日常


「新庄、要……新庄はいないのかっ!」

 

 朝の教室。

 黒板の前で出席簿を手にした中年の教師が声を張り上げる。

 直後、教室後ろのドアから飛び込んでくる制服姿の生徒。


「はいっ! はいはい! います、いまーすよっと!」

 

 とっくに遅刻の時間。それでもニヤケ顔を振りまいて。

 ずんと自分の席にふんぞり返るカナメ。

 毎度のことで、生徒たちに苦笑が漏れる。

 しかし、そのざわめきは、バン! と出席簿を叩く音で掻き消された。

「新庄……お前はいつもいつもだな……」

 呆れと怒りの混じった視線をカナメに向ける教師。

「……あん?」

 カナメはあごを引き、睨みを利かす。

 教師はびくりと無意識に視線を逸らす。そして、わざとらしく大きなため息をつくと、何事もなかったかのように出席の続きを取り始めた。


 情けねえ大人だ、と。

 

 カナメは鞄から文庫本を取り出すと、あくびをして適当に読み始めた。

 祖母が言った通り、勉強はできる方だった。

 進学校で、レベルの低い高校ではないが、去年の四月に入学してから学年トップを取り続けている。

 故に、髪を染めていようが、遅刻しようが、ホームルーム中に読書をしていようが、お小言は言われても処分を受けることはない。そのお小言にしても、軽くあしらうだけでどうとでもなるわけで。

「やれやれ」

 そんな風に独りごちるのもいつものこと。

 息を吐いて、本に目を落とすも――どうにも落ち着かず、頭に入らない。

 理由はもちろん、あの少女にある。

 

