ブルターニュのCagotsの母

高秀恵子

第1話

 ヨーロッパが中世から近世へと歩みを進める16世紀前半の、ユーラシア半島西端にあるブルターニュ半島の草深い農村での、ごくごく小さなできごとである。


 クリスマスの後の最初の日曜日、一対の母子が村の教会へと向かい歩いて行った。

 空は晴れていて、黒い麻の衣装を厚着した母親は手まで汗ばんでいた。一方、黒く染めた仔牛の毛皮のマントを羽織った男の子は、いつもそうだが、さして汗をかいていない。 

春に夫を亡くして以来、母親は残された男児を必死で育てて来た。その息子というのは、7才にもなるのに役立たず、性格は鈍重で口数が少なく、身体も弱く不活発であまり働かない。

 何よりも子どもの容貌が村人の目を引き、母親の気持ちを挫けさせていた。その子は背が低く、手足が短い。ついでにその指まで短く不器用である。顔は目の周りが腫れぼったく、口は大きく舌がいつも唇から出ている。

 それでも母親は母親なりに我が子を愛しているつもりでいた。今日も冷え症な体質の我が子のことを思い、麻ではあるが足の趾先から腰までを覆う脚衣を木靴の下に履かせている。羊毛や、最近入って来た綿など彼女の手にはとても届かないが、手織の麻を何度も砧で打って生地を二重にしたそれは、彼女なりに精一杯の心尽くしであった。

 村の女達の中には彼女の異貌で鈍い子どものことを

「まあ! お気の毒に。あんたの本当のかわいい子どもは赤ちゃんのときに小鬼にさらわれて、醜い小鬼の子とすり替えられたのよ! 聖母様におすがりして、早く本当の子どもを取り返してもらいなさいな」

 という者もいたが、彼女は放っておいた。

 彼女はその子を自分の子どもだと疑ったことはなかったし、村の教会の司祭も小鬼のことなど聖書には記されていない、昔の異教徒迷信だと言っている。

「ねえ、教会ではホスチアのお菓子が食べられるわ。ぶどう酒もあるの。覚えているでしょ?」

 母親は歩みの遅すぎる自分の子どもの脚を急かすためそう言った。

息子はニヤリと笑った。そしてやや速足となる。ホスチアとぶどう酒が楽しみなのだろう。

 この土地の痩せた土では小麦は育たない。ぶどうは栽培できず普段はリンゴ酒だ。週に一度の教会の聖体拝領の小さな白い種無しパンのホスチアと僅かなぶどう酒はごちそうであり、母親にとっても教会に税を納めた甲斐があったと思える時間でもあった。

 赤茶色の衣装を着たCagotsの一家が、シナノキの生垣沿いの道を歩いている。教会へ行くときすら、目立つ赤い衣装を着てアヒルの脚の紋章を付けているのが、彼ら彼女らの特徴である。母親は賤しく穢れた者を見る目で、彼ら彼女らを一瞬見つめ、すぐに目を逸らした。この母親にとってCagotsの一家など、自分達とは無関係の「他者」に過ぎない。

 教会へと向かう道に、彼女親子と同じような衣装を着た親子連れが増えてきた。黒の衣装には白の刺繍が入っている。村は集村で、家々はどれも石造りの壁に藁屋根を乗せ、菜園とリンゴの木々を備え、寄せ合うように立っている。教会は間近だ。

 北西から吹く風が、かすかに海の匂いを帯びているように彼女には思えた。しかし海は遠い。彼女はもちろん海を見たことがない。土地は平坦で低い丘しかないのが、この広い半島の特徴である。

 遠景には木々に囲まれた農地が見える。亜麻や大麻そして蕎麦など、この地方の産物の作物は冬の今は刈り入れられ、痩せがちな農地が、種類豊富な樹木の生垣越しに覗き見えていた。

《この世の終わり、神の国が到来するまでに、最悪の地から最良の小麦が獲れるであろう》と、俗謡は歌う。かつてのライ麦に替わり蕎麦の栽培が盛んになり、日常は年に2回収穫できる蕎麦で腹を満たせるようになった。その上蕎麦には税がかからない。今ではネズミ麦も栽培され、牛達の冬のよい飼料となっている。しかし小麦の栽培にはほど遠い。

