第69話 貴女の為の私の腕を
立ち尽くすアスランは、一歩も動けない。
投げ込まれた松明を餌に、炎は勢いを増すばかり。
ギヌスは何事も無かったの様に平然と焼却炉から出ようとしている。
このままあいつを許せば、またあの鉄の扉は再び口を閉ざし二度と開かない事だろう。
「クソッ!」
迷っている暇はない。
動けるのは、私だけだっ!
「待てっ!」
私はすぐ様立ち上がり、再びギヌスにしがみ付く。
「退け」
不意打ちでもなんでもない当身は、冷静にギヌスに処理され再び私は転がる。
だが、そんなものこちらだってわかっているのだ。
「行かせるかっ!」
私もすぐ様何度でもギヌスにしがみ付き、奴の足を止めさせる。
閉めさせるものかっ!
「何度も何度も、諦めが悪いな」
呆れた口調。
最早、私の事などそこらに転がる廃材よりもゴミに等しいと思っているんだろう。
ギヌスを振り切り、私が扉の外に出た所で、きっとこの結末は変わらない。アスランがギヌスに逆らえない今、私が逃げた所で何も変わらないのだ。
それならば、少しでも可能性がある方に私は賭ける。
この命だって!
「アスランっ! 早くここから出ろ!」
ギヌスにしがみ付きながら私は声を上げる。
ギヌスを攻撃する必要はない。お前は、ただ逃げるだけでいい。
少しでも、少しでも心が動いてくれるのならば。足が動いてくれるのならば。
その可能性にかけて、私は何度も声を張り上げ、ギヌスを止める。
「逃げろっ! ここから、逃げろっ!!」
私は駄目だが、アスランのならっ! ギヌスの追撃を振り切り、逃げ切れるかもしれない。
「無駄だよ。あいつは、動けない」
「アスランっ! は、早くっ! ぐあっ!」
今度は振り払われるどころか、ギヌスに私は足蹴りを食らわされる。
痛い。
骨が折れたんじゃないのか?
ロサに受けた暴行の恐怖が、また脳内に焼き付きそうになる。
でも……っ。
それでもっ!
「アスラン、お前だけでも逃げろっ!!」
諦めれるかっ!
私は何度でも、倒れても、蹴られても、何度でも、ギヌスにしがみ付く。
誰か一人でも……っ!
「フィンの、フィシストラの所へ、行って! アスランっ!!」
伝えてくれ。
「ギヌスは私がここで、何度でも食い止めるからっ! 走って! お願い! アスランっ! フィンの元へ!」
「お前……」
「ふーん。俺と一緒にここで燃え尽きてもいいと言うわけか」
「そうだっ! お前を外に、行かせないっ! ここで私と、共に焼け死ねっ! 生き残るは、アスランだけだっ!」
絶対に、絶対に。
諦めてたまるか。
逃して、たまるかっ!
「はは。アスランより、このご令嬢の方が根性があるな。でも、ここでお前と死ぬのはアスランだよ」
「言ってろっ! 私はこの腕がもげても、お前にしがみ付いてやるっ!」
「勇ましい。でも、それが出来たらいいな」
「え」
いつの間にか、ギヌスの手には剣が握られていた。
剣を抜く動作に、何一つ気付かなかった。そして、その剣が私に向いている事も。
ギヌスの表情は何一つ変わらない。
それでも、分かる。
あ、こいつ本気だ。
殺すんだから、それもそうか。
一瞬なのに、嫌に頭が動いてくれる。
でも、不思議と身体は動かない。
「兄様、やめてくれっ!」
すぐそこにいるはずなのに、酷く遠く、アスランの声が聞こえる。
「腕がもげても、しがみついていられるか教えてくれよ」
次の瞬間振り下ろされた剣が、私の左腕を切り裂いた。
「きゃああああっ!!」
ころりと、転がる左腕に死にそうな程痛い肩。
私の左腕が自分の身体と離れたと理解する迄に時間はかからなかった。
切り落とされたのだ。
まるで、ステーキを切る様に。簡単に。
彼にしがみついていた腕が。
私の腕がっ!
私の、腕が……っ!
腕が……っ!
「腕が、私の、腕が……っ!」
無いと叫びそうになった己の唇に、ぎゅっと歯を立てる。
馬鹿野郎!
一本無くなっただけで、騒ぐなっ!!
「アスランっ!!」
下を向くなっ!
泣くなっ!
喚くなっ!
立ち止まるなっ!
しがみ付く腕ならもう一本残ってるだろうがっ!
根性見せろよ!
ローラ・マルティス!!
