第77話 貴女の為の涙を一つ

「お二人共、何故ここに……?」

「ローラ様が、襲われたって聞いて、私達……っ! ろ、ら、さ、様、が……」


 急に、シャーナ嬢が目に涙を溜め嗚咽し始める。

 どうした。何かあったのかと、オロオロしながら私は手を差し伸べようと両手を動かそうとするが、ふと左腕がないのに気付く。

 そうか、これのせいか。

 左腕が入る筈の袖が、だらしなくだらんと下に伸びているのを見て、彼女は察したのだろう。

 いや、普通わかるか。

 こんな時代だ。

 高腕の平民なんて少なくない。

 何せ現代でも小さな傷からバイ菌が入れば壊死する事もある。

 こんな時代に小さな傷で医者に掛かる金も人もそう多くないのだ。

 自分で自分の事を田舎貴族と笑う彼女は、きっと貴族よりも多くの農民を見てきた事だろう。

 農民にこそ、片腕は少なくないだろうに。


「……シャーナ様、私は大丈夫ですよ。そんなに泣いては貴女の可愛らしい太陽の様な瞳が溶けてしまいます。ほら、よく見て? 私には、美しい左腕がいるでしょう?」


 そう言って笑えば、フィンが私に寄り添う。


「そうですよ、シャーナ。私がローラ様の左腕では不服ですか?」


 フィンはそう言うと、私の元を離れシャーナ嬢を抱きしめる。


「ほら、ローラ様は貴女を抱きしめる事も出来る。何も貴女が憐む事はないのです」


 私の左腕は、実に有能だ。

 私が彼女にしたかった事を言葉にしずともすぐにしてくれる。


「ふ、フィンさん……」

「分かったなら泣き止みなさい。ローラ様の前ですよ」

「そんな事言っても、急には無理だよぉ……」

「気にしなくてもいいのよ。ゆっくり落ち着きましょう」

「ローラ様、あの、本当に大丈夫ですか? 私達、ローラ様が襲われたとしか聞いてなくて、まさか、そんな、そんな事になってるなんて、思わなくて……。その、あの、熱とか、沢山出るから、あの……」


 決して、私が片腕とは言わないアリス様の心遣いに心が温まる。

 貴族にとっては、確かにその言葉は不敬になるのだろうが、彼女は貴族に気を遣っている訳ではない。

 私に気を遣って言葉を濁してくれているのだ。

 なんとも、可愛らしい気遣いではないか。

 こう思うと、王子は直球過ぎたな。

 個人的には嫌いではないが、選択肢としては賢くはない。まあ、それが彼のいいところと言えばそうなのだが。


「アリス様、ご心配痛み入ります。しかし、ご安心ください。フィンの看病のお陰でご覧の通り、私は元気ですよ」


 実際には先程まで高熱の為意識が遠退いていた人間が何を言っているんだ。

 そう言われても致し方ない。

 しかし、私は彼女に心配をかける訳にはいかないのだ。


「アリス様こそ、少々ご加減が優れない様ですが、大丈夫ですか?」


 そう。たかが左腕を失った私よりも、少しばかり窶れたアリス様の方が随分と気掛かりだ。

 私が心配そうに問い掛ければ、彼女は痩けた頬を優しく上げて微笑む。


「私のは、送り祭が終わったばかりですから。送り祭の時に送る側は飲む事も食べる事も許されないんですよ。死者の気持ちに寄り添う為に」

「まあ……。そんな中で私のところに……?」

「私は、慣れてますので! 大丈夫です! 私、こう見えてもちゃんとしたシスターなんですよ」


 えへへと照れたようにアリス様は笑う。

 無理に明るく振る舞わせてしまった事にどうしようもなく心が痛む。

 彼女だって、そんな状態で私の元に走ってきた訳なのだから、決して大丈夫だとは言い難い状態なのに。


「アリス様、お疲れ様でした」

「……ごめんなさい」


 私の労う言葉にアリス様は顔を落とす。

 一体、どうしたと言うのか。

 

「私も、ローラ様に言葉を掛けたいのに、何て言っていいか分からなくて……。だって、こんなの、酷過ぎて……」

「アリス様……」

「だって、ローラ様が、何をしたって言うの? 皆好き勝手言うけど、ローラ様は何も悪い事してないのにっ! こんなにも、優しい人なのにっ! いつだって、私やシャーナの事を気に掛けてくれるし、私達が泣いていても、いつでも手を差し出してくれるし、それに、それに、私の大切な自慢の友達なのに……」


