第2話


 兎にも角にも、まずは状況を確認しようではあるまいか。敵を知り己を知ればなんとかかんとかと昔の偉い人も仰っていたと、受験を終えてすでに半分以下になり始めている私の知識が告げている気もする。

 妙に鈍く響き続けている頭痛の正体は、これこそ世にいう二日酔いというものではないだろうか。ちなみに私は奇跡的に浪人を経験していない、それはつまりはそういうことであるのだが、良いではないか。だってそれが人間だもの。いや、本当に警察に言われると困るのでヤメテ欲しいけれど、いったい私はさきほどから誰に向かって言っているのだろう。

 そして何度見返そうとも春用布団の下の私は身体はちょっと全裸なものでして。いや、全裸にちょっと何もないのだが。

 あとは天文学的に低い昨日は何もなかったという可能性に賭けてみたいと思うそんな少女心を嘲け笑うかの如く、頭痛とは異なる類の痛みが起きてこの方ずっと下腹部で発生し続けている。お姉ちゃんと違ってあんたはいつも人より一拍遅いのよね、とは母がよく言う言葉なのだが、悦び給えお母様。どうやら貴女の娘はようやく人に一拍遅れることもなく立派に大人の階段を駆け上どう説明しても説教される未来しか見えないのでこのことはぜひ墓場まで持っていこうと思います。


 いつの間にか朝のニュースで大臣による失言問題を取り上げているなか、自身の状況把握に一区切りを終えた私は、さきほどから私と同じく黙りこくっている男性へとバレないように視線を向けてみることにする。

 私が所属することにした演劇サークルは小さいとはいえ、それでも三十人近いメンバーをかかえているサークルではあるため、昨日開催された新入生歓迎コンパのたった一回の飲み会ですべての先輩の顔と名前を覚えることなんて不可能なことではあるのだが、幸か不幸かか私は隣の男性を知っている。

 実は本名は知らないのだが、周りの先輩たちから『課長さん』と呼ばれていたことと、仲良くなった女性の先輩からこのサークルで絶対に怒らせてはいけない人だと教わった方でもあった。……うん、やっぱり不幸一択かもしれない。


 なぜに怒らせてはいけないかの理由その全てを今理解することはお釈迦様でも不可能なことであるのだが、少なくとも分かることが一つある。

 この先輩めっっっっっっっっちゃ怖いのだ。何がって、その見た目が。

 いや、無理無理本当に無理。なによこの顔どう見てもヤ○ザじゃない。それもインテリ系のほう。ゴリラのように厳つい&ムサいとかでないのは好み的な問題で良かったことではあるけれど、ベクトルは違えど目の前の恐怖は度を越したものがある。絶対この先輩は人を五人は消している過去とか持っているはずだ。どうして彼は親の仇を見るような瞳を保ち続けることが出来るのだろう。人は怒りと言う感情を継続することが難しいとどこかで聞いたことがあるのだが、それは嘘っぱちであったとこの人を見ていると証明出来てしまいそう。

 やっぱり昨日のことは私が見た夢なのではないだろうか。うん、そうだそうに違いない。いくら私がお酒でこうあっぱっぱーとぴーひゃららだったかもしれないがそれでもいくらなんでも、ええ、いくらなんでも目の前のこの人と大人なサムシングをするわけがないではないか。おお、まるで名探偵のようだ。いいぞ、そうだ、そういうことにしてさっさと先輩にはお帰りに、


「……おぃ」


「はぃいい! ごめんなさい、命だけはご勘弁をぉお!!」


 怖い怖い怖い怖いッッ!

 もう無理、まじ無理、ほんと無理ィ!?

 考えるより先に私の身体は布団から飛び出し、ベッドの上で土下座を行っていた。ちょいとばかしお尻が丸見えで女の子としてどうなのと思うところがありはしないでもないが、恥ずかしいなんて感情は生きているからこそ思えるのだ。私はまだ死にたくない。ていうか、死ぬならお姉ちゃんの胸のなかだと齢三歳の頃から決めている!