残った右腕を、私はギヌスの左足に絡め取る。
「行けっ!! 走れっ! アスランっ!」
どうせ死ぬんだ。
ならば、腕の一本ぐらいお前にくれてやる。
「……だってさ、アスラン。行かなくていいのかい?」
「兄様……、俺……」
「勇敢なご令嬢よ、見てみなよ。アスランはこんなにも貴女が必死に僕を止めているのに一ミリだってそこから動いていないんだよ。なんて、酷い男だ。可哀想に」
「うる、せぇよっ! お前が、アスランをこんな奴にしたんだろうがっ! 笑ってんじゃねぇよっ!!」
壊された痛みも知りもしない奴が、アスランを笑うなよっ。
こんな時でさえ動けない程、心に傷を負わされたアスランを、笑っていい奴なんていないだろ。
「立派なご令嬢な事で。でも、それも灰に帰る時が来たようだ。さようなら。勇敢なご令嬢。そして、アスラン」
必死に一本の腕でしがみついた私を、ギヌスは蹴り飛ばす。
まだ、まだだ……。
残った腕一本で、体を起き上がらせようとするが、力が入らない。
やめてくれ。
まだ、まだ、アスランは逃げてないんだ。
ここで、終わるわけには行かないんだ。
まだ、まだ、動いてくれよ。
まだ……。
「お二人とも、良き来世を」
パタリと、鉄の扉が閉まる。
私がしがみ付くはずのギヌスの足は、扉の向こうに消えてしまった。
「……クソっ」
私だけが、動けたのに。
私だけが、何とか出来たのに。
私だけが……。
「クソォォォォォォッ!!」
何とかしなきゃいけなかったのにっ!
「……ごめん」
炎の燃え広がる音にかき消される様に、アスランが口を開く。
燃え盛る炎に照らし出された彼は、矢張り一歩も動いていなかった。
ただ、拳を握りしめて、目に涙を溜めながら、無様に転がってる私に謝るだけ。
何一つ怪我も負ってない。
まだ、彼は動ける。
彼はまだ、何もしていない。
「……アスラン。まだ、謝るのは早いよ」
切られた肩を抑えながら、私は口を開いた。
そうだ。
まだ、終わっていない。
止め処なく流れ出る血を手で止めながら私は笑った。
「アスラン、もうギヌスはここに居ない。動けるか?」
「……あ、ああ」
ぎこちなく動き出すアスランを他所に、炎は勢いを増している。
このままだと、二人ともここで死ぬ。
この焼却炉は燃えカスが残るぐらいだ。残っていた廃材もそれなりにあるが、それ程高温にはならないとはいえ、煙も十分に出ている。このままでは一酸化炭素中毒で死ぬだろう。
体が、アスランの体が動くうちに、やるべき事はまだある。
「私の服にハンカチがある。悪いが取れるか?」
「わかった」
アスランに頼み、私の服からハンカチを取り出してもらう。
無いよりもあった方がいいだろうに。
「それを口にまけ。それから、私のいた場所を少し探ってくれるか?」
「これは……?」
私の言葉通りに私が倒れていた場所から、アスランは私が拾い上げた鍬を探し出す。
「鍬だ。持ち手は、簡易的に付けたものだが、まだ比較的しっかりしている木材だ。ある程度使えるはずだ」
私は壁にもたれかかりながら、アスランに話す。
切られたばかりの頃は、それ程痛みが無かったはずなのに、今になって燃える様に切り口が痛み出す。
痛みに今にも意識が飛びそうだ。
でも、まだ、まだだ。
私がここで踏ん張らねば、アスランだって……。
「扉から真後ろの壁を見ろ。少し亀裂が走って壊せそうな場所がある。私が叫んだ時、この焼却炉では声が響かなかった。それはこの焼却炉はそれ程密閉されていない事を示す。見た目以上にその亀裂はこの焼却炉にとっては致命的な様だ。アスラン、その鍬を使って亀裂を壊して穴を空けるんだ」
痛みのせいか、少しばかり早口で私が言う。
アスランに向かって叫んでいたのは、この為だ。
犯人が、いや、ギヌスがもし予定を変更して炎を付けず私達を餓死する方法を取った場合、私はこの亀裂を使って外に出る為の打算をしていた。
犯人がギヌスだと分かった後も、ギヌスに二人で勝てる可能性を考えれば第二の策は必要だ。
まさかこんなにも満身創痍になるとは思わなかったが、想定内と言えば想定内。
まだ、助かる光は文字通り見えているわけである。
「でも、そんな事をしたら兄様に……」
「気付かれるかもしれないな」
その可能性は、低く無い。
まだ外に残っているギヌスが、異変に気付く可能性だってある。
それを考えていない程、私もバカじゃ無い。
「それでも、やらなきゃ死ぬだけだ。アスラン、謝るのは出来るか出来ないかを決めてからにしてくれよ」
少しでも。
可能性があるなら。
でも、もうその選択を出来るのは私じゃ無い。
未来があるのは、アスランだ。
どうせ私がここを出た所で、この体じゃ満足に逃げる事だって出来やしないだろう。
ここで死ぬ。
私は、ここで死ぬしか無い。
「俺は……」
「もう強要はしない。アスランも戦ったじゃないか」
