に不特性多数の条件に当て嵌まる人間を見つける為ならば、残りのリストは必要。それを探す素振りがないと言う事は、このリストはただ一人を、いや、一冊の借りられた本を探す為に作られたリストだと言う事だ。


「成る程。しかし、よく名前だが並ぶ中、これが図書館の貸し出しリストだと分りましたね」

「偶然よ」


 本当に、偶然の産物だ。

 リュウと話さなければ、いや、リュウを監視し始めなければ、ランティスが私にリュウの監視を提案しなければ、このリストがなんのリストか私はわかる事がなかった事だろう。

 何という縁か。

 リュウが私を誤解していなれば、あれ程近く事もなければ、私がリュウを全くしなければ、リュウの監視をする事もなかった。

 日々の積み重ねとは努力に対していう言葉だが、まさかこんな所にも適応される言葉とはな。


「では、一度私はアイナと接触してみます」

「ええ。頼んだわ」

「他には、何かありますか?」

「そうね……。他には……」


 チラリとタクトの姿が脳内に浮かんだが、すぐに私は首を振る。

 任せると言ったのだ。

 彼の決意を汚す真似は、私には出来ない。


「いいえ。今はそれだけお願い」

「わかりました」


 私は、私のすべき事をする。

 タクトは、タクトのすべき事をしている。

 ランティスだって、フィンだって。

 それが、仲間と言うものだろう?

 道徳の教科書の様な言葉に、思わず鼻を鳴らすが今は否定する気持ちはない。

 一人ではない。そうだ。私は、一人ではないのだから。


「では、私はこれで。ローラ様、くれぐれもここを動かぬ様にお願い致します」

「ええ。左腕が居なければ、何も出来ないもの。フィンも気を付けて」

「はい」


「ローラ・マルティス様」


 フィンが出かけて間も無く、一人の騎士生徒が私の元に訪れた。


「はい」


 ベッドから起き上がれば、そこには何処かで見かけた顔の騎士生徒である。


「何か御用で?」


 片腕で羽織ものを取ると、彼は私に動かなくても大丈夫だと手を止める。


「はい。王子から伝言を賜っております」

「あら、何かしら?」


 まさか、また面倒な事ではないよな?

 そんな警戒が滲み出ていたのか、騎士生徒は困った様な顔をして言葉を続ける。


「アスラン様の護送が無事終わり、城へついたようです。心配されているのではないかと、王子が」

「ああ、アスランが。そう……、アスランが。良かったわ……。有難う」


 結局、高熱で彼を見送る事すら出来ず、少しながら気を揉んでいた所だ。

 例え、安全だと分かっていても、こんな時代だ。何があるかなんて誰も分からない。だからこそ、見送りはしっかりとしたかった。それすら叶えてくれなかった私のは私自身であるが。

 まさか、そんな嬉しい知らせだとは思わず、彼には随分と失礼な態度を取ってしまったな。


「ごめんなさい。命の恩人の事を知らせてくれたのに、少し言葉が荒々しかったですね。王子にも礼をお伝えください。貴方のお陰で、安心したと」

「は、はい。あのっ」

「他に何か?」

「あのっ、先日は有り難うございましたっ!」

「先日?」


 名も知らない騎士生徒が深々と私に頭を下げてくれるが、一体なんの話だろうか。

 確かに、どこかで見た顔だが、一体何処で見たかすら思い出せない。


「あの、申し訳ないのだけど、人違いではなくって?」

「あ、えっと、いえ、違うんです。覚えていないなら、それでもいいんです。どうしても、お礼が言いたくて……」

「私に?」

「はい。貴女様にです。では、自分はこれで」

「え、ええ?」


 それだけ言うと、騎士生徒は頭を下げて部屋を出て行く。


「一体、何だって言うんだ?」


 思わず、呆けたまま彼がさった扉を見ながら私は呟いた。

 見ず知らずの人間を助けるほどお人好しなわけでもなければ、人助けを当たり前のようにする人間でも、私はない。

 本当に私なのか?

 誰かと勘違いしてるのか?

 まあ、いいか。

 それよりも……。


「アスランが無事、か」


 私は誰もいない隣のベッドに笑いかける。


「頑張れ、アスラン」


 君がまた目を覚ました時。

 それがアスランの新しい人生が始まる時だ。

 ハンカチは未だ彼に託してある。もし、何か困ったときは遠慮なく使ってくれ。

 私が、居なくても。

 何処にも、居なくても。




_______


次回は11月15日(金)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

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