 身体だけでなく、歯もガチガチ音楽を奏でるほどに震え、なんならうっすら涙まで浮かんできた私に飛んできたのは、銃弾ではなく柔らかい掛け布団であった。なるほど、あのままだと返り血で汚れるからか。


「馬鹿言ってねぇで身体隠せ、ド阿呆」


 どういうことだ。身体を隠せ? そんなまるで優しい台詞を、ははーんなるほど理解したぜおとっつあん。


「ふ、ふへへ、そ、そうですね。私ごときの女の裸が先輩の視界に入るなんざ失礼極まりないことを気づきもしませんで、ふひ、うひひっ」


 恐怖のあまり今時どんな映画でも出てこない下っ端のような笑い声をあげてしまったが、そんなことはどうでも良い。なんとか目の前の御方の機嫌を取らなくてはッ!


「そういうことじゃ、……チッ」


「~~~~ッ」


 舌打ちぃぃぃぃ!! 殺される殺される殺される殺される殺される! あかん、あかんでぇ、あきまへんでおっかさん!?


「とにかく、お前酔うと記憶を失うほうか?」


「えっ…………ぁ。い、いや、その………えと…………」


「もういい分かった。がこの部屋に連れ込んでが俺の服をひん剥き押し倒したことを忘れてないのならそれで良い」


 おうふッ!?

 おごぉぉお!? やっぱり記憶に残るあれやこれやはしっかりしゃっかりきっちりとヤっちまっているわけなのね……!


「その節は、……大変ご迷惑をおかけしま、した……ッ」


「……布団から顔だけ出せ」


 嫌です。


「い、いえいえッ! そのー、あのー、ほらー、なんといいますか、私のような不細工な顔を先輩の視界に入れてしまうのは非常に申し訳がないといいますかつまりは、」


「出ろ」


「はい」


 死刑執行を待つ囚人とはこういう気持ちなのだろうか。覚悟を決めてなどさらさらない私はもう九割九分九厘やけくそで布団から言われた通り顔を出、ぎゃぁぁ!? やっぱりこの人めっちゃ怖い!? なんで眉間に皴寄っているのよぉぉ!!


「お前、もうしばらく酒飲むな」


「……はひ」


「いいな」


「(こくこくこくッ)」


 言われなくてももう二度と酒なんて飲むものか! お姉ちゃんと二人っきりの時以外!!

 必死の私の頷きに満足したのかは定かではないが、先輩は散乱していた彼の服に手を伸ばし、ズボンから取り出したスマフォをぽちぽちと何やら操作する。

 しばらくすると、ぴこん! と鳴るのは、なぜか私のスマフォ。


「近くで日曜でもやっている産婦人科の住所調べて送ったから、何が何でも今日行ってこい。一応外に出したが万が一もある」


 外に出したんだー、そっか。ナニをかなー、考えたくないな、もうあっはっはー。


「一万。置いとくから使え」


「……葬儀代?」


「は?」


「ナンデモアリマセン」


 なんだこいつは、と怪訝そうな瞳やはり死ぬほど怖いで見下される。


「服着て帰る。少し顔隠しとけ」


「え、あ、いや、ていうかあのそのお金、んぎゃ!?」


 ようやくさきほど言われた一万円の意味を理解した私が、なんとかお断りしよう弱みを作るまいと行動に出る前に、布団をばさっと被せられて封鎖されてしまう。私は虹色のブリッジか。


 もがもがと私が布団と格闘している間に、さっさと服を着てしまった先輩は、お邪魔しましたと無駄に律儀にお辞儀までしてから私の城を後にした。

 残された私は、枕元のサイドテーブルに置かれた一万円札と、通知を告げて光り続けるスマフォを交互に見ながら、御釣りで焼肉食べたら怒られるかな、なんて的外れすぎることを考えてしまっていたのだった。

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