第58話 貴女の為の歪な世界を

「と、突然何ですの?」


 そもそも、アリス様の身分が平民で何が悪いと言うのか。

 身分が罪ならば、産まれる事が最早罪だ。

 アリス様が産まれた事が罪?

 巫山戯るなよ。痴れ者が。

 アリス様こそ、この国の妃に相応しく心豊かで気品、思いに溢れるお方が何処に居ようかっ!

 ふむ。どうやら、悪くない様だ。

 なんて事はない。憎悪は相手がわざわざ私の逆鱗に触れる事を話さなくても湧いてくれる。

 それもこれも、あの医務室の前での会話のお陰だ。

 お前は初手でミスを犯したのだ。致し方ない。

 話下手な人間が上手くは兎も角、相手よりも多く話せるコツは、怒りだ。

 怒りによるコミュニケーションは、いつの時代も人を多弁にさせる。勿論、今、この時代も。

 上手く活用すれば、私のような雑魚でも簡単に相手と話、いや、これだと語弊があるな。私には一切合切、話すつもりはないのだら。まさに、怒りとは相手に一方的に攻め入れる魔法のツールである。

 何処ぞの公爵令嬢か名すら知らないが、恨むなら私を恨んでもらおうか。


「アリス・ロベルトが王子の時期婚約者になると言う噂を、知っているわね!?」

「ヒィッ!」


 自分が怒鳴られた事など皆無であろうご令嬢は、びくりとまた小さく体を震わす。

 あの可哀想な近衛兵君にはしていた癖に、自分だけが天上人だとでも思っているのだろうか?


「悲鳴なんて、どうでもいいのよ。貴女、知っているわよね?」

「な、何の話ですの?」

「アリス・ロベルトの話をしているのっ! あの娘が、私の王子と婚約すると貴女は聞いているはずだわ。私には随分と嫌がらせをしてきた癖に、王子のお気に入りになると、黙り込むようね」


 名も知らぬのに、何故このご令嬢が公爵令嬢とわかるのか。

 勿論、あの場でフィンが公爵令嬢ではないかと指摘したのも大きいが、自分なりの解釈もある。

 このご令嬢が公爵令嬢である可能性は、かなり高いと言えるだろう。

 何故なら、王子の見舞いを身分で乗り越えようとしてきた猛者だからだ。

 基本、私達公爵の上には王族と呼ばれる国王陛下の血族がいる。しかし、それ以外の、貴族の身分であれば我々が一番上なのだ。

 身分が不十分であれば、その様な突破方法を試す事はないだろう。近衛兵の彼だって、騎士貴族とは限らない。騎士に志願するのは、公爵子息だっているのだ。その可能性を考えない馬鹿の可能性も大いにあるが、あの態度を見る限りでは馬鹿で公爵令嬢であるだろう。

 見ず知らずの人間を馬鹿だと言うは多少は気が引ける所でもあるが、アリス様への態度を考えればそれは不問だ。

 失礼をしたのは、向こうが先である。

 また、公爵令嬢ならば例に漏れず私に嫌がらせを働いた相手と言うことにもなる。

 どれ程の嫌がらせを受けて来たかなんて、最早数えるのも億劫と言うぐらいだ。皆が次期妃を狙い、私の寝首をかこうとしていたのだから。

 だからこそ、可笑しい。

 それ程欲しかった椅子を、何故今手を伸ばさないのだ。


「アリス? あぁ、アリス様ですわね」


 アリス様?

 これは、私の口から出た言葉ではない。

 あのツインテールのご令嬢が口にした言葉だ。


「アリス、様? 何を巫山戯たことを。現、次期王妃の私をこの女呼ばわりした癖に、平民に様を付けるなど、何事ですかっ!」


 今、この女は確かにアリス様を呼び捨てにはせず、様を付けて呼ばれた。

 正しいか正しくないかと言えば、寧ろその対応は正しい。

 何せ、あの聖女の如く清らかな心をお持ちのアリス様だ。様ぐらい付けろよ、下民がと常々私は思っていたぐらいである。

 やっと、認識を改めれたのかと褒めたい所だが、流石の私でもそれは些か可笑しい事は充分に分かっている。

 この女は、アリス様を前日まで身分の低い自分の下に居る筈の女だと認識していた筈だ。

 それを数日。

 たった、数日でそれを覆した。

 可笑しな話だが、たかが王子一人助けたぐらいで地位が跳ね上がる訳がないだろうに。

 前も言ったと思うが、この国は、平民は平民なのだ。時の勇者だろうが、何だろうが、平民から生まれた平民は、その賞賛や貢献などに左右されず、王が地位を与えるまでは一律して平民である。それに上も下も存在しない。

