第10話


「ンな理論通るわけないやろ、アホかボケ!!」


 三、四限の講義を終えて大学会館へと向かっていると、遠くからでもよく通る罵声。思わずはいすいません!! といいそうになるほどの怒気を孕んだこの声は……、愛菜ピーさん?

 ざわざわと人だかりが出来ていた会館前に、人を掻き分け進むと、今にも暴れそうな愛菜ピーさんをポチさんと橘さんが必死に食い止めていた。


「こっちは会館のルールに沿って部屋借りとんじゃ! それを今更駄目ですとかまかり通るかいボケぇ!!」


「ふわぁ~……」


「聞けやァァ!!」


「落ち、着けッ! いまここで暴れたら余計立場が悪くなるって!」


「愛菜ちゃん、どーどーだよ! ストップ、愛菜ちゃん! ストップ!!」


 愛菜ピーさんが吠えている相手は、ポチさんとは別の意味でチャラチャラしている軽そうな男性。つまらなそうに、というか実際欠伸までして、明らかに愛菜ピーさんの話を聞く気など毛頭ないようだ。


「あのさー、君がどう言おうと、もう決まったわけ。学生部の職員だって認めて、ほら、書類まであるんだから、そっちが何を言おうが無駄なの。わかるー?」


 あれ? あの人どっかで見たことあるような……、どこでだっけ。


「それがおかしい言うとるんやろうがッ! こっちは正規の」


「正規とかどうでも良いんだよ、証拠の書類もある。つまりはこっちが正しい、文句ならボクじゃなくて学生部へどうぞ。じゃあね~」


「~~~~ッッ!! 覚えてろやボケぇぇえええ!!」


 軽薄そうな男性は、上機嫌で会館の中へと入っていく。集まっていた人たちは、項垂れてしまった愛菜ピーさんに優しい言葉をかけながら散っていく。「あいつら相手じゃ仕方ないって」「どんまい、でも、うん……」「下手に手を出したらその方が面倒くさいし、ここは諦めとけよ」と、言った言葉が多かった気がする。いったい、何なんだろう。


「橘さん、愛菜ピーさん、ポチさん!」


 人が居なくなるのを見計らい、私は三人に声を掛けた。


「お? 山坂ちゃん! ……あー、変なところ見せちゃったね……」


「いえ……、それよりさっきのは何なんだったんですか?」


「ええと、なんというか……」


「クソッ!!」


「ああ、ちょっと愛菜ちゃん! ……もぉ、ごめんね山坂ちゃん。ポチ! ちょっとしばらく頼んだ!」


「あいあい、行ってらっしゃい」


 どこかへ行ってしまった愛菜ピーさんを追いかけて橘さんもいなくなってしまう。残されたポチさんもどこか左右に分かれた二色の髪の毛に元気がなさそうに見える。


「……あのぉ」


「気に、はなるよねぇ」


「まあ、はい」


「んー、なんと言うかだね」


「おはようございます!」


 可愛い声に振り向けば、お昼を食べた後別れた坪井さんが、動きやすい服装に着替えて小走りでやってきていた。うん、可愛い。


「おはよー、坪井さん。うん、ちょうど良いや。他の二年が来るまでどうせここで少し待たないといけないから、少し話そうか」


「はい?」


 いきなり言われて、当然頭の上にクエスチョンマークを浮かべる坪井さんを愛でながら、愛菜ピーさんが走って行ってしまった方角をつい見てしまうのでした。




「先に言っておくと、今日使う予定だった部屋が使えなくなったんだよ」


「え? そうなんですか、何かトラブルでもあったんですか?」


「それがさ、さっきね」


 私は、さきほど見た光景を坪井さんに説明する。


「……詳しいことは分からないですけど、その人あまり良い人ではなさそうですね」


「私もそう思った」


 二人で詳しい説明を求めてポチさんを見る。

 ポチさんは、よっこいしょと適当なところで腰を下ろす。


「うちってさ、演劇サークルが三つあるって言ったでしょ? さっきのはうちとは別の『絡繰り館』ってサークルの座長なんだよ」


「…………あッ! 思い出した、あの人土曜の飲み会に居た人だ!」


 ついでに言えば、私があんなに酔うほど飲んだのも、そこのサークルの人たちが飲ませてきたからじゃなかったっけ……。あれ? そういえば、じゃあどうして私は最終的には課長さんと一緒に居たんだろう。


「でなぁ」


 深く沈み込みそうだった頭が、ポチさんの声で急速に戻っていく。いけないいけない、ともあれ今はポチさんの話だ。


「……なんといえば良いか。うぅん……、一言で言えば金持ちなんだよ、しかも超の付く」


「超の付く、ですか」


「そ。天王寺グループの息子なんだよ、あいつ」


「「天王寺グループ(ですか)!?」」


 天王寺グループといえば、確か元は歴史の教科書にも名前が出るほどの豪商で、今では色んな業界に進出しており、天王寺グループが関わっていないものを探すほうが難しいなんて冗談が言われるほどなのである。


「まあ、跡取りなのは兄貴らしいけど、だからこそ道楽息子って奴でさ」


「本当に演劇の世界みたいなお話ですね……」


「はは、言うね坪井さん。うん、あれだね事実は小説よりも奇なりって奴だね。でー……」


「で?」


「昔色々あったみたいでちょくちょくうちにちょっかいかけてくるんだよ、あの人……」


「うわぁ……」


「色々というのは?」


「そこまでは俺も詳しくは。でも、課長さんと揉めたって話は聞いたことがあるな」


「「……」」


 いったい何をしたんだ、あの人は……。


「おはよーーッ! どしたの、三人でどよ~んとそんなところで!」


 元気な声に振り向けば、今日も明るいたっちゃんさんとその後ろにまさに話題に上がった課長さんが仏頂面でこちらへやってくるところだった。

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