運命はゆっくりと捻じれていく
小さな変化
▼side.Dog
私は今日から高校生になった。
義理の姉と同じ学校には絶対に通いたくなかった私に、救いの道を示してくれたのは飾先輩だった。
私の一つ上の暴君は、自分の入学した高校を選んではどうかと提案してきたのだ。多分、おもちゃがなくなって暇なのだろう。少なくとも、善意と好意での勧誘ではなかったと思う。
義理姉と距離をとりたかっただけの私は、考えることもせず頷いていた。
飾先輩が卒業してから、屋上の鍵は開かなくなった。
まるで、学校には私の居場所はないと言われているようで、疎外感を覚えるには充分だった。落ち込みはしなかったが、学校が更に面倒なものには思えた。
それからの一年間は、平坦とした毎日をただただ消化するだけ。記憶にもあまり残っていない。
ひとつ、変わったことといえば、私を構う人間が一人増えたこと。
「おいおい、抵抗しない人間を殴って蹴るの、か! よ!」
喧嘩に流儀なんてない。
路地裏に見飽きた光景が見えたら、相手を蹴り上げに行くのはもはや習慣だった。
「――み、やむら?」
「よう、小関」
私の喧嘩はもはや息をすることに近い。しないと生きていけない。
私は父のためだけでなく、自分のためにも暴力を扱うようになった。
私の暴力のあり方が変わったのは、飾先輩と出会った頃からだ。あの人のせいとまでは言わないが、あの人の影響は間違いなくある。
幼い頃こそ、父親の画策に猟犬として放たれていたが、被害者が被疑者を暴行という異常を続けていれば噂にもなる。
例え、事件が公になっていなくとも。
私はいつの間にか父の弱点ではなくなっていた。
「小関は早死にしそうだな」
「よく言われる」
「ああそう」
私の顔を見た有象無象はさっさと逃げ去っていった。
喧嘩も続ければ顔が知られるというもの。どんなに秘密裏に、人目のつかないところを選んでも、相手にした数が多ければ、私を語る口も増える。
今や、私と殴り合うのは、腐れ縁に殴り合う知り合いとも呼べない同族ぐらいのものだ。あとは今のように顔を見て逃げるのが大半である。
「で、今回は何がお気に召さなかったんだよ」
「未成年なのにタバコを吸っていた」
「…………、そんなの吸ってるやつの勝手だろ。警官呼んで補導させろよ」
小関はどんな宿命を抱いて生まれてきたのだろう。どんな育ちをしたら、こんな考え方をするようになるのだろう。
小関とはあまり多く話をしていない。私も小関も口数が多い方ではないから、淡々とした世間話をするのがいいところだ。
いや、比較対象が和屋しかいないから、あんまり正しく判断できていないかもしれないが。和屋が話しすぎなのか?
「言っておくけど、自分から突っ込んでくなんて、和屋より質悪いからな」
「すごいな、宮村は」
「はあ?」
「本物のヒーローみたいだ」
小関は一体何に感心をしているんだ。そんなことより話を聞け。
「でも、君は女の子なんだから、男が喧嘩していいるところに突っ込んでいくのはよくない」
「はいはい、毎度毎度、同じご高説をどうも」
小関は私が喧嘩に参入する度に、世の中の常識を説いてくる。しかも、真剣な顔で小さな子供を相手にするような口調であるから、私には有難いというよりはうるさいものだった。
一般論を説かれたところで響く心は私にはない。余計なお世話である。
そんなに横入りされたくないなら、喧嘩をしないか、喧嘩に強くなるか、どちらかをしろと言ってやりたい。
今だって左頬を腫らし、唇を切っているのに。人の心配をしている場合ではないだろう。
小関の頬は今でこそ赤くはれているだけだが、時間が経てば青紫色に変色するはずだ。人目を引くような顔面になることは間違いない。
「ああ! 宮村、高校入学おめでとう」
小関は私の制服に今、気がついたようだ。
人のいい笑顔で、自分のことのように私の高校入学を祝福してくれている。入学式での大勢に向けた祝いの言葉を除けば、私の成長を喜んでくれたのは立った二人。小関と飾先輩だけだ。
「その制服は知ってる。隣県の進学校だろ? 宮村は頭もいいのか」
「……あんたは?」
「学校はそこの公立校、明日が入学式だ」
「その顔はご愁傷様だな」
「自己責任だ。仕方がない」
その頬が自己責任なら、未成年の禁煙も自己責任だろうが。
小関は世の中を正す任務でも請け負っているのだろうか。それにしても自己犠牲が過ぎる。
「小関、気をつけろよ。これからはあんたがこうして馬鹿してても、そう簡単に気付けなくなる」
小関と和屋と会う機会は、ぐんと減るだろう。
和屋に至ってはモデルの仕事が忙しいらしく、この一か月まったく姿を見ていない。
たまに連絡は来るが、和屋は私が返事をしないことを想定している。奴からの連絡はコミュニケーションというより日記だ。
小関はくすくすと控えめに笑った。