 アリス様は言葉を詰まらせながら、私を抱きしめる。

 張り詰めた、糸が切れてしまったのだろうか。


「アリス様、私は……」


 彼女に大丈夫だと笑いかけようとすると、彼女は私の言葉を遮り声を張り上げる。


「大丈夫って、言わないで! 大丈夫なわけないよ! それぐらい、私も分かるよ! でも、そんな言葉を言わせてしまう言葉しか出てこない自分が馬鹿で大嫌い! 私、ローラ様が大好きなのっ! シャーナも、ローラ様の事が大好きっ。だから、傷ついてるローラ様を見るのが、嫌っ! でも、でも、でもっ!」


 アリス様は私の顔を見上げる。

 涙に濡れた宝石は、今にも溢れ出しそうだ。


「生きてて、良かった。また、お話出来て、良かった……っ」


 ぎゅっと、アリス様の手に力が入る。

 まるで、私をここから逃すまいとしている様に。

 目眩がした。

 熱のせいでも、痛みのせいでもない。

 彼女の言葉に、目眩を覚える。

 彼女は、私の事を友人と言い、それでいて好きだと言ってくれていて、なのに、生きてて良かったと涙を流している。

 あのアリス様が。

 私の、神であるアリス様が。

 目眩がする。

 こんな事が、あり得ていいのだろうか。

 本当に、私に向けての言葉なのか。

 彼女はいつもシャーナ嬢よりも少しばかり冷静で感情をそれ程言葉に乗せる事を良しとしない心優しい方。

 それなのに。

 それなのに、だ。

 彼女は今、感情に揺さぶられながら声を上げている。

 私に、他の誰でもない私に。

 ああ……。


「私も……」


 私は、ぎゅっとアリス様を抱きしめる。


「私も、アリス様と再び会えて嬉しいです。フィンやシャーナ様と、こうしてまた四人でお会いできた事が、とても嬉しいです……」


 ああ。

 矢張り、私はこの人の為にこの世界に産まれたのだ。

 他の誰の為でもない。アリス様の為に。


「ローラ、様ぁっ!」

「あ、シャーナっ!」


 アリス様の様子を見て、シャーナはフィンの腕からすり抜け私を抱きしめにくる。


「あらあら、シャーナ様も」

「私も嬉しい。腕がなくても、ローラ様は、ローラ様だよ。優しくて、かっこよくて、私の大好きなローラ様だよっ!」

「ありがとう、シャーナ様も」


 果たして、優しいのは何方なのか。

 泣いている二人に抱きしめられていると、フィンが呆れた顔で此方を見てくる。

 そう言えば、そうだな。二人に抱きしめられると、片腕では足りないよな。


「フィン」


 私が呼ぶと、フィンは此方に来てくれる。


「如何しましたか?」

「ねえ、フィン。私、今とても困っているの」

「今?」


 フィンが首を傾げる様子を少し笑って、困った様に首を傾ける。


「アリス様とシャーナ様を抱きしめたいのだけど、腕一本じゃ足りなくて。どうすればいいかしら?」

「……まったく。困ったお身体様ですね、ローラ様は」


 そう言うと、フィンは両手で私たちを囲う様に抱きしめた。


「別に参加したい訳ではないですよ。まだお身体だって本調子ではないローラ様に抱きつくなんて、如何なものかと私は思います。けど、私は貴女の左腕ですからね。困っているとなれば、差し出さずには居られないのだから」

「ふふふ。そんな事言って、私が起きた時に一番最初に抱きついてきたのはフィンでしょうに」

「ろ、ローラ様っ!?」

「私は、嬉しかったの。今も、とても嬉しい。片腕は失ってしまったけど、私の大切な宝物をこうして抱きしめられるのがとても嬉しい。其処に憂は何処にもないの。ただ、喜びだけがある。だからね、私は大丈夫なのよ。皆んなが居てくれるから……」


