第2話

 Cagots―

この謎の被差別民について、21世紀前半の今日では、知り得ないことが多すぎる。なぜ彼ら彼女らに差別が始まったのか。祖先は異教徒だったのか。どんな独自の文化を持っていたのか。謎が多い。

しかし、確かに存在した被差別民であり、その差別はカトリックの教会にまで及んでいた。

 Cagotsは、医学が発達していない、中世から近世において、あらゆる忌まわしい病の根源、そして悪徳の根源とされていた。

 Cagotsの手に触れる物は全て腐敗すると考えられていた。Cagotsが素足で道を歩くとペストが流行するとされていた。Cagotsは性病の媒介者であり、ハンセン病の媒介者であり、或いはある種の遺伝病の保有者だと思われていた。

 この物語の主人公の息子が罹っている、今日でいうクレチン症―先天性あるいは幼少期に発病した甲状腺機能低下症―今日の医学では、早期に発見すれば治療可能な病気である―もまた、Cagotsと結び付けられていて考えられていた。

この時代、人々の衛生状態も栄養状態も良くなく、人々は病を恐れていた。病を絶つのには、その根源を絶つことが絶対善だと思われていた。ゆえに人々は、Cagotsへの差別を、理不尽だとか差別だとは思いもせず、当然のことだとしていた。


 Cagotsという被差別民の存在は、フランス西部とスペイン北部に、11世紀頃から見られた。Cagotsの居住地は、ピレネー山脈を中心に、この物語の舞台のブルターニュ半島までに及ぶ。

 現在、Cagots差別の起源として有力視されているのは、ピレネー地方のサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路との関係である。

この巡礼路は、キリスト教初期の聖人の遺骸があるとされている。カトリックにおける三大巡礼路の1つ―あとの2つはローマおよびエルサレムである―であり、カトリック信者において、いかに重要な巡礼路だったかが理解できるであろう。

 巡礼者の中には不治の病の者や障がい者もいた。村落共同体から白眼視される皮膚病患者、生まれつきの障がい者、何だかの遺伝病などの患者達が、病気の因果関係不明の時代において、奇跡を求め、旅を続けた。

 そして写真も画像もない時代、人々は医者も含め、病気に関して全く無知であった。時として疥癬とハンセン病の区別すらつかなかった。


 一方、Cagotsの祖先について、石工職人あるいは木工職人ではないかという説もある。巡礼が盛んになった11世紀、巡礼地では教会や宿泊のための施設の建設が多くあった。石が多いこの地域では、建設に携わるのは主として石工職人であり、木工職人も建設や椅子などの家具作りに関わる。石工職人も木工職人も村には定住せず、土地から土地へと移住して工事に携わった。

 ―あるとき、巡礼者の中に何だかの感染病の媒介者がいた。あるいは巡礼者や流れ者の石工職人や木工職人が村を出入りしたときに、何だかの理由で先天性障害が多発した。

 そのために、石工職人や木工職人の一部が、病因を撒き散らしたとされ、差別が始まった―その可能性は充分あり得る。

 全ての石工職人や木工職人が差別の対象となったのではない。おそらく当時数多くあった木工職人や石工職人のギルドの中で内紛があり、その中で没落したギルドのが、後のCagotsとなったのだと思われている。

 Cagotsの中には激しい迫害に耐えかねて、ピレネーの巡礼路の地域から離れた者もいる。主としてブルターニュ半島に暮らすCagotsが、それに当たる。ブルターニュ半島はカトリックの信仰が深く、有名な巡礼路もあった。

だが、その地においても差別から逃れることはできなかった。

 Cagotsへの差別の廃止、とくに法律上および信仰上の差別の廃止は、1789年のフランス革命まで待たねばならなかった。


 Cagotsへの差別を助長したのはカトリック教会であった。神の愛を説くキリスト教教会が、積極的に差別に参加した。

 まず、Cagotsは教会の正門を利用できなかった。かつてCagotsが暮らしていた地区の教会が古い建物のまま残っていた場合、その差別の痕跡を今でも見ることができる。Cagotsは教会正門脇の小さな門を、身を屈めてくぐらなければならなかった。教会内においても、外からの風が当たる悪い席に座ることを強制されていた。

