第51話 貴女の為に死者復活を

「タクト様はこちらに居てっ!?」


 二度と踏み込みたくもない、あの忌々しい生徒会室のドアを私は勢い良く開けた。

 ノックなんてしてる場合か。

 挨拶なんでしてる場合か。

 中にいた全員が、呆けた顔で此方を見るが、仕事が遅い。

 誰一人、私の問いかけに応えようとしない姿に苛立ちながら、私はまた声を上げる。


「そこの、本を持ってる貴方っ! タクト様は此処にいらっしゃるの!?」


 来客が来たと言うのに、何をボサッと立っているんだ。

 こっちは、非常事態だと言うのに。

 私は最早取り繕う事も忘れ、本を持っていた候補生に詰め寄った。


「た、タクトは王子と奥の部屋で話し合いを……」

「奥の部屋ね?」


 私が、タクトと話していたあの応接間か。


「フィン、行くわよ」

「はい、ローラ様」

「あ、ちょっと、勝手に開けちゃ、俺たちが困るんだが……」

「文句なら後でお聞きしますわ。失礼っ!」


 私が奥の部屋のドアを手荒に開けると、其処にはタクトと王子。そして、ランティスとアリス様にシャーナ嬢が座っていた。


「ローラ?」


 皆、呆然と此方を見ているが、彼らの理解を待っている時間はない。

 王子に挨拶も、ランティスに説明も、アリス様やシャーナ嬢に一瞥すら向けらない状態で、私はタクトのそばに立つ。


「タクト様、失礼は承知で少々お時間を頂けないでしょうか?」

「……どうした? 正気か?」


 おいおい、タクト。お前まで呆けているなよ。頭を常に動かすのが、眼鏡キャラクターの仕事だろ。

 お前がそれでどうするんだ。


「正気だから、急いで来たんですよ。呆けておられる場合ではないのは、確かです」

「どう言う事だ?」

「ロザリーナが、ディスレクシアの可能性があると分かりました」

「ディスレクシア?」


 怪訝な顔でタクトが返すと、私はため息を吐く。

 一から、説明となると随分と厄介だな。

 さて、どうする? 私。

 あの勢いのまま、考えなしで来てしまったなんで、言えるわけがないよな。

 あの、フィンとの会話の続きの勢いでなんて……。




「私がまだこの学園に入る前に聞いた話なので、流石に学校を卒業した今も文字が読めないとは思いませんが……。彼女はどうも頭が少し悪かったと申しますか……、どうも知能に問題があるようで、後継者の婚約者には相応しくないと当主が判断された様です」


 フィンの言葉に私は思わず自分の唇に手を当てる。

 文字が読めない?

 それって、まさか……。


「ディスレクシア……」

「ローラ様?」

「ロサは、ディスレクシアだったの?」

「ディスレクシア、とは?」


 この世界でディスレクシアと言う単語がないのか、またはフィンがその知識を有していないだけなのは分からないが、そもそも健常者たちには余り聞き覚えのない単語であるのは間違えはない。

 私のいた世界でも、世界的に有名な俳優がディスレクシアだったと言う事が広く知られているが、多くの人が聞きなれない単語であっただろう。


「ディスレクシアは、学習障害の一種よ。昔、仕事でディスレクシアの認知を広げる為の活動の一環を受け持ったことがあるわ。ディスレクシアは、読み書きが出来ない障害なの。しかし、知的能力や一般的な能力については、特に異常がないのよ」


 だとすると、彼女の異様なまでの嫉妬の正体がわかって来る。

 彼女がディスレクシアだとすると、知能は何一つ問題がなく、ただ、読み書きが出来ないだけで、周りは彼女を知能に問題がある者と見なしていたわけだ。

 知能に問題がないだけに、それは彼女にとって最たる侮辱に他ならない。彼女には問題がないだけに、余程のコンプレックスになっていた事だろう。

 彼女は私が令嬢で、尚且つ文字が読めているのにも関わらずメイドの真似事をしている事に、殺意に近い怒りを持っていたとしてもおかしくは無い。


「よく分からないですが、昔の話ですよ? 流石に治っているのでは……」

「障害は病気ではないの。治る、治らないではないわ。私のいた世界でも、ディスレクシアの認知は低かったし、ディスレクシア自体、学習能力が低いと思われがちで、中々把握されない事も多いわ。読む事はできても、書くことが出来ない等、人によって症状は違うのだけど、ロサは前者の様ね」


