部活動には所属してない。

 だから放課後は、図書室で読書をしたり宿題をしたりして過ごす。

 夕方、西の空が暗くなってきた頃に学校を出て、ネットカフェに直行。

 適当に漫画を読みながら夕食をとり、補導されないギリギリの時間で。

 いつも通り、家に、戻った。

 

 夜十時。

 閑静な高級住宅地、その中でもひときわ目立つ大きな一軒家。

 生まれたときから過ごした、家。

 玄関口の立派な扉――けれど星明りを浴びて見えるのは、ひどい雨汚れ。

 鍵を開けて中に入る。梅雨の時期に特有の臭いが鼻をつく。

 暗い室内。空気は冷たい。

 明かりは点けず、靴を脱ぎ、長い廊下を歩いて洗面所に向かう。

 途中、キッチンから漂う異臭にも慣れてしまっていた。

 ――リビングの方から光が漏れていないことに、つい安堵してしまう。

 

 アイツは、きっと部屋で寝ている。


 玄関には赤いヒールが転がっていた。恐らく外出はしていない。

 足音を殺し、洗面所に入る。

 薄暗い中、服を脱いで、浴室の明かりだけを点けて中に入る。

 なるべく音を立てないようにして、シャワーを浴びた。

 烏の行水。ささっと身体を拭くと、寝間着にしているジャージを着こむ。

 あとはもう、寝るだけ――だけれども。

 自分の部屋には向かわず、ついリビングに足を向けていた。

 暗い部屋、人の気配は――まったく感じられない。

 冷たく、酒と、タバコと、何かが腐敗したような臭い。闇の中、わずかに射し込む明かりによって浮かび上がるのは、革製の立派なソファーや、大きなテレビ――

 みんなで食事をしていたダイニングテーブル。

 昔の、明るい、光景を。

 幸せだった頃。

 それが未来永劫ずっと続くと思っていた、そんな幼稚な気持ちでいた頃の。

 父親の、祖母の――死んでしまった家族の姿を思い浮かべてしまう。


「……馬鹿野郎」


 苦しくなって、足を引く。

 フローリングの上には酒瓶とゴミ袋が散らばっており、今となっては足の踏み場もなくなってしまっていて――


「掃除、しなきゃ、な……」


 暗い中、何かに突き動かされて、ゴミを拾い集めようとするも。


「あ、う……あ……」


 すぐに、現実に戻されて。

 今さっき脳裏に映し出された映像に、心を締め付けられながら――

 ダメだ、ここにいちゃダメだ、と。

 重い頭を抱えながら、ふらふらした足取りで、そのままリビングを出た――



「……はあ」


 干しておいた枕をポンと置いて、頭を乗せる形で横たわった。

 悲観と錯乱とがごちゃ混ぜになった、そんな感覚がまだ残っている。

 背中も冷たい。

 しかし手にしたスマートフォンから漏れる光が、カナメの心を落ちつかせた。


 浩司からのメッセージ[今朝はなんか悪かったな]


 茶化すように押されたスタンプを見ながら、は、と笑って。


 ――何をいまさら、戦友だろ、『俺たち』は。


 そう返した。

 というか、ま、次の休み時間には普通に話をしていたわけで。

 いつものことと言えば、いつものことだった。

 しばらく浩司とやりとりをした後、グループトークに適当な発言をして、友人たちと雑談を続ける。

「スマホは偉大だ、な」

 不意にそんなことを思った。

 四六時中、誰かしら話相手がいて、それでも適度な距離感があって。

 

「――まあ、不幸じゃないよ、な」


 ふう、と、大きく息を吐く。

 何か、ごそごそと、音が近づいてきた。

 しばらく待っていると、にゃあ、と、顔の近くにいつもの猫。

 ようやく、家に、帰ってきたような、そんな気持ちを覚える。

「なあ」

 思わずつぶやく。


「……お前は、家族だよな」


 その小さな頭を撫でると、目を細めて、ごろごろと喉を鳴らす。

 その柔らかな毛に、わずかな湿り気を感じながら――

 

 カナメは枕元に置いておいたプラスチックの薬瓶に、すっと手を伸ばした。



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小さな幸せ、小さな少女 こばとさん @kobato704

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