 カトリックにおいては「聖餐」と呼ばれる儀式がある。すなわちホスチアと呼ばれる、酵母を使っていない丸い小さなパンをキリストの肉に、赤いぶどう酒をキリストの血に見立てて食べる儀式がある。その際にも、Cagotsのパンとぶどう酒は一般の村人達と違う容器に入れられていた。Cagotsと、同じ食器を使うとCagotsから病気が移ると固く信じられていたからだ。

 Cagotsはカトリックの7つの秘跡のうち、いくつかは参加することが許されていなかった。中でも特に深刻なのは「結婚」と「病者の塗油」であった。結婚はCagots同士としかできないが、その結婚式に司祭は立ち会わない。代わりに村人達が現れ、下品で卑猥な言葉をかけてCagots達をからかう。病気になり死が近づいても、司祭はCagotsに対してはその身体に触れてオリーブ油を塗ることはしなかった。

 Cagotsは職人であったが、都市に住むことを厳禁されていた。Cagotsの住処は領主の治める農村であり、Cagotsは村外れの「カゴテリ」と呼ばれる場所で生活させられていた。人々は領主も含めて、水や食べ物からCagotsの病気が移ると信じていた。そのため、村の水場はCagotsは別の場所を使わされていた。

 Cagotsは耕作地を持つことができない。運よく理解のある領主に土地を与えられていても、Cagotsが手を触れた穀類は粉ひき小屋を利用できない。ただしCagots自身は石工なので、円柱形の石があれば、自分達で石臼を作って製粉していたが。Cagotsは村の共有のパン窯の使用、この村なら蕎麦粉のガレットを焼くための共同炊事場を使うことも許されていない。 

 領主の許可の下、村をあげての野生の蔬菜類や香草に漿果類、あるいは木の実や茸集めにも、Cagotsは排除された。Cagotsは川や沼の魚釣りもできない。

 経済的にも差別され、Cagotsは乳を出す家畜や卵を産む家禽、そして毛がとれる羊を飼うことができない。唯一、所有が許されていた家畜は豚だが、これを飼うことは現実的ではなかった。Cagotsは、木工製品や牛馬を牽く手綱と交換で、パンやガレット、乳製品などを手に入れた。その様子は乞食めいていてみじめに見えた。

 都市に住むことを許されないCagotsは、農村で石工や木工の仕事に携わった。石や材木は「死んだもの」であり、それらを媒介にして病気が移ることはないとされていた。農民達はCagotsが建てた家に住み、Cagotsが建てた教会へ通った。

 しかし田舎にさして建築の需要はない。そのためCagotsは村でできるあらゆる仕事をした。食事のための木製の食器作り。長持や椅子やテーブルなどの家具作り。綱作り。糸紡ぎに機織り。ヤナギの枝での籠作りなど。Cagotsはときに領主や教会の命で、巧みな腕でロマネスク風の家具も作った。

 それでも木靴作りは、自分達で使うものしか作ることを許されなかった―なぜなら靴を作るときに使う人の足に触れてはいけないから。同様の理由で仕立て人や髭剃りや床屋にもなれなかった。

 また、同じ木工でも大掛かりな設備と多人数の職人を必要とする、樽職人や船大工にはなれなかった。

 村での生活はいつも貧しく、Cagotsの身分を示す赤茶色の衣装をいつも身に着け、アヒルの足の紋章を貼って、村人の蔑視と恐れの視線を浴びながら、あわれな生活をしていた。

 少年が連れて来られた家も、そういう家庭であった。


 Cagotsの住処についた少年は、実母から与えられた黒地に白の刺繍が入ったこの土地の農民の衣装を身に着けていて、それが赤茶色一辺倒のCagotsの中でひときわ目立った。

少年に付き添っていた司祭は、簡単に挨拶をすると身を翻して消えて行った。

 連れて来られた子どもは、明らかに自分達Cagotsの子達とは違う容貌をしていた。知恵が回らない子だとは予め聞いていたが、子どもは無表情で、実母と別れたことを悲しんでいるのかすら分からなかった。まだ幼く、Cagotsの身分の意味を理解していない様子に、Cagotsの親方夫婦は安心を覚えた。

