第50話 貴女の為のフィンを
そもそも、可笑しな話だった。
アスランの話をすると、フィンは早々に切り上げる様な言葉を出す。
特に顕著だったのは、タクトが仲間に入った時だ。あの時、アスランの話を出せば彼女はすぐ様口を開き、話の流れを断ち切った。
次に違和感を感じた時は、ロサの時だ。
ロサは何のツテもなく、この学園でメイド見習いをしていると言うのに、彼女は逸早く彼女の名字を私に聞いた。いや、名字ではない。ロサはただの愛称である事を知って、本名を聞こうとしたのだ。
そして、最後の核心は先程のランチでの一幕。彼女は、何故誰とも話していないアスランの事を知っているのか。
彼の人となりを、何故フィンが。
枯れない花は無い。
それと同じ様に、知らない知識は語れない。
「ここは、貴女と初めて出会った場所ね」
一昨日も来たのに、まるで久々に足を踏み入れたかの様に私は振る舞う。
フィンの表情はいつもよりも無表情で、いつもよりも絶望で溢れている。
彼女の顔は、先ほどの自分のした事を明らかに表している。
彼女は頭がいい。
確かに目を惹くのは、その美しい容姿とその稀なる身体能力の高さもだが、彼女は頭もキレる。私は寧ろ、身体能力の高さよりもそこを高く評価していた。
だからこそ、彼女は分かっていた。
この発言をすれば、こうなる事を。
「今思えば、貴女は剣の稽古をしようとこの場に来ていたのね」
古い木の傷跡をなぞりながら、私は笑う。
私は、フィンの名前を知らない。
彼女が、フィンとお呼びください。その言葉のまま、今日まで来てしまった。
私は彼女の学年は愚か、寮の部屋さえ知らない。
彼女の交友関係も、親族も。
兄弟がいる。でも、誰だとも知らない。
何も知らない。
知らぬままで良いのなら、知らぬままでいたかった。
だって、それは、きっと彼女が隠したかった事だから。
フィンは良き騎士だ。
私に支え、支え、彼女が居なかったらここに私は居なかったのかもしれない。
いや、アリス様だって。
フィンは、私の騎士だ。
良き、私の自慢の騎士だ。
彼女が私と共に来たいと言えば、手を離さず連れて行ったかもしれない。少しだけ、考えてしまう事もあるぐらいに。
だから、出来ればあの時、フィンの声を聞きたくなかった。アスランの話を、して欲しくなかった。
本当は、ずっと心の中で、いや。頭の中ではある可能性について私は気付いていたのに。私自身見て見ぬ振りを続けていた。
もっと早く私がフィンと向き合っていたら、こんな事にはならなかったのに。
こんな想いはしなくて良かったのに。
後悔ばかりが、波のように押し寄せては私の心を削っていく。
しかし、後悔なんて何の役にも立たない。そんな事、死ぬ前から嫌という程知っている。
削れた心で償った所で、現実はそれを許してはくれない。終わらない贖罪を終わらせる方法は、いつでも唯一。変わらない。
「ねぇ、フィン」
風の音よりも優しく、木漏れ日よりも柔らかく。誰も傷付かない様にと、丁寧に。
「貴女のお名前、私に教えてくれるかしら?」
それでも紡ぐ言葉は残酷だ。
「……ローラ様」
「ええ。お名前を」
「私はっ、私はっ!」
「フィン」
聞きたく無い。
そんな言葉は聞きたく無い。
貴女が謝ろうが、貴女が許しを乞おうが、貴女がどんな後悔を私に伝えようが、私はその言葉を聞きたく無い。
「お名前を」
ゆっくりと、私が口を開けば、フィンの膝が地面に着く。
顔を下げ、四つん這いの、犬の様な姿をして。これは罰なんだと、思ったりして。
「私は、私の名は……、フィシストラ・テライノズ……。テライノズ伯爵の末娘でございます……」
矢張り。
フィンの正体は、かの幽霊令嬢であるフィシストラ・テライノズ。
アスランの婚約者だと思われていた、テライノズ家の娘だ。
「私を、騙していたの?」
「そんなことっ!」
必死に顔を上げる彼女に、私は冷たい視線を送る。
「信じていただけるとは思っていませんが、そんな事を企てた事は一度も御座いません……」
「では、何故名乗らなかったのかしら?」
「私は、既にあの家から除籍される運命にあるからです。私の婚約者であるギヌスは居らず、また、次の婚約者に指名されたアスランからは婚約を破棄されました。私は、あの家には不必要な存在。私は、私は……っ!」
フィンは私のスカートにしがみ付く。
「私は、ただのフィンですっ! 貴女の騎士の、ただのフィンです! フィシストラ・テライノズなんて名は、貴女に会ったあの日に捨てましたっ! 私は、私は誰のものでもないっ! 父や母や、あの一族の駒でもないっ! 貴女の為の、フィンなのですっ!」
「……貴女は、私に謝りたい?」
「いくらでも、ローラ様が許されるまで、私はっ!」
「私は、貴女の謝りや言い訳を聞きたくない」
スカートを掴んでいたフィンの手が離れ、ホロリと一筋の涙が彼女の頬を伝う。
「貴女は、私を何だと思っているのかしら」
私は、屈んで離れた彼女の手を握り、私の胸に彼女の手を当てた。
「私は、貴女の主人よ! 謝るな! 言い訳なんて、必要ないっ! フィンがフィシストラ・テライノズである事の、何が悪で、何が恥だっ! そんな事で手を離すわけがないでしょう!」
聞きたくない。悪くもないフィンが、何故謝る必要がある。言い訳を用意しなければならない。
可笑しいだろう。
フィシストラ・テライノズである事が悪だなんて。
彼女は彼女だ。
アスランの事だって、邪魔をしようと思えば幾らでも邪魔は出来た。
リュウに投げた言葉だって、言わなければ良かった。
でも、彼女はそんな事はしなかった。
当たり前だろ。
私の騎士だ!