 力一杯、の気持ちを込めて。


「有難う。貴女たちのお陰で、私は大丈夫よ」


 ない左腕が、彼女達を強く抱きしめる。

 大丈夫かそうでないかなんて、実際自分でも分からない。

 不便は残る。

 絶望も確かにある。

 二度と戻らない物が多過ぎた。

 それでも、それでも。

 皆んながいてくれる。それだけで、私は救われている。

 それは確かな真実なのだ。


「……ローラ様」

「えっ、またシャーナ泣き出しちゃった!?」

「だ、だって、ローラ様がぁ……、ありがとうってぇ……」

「まったく。シャーナ、貴女は泣き過ぎですよ」

「だって、だってぇ……」

「あらあら。ほらほら、涙を拭いて。ふふ、こういう時、右腕が無くても良かったわね。右腕の袖で涙が拭けるし、悪い事ばかりでもなくってよ?」

「いや、ローラ様、それは……」

「ちょっと、どうかと思うかも……?」

「ローラ様ぁ……」

「あら、駄目だったかしら? 和ませるのも難しいわね。少し笑ってくれると思ったのだけど」


 どうやら、私に笑いのセンスは何処にも無いみたいだ。

 まあ、前世から知っていたが、まさかこれ程絶望的とはな。


「それにしても、お二人ともよくここに入れましたね」

「ああ、確かに。ここに入れる人間は限られているはずなのに、何故?」

「ああ、それはですね」


 アリス様が答えようとした瞬間、少しだけドアが開く。

 フィンはすぐ様剣を構えるが、開けた人物が誰かわかると、直ぐに手を下ろした。

 成る程な。


「……そろそろ、入ってもいい?」


 ドアの向こうには、何処となく居心地が悪そうなランティスの姿があった。

 成る程、彼が犯人か。


「ランティスに頼んで、入れて貰ったんです。私達、本当にどうしようもなくいても経ってもいられなくて。もしかして、今回のローラ様が襲われた事、私たちの部屋に押し入ってきた事件のせいじゃ無いかって思ってて……」

「え?」


 アリス様とシャーナ嬢の部屋に押し入った事件の話か?

 確かに、無関係では無いのだが……。

 一体、何処からその情報を?


「シャーナに、ローラ様達があの事件の事を調べてくれたってお聞きして、そのせいで、ローラ様が襲われたんだと思ったんですが……」


 ああ、成る程。

 確かに、シャーナ嬢の部屋に現場検証をしに行った直後だからな。

 それに関係して、私が襲われたと思ったという事か。

 確かに、無関係では無い。

 しかし、直接的な原因は別である。

 それに、わざわざアリス様に事の次第を説明して不安にさせるつもりもない。


「違いますよ。大切な友人が襲われていたのを助けに入っただけてす。ただ、見ての通り返り討ちにされ、最後はフィンに助けられてしまいましたが……」

「うちの馬鹿が申し訳ございません」

「いいのよ。彼が助かれば腕の一本二本、気にならないわ」

「彼……?」


 アスランの存在を知らない二人が顔を合わせる。

 何処か曇る様なその表情に私は眉を潜めた。

 しまったな。余計な事を言ってしまったか?


「ええ。私の親族です」


 どう説明するかと悩んでいると、フィンが助け舟を出してくれる。


「え、フィンさんの?」

「はい。私が幼い頃から弟の様に可愛がっていた存在で、ローラ様も彼には何かと気に掛けて頂いておりました」

「なーんだ。やっぱり、噂なんて嘘ばっか!」

「こら、シャーナっ!」

「噂?」


 フィンがアスランの事を年上なのに弟と思っていたのかと言う驚きよりも先に、シャーナ嬢の言葉が耳につく。

 私が問えば、シャーナ嬢はあっとした顔をして、すぐに縮こまってしまった。

 まあ、よくよく考えれば、わかる話だ。

 そもそも、私が襲われたと言う噂がこの二人の耳に入るほど、あの事件の事は真意を問わなければ周知の事実という事。

 こんな短期間の間に広がる所を見れば誰かが、情報を操作しているのであろう。

 出所だって、大体想像はつく。


「いえ、あの、ローラ様が男子生徒と襲われたと聞いて……」

「ローラが、密会している所を襲われたって話になってる」


 言いにくそうに言葉を濁すアリス様の後ろから、ランティスが声を上げる。


「成る程」


 確かに、そんなスキャンダルを黙って見過ごす様な貴族はここはいない事だろうに。


「天罰が下っただってよ」

「ランティスっ! ローラ様になんて事を」

「いいんです。私も、真実が聞きたかったので。大丈夫ですよ。アリス様もシャーナ様も、そんな噂を信じていない事ぐらい分かっていますから」

「ローラ様……。うん。絶対に違うって私達思ってた。ローラ様はそんな事しないし、何も悪い事してないって、ずっと信じてた」

「わ、私もっ! アリスと一緒にそんな噂嘘だって、言いたかったけど、ローラ様の約束、ちゃんと守ってた!」

「二人とも、有難う。私も、貴方達二人を信じてるもの。同じね」


 噂には真実なんてクソ程要らん物は無いからな。

 しかし、今更そんな噂を流した所で何だと言うのだ。

 他に、ギヌス達の狙いがあるのか?