 無表情だった子どもは、挨拶もせず、屋敷を取り囲むように植えてある木々を見つめていたが、突然に樹木の1本を指さし

「ハシバミ!」

 と叫んだ。少年は続けて歩きながら

「クリ! ブナ! リンゴ! スモモ! アンズ! ……クルミ!」

 と言った。

「偉いなあ。実も葉もない木なのに、木の種類が分かるのか」

 Cagotsの親方は感心して言った。案外、この子は自分の興味を持ったことなら、早く覚えるかもしれないと親方は思うのである。

「さあ、中に入れ。一緒にスープを飲もう」

 そう言う親方の声は震えていた。


 子どもは旅で疲れたのか、スープを一緒に飲み終えると、うたた寝を始めた。親方の妻は子どもを長持を兼ねた寝台の上に寝かせた。

「大丈夫かね。この子は働けるんだろうか」

 キリスト教においては、家族とは神が定めた神聖なものであり、養子に出すことは全く禁止されていた。ゆえに、子育てが苦しくなった家庭では子どもは親と一緒に飢えて死ぬか、教会の前に捨て子にされるか、どこかの親方の元で働かせるかの選択しかなかった。

 Cagotsの親方の所には、そういう皮膚病や心身に不自由を持った貧しい子どもが、今回と同様の嫌疑をかけられ働き手として、連れて来られることがある

「まあ、縄作りぐらいはできるだろう」

 親方も心配しながらそう言う。以前に家事使用人の名目で引き受けた異貌の女の子は、3年もせずに病気でなくなった。親方は今のこの子どもには長生きをしてほしい、生きて妻を貰い子をもうけてほしいと思う。それはこの子の幸福を願う気持ちなのか、Cagots仲間に新しい血を入れたいという意志なのか、親方自身にも分からなかった。

「最初は馬車道の掃除でもさせろよ。この子は身体も知恵も弱いらしいから」

 親方は妻にそう言った。馬車道に落ちている馬糞はCagotsが優先的に拾って家庭菜園の肥料として使えるというのが、この村の決まりだった。冬場には農耕馬は道を通らないが、領主が他の村の領主達を招待し、村の森や草原で狩猟をする。そのための馬糞が少しはあった。

「1月6日の公現祭には、この子のお披露目を近所の仲間達にできるわね……。あぁ、食べ物は充分あるかしら。赤い服も作らなければならないし」

 親方の妻が言う。木工細工や帆布織り、あるいは船用の綱作りなどで年中何とか現金収入はあるが、暮らしは決して豊かではない。 

隣近所には血縁関係のない、同じCagotsが住んでいて、作業も食事も一緒に行なう。差別されている者同士の結束は強いが、時として鬱憤晴らしのための暴力沙汰も多い。

 親方自身はCagotsへの村人や教会から与えられた禁忌を単なる迷信と捉え、自身は正直者として生きたいのだが、Cagotsの仲間の中には理不尽な扱いに耐えかねて自暴自棄になって魂が病んだ者も大勢いる。

 身体も知恵も弱いこの子どもが、Cagotsの仲間に入れてもらえるのか、夫婦共に不安であった。


 春になった。

 引き受けた子どもは冬の間は案じていた大病もCagots同士の人間関係の苦労もなく、少しずつではあるが日に日にCagotsの生活に馴染んでいった。子どもは他のCagotsの働き手と一緒に、石造りで屋根の低い、小さな木窓がいくつかある作業場で何とか働いた。作業場はよく叩き込まれた土間で、大麻で編んだ敷き物が敷いてある。窓からは冬の日ざしが作業場の奥まで差し込んで来た。作業場の暖炉には、蕎麦を練って布で包んだものが入った野菜の煮込みの鍋がかかっていて、糸撚りやの綱作りの仕事をする女達が、食事の支度の時間を節約していた。

 時折子どもは実母が恋しいのか、働く女達の膝に近づくことがあった。その度に、女達は必ず子どもを追い払った。作業小屋ではこの子どもより幼い子すら、糸撚りや縄ないの仕事をやっていたのだ。

 この子どもに与えられた仕事は主に掃除と縄や綱作りである。子どもは働く先輩達の手元を真剣に見つめ、まるで魔法のように掌からできあがる縄に驚いていた。子どもはやがて縄をなうために手を擦り合わせる動作を覚えた。手足も指も短く、疲れやすい子どもであるが、懸命に縄をなおうとしていた。別の作業場では男達が鋭い刃物で木工の仕事をしている。

