第7話


「あは、あは……、あは……、はは…………」


 私の口から乾ききった笑い声が漏れ出す。なにがおかしいかって? 恐怖で笑ってるだけに決まってんでしょうが!

 終わった……、今度こそ終わった……。殺される、どう足掻いてもいまここで殺される……。


「やーッ! 君、良い笑いっぷりだね! ね、ね! 課長の顔最高でしょ? どう君もやってみない? 本当に思っている以上に柔らかくて逆に引くレベ、あがッ!?」


「いい加減にしろ」


 まるでずっと探していたなくし物を見つけた時のように嬉しそうな顔で私に話しかけてくるたっちゃんさんだったが、課長さんの肘鉄をおなかに受けてその場で悶絶し倒れ込む。


「ぁ、あの……、あの、あの!」


 次は私!? やっぱり次は私だよね!? でも、どうか弁解だけはさせてください。悪いのはいきなりあんなことをしでかしたたっちゃんさんであって、笑ってしまったのは不可抗力な部分があるんです!

 必死の命乞いをしたいのだが、恐怖で固まってしまった口から漏れるのは意味をなさない音だけ。そんな私を恐ろしい顔で睨み続けていた課長さんは、


「……、嶋井」


「はぃぃ!!」


 私では無く、愛菜ピーさんの名を呼んだ。


「この馬鹿連れて着替えてくるから、先に進めておいてくれるか」


「え、あ、勿論です!!」


「頼んだ」


「ま、かちょ……、地味に食らった腹のダメージ、がおおき、くて……」


「はやく来い」


「ぁ、だめそこは持っちゃだ、あ、あ、ああああ~~~ッ」


 ずるずると肩を掴まれ部屋の外に連れ出されていくたっちゃんさんに思わずその場に居た全員が合掌してしまう。

 ……と、とりあえず助かった……?


「おまっ、馬鹿か! あんなに怖い先輩相手に笑うとかお前マジで馬鹿かッ! この馬鹿!」


「兄貴も馬鹿馬鹿言い過ぎだって。でも、うん、もうちょっと考えようよ、山坂さん……」


「こ、わかったです……」


「いやぁ……、面目ない……」


「面目ないじゃねえよ……、ていうかあの人達男のくせにどうしてトイレに着替えに行ったんだろうな」


「座長さん、無事だと良いけど」


「や、やっぱりまずいよね……、やっぱり私謝りにッ」


「ま、待ってっ! どうしてか分からないけど山坂さんが行くと余計なことになる未来がわたし見えるから待って!」


「はいはいはーい!」


 パンパン

 愛菜ピーさんが、わざとらしく明るい大きな声で場を仕切る。


「とりあえず、たっちゃんさんは大丈夫……、なはずやから、先に言われたとおり進めておくで」


「良いのか、愛菜ピー……」


「阿呆、進めておけって言われたやんけ。むしろ戻ってきはった時にこのままやったら」


「さあ、みんなどんどん楽しんでいこうじゃないか!!」


 不安そうなポチさんが、愛菜ピーさんとこそこそ何か話した途端、ころっと態度が変わる。いったいどんな会話をしたのだろう。


「まずは準備体操、んでもって柔軟してから、かるーく筋トレな」


「はい!」


「どうした、阿呆」


 勢いよく手をあげた橘さんに、渋々と言った具合で愛菜ピーさんが話を振る。


「あたしは筋トレが嫌いなのでぜひやらない方向で、」


「ほなら、みんな少しばらけてー」


「無視ぃ!?」


「ええい、へばりつくなッ!! 離れろ鬱陶しい!!」


「ぁあん、愛菜ピーのいけずぅ!」


「おーい、CDかけるからいつまでもイチャついてるなよー」


 笑いの戻った空間で、音楽に合わせて身体を動かせば受験で鈍ってしまった身体がパキパキと心地良い音を奏でていく。中学校の頃とかは適当にやっていた準備体操だけど本気で取り組めば普段動かさない部位まで動いていくのが分かる。


「ま、正志……! おま、押しすぎッ!」


「兄貴が固すぎるんだよ、ちょうど良いからもっと行こう」


「…………」


「つ、坪井さん……? そ、ろそろ私の限界がッ」


「…………」


「つぼ、坪井さッ! 無理、っ! 股が、股が裂け、痛いっ、痛い痛い!!」


「…………」


「坪井さぁぁぁぁぁ」


 柔軟では、なぜか私の言葉が聞こえなくなってしまった坪井さんのおかげで私は限界突破を果たしてしまった。おぉ、股が……、死ぬ……。


「ふっ、くぅ……はっ、んんっ!!」


「良いよっ! 坪井さん、良いよ! もっといこう、もっともっとだ!!」


「おい、何をしているんだ犯罪者」


「警察呼んだほうがいいね」


 腕立て、腹筋、背筋それぞれ十回を三セット。私が終わらせた時にはまだ二セット目だった坪井さんの雄志を間近で楽し、もとい応援する。同期を応援することは当然なのだから!