 あの後、家を隅々まで探したものの、少女を見つけることはできなかった。

 いや正確には調べていない場所が一箇所だけある。

 アイツの……母親の部屋。

 ドアの前で聞き耳を立ててみたものの、物音はせず。

 室内を確認してみようかと思った途端に、首元がじくりと痛み――

 ドアを開ける気には、なれなかった。

 玄関に子供用の靴もなく、やっぱり夢だったのだと、そう結論づけた。


 気づけば、ホームルーム終了のチャイム。 

 騒がしくなり始めた教室、本で口を隠すようにして大きなあくびをする。


 ――母親とは顔を合わせることもなく、さっさと家を出た。

 学校最寄り駅近くの喫茶店で朝食。これも普段通り。

 窓際の席からガラス越しに、行き交う人たちを眺めながら、自分は何をやってるんだろうとは思う。

 遅刻の理由はそこでぼんやりとしすぎたからという他愛もないもので、なんとも気楽な生活だと実感する。

 なによりこうやって普通の高校生活を過ごすことができているのだから。

「ま、不幸ではない……よな」

 何の気なしに横腹をさすりながら呟いて、再び本に目を落とす。


「なあ、カナメ」


 隣の席から声がかかった。

「おはようございます、だろ。浩司」

 顔も向けずそう返す。

「はいはい、おはようございます。神様、カナメ様」

 くくく、と、わざとらしく笑う声に、カナメはようやく顔を向ける。

 その茶色がかった髪色だけ見ればカナメより派手さはないが、顔つきに生来の真面目さが見え隠れするカナメとは違い、チャラついた風の男子生徒。

 それでもその人懐っこそうな笑顔に、カナメは思わず呆れ笑いを浮かべ。

「まーた、オカルト話か?」

 そう言って、文庫本を閉じた。

「鋭いな、さすが戦友」

 ニヤニヤと笑う浩司。

「何が戦友だ、何が」

「んだよ、共に戦ったじゃねえか、俺たちは。中間テストという大敵に」

「寒いこと言ってんじゃねーよ。大体、ノート貸してやったのに、結局、ほとんど勉強しなかっただろ、お前」

「毎度のことだ、そんなん」

「偉そうに言うな、ボケ」

「朝からカリカリすんな。仲良くしようぜ、なあ友よ」

 ははっ、と、笑いながら手を伸ばし、ポンポンと肩を叩く浩司の手を、カナメは軽く振り払う。

「んでさ」

 言いながら浩司はスマートフォンを手にして、操作を始める。

「カナメがお望みの、その、オカルト話、色々集めてやったんだぜ?」

「は? 誰かそんなことを頼んだか?」

「いつになくツレねえな、少しは乗ってくれよ」

 ケラケラと笑いながら、操作を続ける。 

 女と仲良くなりたいときにはさ、相手が知ってる怪談とか都市伝説とかを訊くんだよ。結構盛り上がるんだぜ。馬鹿馬鹿しいと思うかも知れねえけどさ、コミュ力の一つだよ、だからお前も知っとけよ――と、常日頃、そんなことを言って、無理矢理、オカルト談を聞かせてくる。

 しかしそれはただ単に、その手の話が好きだから蒐集し、人に話したがっているのだと、カナメはとっくに気づいている。

「ああ、あったあった。さてさて、今日のお題は」

 浩司は再びカナメの顔を見つめ、満面の笑みを浮かべながら言う。


「まずは……交差点に踊る人影、んで、家を徘徊する幼女。あとは――」


 カナメの全身が、びく、と、わずかに震えた。

 それに気づく様子もなく、浩司は続ける。


「眠れずに叫ぶ男。墓場にこもる女。んで最後に――神社の美少女」


 最後のひとつをわざとらしく神妙な声で言い切った後、ししし、と笑った。

「さてさて、どれをセレクションするかね、カナメ様」

「はあ、どれもベタっつーか、古臭いっつーか……オカルトっていうなら、宇宙人とかを出せよ……特に最後のは何だよ。神社の美少女って、それこそオカルトでもなんでもねーじゃねーか」

 内心、動揺しつつも、呆れたとばかりの口調で返すカナメ。

「くく、まあ確かにそうなんだけどさ。モノホンの美少女らしいぜ。しかも女子高生らしくてさあ――」

 身を乗り出して話を始めようとした悪友を遮るように。

「いや、それより」

 カナメはわずかに視線を逸らしながら。

「家を徘徊する幼女、って、どういう話だ?」

「ほうほう、それが気になると。なるほど、お前ロリコンだったか」

「なんでだよ、んなわけねーだろ」

「だよなあ」

 そう返しながらも、浩司は嬉々としてスマートフォンの操作を始めた。

 カナメが珍しく興味を持ったのが、どうやら嬉しかったらしい。

「いや、そんな話を聞いた覚えがあってさ。知り合いから」

 訊かれてもいないのに言葉を付け足すカナメ。

「朝、起きたらさ。目の前に女の子が立ってたんだと。んで、慌てて飛び起きたら……いなくなってた。夢にしては妙にリアルだったらしい、とか」

「それ、カナメ自身の話か?」

 思わずどきりとするも。

「あ? ちげーって」

 普段通りの口調で返すカナメ。

「そっか、ま、どっちでもいいけどさ」

 浩司は顔も上げず淡々とそう返す。嘘だとわかっても詮索しようとしないのは、コミュ力の一つというところか。

 カナメは急に恥ずかしくなり、誤魔化すように前髪をかき上げた。

 浩司は操作を終えて。

「そんなにインパクトのある話でもないんだけどな。えっと――バイト先の先輩から聞いた話だ」

 スマートフォンをじっと見ながら話を始める。

 覚えている話でも、きちんと読み上げるのが流儀らしい。


「――去年の夏休み、その先輩が友達の家に泊まりに行ったときの話。女三人、ぺちゃくちゃと盛り上がって、疲れたころに雑魚寝して――夜も更けて静まり返った頃、トイレにって先輩は皆が寝てる中、ひとり部屋を出て、暗い廊下を音を立てないように歩いてたんだってさ。そのとき」


