第8話
「えええ! 坪井さん一緒に行かないの!?」
「う、うん……、ごめんね?」
「おい、何を外で大声出してんだよ」
着替えを終えた私たちは、会館の外に集まっていた。部屋の鍵を返しに行ったたっちゃんさんと課長さんを待っている間に、坪井さんから飛び出た衝撃の言葉に私が驚いていると、もう慣れたと言わんばかりに呆れた顔をした新藤兄弟が近づいてくる。
「それがさぁ、坪井さんこのあとのごはん来れないんだってー……」
「え、そうなの? それは残念だなぁ」
「てことは、俺らだけでこの馬鹿の面倒みるのか」
「いまさらっと私のことディスったよね?」
ねえねえ、と質問するも清志くんはこちらを見ようともしない。おのれ……。
「うん? なんや、坪井さんは来れへんのか」
「えーっ! どうしてどうしてっ! 一緒にいこうよ、楽しいよ? それにたっちゃんさんが奢ってくれるからタダだよ?」
私たちの会話を聞いたのか、橘さんと愛菜ピーさんも残念そうに話しかけてくる。
「どうしても駄目なの?」
「それが、引っ越してきたときに母が作り置きとか食材とかをたくさん置いていってくれてまして、それを減らしていかないといけないので、残念ですけど」
「あー、そりゃしゃあないな。残念やけど食べ物駄目にするわけにもいかんし」
「じゃあさ、明日私と一緒にお昼ご飯食べない? お昼なら大丈夫でしょ?」
「ぁ、はい、それなら」
「おい、山坂」
妙にまじめな顔をした清志くんが口をはさんでくる。
「うん? あ、もしかしてあんた達も一緒したいの?」
「というか、ちょっと考えてみろよ」
「何を」
「お前と一緒に昼飯を食堂で食うんだろ?」
「うん? うん」
「坪井が可哀そうじゃねえか」
「どういう意味だッ!! 美少女と一緒にごはんを食べるという私のこの純粋な野望のどこに可哀そう要素がある!」
「もうそのままだよ」
「あはは……」
「兄貴……」
「仲良しやね、あんたら」
もめる私と清志くんは他の人たちに温かい、もとい生温かい瞳で見守られてしまった。
「く……、覚えてなさい!」
「あれ、山坂ちゃんどこ行くの?」
「ちょっとお手洗いに」
「たっちゃんさんもう少しで来るだろうから早くねー」
「はーい!」
坪井さんが来れないのは残念だけど、橘さんや愛菜ピーさんは居るはずだし、それに新藤兄弟もあの様子だと来るかな。この一週間ですでに一人で食べる夜ご飯に寂しさを感じていた私にとってみんなで食事をするというのはそれだけでとても嬉しい。
炊いてしまっているご飯は、明日のお昼に持っていけば良い。そんなことを思いながら角を曲がった私は、
「……あ、すいませ、ッ!」
人とぶつかりそうになってしまった。謝罪を述べてその人の顔を見ると、
「気を付けろ」
課長さんが居た。
ひぃぃぃい! どうして、どうしてなのよ!? いくらなんでも私の運悪すぎない!? ていうか、あなたはたっちゃんさんと一緒に鍵を返しに行っていたのではないのですか!!
「す! すすすぃ、すすっ!」
壊れかけのラジオのように同じ音を繰り返す私に呆れたのか、課長さんは皆さんが待つ外のほうへと歩き出す。
助かった、と胸を降ろしたのも束の間で、
「……おい」
「ふぎぃぃ!!」
時間差ぁぁぁ! ちょ、まじで止めてよそういう不意打ち!!
「ふぎってお前……。あー、その、なんだ」
うん? 何だろう。どうしてか随分と苦々しい表情をなさっている。
まるで言いにくいことをどうやって伝えようかとしてい、まさか私このまま海に沈められるの!?