誇り高い、私の騎士だっ!
そんな事をするわけがないだろっ!
彼女は、彼女なりに私の力になろうとしてくれた。
だから、邪魔もせず、捨てたはずの正体がバレるかもしれないと言う茨の道でさえ、彼女は自ら飛び込んだんじゃないか。
「フィンが、フィシストラ・テライノズである事を捨てたいなら、捨てればいい。話したくないなら、話さなくていい。それを後ろめたいと思うなら、後ろめたいと一生思ってていい。私だって、貴女の辛いと思っている事を聞きたくない。けど、貴女は守りたいんでしょ? アスランを」
だから、あんな事をしたんだろ?
関係ないのならば、何もしなければいい。
けど、出来ない。
それは即ち、彼女の中でアスランが特別な存在だからだ。
切りたくても、切れない。そんな存在なのだろう。
「ローラ様……」
「私は、貴女の過去なんてどうでもいい。今のフィンが好き。今のフィンが大切。それは変わらない。貴女が何者かなんて、そんな些細な事、どうでもいいよ。どうでもいいのに、聞かなきゃいけないなんて、本当は嫌だ。でも、もう、目を瞑ってはいられない。私だって、後悔してる。すっごく、馬鹿みたいに、後悔しかない。本当は、薄々気付いてた。でも、フィンがその事をいえば、フィンが私の前から居なくなるような気がして、言えなかった。だから、謝られるのも、言い訳を言われるのも嫌。フィンだけが、悪者になるなんて、嫌なのっ! でも、きっと、フィンはそんな事分かってて、知って、黙ってたのも、分かってる。分かってるに言わせた。私だって、悪者じゃ……」
「ローラ様。私、謝りません。言い訳もしません。悪いと思わない。だから、そんなに辛い顔をなさらないで。私は、こんな事で貴女の前から去らない。縋り付いて、泣いて、貴女が許してくれる迄、私は貴女の後ろから離れるつもりはなかったんですから。だから、泣かないで」
「……うん」
「でも、言い訳、ではないですが、話だけでも聞いてくれると嬉しいです」
「聞く……、聞くから、少し待って。涙、止まらないから」
気付けば、私も泣いていた。
私だって、不安に押しつぶされそうだったんだ。
私はきっと、何者でもないフィンに甘えていた。
ランティスやタクトと違って、何の打算もない関係。リュウとは少し違う友達の様な、関係。そんな関係を築いていたフィンに、知らず知らずに甘えていた。
フィンなら、とんな私でも受け入れてくれるんじゃないか。
フィンならは、ローラでない私までも受け止めてくれるんじゃないか。
ならば、私も彼女を受け止めなくては。それが人だ。支え合う人が成せるものだろう。
そう一人で、ずっと思っていた。
けど、そんなものは、私の妄想でしかない事も、ずるい私はわかってた。
謂わば、願掛けだ。これは、ただの願掛けだ。そうであって欲しいから、そうであった場合を想定し、多大なる頑張りを見せれば、少しぐらい、神様が笑ってくれる気がしただけだ。
馬鹿なんだ。私は。
狡いんだ。私は。
何事も逃げてばかりで、勇気もなくて、只々、祈りのような努力しか出来なくて。
それは、余りにも弱く、余りにも不甲斐なく、余りにも救いようがない、変わらない私自身。
そんな私自身を、フィンならとまるで子が母親に甘える様に、私はフィンに甘えていた。
後ろめたいのは、私の方だ。
悪者は、私の方だ。
手を離せないのは、私の方だ。
まだ、固く繋いだ手を離せない私の手を、フィンは私の涙が止まるまで、優しく、そして暖かく包み込んでくれていた。
きっと、絶望を覚えていた顔をしていたのは私の方だったんだろう。
「ローラ様、落ち着きましたか?」
「ええ。ごめんなさい。貴女には、恥ずかしい姿ばかり見せてしまっているわね」
「話し方。気にされなくても良いですよ。どんなローラ様でも、私のローラ様ですから」
随分と、かっこ悪い姿を晒してしまったらしい。
「善処、するわ」
本当に、甘えただな。
「ええ。そうして下さい。では、私の話を聞いていただけますか?」
「ええ。大丈夫よ。時間を貰ってしまってごめんなさい」
「いいえ。私も、まず何から話していいかずっと考えていましたから……」
フィンは、顔を視線を下に向けながら、少しなだけ戸惑いながら、繋ぐ手の力だけを迷いの様に無くしていく。
