第1話

ピピピッ!ピピピッ!ピピガシャン!


「久しぶりに嫌な夢をみた…。」


目覚まし時計を雑に押して言った。随分とみてなかった夢を見た。子供の頃に誓った酷く滑稽な結びごと。大人になった今にも果たされていない契り。


「まだ忘れられないか…。」


あの日誓った約束は十数年も昔の話、あの誓いから彼女は自分の目の前からいなくなった。だが彼女との思い出が自分の記憶に焼き付いて消えない。


「…早めに出勤して気分でもを変えよう。」


布団の温もりを惜しみつつ気怠げな体を起こして仕事に行く支度をする。


彼女の夢を見るのはこれが初めての訳ではない。あの日以降記憶が薄くなる度に夢に出て思い出されるのだ。子供の頃の記憶のため顔も名前もしっかりとは思い出せてはいない。だがあの凛とした物言いと艶やかで綺麗な黒き長髪、自分を見つめる青い瞳。それだけで彼女が彼女であることを示してくれる。。あれから会う事は出来ていないが。


今日のような気怠げな朝は決まって軽めなものを取る。気分が優れない中まともな朝食は胃が受け付けてくれない。いつもの朝食ならご飯を3合炊き適当なおかずやふりかけで食べる。だが今日はパン2枚ほどを焼いて食べ、すぐに家を出た。


家から会社まではそれほど遠くなく家から出て徒歩5分にある駅の電車に乗り20分電車揺られながら6駅先にある袋田という街に建っているビルの一角だ。


会社の入り口近くまで行くと進行方向の向かい側から同期の鳥居が見え近寄ってくる。


「おぉ!一也じゃん!今日は朝から早いな!仕事でも残してたのか?」


鳥居は同時期に入った同僚で歳では5つ上の先輩にあたる。最初は敬語で接していたが「壁を感じる、敬語は禁止!」などと言われ今ではラフに会話している。


「おはよう鳥居、仕事残しはしていないが仕事がしたい気分でね。お前も随分早いが仕事か?」


鳥居は仕事を出来る限りしない有名人で本人曰く、仕事はしない事が仕事なんだ!とよくわからない持論を唱えている。何故この会社に入ったんだと未だ不思議でならないがそんな鳥居が朝からいるのは大体仕事絡みと決まっている。


「おぉー!それが仕事をしなくても許されるギリギリを攻めてたら攻め過ぎて課長に注意されてな!昨日の夜から会社に缶詰されてて今終わって朝飯買いに行けたところだよ!」


「やっぱりか…」


鳥居は面白い事があったかのようにケラケラと笑いながら話しかけてくる。缶詰して終わらせられるならなぜ怒られるまで仕事をしないのか…。


「あまり課長に迷惑をかけないようにしてやれよ。」


「善処はするがまぁ無理だな!。でも仕事がしたいって変態だな。なんかあったのか?」


変態は余計だ。


「まぁ嫌な事を思い出してな、何かに没頭して忘れたい気分なんだよ。」


流石に夢見が悪くて気分が上がらないなんて子供みたいな事は恥ずかしくて言えない。


「なんだ、じゃあ嫌なことがあった同士酒でも呑んで忘れるしかないな!今日は仕事終わりに呑み会だ!」


鳥居の嫌な事は自業自得の気がしないでもないが仕事をするだけで忘れられるとも思ってなかったのでその申し出はありがたかった。


「分かった、今日は仕事終わりに吞みに行こう。」


「よし!じゃ今日は仕事で残されないようにちゃんと仕事してくるぜ!終わったら連絡するからよろしくー!」


そう言い残して鳥居は駆け足で会社に入って行った。そのやる気が普段からあれば良いのにと心の底から思っていた。


何か嫌な事があると1つの物事に集中して嫌な事を忘れようとするクセがある。それも嫌な事柄が大きければ大きいほど没頭することが多く、今回の夢もよほど嫌な事柄だったようで鳥居に声をかけられるまで昼も忘れて仕事をしていた。


「一也まだ仕事してんのか?もう定時であがりの時間だぜ。残業なんて面白くもねーんだから早く吞みに行こーぜ!。」。


「あぁ、もうそんな時間か。最後に資料をまとめて終わりにするから先に外で待っててくれ。」


「あいよー。じゃあ先に外で呑んで待ってるから早く終わらせてくれよなー。」


そう言って片手に缶ビールを揺らしながら鳥居が事務所から消えていった。仕事終わりとはいえ、会社に持ち込んでビールを飲むとかあいつに我慢と節度はないか…


鳥居に呆れながらも資料を5分程でまとめ事務所を後にした。


鳥居と会う為会社の出口まで向かう途中で何人かの女性社員が喋りながら歩いていてとすれ違う際に誰かの悪口のようなものを呟いていた。あの髪の色が悪いやら上司に媚びを売っているなどすれ違う短い間によくそんなに人の悪態をつけるものだと一周回って感心すらする。


そんな話を聞いて気分が少し悪くなったが会社の出口で課長に見事な土下座をしている鳥居を見たらそんな気分も忘れてしまった。


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