「何?」
「いや、君は本当に優しいな」
「……言ってろ」
小関は人を褒めないと死んでしまうのかもしれない。和屋が自分を褒めないと死んでしまうのと同じだ。
「君に心配をかけないように気をつける」
「違う。あんたはあんたのために気をつけるんだ」
「じゃあ、宮村も僕に心配をかけないように気を付けてくれ」
小関はしたり顔で笑うだけだった。こいつは、本当に、ちゃんと話を聞いているんだろうな。
――見知った顔を見なくなるのは、少しだけ寂しい気もした。
*****
▽side.Sun
俺は今日から高校生になった。
中学の終わりから始めたモデルがいい感じに軌道に乗っている。それに加え、行きたかった高校にも受かった。極めつけには、昨日、初めて宮村ちゃんから連絡の返事をもらってしまった。
今の俺は幸運の星の下、順風満帆が服を着て歩いているようなもんである。
入学式が終わった後、新入生歓迎を叫ぶ部活の勧誘に紛れて、俺は女の子たちに囲まれていた。
ぐいぐいと距離を詰められ、勝手に俺の手を握り、かわるがわる女の子たちが入れ替わる。混ざり合う香水の匂いに酔いそうだった。
「和屋?」
黄色い悲鳴の中、低い男の声は聞き間違えかもというくらいの大きさ。
それでも、俺の耳にはちゃんと届いた。
「――小関!」
女の子でできた人垣の向こうに、驚いた顔をした小関がいる。
これはチャンス。
俺は脱兎のごとく、人でできた柵から飛び出し、小関をとっ捕まえてその場から離れる。
女の子は好きだけど、自分の時間を奪われるのは好きじゃない。
「同じ高校だったんだな」
「ほんと偶然――うわ、なにその顔!」
小関の左頬には湿布が貼られている。それだけならまだ、見逃してもやれるが、白い四角形からはみ出ている青紫は顔にあっていい色ではない。こっちが痛くなるほどだ。
俺は自分の顔がこうなったら、絶対に外には出ないと思う。治るまで家から離れない。それくらい重症だ。
「痛そう」
「これは自業自得だ」
「え、あ、うん。うん?」
小関はたまに意味不明だ。
自業自得、などと言っているが、俺と初めて会ったときのように、厄介ごとへ正義感だけで突っ込んでいったに違いない。その行為の良し悪しは分からないが、小関には俺を助けたという実績がある。
あの日も小関は今みたいに殴られていた。もしかしたら、昨日も同じようなことだったのかも。
それなら、女の子を助けたんだ、とか、喧嘩を仲裁した、とか、ちゃんと言えばいいのに。小関が悪いことをするわけないのだから。
「しかし、さっきのは何の人混みかと思った」
「俺も知名度上がったからなあ」
「ああ、妹が読んでいた雑誌に和屋が載っていて、なんだか僕まで誇らしかった」
友達に褒められるのは悪くない。
特に小関や宮村ちゃんみたいに裏のない人間からの賛辞は本当にうれしい。俺も素直に受け取れる。
モデルの仕事は楽しいし、嫌いじゃない。
けれど、モデルとして有名になればなるほど、人の目に浮かぶ欲望に嫌悪を覚えるようになった。
誉め言葉を連ねることで、俺に取り入ろうとしてくる奴は少なくない。モデルが恋人なんてステータスになるとか、こいつは金を持っているぞとか。気持ち悪い。
「和屋はてっきり宮村と同じ高校かと思っていた」
宮村ちゃん。俺と小関の共通の友人。
不意に挙がった彼女の名前に、俺はちくりとした引っ掛かりを覚えた。そして、なぜか湧き出した妙な胸騒ぎにぞわぞわとする。
「――小関、宮村ちゃんの学校知ってるの?」
「宮村は隣県の進学校だ」
知らなかった。
「そう、なんだ」
最近会わないから、知らなかった。でも、昨日、初めて連絡来たんだ。宮村ちゃん、言ってくれればよかったのに。なんで、小関には言ったんだろ。小関はいつ宮村ちゃんに聞いたの。二人は会って話したのかな。俺は一か月も会っていないのに。それとも電話? SNS? 俺には全然返してくれないのに、小関には返してたの。宮村ちゃん、なんで?
「和屋?」
「…………」
「和屋、どうした。具合悪いのか?」
「え、あ、ううん。元気、元気」
「宮村が今までのように助けに行けないから、気をつけろと言っていた」
呆れた顔をして注意を喚起する宮村ちゃんの姿を想像するのは簡単だった。
宮村ちゃんのそういうところは全然変わっていない。
「優しい」
「本当にな」
「……宮村ちゃんと同じ学校が良かったな」
「きっと宮村もそう思っているはずだ」
小関の言葉は暖かい。気遣いがあるというか、応援してもらえてる気がするというか。
小関は本当にいい奴なのだ。たまにいい奴過ぎるがゆえに、とんでもなくぶっ飛んでるでるけど、でもいい奴。
――宮村ちゃんに会いたいな。
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