「ぐぉぉ、離せ裏切り者どもぉぉ」


 新藤兄弟に取り押さえられてしまった。


「仲良ぇな、あんたら」


「愛菜ピーさん、この馬鹿をどうにかしてください」


「ごめんやけど、そういうタイプはもうすでに担当してるん居んねん」


「まったく、駄目よ山坂ちゃん! めっ」


「おい、お前まだ二セット目やろ」


「しくしくしく」


 私たちがわちゃわちゃしている間に、無事に坪井さんもノルマを達成していた。惜しい。その後、結局最後まで残って一人ぷるぷると生まれたての子鹿のように筋トレをする橘さんをみんなで茶化しながら応援する。


「ぉ、わった…………!」


「はーい、ほなら次は喉の準備始めようか」


「きゅ、きゅうけ……ッ」


「お前待っている間にウチらは休憩したから、はよ立て」


「鬼ぃぃ……!!」


「とりあえず、今日はこの喉の準備を徹底的にやろうと思います。これをおざなりにするとすぐに声枯れるからな」


「はっはーい! 座長が戻ってきたよ~ん!」


 勢いよく扉を開けて、ジャージ姿になったたっちゃんさんと課長さんが戻ってくる。

 オシャレなブランドジャージ姿のたっちゃんさんと違って、課長さんのジャージは使い古されている紺色一色の物。もしかして高校とかの体操服なのかな。


「おかえりなさい、えらい時間かかりましたね」


「ちょっとねー」


「あっ! もしかしてたっちゃんさん筋トレから逃げるためにわざと遅くきたんじゃ!」


「はっはっは! 策士と呼ぶが良い!」


「きぃぃぃ! ずるいずるいずるい!!」


「ふふ、これが知恵というものだよ、ユイちゃん。悔しかったら君も、」


「俺たちも端で準備体操からするぞ」


「…………はい」


「悪いが、あとから合流するからそのまま続けておいてくれ」


「は、はい!!」


 課長さんに冷たい視線で睨まれ、連行されていくたっちゃんさん。部屋の隅であの課長さんと二人っきりで準備体操とかかなり苦行かも……。


「ほなら、ウチは坪井さん。ユイが山坂さんで、ポチが新藤くんの兄のほう、弟のほうは、」


 こうして、私たちは先輩方に付きっきりで練習を開始する。

 喉と言われたので発声かと思えば、それよりも前段階。正しい姿勢のキープや呼吸の仕方、喉の震わせ方など、色んな事を教えてもらった。

 よくテレビで腹式呼吸とか言葉は聞くけど、それを実際に自分でするとなるとこれがまた難しい。

 初めは喉の準備だけで今日一日も使うのか? と思ったが、休憩を挟みながら先輩方に呼吸方法の及第点をもらえるようになった時には、二時間以上が経過していた。ちなみに準備を終えて合流してきたたっちゃんさんは私たち四人全員を代わる代わる見てくれていた。適当そうな言い方なのに、彼の言う通りにすると今まで悩んでいたところがするっとやりやすくなったりするので侮りがたい。課長さんは私たちというよりも、二年生のほうを見ているようで、自主練をしている二年生に時折話しかけてはびびらせていた。


「はい! ほなら今日はこれまで! 今日教えたことは基礎中の基礎やけど、これがしっかり出来ている人とそうではない人とは演技で、特に声を相手に届かせるってとこで大きく差ぁ生まれるから、大事にな」


「「「「はい!」」」」


「そうよ! みんなもあたしを見習って基礎を大事にねッ」


「この阿呆のことは無視すること」


「「「「はい!」」」」


「ちょっとぉ!?」


「ほな、たっちゃんさん。指揮返しますからあとはお願いします」


 腰に抱きついている橘さんをずるずる引っ張りながら、愛菜ピーさんはたっちゃんさんと場所を変わる。


「はいはーい! じゃあみんなまずは着替えようか! そのあと今日大丈夫な人は一緒にご飯食べにいこう! オレが奢っちゃうよ!」


「「「いぇええええ!」」」


「一年生だけね」


「「「ぶぅぅぅうう!」」」


「当たり前じゃんか! いくらになると思ってるのさ!!」


 こうして、私の初めての演劇練習は幕を閉じたのであった。

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