歪を垣間見る

▽side.Sun


 春の陽気は気持ちよい。

 仕事途中だというのに、今からベッドに飛び込んで昼寝が出来たら何より幸せだ、と俺の思考はふわふわしていた。ああもう、ごろごろしたい。


「皆さん、お疲れ様です。今から一時間、休憩入ります」


 超新星のように輝かしくデビューした俺は、ここの所の活躍を認められ、流れにのっておけとばかりに写真集の発売が決まった。

 あれよあれよと話しは進み、今、既にその撮影が始まっている。

 最近はほんとに人生が好調だ。


 今日はレトロな喫茶店を貸し切り、昼くらいから撮影開始。衣装も気に入ったし、髪型も完璧。店の雰囲気もよくて、普通にプライベートでも来たいくらい。コーヒーの味なんて比べられるほど舌は肥えてないけど、美味しくいただいた。


「ちょっと司、あんたボケっとしてんじゃないわよ」

「……ごめん」


 マネージャーこと、俺の姉ちゃんのおっしゃる通り。

 別に体調に問題はないし、いつも通りに顔もかっこいい。けど、なんだか今日は仕事に身が入らなかった。

 やる気がないわけじゃないんだけどなあ。


「外出てきまーす」


 こういう時は、気分転換して頭を切り替えるしかない。この眠気もどこかに飛んでいくかもしれないし、と小さな希望を抱いて外に出ることを決めた。

 姉ちゃんはぺらぺらと手を振り、おざなりに俺の出発を見送った。もうちょっとなんかあってもいいんじゃないの。


 俺は撮影をしていた店から出た瞬間に、今から休憩としてくれた姉ちゃんに感謝した。

 だって、目の前を歩くあの後ろ姿は――。


「宮村ちゃん」


 俺の呼びかけに、足を止めて振り返った彼女は、俺の顔を見ると大きな目を更に大きく見開いた。

 見慣れない彼女の制服は小関の言っていた通り、有名な進学校のものだ。なんだか随分遠くに行ってしまったように感じられる。寂しい。


「へへ、驚いた?」


 宮村ちゃんの元まで駆け寄ってそう尋ねれば、彼女はこくりと一回だけ首を縦に振った。

 本当に久しぶりだなあ。

 髪伸びたんだ。もっと長くても似合うだろうなあ。短くても彼女らしくていいけど。


「和屋、今日は一段と綺麗だな」

「撮影用に化粧してるからかも」


 彼女に褒められると、どうにも照れくさい。

 嬉しさに顔が緩む。俺の口はこんなに我慢ができなかったのか、というくらいに弧を描いている。

 話せて嬉しい、会えて幸せ。


「久しぶり」

「うん。会いたかった」


 素直な俺の気持ちは、するりと口からこぼれた。会いたかった、会いたかった、会いたかった。

 俺の言葉に宮村ちゃんはきょとん、としたあとに、照れ臭そうに笑った。染まった頬、下げられた眉、わずかに開いた口から見える歯。


 嘘、そんな顔、初めて見た。

 きゅんとして、ぞくぞくする。宮村ちゃんも俺と会いたいと思っていてくれた? 話せて嬉しいと思ってくれてる?

 ごくり、と大きく喉が鳴って、ちょっと恥ずかしい。誤魔化すように咳払いをした。


「今、休憩中なんだ。ちょっと話そうよ」

「ああ、いいよ」


 宮村ちゃんと並んで歩くだけで、俺の心はすっかり元気になっていた。眠気もどこかにいってしまったし、だるさなんかも消えた。

 今、この瞬間を切り抜いてくれれば、最高の表情をしていると思う。これは今日の残りの仕事は楽勝だな。

 彼女といると、いいことしかない。


「……仕事忙しいんだってな」

「え?」

「小関が言ってた。同じ学校なんだろ」


 なんで今、小関の話をするの?

 どうして? 小関が俺と同じ学校だと知ったのは入学式だった。少なくともその後に話をしたってことでしょ。どうやって? いつ? というか――。


「俺のことなら、俺に聞いてくれればいいじゃん」


 ぺちん、と俺は俺の口を押さえた。

 なんだ今の。

 いや、確かにそうなんだけど、俺のことは俺に聞いてほしいんだけど、この話の流れでそれは違くないか。


「和屋? どうした?」

「……宮村ちゃん」

「なんだよ」

「……俺、嫌な奴かも」

「は? 今更?」


 宮村ちゃんは意味が分からない、とばかりに首を傾げている。こんな風に動きを見て考えていることが分かるのって、彼女にしては珍しい。

 そういうとこずっと見ていたい。知らない宮村ちゃんを知りたい。

 俺だけの知っている宮村ちゃんでいて欲しい。誰にも教えたくない。


 ――小関と出会う前、俺と君の二人だけの関係が良かった、なんて。

 

