第三章

 忠常とお民は島原の地にあった。

 老中の松平伊豆頭一行より先行し、十兵衛をむかえるかたちをとっていた。

 お民とは島原への道中から夫婦のように仲睦まじく過ごしていた。忠常にとってこれまでの人生でもっとも穏やかなひとときであり、この先に待つ十兵衛との決闘を忘れてしまいそうになることもあった。


 ーーこれが最後のひとときの幸せであれば、それもよいか。


 島原では切支丹一揆と幕府方との衝突がたびたびおきており、切支丹一揆の方が優勢のようであった。

 忠常はお民をつれて町にでることもあった。

 土地の者と幕府の兵が入り乱れて混然とした活気に溢れていた。


「忠常さま。わたし天草四郎さまを見かけました」

「一揆を率いているというやからか。天草四郎あまくさしろうと名乗る者が何人かいるという話ではないか。あちらこちらで一揆を扇動しているらしいが」

「あれは時貞ときさださま。お美しかった。天使アンジョとはあのようなお姿ではないでしょうか」


 お民は恍惚とした表情をうかべていた。

 忠常はあきれて前を向くと、向かいから荒んだ身なりの浪人たちが歩いてくる。

 切支丹一揆には食い扶持をもとめる浪人たちも多く加勢していた。


 ーーこの者たちも乱世でしか生きられぬ兵法者たちなのかもしれぬな。


 忠常は浪人の一人と目があった。浪人は卑しい笑みを浮かべた。


「武家のお方。こんなところで美しい女をつれて物見遊山とはたいそうなご身分ですなあ」


 あごを撫でながらまわりの仲間たちを集める。あわせて四人。


 ーーこやつらかなりの使い手。


 忠常は瞬時に相手の力量を見きわめた。

 お民を背後にかくすように一歩踏み出した。


「武家さんよお。こんなところで命を粗末にしちゃあいけねえよ。女と金をおいて去りな」

「女と金がほしければ拙者を斬ればよい」


 浪人たちが殺気だった。

 忠常はお民をつれてにぎわう通りをはずれて開けた場所に出た。浪人たちもついてきた。

 忠常と、さきほどまで話をしていた浪人が向かい合う。


「おれは微塵流みじんりゅうを使う。武家さんは」


 浪人は刀を抜いた。


「すまぬが、ゆえあって流派を名乗ることはできぬ」

「ほう。ずいぶんとお高くとまってますなあ」


 浪人は中段に構えた。

 忠常も瓶割刀を抜いて正眼に構える。初めての真剣での勝負であった。


 --ずいぶん遠くにいる。


 浪人はまだ間合いの外で構えの姿勢をとっていた。

 揺れるように浪人の身体が動いた。そう見えたときにはすでに忠常の眼前にいた。刀が振り下ろされる。

 忠常は無様に大きく身を退いて、かろうじて避けた。


「避けるのはお上手ですなあ」


 浪人は笑っていた。

 忠常は右胸のあたりの着物が裂けているのをみとめた。薄く血がにじんでいる。


 --皮一枚斬られた。


 木剣とはちがう。真剣は触れれば命を奪うことができるのだ。

 浪人が遠くで構えていると感じた。そして一気に間合いをつめ、刀を忠常の身体に当てさえすればよい動きをとった。それは真剣ゆえの兵法、すなわち命のやりとりの兵法であった。

 これまで頭の中ではわかっていたつもりだったが、忠常は実感としてようやく理解することができた。


 --御前試合の十兵衛もそうであったのだ。


 忠常が十兵衛に負けた理由わけが遂にわかった。

 ふたたび浪人が踏み込んできた。今度は拍子ひょうしを合わせることができた。

 浪人の動きがゆっくりと見えた。忠常は右足をひき半身となり、浪人とすれちがいざまに刀を水平に薙いだ。

 浪人の右胸から真っ赤な血が噴出した。


 --拍子を合わせれば造作もない。


 咆哮をあげてのこり三人の浪人たちが刀を抜いて向かってきた。

 忠常は三人の懐まで踏み込んだ。一息で三人の手足を斬り飛ばした。稽古よりもたやすかった。

 浪人たちが血だまりで悲鳴をあげてのたうち回っていた。


 --自在だな。


 瓶割刀をひと振りして血をはらった。


◆◇◆◇◆◇


 それから忠常はお民を残して、たびたび戦場いくさばに出向いては腕の立ちそうな浪人と真剣での立ち合いに挑んだ。忠常は向かうところ敵なしであった。

 もちろん戦のただなかなので怪我が絶えない。帰ってきたら、お民が手当てをしてくれた。


「忠常さま。あぶないことはひかえてください」

「これも修行だ。いたしかたない」

「まったく。あ、そうだ。文がとどいておりますよ」


 柳生宗矩からの書状であった。松平伊豆頭一行がそろそろ島原入りをする。十兵衛もまもなく島原にくると書いてあった。


 --十兵衛がくる。ついに決着をつけるときがきた。


 忠常の剣は生涯でもっとも研ぎ澄まされていた。


 --今ならおれが勝つ。早くこい、十兵衛。


◆◇◆◇◆◇


 松平伊豆頭一行は島原に入ったが、十兵衛が島原にいる気配はなかった。

 しびれを切らして、忠常は松平伊豆頭の家中の者に伺いを立ててみた。

 十兵衛ははじめこそ松平伊豆頭一行とともに島原に向かっていたが、音にきこえた某流だ、かの高名な剣豪だと言っては一行から先行したり遅れたりして手合せをしに走り回っていたという。さらに、酒癖もわるく一行も手をこまねいていたが、ある日糸の切れた凧のようにどこかに行ってしまったという話であった。


 --なんということだ。


 小雨が降る中、忠常が肩をおとして家に帰ると、お民が荷をととのえていた。


「いかがした」

「忠常さま。わたしは原城はらじょうに参ります」

「なにを言うか。原城は多くの切支丹が籠城しておる。まもなく幕府方の総攻めがはじまるのだぞ」

「忠常さまがお留守のあいだに、わたしは島原の切支丹の方々のあつい信仰心にふれてきました」

「お民……」

「わたしはここで殉教マルチリを遂げる覚悟です」


 お民の目には信仰の炎が燃えていた。忠常が愛したかつてのお民はいなくなっていた。

 江戸の蕎麦切屋の裏の原っぱで小さな聖母像に祈りをささげていたお民の姿、風に揺れる髪と愛らしい横顔を思い出す。忠常とお民はお互いに大きく変わってしまったのだった。

 強くなった雨の中、忠常は原城に向かうお民の背中を見送った。


「忠常さま。強いお方に勝ってくださいね」


 お民は振り返って笑顔で頭を下げた。忠常は引き留める言葉が出せなかった。


「十兵衛! なぜあらわれぬ!」


 忠常は天を仰ぐ顔を雨が叩くにまかせて叫び、慟哭した。

 まもなく原城は落ちた。籠城していた切支丹たちは皆殺しにされた。

 お民がもどってくることはなかった。

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