 わずかに顔を上げ、まるで睨みつけるかのように。


「廊下の向こう、玄関の付近にさ。小さな人影が見えて、小学生低学年くらいの。妹さんかな、あれ、でも妹がいるなんて聞いた覚えは……そう不思議に思ったわずかな間に……人影は消えていた。明かりもない、暗い、他人の家。急に怖くなった先輩はトイレは我慢して、部屋に戻ろうと振り向いた。そうしたら――」


「……そこに、幼女が居たってか?」


 口を挟んだカナメに、浩司は嫌そうに頬を吊り上げて。

 はああああ、と、わざとらしく大きな息を吐いた。

「お前なあ……」

「悪い悪い、でもそういう話なんだろ?」

「まーな」

 やれやれと両手をあげる浩司。

「暗がりの中、小さな女の子がぽつりとこちらを見上げるように立っていた。驚いて腰を抜かして、廊下にそのままへたり込んだ先輩を気にする様子もなく、その後しばらく、家中を何かを探すかのように徘徊してたんだってさ」

「ふうん」

「で、その子の姿がなんとも怖くて、おかっぱ頭で、それこそ日本人形みたいな感じで、服は神社の巫女さんが着てるようなヤツで――」


 ごくん、と、思わず唾を飲み込んでいた。

 ざわついていた教室が、一瞬、静まり返ったような感覚。

 どうせ夢オチか何かだろうと思って話を聞いていた。

 しかし、が一致するとなると、今朝のことだって……


「……ま、気が付いたら朝、布団の上で寝てたって話なんだけどな」

 再びスマートフォンに目を落としながら、くくくと笑う浩司。

「その先輩、割と本気っぽく話してくれたけどな。けどまあ、他人の家とかの慣れない環境で過ごしたときに、緊張感から変な夢を見るなんてのは良くあることで、まあ怪談っつーには弱い……ああ、けど、そういえば」

 にやりと笑いながら浩司は言った。

「その先輩の家、カナメ、お前んちの近くだな」

「なっ……!」

 思わず変な声を上げてしまう。

 それを見た浩司は、真面目な顔つきに。


「……もしかして、お前の家に……出た、のか? カナメ」


 そう尋ねる。

「ちげーって、ちげーよ! んなわけねーだろっ!」

 慌てて否定するも。

 すぐさま悪友の目が子供のように輝き始めるのを見て、しまったと後悔する。


「よし! 決めた! 今夜、お前の家に泊まりに行くぞっ!」


 ぐいっと前のめりになり、カナメの顔を見上げるような姿勢をとる浩司の身体を、カナメは両手でぐいぐいと押し返す。

「ざけんな! 馬鹿野郎!」

「いいじゃねーか! 俺、見たいんだよ! 勉強会とか理由つければ別に――」

 後頭部が熱くなり。

 一方で不快な気持ちが沸き上がってきて。

「っるせーよっ!!」

 思わず、大声で怒鳴っていた。


「お前には言ってあんだろうがっ!!  今、うちがどういう――」


 そこで言葉を止めた。

 突然の甲高い声に、しん、と、教室が静まり返る。

 浩司はむず痒そうな顔をして。

「あ……わりい……」

 言って、即座に目を逸らす。

 懺悔の念によるものか、それとも気分を害したのか。

 背を向けると、窓の外を見るように頬杖をついて、そのまま黙り込んでしまった。

 すぐに教室の空気は戻り、おしゃべりで騒がしくなる。

 対してカナメは自分の机に両肘をつき、組んだ手で顔を隠すように。

 明らかに気まずい空気が流れて。

 丁度そこで、始業のチャイムが鳴った。


「……寝るか」

 

 わざとらしくカナメはそう呟くも、とにかく気分が――悪い。

 嘔吐しそうなほどに、胃の中が回り始めている。

 1限の授業なんて、もう、どうでも良い。

 下腹部も、何か、泥でも飲み込んでしまったかのように。

 激しい動悸を抑えつつ、カナメは自分の鞄に手を突っ込む。


 プラスチックの薬瓶をつかみ、手探りで錠剤をつまみ出すと。

 そのまま勢いで、水もなしに、喉の奥へと流し込んだ。

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