*****

▼side.Dog


 高校生になったからといって、私の生活が大きく様変わりすることはなかった。

 学校が変わったことで、生活圏は変わったが、やっていることは大差ない。


「飾先輩」

「んあ?」

「制服、汚れてますよ」

「ああ、やっちまった。落ちねぇんだよなあ」


 路地裏で殴り合い。

 喧嘩の勃発など簡単だ。ちょっとでも気に障る奴がいて、それが共通認識だったとき、視線が交わった瞬間から臨戦態勢がとられる。


 とはいっても、わたしと飾先輩の通う学校は素行不良とは遠縁で、すこぶる治安が良い。金持ちも多く、失敗を知らない人種ばかり。

 いじめにかまける時間があるなら勉強しろ、といった具合だ。たまに成績が良い生徒を妬んだ嫌がらせがあったりするが、暴力沙汰ではなく、陰湿で精神的加虐だ。

 私と飾先輩のテリトリーではない。いや、飾先輩はそういうのに首突っ込むのは嫌いじゃなさそうではあるけれど。


「どうしてくれんだよ!」

「……またそんな理不尽なこと言い出して」


 飾先輩はすでに動かなくなっている学生服を着た屍寸前の身体を蹴り転がした。

 私たちの制服は喧嘩相手として認識されることはない。ただ、カツアゲ相手として認識されるには優秀だった。

 つまり、私と飾先輩にしてみれば、入れ食い状態である。


「うちの制服はなんで白いかねぇ」

「帰り血に配慮された学生服なんてありませんよ」

「そォ? こいつらの学ランなんていいじゃん。汚い染みが血だとは思わないだろ」


 飾先輩は長い足で肉体ごと学ランを踏みつける。

 汚れることを嫌がっていたくせに、更に汚れを増やすように足を捩じ込む。ぱっと見ては分からないが、靴底は赤に彩られているに違いない。


「でも、理緒がうちに来てくれて良かったァ。一人じゃあんまりノらないんだよ」


 嘘ばかりをつくな、と思う。

 動かない玩具で楽しそうに遊ぶ先輩を眺めながら、私はため息を吐いた。

 私には無抵抗なのをなぶったり、いたぶる趣味はない。あくまでも、正当性があって、お互いに意識があるまでが暴力を振るえる時間だ。つまらない美学だが、死体を蹴るような真似はしない。

 先輩を止めないのだから、同罪かもしれないが。


「宮村――」


 飾先輩の暴力だけが加熱する路地裏で、私の名を呼ぶ冷たい声が響く。

 私と先輩は同時に路地の入り口へと振り向いていた。


「小関?」

「ンあ?」


 なんでこんなところに、――、いや、違う。むしろ、小関はこういうところに乱入してくる奴だ。

 とうとう、この状況が訪れてしまった、というべきか。


「なにしてるんだ」

「……何って――」

「なァに、理緒の知り合い?」


 小関は目の前の光景を理解しきれていないようで、先輩と私と転がる学ランたちとで視線を忙しく行き来させている。

 飾先輩はあっという間に小関に関心を移し、興味津々で目を輝かせている。

 嫌な予感が心を満たしていく。

 私は小関に近づこうとする先輩の手首を掴んでいた。反射行動だった。


「なんだよ、理緒」

「私の、――友達です。やめてください」


 ぱちり、と先輩は瞬く。

 それから、楽しそうに顔を歪めた。


「お前、友達なんていたのかよ」


 この悪寒は、寒気は、勘違いじゃない。

 今、獣を繋ぎ止めているのは、私の掴む手首の拘束だけだ。ぎゅ、と無意識に力が入る。


「何しているんだ」

「何って、何に見える?」


 飾先輩は私から小関に向き直ると、歌うように明るく楽しげな声を上げた。まるで喜劇を演じているかのよう。


「お遊びだよ、お遊び」


 小関は嫌悪を隠さず眉をひそめ、鋭い視線で飾先輩を射抜いた。言葉以上に飾先輩の行動を否定している。

 ぴしり、と空気が一瞬のうちに張り詰めた。

 飾先輩は小関の反応を見て、つまらなそうに舌打ちした。


「宮村、なんでこんなのと付き合いがあるんだ」

「理緒、お前なァんでこんなのとつるんでんの」


 二人の発した言葉は響きこそ同じでも、全然意味の違うものだ。

 小関は飾先輩のような無秩序に暴力を振るう人間の存在など、受け入れる以前の問題だろう。認めたくもないに決まっている。

 飾先輩は、私の友人と聞かされ、同類と思ったに違いない。実際は正反対であるが。


 この二人は壊滅的に理解し合えない、と直感で分かった。

 しかし、だからといって私はどうすればいい。


「君はそんな奴じゃないだろ」


 小関は飾先輩を視界から外し、私を見据えていた。真っ直ぐの瞳は、嘘を吐くことを許さない。

 ――眩しい、と思った。


「……いや、私はこんな奴だよ」

「どうした? 弱みでも握られているのか」

「まさか」


 小関という人間は、本当に光みたいな善人だと再確認させられた。

 こんな状況を見たら、どう考えたって私と先輩が加害者だろうに。私が弱味ごときで脅される人間じゃないと知っているくせに。


「小関は人の良いところしか見てなさすぎる」


 信頼してもらって申し訳ないが、私はそんなに綺麗で真っ当じゃない。

 私は飾先輩を掴んだまま、その場を離れるべく歩き出した。


「宮村!」


 私にできる最大限がこれだった。

 今の状態の、飾先輩を放ってはいけない。小関とぶつけるなんてもってのほか。

 この人の暴力は私が想像できる域のものではないのだから。


「ばいばァい、小関クン」


 空いた手を振る飾先輩は上機嫌で、状況の追求をすることはしなかった。

 それでも、私が動揺しているのは察しているだろう。新しい玩具を見つけたかのように無邪気な笑声を漏らしている。


 ――小関の裏切られたような顔が頭から離れない。

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