 その証拠に、彼女の怒りは文字が読めている私に対してだ。


「その、ディスレクシアであると彼女は一生文字を読む事は叶わないのですか? 彼女が人の倍努力すれば、出来る様に……」

「程度にもよるけど、この世界の環境では無理でしょうね。可笑しな話かもしれないけど、足のない人に、何の補助器具も渡さぬまま、人の倍努力すれば走れる様になるかと同じ質問になってしまうわ。それは」

「そんな、そんな事があり得るんですか!?」


 世界が違えば、知識も違う、か。

 不思議な事に、この世界は私が生きていた時代よりも大分昔の世界の様な気がする。

 しかし、この国の名前など、聞いた覚えもなければ、この国の言葉なんて聞いたことすらない。となれば、私が生きていた世界とは別の世界だと考えた方がまだ納得は出来る。しかし、この世界も元の世界も根本は同じであるのが少々気にかかるのだ。

 魔法もなければ、人は皆人として暮らし、体の構造も私の知り及ぶ事は全て同じ。太陽は東から昇れば西へ沈む。となると、地球と自転も同じで、太陽系も同じなのではないだろうかと推測できる。

 生まれ変わるのならば、一般的に考えれば時間軸の進む方向に生まれ変わるのではないだろうか?

 生まれ変わりなんて、自分以外には会ったことすらないのだから、この固定概念が間違っている可能性も大いにあると思うが、些か可笑しな話だ。

 過去に生まれ変わったとして、現代の知識を持っていたとしても、恩恵に預かっていた身では根本的にこの時代の文化革命には携わる事さえ出来ない。逆に、未来に生まれ変わるのであれば、そんな過ぎた知識など必要ない。あくまで、一個人的な範囲で思い出に浸れば良いわけである。

 未来から過去に来て、私が出来ることなど、せいぜいアリス様を救うぐらいではないか。

 ここが異世界ではないのならば、未来から過去へ。まったくもって、随分と生きづらい事をしてくれるものだ。


「人には様々な障害があるわ。それを我々は知らないだけなの。そんな都合のいい障害や病気があるのかと、思うものだって確かに存在し、苦しんでいる人が確かにいる。この時代では健常者と呼ばれる私達は、知り及ぶ事が限りなく不可能に近いと思うわ」


 知識が、ない。

 調べられる資料だってない。

 私の生前では当たり前の知識でも、この時代に生きる人達にとっては、知り及ぶ事さえ出来ない。

 だから、差別だって随分と酷い。一人一人の認識を変えようにも、知識の上澄みだけを啜って生きていた私には、どうしようもない。ただ、無力を噛みしめるだけだ。

 今回のディスレクシアだってそうではないか。

 仕事の一環で知った知識しか私にはなく、正しい見解をフィンに教える事すら叶わない。

 ロサの絶望が、今になって手に取るように分かると言うものだ。


「そんな……。人なのに」

「人だからよ。色々な人が生きているから、色々な障害も病気も、あるの。人という固定概念が、彼女を責め立てたのは間違いないわね」

「だとすると、彼女の遺書は……」

「他の人間が書いた可能性が高い」

「しかし、あのメガネは筆跡鑑定をしたと言っていましたよね?」

「ええ。そこが、おかしいのよ。フィンの話を聞く限りでは、彼女は自分の名前すら書けるのか怪しい所だわ。タクト様は一体、何の文字を彼女の自筆として比較していたのかしら?」