 《神の御国》の到来の時代は、まだまだずっと先のことだと彼女は感じていた。


 聖体拝領と、村の主任司祭の話が終わった。司祭は御国のことや地獄のことの他に、地上のことーつまり時事問題―を分かりやすく話してくれるのだ。日曜礼拝が終われば村の信徒達は正門から、Cagots達はその横にある専用の出入り口から出て行った。皆、自宅で日曜日の正餐を食べるのだろう。

彼女は、礼拝の始まる前に主任司祭から耳打ちされて、教会に残っていた。

 彼女は村の領主のことをよく知らない。ましてや自分達がどの国に属しているのか分からない。女公様の公国だったこの半島の国が、フランス王国とやらという国に併合されたらしいことは耳にしていたが、彼女にとって世界とは、この小教区の村であった。彼女は10年前にこの村に嫁いで来た。

 今ではこの村は、夫と結ばれ子ども達を産み育て、毎日の労働を行なう土地なので、彼女の生家よりも身近であり、村のどこに野生の木の実や茸があるのか、身近に見知っている場所だった。そしてこの半島に蕎麦をもたらしたという女公は、彼女や村人にとって聖母のような信仰めいた尊敬を集めていた。

 それでも多くの村人がそうであるように、最も身近な指導者は、この村を教区とする主任司祭である。

 彼女は緊張しながら主任司祭を待った。子どもの面倒は助任が見ているという。

 まもなく主任司祭は独りで現れた。手には何か飲み物が入った、木製の器を持っている。

「さあ、難しい話ではないから、お気を気楽に持ちなさい」

 と、主任司祭が言う。しかしわざわざ彼女独り呼び出してする話が、気楽な話題であるはずがないと思い、彼女はますます緊張する。

 主任司祭は飲み物を勧めた。暖かい、レ・リボと呼ばれる乳飲料である。彼女は少しだけ口にする。甘酸っぱさと塩味の混じった、乳の匂いがする飲み物に、それでも彼女の緊張はほぐれるはずはなかった。一方彼女は、働き手の多い家には冬場も飼料が豊かにあるので、こういう飲み物にも不自由をしないのだろうと思いながら、久しぶりのレ・リポを味わった。

「ご婦人、あなたは亡くなった夫とは結婚して10年になりますね」

 司祭がそう問う。主任司祭はこの半島の言葉であるブルトン語はさして上手く話せない。しかし教区の信徒のために出来るだけ、方言で話そうと司祭はしているのを、彼女は知っている。

「はい。司祭様。14歳で結婚して5人の子どもが生まれました」

 5人の子どものうち、4人は早死にした。今では病気がちで頼りなげな男の子だけが残っている。

「そして夫は亡くなられた」

「はい。そうです」

「でもね……こんなことを話すとあなたは驚かれるでしょうが、その夫とのご結婚は無効です。あなたは夫の前にCagotsの男を知りました。今、あなたに残された子どもは、Cagotsの血を引いた子どもです」

「なん……ですって!」

 母親は驚くしかなかった。

「それはあり得ません、司祭様。私は夫の前に男の人を知りませんでした。それに夫との結婚は私の両親も夫の両親も公認したものです。私達の結婚に、村人の誰も反対しませんでした。そして式を挙げ、結婚という秘跡を受けました。それでいて、結婚が無効だとは?」

「しかし、事実が示しています。あなたの子ども達は4人とも早くに死にました。そして夫すら亡くなりましたね。それは神がこの結婚を認めなかったためでしょう。……あなたは、あなたが知らない間に婚前にCagotsの男と関係を結び、Cagotsの男の精液が体内に残っていた。今、あなたに残された子どもは、穢らわしい、劣った血を引くCagotsの子どもです。それは顔立ちを見ても分かるでしょう?」

 母親は主任司祭の言葉に動転した。

 結婚をする前に、村人達の間に公示して、その結婚に異議を立てる者がいないか審査する。結婚に異議を唱える者がいれば当人同士あるいは両親が公認していても結婚は成立しない。

