迷走、錯綜
▽side.Sun
写真集の撮影は快調なもので、やる気に欠けていたのは、宮村ちゃんと久しぶりに会った日だけのことだ。というか、あの日も休憩から戻った後は絶好調だった。
そして、俺は自分の心の声に気づいてしまった。
どうやら、俺は宮村ちゃんを好いているらしい。
らしい、というのも、俺は恋とはこういうものなのか、というぼんやりとしか感想も一緒に抱いていた。初恋だった幼稚園の多恵子先生のときは、こんな感じじゃなかった気がする。もうちょっとこう、世界がきらきらしていて、どきどきな毎日を楽しく過ごしていた。はず。
姉ちゃんに借りて読んだ少女漫画だって、男と女は単純で幸せに溢れてた。複雑になるのは女同士のあれこれだったのに。
今はどちらかというと、宮村ちゃんに合わせる顔がない。今までどんな顔で会っていたかも遠い過去のようで思い出せなかった。
まあ、最近は会おうと思ってもなかなか会えないから丁度良いと言えば丁度良い。ちょっと時間を持って自分の心を整理しよう。
でも、俺が一人で考えている間に、小関が宮村ちゃんと会っているのは嫌だなあ。
……恋ってこんなに難しいのか?
「わっ」
急に手が引かれ、俺は顔を上げた。
目前には電柱。
「っぶね」
衝突寸前で足が止められてよかった。
俺に注意をしてくれたのは右手に握ったリードの先、こちらを見上げている和屋家の可愛い愛犬ペコである。賢い子だ。
「ありがとう、ペコ」
考え事をしながら歩くのは危ない。けど、頭から離れなんだから考えないなんてできない。
宮村ちゃんが好き、かあ。
そりゃあ、好きになっちゃう理由はいっぱいある。助けてくれるし、優しいし、可愛いし、強い。それでもって、俺の顔以外も見ようとしてくれる。
ああやばい、もうずっとこんなことばっかり考えてる。
散歩に歩いている河川敷の道から、家に戻るには中学校の近くを通らないといけない。そうして、中学時代のことを思い出して、俺の頭の中は一層のこと宮村ちゃんで溢れかえる。
……反省した直後にまたこれだ。
いちいち足を止める俺を不安そうに見てくるペコに申し訳ない。うちのペコは本当に優しい子だ。
「まだ話は終わっていません!」
「アポを取らないお前が悪い。私は今、仕事中だ。分かっているだろう?」
「ええ、だからここで待ってたんですよ。父さん」
数カ月前に使っていた通学路を進んでいた俺は、聞き覚えのある声に足を止めた。一瞬、あまりに恋焦がれすぎて幻聴が聞こえたのかと思ったくらい。
街中で通行人の視線を集めている二人の人間。
一人は、俺の頭から一瞬もいなくなってくれない彼女だった。
俺は反射的に電柱の影に隠れた。なんで、宮村ちゃんがここに。やめて、ペコ。俺のことを不審者を見る目で見ないで。
「仕事中でしか、捕まらないじゃないですか」
「お前は小賢しく育ったな」
「……貴方の娘ですから」
え、宮村ちゃんのお父さん!?
すぐに好奇心に負け、俺はこそこそと電柱の影から二人を覗き見た。
制服を着ている宮村ちゃんと、眼鏡にスーツの神経質そうな男の人。ドラマで見るような金持ちそうで、仕事できますって感じ。
「同じことを何度も言わせるな。もうお前に暴力は必要ない」
「私に力をつけて、武器を買い与えたのは貴方じゃないですか」
「ああ。必要だったから鍛えさせて、必要だったから買った。でも、それは今現在の話じゃない。時代の流れを踏まえて会話できないのか?」
「……理解できます。ただ、あの頭の足りない義理母と義理姉に、私の更生をさせようという考えは理解できない」
「嫌だろう? だから効果が見込める。私だったらあんな頭の悪い連中に口出しされるのは耐えられない」
「……」
「それでも、あまり馬鹿な行動をするようなら、監視できる学校に転校させる」
「――っ、どうしてですか、私は!」
彼女のあんな声、初めて聴いた。
宮村ちゃんの叫びは悲痛なもので、俺は彼女が傷つくのならば、彼女の父親は敵だと漠然な評価をした。
「貴方が、私を――こうしたんじゃないですか」
何を話しているのかよく分からないけど、親子の会話でこんなに殺伐とするの?