 なのに、国を救ったわけでもなく、ただ単に王子を救ったぐらいで、この掌返し。

 気味が悪いを通り越し、最早歪の集合体だ。


「アリスと言う平民が、一体何をしたと言うの?」

「アリス様は私達の王子を救った救世主ですわよ。それよりも、ローラ様。宜しいのですか? こんな場面を王子に見られたら、今度こそ貴女のしがみ付いている席がなくなりますわよ?」


 お前が言うなよ。

 しかし、矢張りアリス様は王子を救った救世主であると周りが認識しているのは間違いなさそうだ。

 それ以外に、何か。

 何かあるはずだ。


「貴女方の流した私の悪癖は、既に王子は真実を知っております。貴女如きのご心配は無用。それとも、本当に身分関係なく王子が婚約者を変えるとお思いで?」

「我らの王子は良き王子ですわ! 身分など飾りに過ぎませんっ! そんな事もローラ様は分からないので?」


 おいおいおい。

 本当に、何があったんだ?

 身分が飾りに過ぎないと?


「ならば、貴女が公爵令嬢である事も飾りだと?」


 身分が全てのこの世界で。

 出生が全てのこの世界で。

 この学園だけが、捻れ始めた。


「当たり前ですわ! 身分など、必要が無いに決まっていますっ! 平民、貴族など分けるなど、悪しき考え。古き考えなのですっ! 公爵令嬢が力を持っているだなんて、その考えが可笑しいのですっ!」


 彼女の目は見開いていた。

 嘘を言っている。事実を言っている。そんなものでは無い。

 必死に、何かに取り憑かれた様に喚いている様に感じる。


「身分あるものが、身分を無いものに手を差し伸べるのでは無く?」

「何を仰っているの? 貴女は、人を人としてみていないの!?」


 はっ。

 乾いた笑いが口を吐きそうになる。

 人権運動かよ。

 そぐわない。そぐわな過ぎる。

 この考えは、発展した世界の考えだ。発展途中のこの世界では、こんなが考えあり得ていい訳がない。

 この世界で、きっと私が、いや、私の代わりにタクトが、リュウが、フィンが。他者との違いを嘆いて訴えて来た奴らが、死ぬ程叫んでも変わらなかった世界が。

 この数日で変わりつつあるなんて、あり得ない。


「ローラ様は、いつも自分ばかりの事をお考えなのですね! 他者を考え……」


 私が自分の事ばかりだと?

 勝ち誇った様なご令嬢の顔を、今にも食い千切ろうとばかりに私は牙を見せる。


「黙れ。今迄考えなかったお前達が言っていい台詞じゃないっ」


 駄目だ。ここで、熱くなっては駄目だ。

 怒りを維持したまま、頭だけは冷静で居なければならない。

 こんな事で掻き乱されるな。また、昨日の失態を晒したいのか。

 落ち着け。

 彼女達の罪を、数えるな。

 今は、確かめるのが先だ。

 彼女は、何を盲信しているのかを。

 見極めなくては。


「……貴女は、本気で身分が要らない世界を作りたいと思っているの?」


 世界を、変えようとしているの?

 誰の、教えなの?

 その問い掛けを載せた私の目に映ったのは、小さな公爵令嬢の姿だった。


「え?」


 小さな公爵令嬢は、不思議と言った様子で私を見る。

 驚きではない。これはただの、疑問だ。

 こいつは、何を言っているんだと、まるでそう言いたげな瞳の奥が、私の目に映る。

 その意味は、明白だ。

 彼女は、私の言葉を理解していない。

 自分の言葉と私の言葉が、何一つ繋がっていない。

 まさか……。


「アリス・ロベルトが妃になるべきだと、貴女は考えているのでしょ?」

「え、ええ! そうですわ!」

「平民が王族を入るのを許すと言う事は、身分に意味はないと考えていると。ならば、今ここでその貴女は身分を捨てれるのかしら?」


 身分など意味がない。

 人を人として見る。

 本心で言っているのであれば、自分の身分など直ぐにでも捨てれる筈だ。


「……え?」

「貴女の平民への熱意はよく分かったわ。だから、今ここで、貴女の本気を見せて頂けない? 自分の事ばかりしか考えられない私に、どうぞ道を示して頂けないかしら? 貴女の身を持って。身分など必要ないと言う証拠を」


 私は、にっこりと笑った。

 最早、周りにはいつぞやの食堂よろしく、人垣が出来ている。

 こうなっては、あの言葉の真意とは別に、引くに引けないだろう。

 しかし、ご令嬢は黙ったまま。


「あら? 人は人。身分など関係などないのでしょう? どうぞ、宣言を。自分の身分を手放す宣言を」


 私がどれだけ彼女を促しても、彼女は止まったままだ。


「何も遠慮することはなくってよ? 今ここで貴女が宣言をすれば私が直ぐに王子にご連絡し、王子から貴女のお父様へご連絡差し上げますもの。きっと、直ぐに、貴女の除名が認可される事でしょう。良かったわね。貴女の好きな身分の関係ない世界への入り口じゃない」