「お前、」
「海の藻屑は嫌です!!」
「は?」
「え? あ。いえ、な、なんでもありません!!」
「はぁ……、身体、大丈夫なんだな」
「身体? え、あぁ、はい。別にあのくらいの運動で疲れることは」
「そうじゃなくて」
どうしよう。この人が何を言いたいのかさっぱり分からない。というか、正直言うとトイレに行きたい……。
「病院、行ったんだろ。それ含めて身体大丈夫かと聞いているんだ」
「あ。……あー、そっち」
「……チッ、大丈夫なんだったら良い」
「は、はい! ちゃんと薬ももらいましたし、それによく腰とか聞きますけどもう全然平気でっ、ほらっ、もうこの通りぴんぴんと!」
「そうか。じゃあな」
歩いて行ってしまう課長さんの背中に、もしかしなくても心配してくれていたのだろうか。なるほど、これが鬼の目にも涙か、と文字としてでしか知らなかった知識を経験することが出来た私なのであった。てか、トイレッ!!
「お疲れ様、かんぱーーい!」
「「「「「かんぱーーい!!」」」」」
「乾杯」
坪井さんはやっぱり帰ってしまったため、私と新藤兄弟、橘さんに愛菜ピーさん、ポチさん、たっちゃんさん、課長さんというメンバーで大学近くの安い居酒屋にやってきた。
「三人は好きなもの頼んで良いからね、オレが出すし」
「あざーっす」
「ポチは自分で出せし!」
「ひどいっすよ、たっちゃんさん! 今月ヤバイんすよぉ!」
「あんたがヤバイんはいつものことやんけ」
適当に注文した枝豆や冷やしトマト、揚げ物盛り合わせとシーザーサラダ等等、これぞ居酒屋メニューと言わんばかりのブツがテーブルにどんどんと並んでいく。
「ほら、皿貸しぃ」
誰より先にとりわけを始める愛菜ピーさんに、正志くんが慌てる。
「愛菜ピーさん、僕取りますよ」
「ええ、ええ。今はそんなん気にしやんで好きなもん食べぇ、どうせ嫌でも五月からこき使ぉたるさかい」
「あ、りがとうございます」
先輩にそう言われてしまえば、正志くんも渋々と浮かせた腰を戻すしかなく、大人しく自分の取り皿を彼女に渡した。
「そういえば、」
フライドポテトに手を伸ばしながら、思い出したかのように清志くんが口を開く。
「今日思ったんすけど、飲み会の時と比べるとだいぶ人数少ないんすね。やっぱりオリエンテーションだからっすか?」
「あれ? あんた達土曜の飲み会に居たっけ?」
記憶を探ってみるが、あの時に自己紹介した新入生のなかに彼ら兄弟が居なかったはず。
「居たって、ああ、でも始まって一時間ぐらいしてから来たから」
「あー、なるほど。だったらそう思うのは不思議じゃないかな」
清志くんの疑問に答えたのは、ぷはー、とカルピス酎ハイを飲み干した橘さん。
「うちの大学って、演劇サークルが全部で三つあるんだけど、土曜日はその三つ合同でやったんだよね。だから、単純に人数三倍だったんだよ」
「え、そうなんすか」
「そそ。……そういえば、なんで合同でやったんだっけ?」
「お前……」
はてな? と首をかしげる橘さんに、ポチさんががくりと肩を落とす。
「頼むからそれぐらい分かっててくれよ。えと、あの日ってどこもかしこも飲み会するだろ? となると、場所確保が難しいんだよ。だから、三つ合同で人数を集めて、俺らはこんだけ人数集めるので優先させてくださいって店と交渉しやすくしてたわけ」
「と、いうわけだよ新藤兄くん!」
清々しいほどまでにポチさんの手柄を横取りし、胸を張る橘さん。
「おい、愛菜ピー……」
「ウチは今酒飲むんに忙しい」
「あ、じゃあ僕も質問良いですか」
「はい、どうぞ!!」