「代筆を頼むにしても、遺書の代筆を快く受ける人間がいるとは思えない」

「フィンの言う通りだわ。普通の人間であれば、止めるはず」

「ロサには仲間がいた?」

「フードの男ね?」

「……ローズ様。もし、あのフードの男が、ロサを雇っていたとしたら、どう致しますか?」

「フードの?」


 フィンの言葉に思わず、私の顔が上がる。


「……嘘を吐いていた訳ではないのです。私は、あの男の顔も声も見てもいないし聞いても居ない。でも、剣は交わした。あの剣は……、私の思い違いでなければ、あの方の……」

「フィン?」


 フィンは意を決した顔をして、私を見る。


「あの剣筋は、ギヌス様のモノかもしれないのです」

「なんですって!?」


 フィンの婚約者の!?


「でも、ギヌス様は亡くなったはずでは!?」

「ええ。私も、そうお聞きしました。でも、いえ、だから、あり得ないと思っていたのですが、もし、ロサに力を貸すなら。いいえ、ロサが、誰かに力を貸すならば、ギヌス様以外、あり得ないっ! ロサはギヌス様を盲信していたから」

「どう言う事なの?」

「ギヌス様は一族て唯一ロサを知恵遅れの子だと思われていなかった。先程、ローラ様が仰っていた、ディスレクシアの様なモノを理解していた。彼女にとっては、ギヌス様のみが理解者だったのです。だから、もし、もしも、ギヌス様がロサに死ねと言えば、彼女は喜んで死んだでしょうね……」

「ギヌス様はアスランの兄君なのよね? だとしたら、声が似ていてもおかしくない」

「けれど、ギヌス様は決してその様な事をなさる方ではないんです! 彼は、誇り高き騎士で、誰よりも優しくて……」

「フィン、落ち着きなさい。まだ、ギヌス様だと決まったわけではないわ。貴女、ギヌス様から頂いた手紙は持っていて?」

「え、ええ。全て持っております」

「では、その手紙の筆跡が、ロサの筆跡と同じかまずは検証致しましょう。ギヌス様を疑うのは、それからで十分ではなくて?」


 私の提案に、フィンはコクリと頷いた。


「まずは、明日タクト様に連絡を取り、筆跡の鑑定元をお借りしましょう」

「分かりました。あの、ローラ様。ローラ様はロサの部屋を見てこられたのですよね?」

「ええ。彼女の顔を確認しに行った時に。それがどうしたの?」

「私も一度、彼女の部屋に入りたいのですが、駄目でしょうか?」

「いえ、いいと思うけど、理由が……ねぇ」


 私は下手に動けない。

 もし、この事件に私が関わっているとなると、アリス様やシャーナ嬢にも被害が及ぶと分かっているからだ。


「私の、いえ。フィシストラ・テライノズの名をお使い下さい。私がロサと血縁者であったと言えば、ローラ様のご身分は関係ない筈ですので」

「いいの? 貴女が、捨てたかった名前でしょ?」

「いいんです。今迄、利用しかされて来なかったのですが、これぐらい利用しなければ。 それに、もうローラ様の前では隠す事は何一つ無いのです。私は私ですからね」

「貴女がそれで良いのなら、私は何も言わないわ。でも、どうして彼女の部屋を?」

「遺品の一つでもあれば、貰い受けたいと思いまして。彼女を知らない事が、私の一番の罪かと。だから、彼女を忘れないためにも。確か、彼女が生前よくしていた髪留めがあったかと思います。高価なものでも無いので、事情を話し、それを貰い受けるつもりです」

「そう」


 フィンの中でも、整理できない事も多いだろう。整理するとなると、時間はかかる。

 彼女はその時間で彼女を忘れないためにも、何かが欲しいと思っているのだろう。

 知ろうとしなかった、自分を戒める為にも、これから歩き出す未来で同じ事をしない為にも。

 ならば、致し方ない。

 これは私が口を挟むべき事ではない。フィンの問題だ。私はそれを見守るだけだ。


「予定もない事だし、早い方がいいわね。今から宿舎に行きましょう。案内するわ」

「はい。お願い致します」


 しかし、そこで私達が目にしたのは思いもよらないものであった。


「ロサの部屋、ですか?」


 メイドの宿舎で声を掛けたメイドが、私達の言葉を繰り返す。


「ええ。私は、ロサの血縁者であるフィシストラ・テライノズです。彼女は一族を追放されたとは言え、大切な家族であることは変わりないものですから、どうしても彼女の遺品を家族に届けたいと思いまして馳せ参じました。無理を承知でお願いしたいのですが、部屋迄ご案内をお願い出来ないでしょうか?」