「……ローラ様、そろそろ包帯を変える時間で御座います。アリス、シャーナ。今回はこれぐらいで。ローラ様もまだ本調子ではないのですよ」

「あ、はい。少しでも、お喋り出来て良かったです」

「ローラ様、またねっ!」

「ええ。二人とも来てくれて有難う」

「うんん、いいのっ!」

「私達も、ローラ様に会えて良かった。じゃあ、また学校でね。フィンさんも」

「ええ。また」


 二人の背中を見送りながら、私とフィンはランティスを見る。


「お二人は、帰られましたよ」

「一緒に行かなくて良かったのかしら?」

「包帯なんて変えないだろ?」


 そう言うと、ランティスは空いた隣のベッドに座った。


「そうなの?」


 自分の事だが、包帯を変える時間など把握なんてしていない。

 その為、変える時間だと言い出した本人を見ると、フィンは短い溜息を吐く。


「嘘です。先程まで、高熱で意識が戻らなかったローラ様に無理をさせてはいけないと思い、切り上げさせて頂きました」

「優しい嘘ね」


 それ程気にせぬとも良かったのに。

 昏睡から目覚めたとは思えない程、私の頭は今明快に動いている。

 しかし、脳だけが私の本体ではない。

 どれだけ頭が明快に動こうと、どれ程寝ていたのか定かではないのだが、熱のおかげが気怠さは残っていた。

 確かに、私からは言い出しにくい事ではあるな。


「だろ?」

「お前は分かっているなら、目に見えた事でローラ様に気遣いをしろ」

「しただろ。アリス達を連れてきた。ローラにとっては一番の薬だろ?」

「ええ。でも、アリス様に無理をさせてしまったのは少々申し訳ない気持ちもあります」

「送り祭の後だ、急に飯を食うわけにもいかねぇし、徐々に回復させるしかない。なあ、ローラ。腕が無くて辛いか?」


 ランティスが、私の中身の無い袖を掴む。


「貴様っ!」

「フィン」


 今にも斬りかからんとばかりに立ち上がったフィンを制すると、私は笑う。


「辛いのは、貴方の方ではなくって? ランティス様」


 結局、そうだ。

 私の腕なのに。

 死んだのは私なのに。

 辛そうなのは、いつも周りだ。


「……俺の事、呼んだか?」

「炎に包まれていた時、少し思い出しました。けど、呼んでないですよ。私は其処で、死ぬ決意をしておりましたから」

「……お前はいつもそうだよな」

「ええ。これが私です。だから、ご自分を責めるのは良して下さいね。私はこうして生きている。私に必要なのは、頭だ。腕一本で、私の何が変わると言うんだ。最初に手を握った貴方なら、わかるでしょ?」


 私は変わらない。何も変わらない。


「確かにそうだ。けど、呼べよ。頼むから、呼べ。死ぬ決意を固めるな。溶かせっ」

「実に貴方らしい無茶を仰るな。でも、そうですね。次死ぬ時は、貴方の名を呼びますよ。でも、今はやるべき事がありますので、いつになるやら。さて、ランティス様。私にどう言ったご用件を?」

「はぁ。お前はそう言う所だぞ。と、言っても直す気は無さそうだな。取り敢えず、単刀直入に言うぞ。この件について、お前の親父殿へ連絡が向かった。直ぐにここを退園する旨の連絡が来る」

「でしょうね」

「そして、これが一番肝心だ。ローラ、お前への婚約破棄が正式に、王から出た」


 ついに来るのか。

 あの、婚約破棄のイベントが……。

 私が向かう処刑台の第一歩が。





_______


次回は11月7日(木)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

いつも、閲覧、応援、フォロー、★、コメント有難う御座います!とても嬉しいです!

更新の励みになります!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る