「でも、俺は何もっ!」
「動こうと、してたんだろ? だから、拳をそんなにも握りしめてた。自分の中で自分の恐怖と戦ってた。それだけで、えらいよ」
怖い時、動けない時、苦しい思い。
私にはわかるから。
何もしてないなんて、言わないでくれ。
「でも、俺は、なにも出来なかった……。お前はあんなにも戦ってたのに、俺は兄様が怖くて、一歩も動けなかった……。お前があんなにも、俺に叫んでくれたのに、俺は……っ!」
「腕が無くなったのも、ギヌスに一人で向かっていたのも、私が選んでやった事だ。後悔はないし、アスランが悪いとも思ってない。私は私の人生だ。何かを選択するのも、決めるのも、私しかないないし、出来ない。アスランもだよ」
アスランの人生は、アスランにしか決められない。
例え、一歩踏み出せなくても、踏み出そうと頑張ったなら、それは立派な一歩だ。四捨五入したら切り捨てられるような些細なものでも、それでも、無かった事には出来ない。
「俺を、恨んでないのか……?」
「恨んで欲しいの?」
「恨まないのか……?」
「ああ。恨まない」
恨むつもりもない。
アスランのせいにするつもりもない。
「私は、私の思う最善の選択をした。その誇りを、誰かのせいにするなんて、勿体ない事をするわけがないだろ? 生きてたんだ。私は。生きる為に、全力で、生きる為に必死で、生きようとした。そこに他人の介入なんて許せるものか」
私が笑うと、アスランは私をじっと見つめた。
変な女だと思っているかもしれない。
自分の人生の最後に関わるのが、こんな変人とは少しだけ同情もしてしまう。
「謝るのは、私の方だしな」
「え?」
「半ば脅して協力させたのはこっちで、そして、結果はこのザマ。お前一人守れなかった。最初にお前が謝ったのと同じだな」
「俺は、俺のは、嘘だったのに……」
「それがどうした。結果は同じだ」
「俺は、お前に嘘しかついてないのに……」
「私だって、助かると宣った。嘘だろ、それも」
「お前は俺を助ける為に、腕だって……」
「お前も、私を助ける為に奮い立ったじゃないか。アスラン、どれだけ探しても、お前を恨む所も責める所もないよ。そして、お前が私に謝る所も無いんだよ。残るものは生きる自分の意思しか、ないんだよ」
煙の量が多くなりつつある。熱さも、炎に近い場所から動けない私はじりじりと時間のなさを感じている。
生きて欲しい。
そして、願わくばフィンに私の事を伝えて欲しい。
けど、矢張りアスランは動かないか。
強要しようにも、私の体は動かない。
切れるカードももうない。
私に残された道はどこにも無いのだ。
二回目の人生。両方とも誰かに殺されるだなんてついてないな。どんな確率だよ。こんなにも強運があるなら、一回ぐらい宝くじを買ってみればよかったな。
でも、二回目だって。
悪い人生じゃなかった。
一回目だって、今思い出してもそれ程悪くはなかった。先輩がいて、家族がいて、自分に任される仕事があって。
でも、それ以上に今が最高だった。
仲間がいて、友がいて、憧れの人がいて。
全て嫌われて、蔑まれて、疎まれて、そんな人生だったのに。
少しだけ、恋をして。
共に涙を流す友がいて。
信じてくれる人がいて。
柄にもなく、まだ少しだけ生きていたいと思うぐらいに、幸せだった。
もう、意識を手放していいかな。
疲れたや。
もう、やり切ったよね。
私は、もう……。
「十分、私も頑張ったかな……」
「……まだ」
私がぽつりと呟いた言葉に答えるかの様に、アスランの言葉が聞こえる。
「……アスラン?」
「まだ、生きてる」
顔を上げた私の目に写ったのは、アスランに託した鍬が彼の手に力強く握られている姿だった。
「まだ、俺たちは生きてるっ!」
「アスラン、お前……」
力強い一撃が、壁の割れ目に打たれた。
「ごめん。俺は臆病で嘘つきで、弱くて、なにも出来なかった」
また一撃と、アスランは壁の割れ目に鍬を突き刺す。
「お前が必死になって、俺を助けようとしたのに、俺はお前に何も出来なかった。怖くて、怖くて、震えてるだけだった」
何度でも。何度でも。
私が何度でも立ち上がり、ギヌスに挑んだ様に。
「遅いかもしれないけど、生きたいって、俺も思った」
ポロリと、小さくだが壁が崩れ出し外の光が見えてくる。
「俺は、お前の様になりたかった」
アスランは手を休めず、何度でも穴を叩く。
「お前の様になりたくて、嘘を重ねて、虚構を張って、強がって」
何度でも。
「俺も、お前の様になりたい。生きたいっ! 何度でも、立ち上がって向かっていける様になりたいっ!」
力強く。
「俺だって、自分で選ぶっ!」
打ち付ける。
「俺だって、俺だって……、お前を、ローラを助けたいっ!!」
大きな穴が、空いた。
「アスラン……っ!」
やった、やったぞ!!