「言い訳に聞こえるかもしれませんが、私がローラ様に私の一族の話をしなかった理由は二つあります。一つは、先程申し上げたように、私は除籍予定の身である事。もう一つは、私はこの学園に十になる頃から預けられております。近状は唯一兄から送られてくる手紙のみしか知る由がありません。婚約の事ですら、私が知ったのはアスランの婚約破棄をしたと知らせる手紙が初めてでしたから……」
「十? となると、三年前に亡くなったギヌス様の話も?」
「ええ。兄の手紙で知りました。だからこそ、私があの一族について何かを言える身ではないと思っております。今もなお。だけど、ロザリーナの、いえ。ロサの存在だけは知っておりました。ロサは、私の父の妹の娘で、一族と言えどロサは比較的私とは近い血縁関係におりました」
十からこの学園にいたと言うのならば、ロサが一族を追放されこの学園にメイド見習いとして入った事も知っているのは納得できる。
「しかし、私とロサはその、お恥ずかしい話ですが、余り良いものではなく……」
「仲が悪かったの?」
「はい。と言っても、一方的に私が嫌われていたので接点と言う接点もありません」
「接点もないのに?」
「あちらは、私の五つ上。私の方が五つ下なのに、後継であるギヌス様との婚約ですからね。順番を守らないのかと、波は立ちますよ。普通であれば、ロサが選ばれるべきですが、金銭面の問題から、あちらは我が家からの後継者を産んで貰わねばならなかったみたいです。しかし、その事情を彼女は知らなかったのでしょう」
成る程、確かにランティスに聞いた話で筋は通る。
「私も、ギヌス様の事はお慕い申し上げておりました。騎士としても、人としても。お会い出来ぬ時にはお手紙を下さり、唯一私を気に掛けてくれた方ですので。例え、それが婚約者だからと言う理由でも、あの家にいた私には唯一の救いでした」
フィンの意外な一面に、思わず私は口を閉ざす。
いや、そうだ。何を言っているんだ。
フィンだって、普通の女の子なのだから、当たり前じゃないか。
「ロサがこの学園にメイド見習いとして住み込みで働いている事は、知っていました。何度か顔を合わせた事も有りますが、言葉を交わした事は一度も御座いません。私もですが、彼女にとっては私はただの一族の一人。言葉を交わす義理も理由もないからでしょう」
「フィンは、ロサのこと嫌いだったの?」
「嫌い、と言われると少し違う気がします。嫌いにもなれないぐらいの接点しか有りませんので。ただ、敵意を向ける人ぐらいの認識ですかね。彼女に対しては何の感情も湧かないんですよ。一族を追放され、平民落ちした後でも、何も思わなかった。ただ、そうなのかと、それだけ。だから、彼女が何故一族を追放されたのか理由すら知らないのです」
「でも、ロサが死んだと知った時、貴女は珍しく取り乱していたみたいだけど……?」
「ええ。アスランの、婚約者でしたから。アスランは婚約者の弟と言う関係でしたが、彼もギヌス様によく似た義理堅い性格の持ち主で、私に良くしてくださいました。ただ、関係柄そこまで深い仲ではありませんが、ギヌス様の弟ですもの。婚約破棄をされた後でも、多少は愛着があります。だから、彼が疑われるなんて信じたくもなかった」
「アスランとロサの関係は良好だったの?」
「……いえ。私の知っている限りでは、ロサはアスランの婚約者だったのですが、彼女は最後まで彼を認めて無かったと思います」
「認めていない相手と密会? 可笑しな話ね」
「ええ。積もる話なんて、有りもしない筈なのに。ただ、あの長髪男の仲間が言っていた事は気になりますね」
「何を?」
「ロサが、何かを調べていたと言っていたと件です」
「それが、何が可笑しいの?」
「いえ、あの、その……、彼女を貶めるつもりはないのですが、……いえ。彼女が、何故ギヌス様ではなく、アスランの婚約者になった訳でもありますものね。話させて下さい。ロサは、文字が、読めないのですよ」
「文字が?」
ロサは、文字が読めない?
ちょっと待て。それだと、話が随分食い違って来るではないか。
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次回は8月5日(月)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
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