 子どもが一番得意な仕事は肥料作りで、これは一度教えると馬糞や麻の滓、枯葉、かまどの灰などとを手際よく混ぜて肥料にした。元々農家の子どもだったから当たり前のことだろうが、Cagotsの一家にとってはありがたいことだった。庭には野菜もあるが、自分達の赤茶色の衣装の染料であるセイヨウアカネも植わっていた。

 独特の赤茶の服を、子どもは生まれてからずっと着ていたように着こなした。教会で農民とは別の入り口から入ることも、そもそも教会に黒い衣装を着て行かないことも、子どもは何の疑念や不満を抱くことなく受け入れた。子どもは一冬の間に自分の立場を自分なりに理解して来たようだった。

 だが馬車道で馬糞を拾うとき、村の少年達に罵声を浴びせられ、石すら投げつけられる意味を分かっているのか、親方夫婦はこの子どもに問うのが怖くて黙っていたままだった

「おい、外にいくぞ。アヒルの足の印を貼りつけて、木靴を履いて行くんだ」

 主人は言った。その日は、Cagots全員で村のセイヨウシナノキの伐採に出かける日であった。

 Cagots住居であるカゴテリを離れると、子どもは道に生えている雑草に目をやっていた。今にも草を刈って通りすがりの山羊や牛に与えそうだ。

「こら! 外では絶対に草などを採ってはいかんぞ。そんなことをすれば鞭で打ってやる。絶対に、絶対に、草などに触れるな!」

 親方は厳しく言った。


 外はすっかり春らしくなっていた。ピンクや黄色の野の花が咲き、ミツバチが忙しそうに飛んでいる。リンゴやモモの花も美しい。

 黒い衣装を着けた農民達が大勢働いている。農民達が草木染をするとすれば、黒が一番手っ取り早く汚れも目立たない色であった。人々は刺繍でお洒落をし、かつ布地を補強していた

 ボカージュと呼ばれる農地、有用樹の生垣に囲まれた細長い農地を、農民達は領主が保有する馬や自分の馬を使って耕し、種を蒔いていた。蕎麦に大麻に亜麻、そして飼料用のネズミ麦などを、いわゆる三圃制農業で耕作する。牛やら豚やらが休耕地で草を食んでいる。農民達は各々の農地を有していたが、耕作や播種は決められた日に、一斉に行なう。農民達は勝手に播種や耕作をしてはならない。

 例の子どもは黒い衣装の農民の中に実母がいないか、探しているようだった。

 Cagotsの親方は思った。いつか子どもは村人達の蔑視と嫌悪の眼差しの意味を知恵遅れなりに理解するであろう。そのとき、この子どもの魂にどんな暗い影響を与えるのかと思うと、恐ろしくもあった。それでも農民との身分的な違いはしっかりと教え込むのがこの子どものためだと、Cagotsの親方は考え直す。

「おい、お前。絶対に農民の農地には入るなよ。それから泉の水や川や沼の水にも触ってはいけない。川や沼には足を入れてもいけない。野の草にも触ってはならない。―今日は何もしなくていい。俺達のすることをじっと見ていろ。手を後ろに回せ」

子どもは真剣な目つきで主人の言葉に従った。


 Cagotsの男達は慎重にセイヨウシナノキを選んで伐採した。領主の許可が出ているとはいえ、セイヨウシナノキの伐採はCagotsだけに許されたものだった。Cagotsはセイヨウシナノキの樹皮から優れた縄を作る。セイヨウシナノキからは、通常の麻以上に上質な綱が作れるのだ。