穴が、穴が空いた!!
お世辞にも大きな穴とは言えないが、アスラン一人なら十分通れる穴だ。
はは。
嘘だろ。アスラン。
お前が弱いだなんて、嘘じゃないか。
こんな事が出来るんだ。お前は、十分強い。その証が、ここにあるんだ。
どうやら、意識を手放すのは、もう少し先らしい。
私は、痛む身体を少しだけ起き上がらせて、口を開く。
「アスラン、すぐにその穴から外へ出ろ! 振り向かず、まっすぐ図書館に向かってフィシストラに会えっ! 決して、後ろを振り向くなよっ。戻ってくるなよっ! お前は、フィシストラに会ったらすぐ様学園を出て、マルティス領まで走れっ! そのハンカチを見せれば、迎え入れてくれるっ!」
最後の力を振り絞り、私は叫ぶ。
「でも、それじゃあ、お前は……っ」
「私の事はどうでもいいっ! 気にするなっ。前を向けっ!」
どうせ助かる体ではないのだ。
煙だってそんな穴をあけたぐらいではどうにもならないぐらいに充満し始めている。
これ以上ここで穴を広げた所でギヌスにも気付かれる可能性も高くなる。
今しかないのだ。
「アスラン、生きろ。何があっても、生きろ。生きたいと願うなら、叶えろっ! お前は変われるっ! お前は、強い奴なんだっ!」
アスランが、助かる為には。
「アスラン、行けっ。絶対に振り向くなよ、戻ってくるなよ。私の生きたいと思う意思を、私はお前に託したのだから」
「……お前……」
「行け、早くっ!」
今度こそ、今度こそ。
アスランの足が動く。
アスランの姿が、穴を通って外に消えていった。
それを、私はただ見送るだけ。
それでいい。
あとは、ギヌスに気付かれないように祈るしかないと言うのは頂けないが、私の役目は十分に果たした。
腕を無くした肩が、悲しむ様に流す涙の様に血はまだ止め処なく流れている。
これ程熱いのに、寒いなんて。
ランティスのマントが懐かしい。きっと、あれがあれば暖かいまま、幸せのまま、眠れたかもしれないのに。
傷だらけの体を残った腕で抱きしめながら、少しだけ笑って目を閉じる。
「綺麗だと言ってくれたランティスに、お礼ぐらい言えば良かったな……」
馬鹿みたいな後悔が最期の言葉だなんて。
私らしいじゃないか。
これが最期か。
そう思いながら薄れゆく意識の中、何が崩れる音がする。
「ローラっ!」
この声は……。
私が顔を上げると、大き崩れた壁からアスランの姿が目に入る。
「アスラン……?」
お前、何で……。
何で、ここにいるんだ?
外から、ずっと壁を崩していたのか?
私と、お前が通れるぐらいの大きさになるまで、ずっと。
「早く、逃げろと、戻ってくるなと、言ったのに……」
「まだ、生きてる」
アスランは、私を抱きかかえると力強くこう言った。
「お前も、俺も。まだ、生きてるっ」
こんな絶望だらけの状態で。
彼は笑った。
ああ、馬鹿だな。私なんて、見捨てておけば良かったのに。
一人なら、逃げられたかもしれないのに。
それなのに、私を助けるなんて。
でも、それでも。
「生きよう、ローラ」
その言葉がどれ程嬉しかったかなんて、きっと私しか知らないんだ。
_______
次回は9月24日(火)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
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