手をあげる正志くんに、たっちゃんさんがおしぼりマイクを向ける。
「たっちゃんさんと、か、課長さんのあだ名はお名前を弄ったものですよね」
いま、課長さんのときに少し噛んだなこいつ。
「で、愛菜ピーさんのピーって何なんですか?」
「うん? ウチ? まあ、しょうもない話やけど」
愛菜ピーさんが話そうとしたまさにその時、店員さんが炒りナッツを運んできた。
「あれ? 誰か頼んでくれたんや、おおきに。ああ、で、これが理由。ウチ、ピーナッツとかそういうナッツ系めっさ好きやねん」
「愛菜ピーって放っておくとずっとナッツばっかり食べてるのよ? 家の中にも大量のナッツばっかり」
「だから、愛菜ピーなんですか」
「そういうこと。実際としては面白くはないわな」
「ちなみに、俺がポチなのはーッ!」
「確か犬っぽいってたっちゃんさんにつけられたって飲み会の時に仰ってましたよね」
「せめて言わさせてあげろよ、正志……」
るーるるーと遠い目になってしまったポチさんを、すでに酔い始めていた橘さんが爆笑しながらバンバン叩きまくるのであった。
たっちゃんさんが絡んだ時以外は課長さんがまったく話さなかったことを除けば、とても楽しい時間を過ごすことが出来た。ていうか、どうしてあの人来たのだろう。
「んじゃ、みんなばいばーい! 明日もオリエンテーションするから、よろしくねー!!」
「ああ、もうしっかり歩かんかい、この阿保ッ」
すっかり出来上がってしまった橘さんに愛菜ピーさんが肩を貸して連れて帰っていく。なんでも、二人は同じアパートらしく、橘さんを愛菜ピーさんが連れて帰るのはいつものことなのだそうだ。
「んで? 新藤兄弟は西のほうだから、たっちゃんさんが近いですかね」
「だな。よっし、んじゃ、オレをしっかり送っていってくれよな!」
「普通そこは逆じゃないっすか!?」
「あはは、はい。しっかり送り届けてみせます!」
「んで、俺が北で一人。……南は、」
皆の視線が、私と課長さんに集まっていく。そうなのだ、実際の距離で言えば離れているのだが、方角という点で見ると、このメンバーでは私とよりにもよって課長さんが同じ方角、つまり同じ方向に帰ることになってしまった。
「あー、俺……、一緒に帰る、というか、俺も行って山坂さんを送、ろうか?」
ポチさん!! 貴方はなんって良い人なんだ! はい、ぜひ、お願いします!!
なんて、私が口に出す前に、
「お前こっち側来たら家に帰るのに一時間は余計にかかるだろ、俺が送るから気にしないで帰れ」
「そ、そう……ですか。いや、まあ、はい、課長さんが言うので、あれ、ば……」
ポチさぁぁぁぁ!!
ごめん、と口パクで伝えてきてくれているけどそこはもうちょっとだけ粘ってくれても、無理ですよねぇ! 私も逆ならまず無理だから何も言えませんッ!
「えー、課長良いなーっ! 女の子と二人っきりで帰るとかまじドラマみたいじゃーん」
「馬鹿か」
課長さんがたっちゃんさんに絡まれている間に、他の三人が小声で私に頑張れとエールを送ってくれた。清志くんは骨は拾ってやるからと若干ズレている応援であったが良しとしよう。
「オレらも行こっか。山坂さん、課長、あとポチもまたねー!」
「気を付けろよ」
「気を、つけてね」
新藤兄弟の言葉が、どこにどう気を付けてなのかが気になる。
「じゃあ、俺もここで。お疲れ様です!」
そして、私の救世主になり損ねてしまったポチさんも自宅へと帰っていき、
「行くぞ」
「はひ」
恐怖の帰り道が始まった。
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