 私にそれを宣言した瞬間、確実に彼女の公爵令嬢の地位は無くなる。

 文字通り、捨てるのだ。

 それは、私が偉いからではない。ローラ・マルティスと言う位の高い貴族が、貴族としての保証がある人間が証人として存在するからだ。

 勿論、私が嘘を吐いたとしても、それは保証される。

 何故なら、マルティス公爵と言う人間が、この国でどれほどの方権力を握っているか明白だからだ。

 父の娘。それだけの存在でも、それが認可される。偏に信じられない事柄だが、身分とはそう言うものなのだ。

 流石に、本当に除名させようなんて考えは嘘でも、王子に告げようとは思わないが、これは脅し。

 人は極限状態になった時、身の保身に走る。

 身の保身をする為には、どんな陳腐な理由でも並べるのが通りだろう。

 そのクソみたいな陳腐の中に、今回の黒幕の姿が少しでもあれば……。


「それとも、先ほどの素晴らしい説教が貴女の除名への宣言と捉えて良いのかしら?」


 言え。

 叫べ。

 全てを!


「ち、ちがっ!」


 ご令嬢が私に掴みかかろうとした。

 何かを喚こうとした。

 自分の身を守ろうとした。

 何かのせいにして、自分の正当性を私に示そうとした。

 その瞬間だ。


「ローラ、こんな所で何をしているんだい?」


 時間が止まる。

 嘘だろ……。


「て、ティール王子っ!」


 どよめきの中、イレギュラーの存在が降って湧いた。

 最悪のタイミングだ。

 今の今までの中で、最も最悪なタイミングだ。


「王子、お助けてくださいっ! ローラ様がアリス様を侮辱するような言動をっ!」


 ご令嬢は、すぐさま私の脇を抜けて、王子に擦り寄る。

 ああ、また意味の分からん罵倒が始まるのか。

 頭が痛いな。

 相手にするだけ無駄なことは分かっているし、何よりも今回は本当に私に非があるだけに、中々言い返すのも難しい。

 難癖を付けたのは、私の方だ。流石にそれまで棚上げするつもりはない。

 どうしたものか。


「ローラ、何をしているんだい?」


 それは、さっきも聞いた。

 二度言う必要はないだろう。


「……そのご令嬢と、交流を深めていただけですわ」


 どうせ罵倒されるのならば、詳しく話すつもりはない。


「嘘です! 彼女は突然私に拳を振り上げて、殴り掛かろうとしてきたんですっ!」


 この女、よくもそんな嘘が流れるように付けるな。

 呆れを通り越して、関心さえ覚える。


「本当かい?」

「はいっ!」


 救いようのない馬鹿ばかりだな。

 もういい。目的も果たせなくなったのだ。無様に散るのも致し方ない。

 好きにしろと、そう言うように私は溜息を吐く。

 しかし、投げやりな態度を取るには少々早すぎたらしい。


「それは、失礼した。僕の婚約者が君に粗相を働いたのは申し訳ない。よく、僕から言い聞かせておこう」


 は?

 王子が、今耳を疑う様な事を言わなかったか?



「え?」


 ほら、ご令嬢も驚いて目玉が溢れそうな程王子を見返しているじゃないか。


「ローラ、君の行動はいつも突飛過ぎる。理由があるのだろうが、君は次期王妃となるんだ。少しばかり、慎みを覚えないか」

「……はぁ」


 思わず、気の抜けた返事が私の口から吐く。

 決して相槌とかではなく、何が何だか分からないと言った意味だ。


「お、王子? ローラ様を許すのですか!? ローラ様が暴力を振るわれたのに!?」


 振ってはねぇーだろうが。

 このクソ餓鬼、どの口が。

 本当に暴力を振るわれた事がないから知らないだろうが、殴られただけで、人は立ち直れない程の衝撃を覚えるもんなんだよ。


「でも、君はケガをしていない。それに、ローラは何も無い人に暴力を振るう人間では無い」


 何を言ってるんだ?

 王子が、正論を?

 本当に、世界が変わってしまったと言うのか?


「け、怪我はしてないですが……」

「では、殴られてはないのだろう?」

「でも、でも! あの人はローラ・マルティスですよ!?」

「ああ。僕の婚約者だ。だから、君も気をつけた方がいい。彼女への侮辱は、僕への侮辱にもなる」


 嘘だろ。

 何だ、この気持ち悪い世界は!!


「ローラ、行こうか。君の言い訳は、ランチを取りながらでも、聞くとしよう」

「え、あ、はい」


 何がどうなっているのかも分からないまま、私は王子に手を引かれその場を後にする。

 その時だ。

 あの令嬢の忌々しそうな声が耳に届いのは。


「話と、違うじゃないっ!」


 彼女は、苛立たしげに私を見ながら、そう言った。

 話と、違う?

 一体、誰の、どんな話と違うと言うのだ?





_______


次回は8月27日(火)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

 

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