男達はなおも慎重にセイヨウシナノキに斧を当てる。それが他の種類のシナノキではないか、伐採し終えたときに農地にシナノキが農地に倒れ込まないかを考えながら。

 シナノキが音を立てて倒れる。Cagotsの赤い衣装を着た幼い少年達は手に持った山刀で枝を払う。シナノキの枝は薪として用いられる。

 男達は倒れたシナノキを適度な大きさに切っていく。だいたい自分の背丈ぐらいの長さを目安に切っていった。

 幼い少年達は枝の束を、男達は切ったシナノキを荷車へと運ぶ。

 親方は小袋から秋に集めたセイヨウシナノキの種を畑の周りに蒔いた。

 セイヨウシナノキは、フユボダイジュとナツボダイジュの自然交雑種である。この自然交雑種でないと良質な綱は作れない。

 種を蒔いても交雑種なので、4つ蒔いた種のうちセイヨウシナノキに成長するのは2本だけで残りはナツボダイジュかフユボダイジュとなる。そして2種のボダイジュから自然交雑したセイヨウシナノキがやがて生えて来る。

 Cagotsの親方は遺伝について知識は全くないが、このようなシナノキの成育を見て、神と人間の関係を連想した。人間は、神に従いつつ神から離れ、再び神に従う。

 教会から理不尽な差別を受けているCagotsの身ではあるが、この厳しい自然の下では、神と司祭を心頼みにする以外は生きていけないと、Cagotsの親方は思うのである。

 男達も少年達も女達も荷車を押す。女達は水辺でヤナギの枝を採取した。ヤナギの枝も女達の手により籠に編まれ、村の農民の作る有塩バターや卵と交換されるのだ。

 件の新入りの子どもは、親方に言われたことを守って、手を後ろに組んだまま、車のあとを追って行く。

 Cagots達は自分等が暮らすカゴテリに着いた。ここから先は、さまざまな禁忌の決め事から自由になり、食べられる野草の新芽を摘んでもいいし、水も遠慮なく使える。

 Cagots達は、荷車から切り出したシナノキを降ろすとその場でシナノキの樹皮を剥がし始めた。灰色の外皮を剥がすと白い内皮が出て来る。シナノキの内皮は柔らかい。この柔らかい内皮が頑丈かつしなやかな上質の綱となる。女達や少年達は、内皮を剥がして束ねている。白くて艶のある芯材も、楽器や木彫の材料として重宝されている。

別の女達は大きな岩を刳り抜いて作った鍋に水を入れ、火を焚きつける。程よい温度になればシナノキの内皮の束を入れる。

煮上がったシナノキの内皮が冷めると、今度は地面に打ち立てた栗の木の細い柱で内皮をしごく。しごいて内皮の不純物を取り除く。そして細かく裂いて干す。

シナノキの綱作りの手順は大麻のそれとほぼ同じなのだが、大麻よりも大きいがゆえに動作も大仰なものとなる。シナノキの材木は、剥いでも剥いでもまだ山のように、たくさんある。

「よく見ているんだな、お前」

 Cagotsの親方は例の子どもに話しかけた。子どもの手は無意識のうちか、縄をなうように両手を合わせて擦っている。

「明日からシナノキの綱作りだ。お前も手伝え」

 子どもは微かな笑みを浮かべて肯く。身体の弱い子で、2~3日働けば寝込んでしまうのだが、このCagotsの世界で生き抜くには働くしか方法はなかった。子どもはこの冬の間に、村内で使う、農作物を束ねる荷作り縄を、何とか作れるようになっていた。

「シナノキの綱は綱の王様だ。遠くの帆船の船乗りが欲しがるんだ」

Cagotsの親方はそう言う。命綱という言葉があるように、綱の良し悪しは人命に関わる。だから一見、単純な作業に見える綱作りにも気は抜けないとCagotsの親方も、他のCagots達も考えている。

 太陽が沈み始めた。子どもは、それが自分の仕事のように箒を持って作業庭を掃いた。

 一日の勤労を祝福するように西日がCagots達を照らす。長い影が地面に伸びる。

 彼ら彼女らCagots達は惨めな被差別民ではあるが、自然を巧みに知る、生産者でもあった。


 夜、暗くなると灯りもなく、一家は早く眠る。Cagotsの主婦は、引き受けた子どもに対し、既に母親めいた感情を持っていた。

(この子がもし私達より先に死ぬようなことがあれば、死ぬ前の塗油は私達がやってあげましょう、少しでも臨終が楽になるように。オリーブ油はないけど、大麻油と亜麻仁油なら私達にもあるのだから。ああ、この子の病気を癒して健康にしてくれる油はないのかしら……)

 いつも舌を出している子どもは、不思議な寝息を立てていた。


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