電柱の向こう側が、まるで画面の向こう側の出来事みたい。
「父さん!!」
「街中で叫ぶな。話の続きをしたいなら家で聞く」
やべ、宮村ちゃんのお父さんこっち来る。
俺はわたわたしながら携帯を取り出し、その場に居合わせただけの男を演じた。へたくそな演技だが、俺みたいな道端の男など、彼の視界には引っ掛かりもしないのだろう。
高そうな革靴で、規則的な足音を鳴らす彼は颯爽と去って行ってしまった。
「……帰ってこないくせに」
静かな呟きは、届くべき人間には届いていない。
俺は今すぐにでも、宮村ちゃんの元に駆けていきたかった。
抱きしめて、壊れそうな彼女を支えてあげたかったのに、ぴくりとも身体が動かなかった。
「珍しく騒いでたなァ」
俺が出遅れている間に、宮村ちゃんは別の手に引かれていた。
宮村ちゃんと同じ学校の制服。どこの誰だかも分からない。でも、宮村ちゃんが彼の手を払わず、引っ張られるがままに足を動かしているところを見るに、知り合いだということは分かる。
無性に嫌だと思った。
あの子を助けるのは、自分がしかたった。
――俺は何度も彼女に助けられているけど、俺は一度も彼女を助けたことがない。自分が宮村ちゃんに守られるだけの存在だと思い知らされているようだった。
*****
▼side.Dog
私はずっと父の犬だった。
敵の多い父の代わりに攻撃を受ける番犬で、父のために敵を攻撃する猟犬で、同世代の子供たちと比較したとき、おおよそ人間らしくない。私は立派な狂犬だった。
愛情を受けて育ったというよりは、上手く仕事をこなせば褒めてもらえるという感覚が刷り込まれていて、私はそのために生きてきた。
父のためだった、というのも最近気づいた話だ。
ずっとそれが当たり前だと思って生きてきた。暴力を振るわれることも、暴力を振るうことも。
「今日は荒れてんなァ」
「うるさい!」
私の常識に石を投げたのは、私の知人で、私よりも狂人である飾先輩。
彼は私にとって毒にも薬にもならない。けれど、私を犬から人に戻す暴力はあった。
「……いいね、いいねェ。やっぱお前はそうじゃなきゃ」
楽しそうな飾先輩にすら苛立ちが込み上げてくる。
殴って、蹴って、その綺麗ですかした顔を血で染め上げてやりたい。そうしたら、少しはこの心も晴れるだろうか。
少なくとも、先輩はそれで喜ぶだろうことは分かる。彼は血を流させることも好きだけれど、自分が血を流すことも好きな変人だ。
こんなにむしゃくしゃするすべての原因は父と義理母と義理姉。つまり、家族。
とうとう、父が私が持て余している暴力を発散させていることに気づいてしまった。
父にしてみれば、私が道端で暴力を振るうことは完全にアウトだったようで、対応は迅速だった。そして、その対応というのが、最低なものだった。
義理母と義理姉に、私の更生を指示したのだ。
脳みそなんか入ってなさそうなすっからかんの女たち。人を貶すことで自分の地位があることを確かめ、人を否定することで自分を肯定するような陰湿で高慢な女。それが二人も並んでいる様は吐き気を覚える。
同じ家にいることすらも嫌だと思って生きてきたのに、今の今まで別の生活を営んで関りを持たなかったのに。
あんな奴ら私の家族じゃない。
父から免罪符を渡されたあの母子は、私が自分たちの犬になったと喜んだ。「更生をさせる」を「自由にしていい」という意味で受け取った奴らは好き勝手を私に押し付ける。
私には堪え性がない。すぐに暴力に答えを求めていた弊害だ。
ゆえに、私はあの嫌な女たちに絡まれてすぐ、父の元へ直談判に出た。結局、何も解決しなかったのだが。
「あああ! 本当に、もう!!」
「ビックリするくらいご機嫌斜めチャンだなあ」
こんな時でもつまらない喧嘩の美学は有効で、私は動かなくなった人間を並べ置いた横で壁を殴っていた。
手が痛いだけで、何の生産性もない。それでも、痛みが心に巣くう苛立ちを誤魔化してくれる。気がしてるだけかもしれないし、そう思い込みたいだけかもしれない。
それでも、やめられなかった。
「コンクリに穴開けちゃう系?」
「そんな腕力あるわけないでしょう!!」
「あひゃ、ごめんごめん」
「っ――!」
叩けば叩くほど、壁が汚れていく。
汚い赤が広がるほど、飾先輩の耳障りな笑い声が高くなり、私の心は虚無を訴えていた。
――私から暴力をとって、そこには何が残るの。
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