第9話


 重い……。

 なにがって? 空気が!!


 みんなと別れてもう五分以上経つけどずっっっっっっと無言!! なにこれ意味分かんないもう意味分かんない!!

 そりゃ課長さんとは出会って間もないわけで仲良くおしゃべりとか出来るわけじゃないかもしれないけど、普通こういうときって親睦を深めようとするものじゃないのかなァ! え? 私から話しかけないのかって? 出来るかァ!!

 バレないように横顔をチラ見するけど、絶対に前を向き続けていてこちらのほうを見ようともしない。見られたら見られたで顔が怖いのである意味助かってはいるんだけど……。

 あと、この人多分気付いていないみたいだけど、少し酔っているんじゃないかと思う。だって、普通誰かと二人で歩くときって左右どちら側を歩くかある程度決まるはずなのに、時々位置が変わるんだよね。ふらふらしているわけじゃないから歩きにくいとかではないんだけど……。


 更に五分以上無言の時間が過ぎていく。

 ていうか、この人の家ってどこなんだろう……。方向は同じらしいけど、もうこの辺で別れても良いんじゃないかな……。ええい!


「ぁ! の……」


「なんだ」


 あ。心が折れそう。

 落ち着け、落ち着け私。大丈夫だ、なんだ、としか言われてない。まだ大丈夫。いけ、いくんだ私。


「課長さ、んのおうちって……そのぉ……」


「あ?」


「なんでもないです……」


 笑いたければ笑うが良い。無理なものは無理だ。

 少しの間私を睨みつけていた課長さんだったけど、興味を失ったのか。またまっすぐ前を向いて歩いていきます。ていうか、一度しか来たことないはずなのによく私の家覚えているな、この人……、もうそれだけで怖い。


 結局、気づけば私は自分の家の前に立っていた。

 長かった……、家までの道がこんなに長いと思ったのは初めてだよ……。多分、送ってくれたんだろうなぁ、まさか送り狼なんか狙っているわけないし、はは、自意識過剰。


「ありがとうございます……」


「気にするな」


 気にします。遠慮ではなく、別の意味で。


「あの、ええと……、おやすみなさい」


「ああ」


「……」


「……」


「……」


「……」


「?」


 どうしてこの人帰らないんだろう。


「どうした」


「え! あっ、いや、その、あー……! な、なんでもないです! おやすみなさい!!」


 よく分からないけどこのままじっとして居たら碌なことにならない気がするので逃げるように私はオートロックの扉を開けてマンションのなかに飛び込んでいく。

 恐々と振り向けば、課長さんが来た道を戻っていく姿を見ることが出来た。良かった……、ちゃんと帰ってくれたよ……。


「つかれた……、なんかもう練習より疲れた……」


 シャワー浴びてさっさと寝よう……。

 重い足を引きずるように、私は自分の部屋へと向かうのでした。





「坪井さぁぁぁぁ!」


「やまさ、きゃぁ!?」


 次の日。二限の講義を終えた私は急いで坪井さんとお昼ご飯を食べるために第一食堂へ向かう。大勢の人が食堂へなだれ込んでいくなか、入り口で私を待っていてくれている美少女を発見し、思わず抱き着いた私はなにも悪くはないはずだ。


「聞いてよ坪井さん! 昨日もうほんとたいへおがッ!?」


 すぱこんッ!

 私の音が小気味よい悲鳴を鳴らす。その犯人は、


「なにするのよ、新藤兄!!」


「こっちの台詞だ! あと俺は清志だ!」


 清志くんだった。隣には、弟の正志くんの姿もある。


「いきなり女の子殴るのはどうかと思うよ? 大丈夫、山坂さん」


「うん、それは別に。ほら見ろ! 普通こういうのが正しいのよ! 弟見習いなさいあんたは!」


「いきなり抱き着いてくる馬鹿に言われたくはねえ!」


「あんたには抱き着いてないじゃない!」


「はいはい、面白くもないコントはその辺にしてはやく食堂行くよ。さ、行こ坪井さん」


「え? あ、で、でも……、うん、そうだね」


 すたすたと中に入っていく正志くんと、そのあとを可愛らしく追っていく坪井さん。残された私たちは、思わず顔を見合わせて渋々後を追うのであった。


「ええ!? では、山坂さんは課長さんと二人っきりで帰られたんですか!?」


「そうなのよ……」


「大丈夫だったのですか……?」


 ご飯を食べながら、昨日の飲み会とそのあとのことを報告すれば、坪井さんが大きな瞳を更に大きく開かせて驚いてしまう。それはそうだろう、私でも驚くわ。


「一応……、でもすっごい疲れた」


「その件に関してだけは、同情に値するわ」


「ありがとう!」


「なにさらっと人のから揚げ取ってんだよ!?」


「同情するって言ったじゃん」


「から揚げやるとは一言も言ってねぇよ!!」


「もう食べちゃいましたーッ」


「食堂で暴れないでねー」


 喧嘩する私たちを正志くんが気にもせずにとりあえずと言った体で注意する。どうしてか、すでに慣れられているような……。


「ですが、送ってくれたということは優しいと捉えられることも出来る、のでしょうか」


「まあ、そうだね。途中までならともかく最後までなんてね。しかも絶対山坂さんの家のほうが遠いんでしょ?」


「たぶん。私がマンション入ったあとに来た道を戻っていってたから」


 清志くんとおかずの奪い合い戦争を繰り広げながら、私は二人と会話する。ふ、この程度の若造相手に本気など出さんわ。


「きっと課長さんは顔は怖いですけど、優しい先輩なんですよ。そうでなければ、たっちゃんさんがあんなことしたときにもっと怒ると思いますし」


「ああ、山坂が笑いやがったあれな。本当にあの時は死んだと思ったぜ」


「あれは仕方ないじゃん! 無理じゃん、あれは!」


 私の必死の反論に、三人はただ笑うだけで取り合ってはくれなかった。きぃ!

 そのあとは適当に、取っている一般教養の講義は何かなどの話で時間が過ぎていき、


「そろそろ、三限か。おまえら、講義は?」


「私ある」


「僕も」


「わたしはないです、というより今日は二限まででしたので一旦帰ろうかと思ってます」


「んじゃ、解散だな。ああ、そうそう。俺と正志だけど今日バイトがあって練習行けねえから」


「ええーっ! なにそれつまんなーい!」


「金稼がないといけねえんだから仕方ないだろ」


「あのぉ」


「うん?」


「お二人は同じバイト先なのですか?」


「ああ。そっちのが色々都合が良いしな」


「……ほう」


 うん? 何かいま、坪井さんの瞳が怪しく光ったような……?


「それが何かあんのか?」


「はっ! い、いえ! ちょっと気になっただけですので!」


「ふぅん?」


「兄貴だけだと何しでかすか心配だからね。仕方なくだよ」


「あ!? おまっ、俺のほうが役に立つに決まってんだろ!」


「どうだか」


「…………」


「坪井さん?」


 じゃれ合いを始めてしまった新藤兄弟へ坪井さんがまるで恋する乙女のように熱い視線を送り出す。


「…………はぁはぁ」


「坪井さん!?」


「はぃ!? え、な、何でしょう!」


「……ええと、ううん? なんでも……」


 どうしてだろうか。

 時々、私の中のなにかヤバいセンサーが彼女に対して鳴ることがある。

 同時に、それがどうしてなのかを理解してはいけないと警鐘が鳴っているのだけれども、私はどうすれば良いのだろう。


「そうですか? では、…………」


「だから、坪井さん! 目っ、なんか目がすごいことになってるって!?」


 どうしてだろうか!!

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