穢れた橙

真名瀬こゆ

懸念は時に人を殺す

「いい加減、あんな奴忘れちまいな」


 というのは、私の刀の師であり、養い親であった人の言葉である。亡き父の親友でもあった。

 母はおらず、幼い頃に父をも亡くした私は、その彼に生きる術を叩き込んでもらったのだ。すべての事柄においての師であるから、もちろん尊敬はしているが、人の父親に向かって"あんな奴"とは随分だと思う。


 師匠のおかげで、どうにか私は独り立ちをかなえた。それからは、思い出したように師匠はふらりと私の前に現れ、大きくなったなあと頭を撫でてくれる。

 そして、例の台詞を必ずと口にして、私に父上のことを思い出させた。真意は分からないけれど、言葉とは裏腹に忘れて欲しくないと訴えていたのは違いない。

 だから、私は安心して心のままに生きられた。私が理を忘れた化け物になろうと、師匠は変わらず私に父上を思い出させてくれる。

 ああ、いつまでも師匠から卒業できない情けない私を、許してください父上。父上の幻想を抱き続ける私を、受け入れてくれてありがとうございます師匠。




 夕暮れ時、私の歩く薄暗い空気を孕む町の外れは無法地帯と称するに相応しい。類は友を呼ぶ、と言葉どおり、町に似合いのならず者ばかりが闊歩していた。

 もちろん、だからといって、皆が仲良しこよししているわけでもなく、むしろ同族嫌悪の色が強い。道端で、些細なことで、命の削りあい。不毛で意味もないが、しないではいられないのだろう。

 肩の力を抜けばいいのに、と誰へでもない提言を思いながら、一番星を探して歩く。星が見つかったら、今日はもう家に帰ろう。仕事の依頼も貰ったし、充実した日だったなあ。




 ぼろぼろの笠で顔を隠し、父上の形見で師匠と揃いの刀を腰にぶら下げ、上機嫌に細い路地へと足を踏み入れる。そして、聞こえてきた話し声に、反射的に身を潜めた。

 気配を殺し、覗き見た先では、丁度お取り込み中だったようで、えらく美人のお姉さんが、きったない男三人に囲まれていた。人間の価値のはかり方など知らないが、三対一でもこの場合の天秤は一に傾くのではないかと私は思う。

 これから汚されてしまうだろうお姉さんを見納めと凝視してみれば、不本意ながら見知った顔だった。と同時に、私の中の天秤は一気に逆に傾いた。


「やめてください!」


 涼やかな声も聞き覚えがある。必死の抵抗が、馬鹿らしい演技にも見えるのは、私が彼女を友好的目線で見ていないからだろうか。

 関わり合いになりたいか、と言われれば答えは否定。それでも、腰の刀に手をかけてしまうのは、彼女が私の父上を覚えている数少ない人間であるからだ。どんなに屑の記憶でも、父という存在がこの世に在ることが私には望ましい。

 すう、と汚れた空気を吸って「今日という日も美しい夕日でありますね」と分け入ってみた。想像通りの異質を値踏みする視線と唸り声を返される。


「人喰い江島、参りました」


 おどけて名乗ってみせると、空気を構成する糸が張った。一気に命を取り合う緊張感が支配した空間に、いつもなら高揚するところが、今日はどうも乗り切らない。

 理由は明快。この場において相応しくない感情、再会の希望に胸を躍らせている女の眼差しが気に入らないんだ。


「……江島ぁ?」

「横取りに入るにしたって、三人に一人で食って掛かってくるたぁ」


 ぼそぼそと打ち合わせるように呟く三人は私に焦点を合わせる。警戒心をむき出しに、数歩足を引いて距離をとられ、私も合わせて踏み込んだ。

 お姉さんのことは注意から消え去ったようだった。彼女がさっさと逃げてくれれば、私だってこいつらを斬らずに立ち去るのに、と淡く甘い考えがよぎる。

 顔を伏せ、一歩二歩と踏み出す。ふらりふらりと覚束ない不安定ながらの足取りは父譲りだ。身体の力を極限まで抜いて、悪党の群れへと近づいた。


「いただきます」


 抜いた刀が黄昏時の橙を弾き返す。誰にも平等に柔らかく照らす太陽が、暖かく侘しい。人を斬ることに対する罪悪感は麻痺しているが、個人的な気持ちの問題としては町一体が赤が染まってるこの時間帯が一番いい。目に残る赤が、溶け込んで見える。

 ぎらり、眼光。どろり、血液。

 悲鳴一つ、反撃一振りも許さず、思うままに刀を振った。裂ける音は気色悪いが、それを見ても悲鳴を上げないお姉さんも気味悪い。


「ごちそう、さま」


 刀から滴る血を横たわる男らの服で粗く拭う。自分自身の両の足で立っているのは私と彼女だけだ。

 鞘に刀を戻すと、私に立ちはだかったお姉さんは「江島さん、なの?」と首をかしげた。息をしていない三人に対する恐怖心もなく、嬉しそうに近づいてくる姿に反吐が出た。


「私、ずっと貴方のこと探して……。心配してたんだから!」

「……残念ながら、三代目です」


 片手で傘を押し上げ、顔を見せると、彼女の瞳から一瞬で期待が消え去った。分かってはいたけど、なんとも素直で笑ける。


「…………江島さんの、お嬢さん」

「すみません。師匠じゃなくて」


 ぺこり、とおざなりに頭を下げてみれば、お綺麗なお姉さまは悲壮に浸り、早く立ち去れと言わんばかりに素っ気無い。ぐしゃり、髪をかき混ぜ、そのまま重そうに頭を抱えた。そんな姿も様になるから、端整な顔の持ち主は凄い。羨ましいとは思わないけど。


「ううん……よく考えたら、当たり前よ、ね。江島さんは……もう」


 父上を足掛けにしようなんて、おこがましい。もしここに居合わせたのが、希望通りに二代目であった師匠だったら、無視か全滅かの二択しかない。どっちにしろ無事じゃなかったというのに、自分の危険は露ほども理解していない暢気な思考回路め。

 一応、形としては助けたんだから、礼の一つくらいしてくれたっていいじゃないか、と胸中でさんざんと悪態づいてから私はその場を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

穢れた橙 真名瀬こゆ @Quet2alc0atlus

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