 今回ばかりは、主人と従者の逆転だ。

 私の前に立ちメイドと話すフィンはいつもの令嬢らしからぬ態度ではなく、テライノズ家の令嬢として振舞っている。

 しかし、テライノズ家もよく分からない家だな。他人の家ながら、婚約破棄で娘を用無しにするなんて、どんな家だ。

 こんなにも可愛いフィンを、あのロサと同じ運命を歩ませる気か。

 それに、フィンが自ら名前を捨てようとまでしなければならないなんて。

 フィンの姿を見ながら思いを馳せていると、メイドは困った顔をして口を開いた。


「お部屋にはお通し出来ますが、今はもう何も無い状態になってますよ?」

「え?」


 私とフィンが顔を見合わせる。


「何故?」

「ロサの火葬は、今朝方終わりましたので、部屋の物も一切合切、その時に」

「捨てたのですか?」


 そんな事、あり得るのか?

 私が驚いていると、フィンが私の言葉を制する。


「ローラ様、この国では死者を燃やす時、生前に使っていたものを全て燃やして死後の世界に持って行く風習です」

「……なんですって?」

「こんなに早く火葬を、何故?」

「ええ。学園長が自分が倒れていた間ロサを星に返せないのは忍びないと急がれまして……」

「何か残っていないのですか?」

「ここにあるものは全て、出来るだけロサに持って行かせたいと」

「……では、何か彼女が書いた文字などでも良いのです。何か一つぐらい、彼女の家族の元に、彼女が生きていた証を届けたいと思いまして。例えば、彼女がサインした寮名簿などでも……」

「私が知る限りでは、ロサの物は書類含め全て燃やしているかと。メイドが亡くなると、この学園では登録証も同じ様に燃やし、星になっても自分が分かるようにと、全てのメイドに学園長のご厚意を頂いておりますので」

 

 嘘だろ。

 書類も?

 しかし、ロサが特別だと言うわけでもなく、まだ神や悪魔等信じている時代だ。宗教色がこれほど濃いと、こんなにも違うのか。


「……ローラ様、不味いですよ。これは」


 ボソリと、フィンが私に耳打ちをする。


「このままなら、彼女が残したもの全てが、無くなります」

「……タクト様なら、まだ保有しているかもしれない」

「時間の問題です。死者に届く荷物は、一日掛けて焼かれる筈。あの眼鏡が筆跡鑑定に使った原資も、回収される恐れが高い」

「……フィン、予定を変更するわ。明日なんて待っていられない。今から、タクト様の元へ!」

「はいっ」


 こうして、私達はタクトの元へ急いだのだが……。




「どうした。ローラ・マルティス」


 何よりも優先しなければならないと言うのに、王子が興味津々で私を見ているとなると、少々やり難い。

 しかし、こので二の足を踏んでいる事など、許されるわけがない。


「ロザリーナは、文字が読めない、書けなかった可能性が高い」

「お前は、何を言っているんだ。そんな人間がこの学園に……」

「それ以外の能力は何一つ問題はございません。ディスレクシアは、生まれ持っての障害でございます。そして、フィンが一つの可能性を見つけました」

「今度は何だ。また、絵空事か?」

「ええ。残念ながら」


 可笑しいぐらいの、絵空事を私は彼に使えなければならない。


「ギヌス様がまだ、ご存命している可能性が高いです」


 死者が生きている。

 笑い出しそうなぐらいの、絵空事だろ?




_______


次回は8月8日(木)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る