「そんな……私には身に覚えがないのに……私が夫と村の方々を騙したとお考えですか?」

 彼女の脳裏に、毎日見ている我が子の姿が浮かんだ。確かに夫には似ていない。腫れぼった目と大きな舌。そして鈍重さ―

 彼女はおとぎ話にある、自分の子どもが醜い小鬼の子とすり替えられた物語を思い出した。     

 かわいい赤ん坊の我が子が、母親が水汲みに行っている間に小鬼にさらわれ、代わりにヒキガエルのように醜く赤い子が残された。その我が子ならぬ子は、一言も口が利けずやたら引っ掻いたり噛みついたりし、7年間も乳を吸い続ける。

 物語では聖母が現れ、我が子を取り戻す方法を教えられ、我が子は無事に帰って来る。しかし現実は、醜い我が子は、自身が知らない間に身体を交わしたCagotsの子どもだった。

 彼女は激しく泣いた。泣いているうちに呼吸が乱れた。

「ご婦人。Cagotsは道徳的に乱れた連中です。私達は真剣に聖別をしなければなりません。ですから教会の入り口は、我々とCagotsは別々です。聖体拝領のパンもぶどう酒も違う容器の物を使わせます。しかしCagotsは邪悪な性質を悔い改めません。風俗も乱れています。……彼らの結婚では私達の秘跡は受けさせません。司祭の立ち合いのない場所で勝手に結婚をします。そしてCagotsは姓を持ちません。その結婚生活の内情はおそらく醜いものでしょう。そんな彼らだから、まだ乙女だったあなたを襲い、情欲のなせるままにあなたと交わり、あなたのその恐ろしい記憶を消すことなど、全く訳ないことなのです。その上結婚して夫と交わったあなたの子宮の中に過去の精液を残し、結婚後に身籠らせることすらできるのです。一旦、子宮に入った精液は何年も残ることがあります。ゆえに我々は婚前交渉を認めないのです。あの子どもはあなたの子どもではありません。子宮は畑における土のようなもの。精液が種子です。分かりましたか?」

 彼女は司祭の言葉に全身が冷えて震えた。袖は涙で濡れきっていた。司祭は言葉を続けた。

「それに、あの子どもは出臍ですね。Cagotsは、受難日の聖金曜日には臍から血を出します。あの子にそういうことが起こる前に、あの子の本来所属すべきCagotsの所へ身をやるべきです」

 母親は気が遠くなった。

「では、私達親子はどうなるのです? 私はCagotsと結婚しなければならないのですか?」

 司祭は首を横に振った。

「普通の民とCagotsは絶対に結婚できません、絶対に。確かあの子は7才ですね。職人の子どもなら、親元を離れて別の主人の元へ奉公に出される年齢です。私が他の教区の司祭と相談をして責任を持って、あの子どもの行く先の面倒をみます。そして、あなたは―」

 母親は涙をしっかり拭いて司祭の顔を見た。

「あなたは自分の罪を懺悔して、女子修道院で祈りと労働の、清らかな日々を送ってもらうことになります」

 母親は泣き止み、何かを考え続けているようだった。

「私はあの子どもに会えますか?」

 司教は母親の質問を受けて答えた。

「まだ、あなたは日曜日の正餐は食べていませんね。今から一緒に帰ってお昼ご飯だけは最後に共に摂らせてあげます。そして夕日が沈めばあの子を迎えに私があなたの家を訪れます。それまで歪んだ考えを……件の子どもを殺して自分も死のうなどと考えないことです。そうでなければあなたも子どもも、神の御国が到来したとき、永遠の地獄に落とされますよ」

 母親は涙と震えを押さえて質問をした。

「あの子は……天国へ……御国へ行く資格がありますでしょうか?」

 司祭は答えた。

「毎週日曜日に礼拝をすれば、神の御国へ入れるかもしれません」

 母親は泣きながら助任に付き添われ、例のこどもと一緒に石造りの教会を出て行く。

 司祭は思った。今、話したことは彼の夢で聖霊のお告げとして知らされたものであった。だからその判断に過ちはないはずだと。

もしあの未亡人が、連れ子のある男やもめと結婚したなら、例の子どもは冷遇されるだろう。あの子を懐いている母親の元から離すのも、キリスト教徒でありながら信者一般と違いのある待遇となるCagotsへ引き渡すのも、辛いことだろう。が、どちらにせよあの子には明るい未来がない。これも神様が決めた道、自分もCagotsの中で良い親方一家を選んで弟子にするのが神の意に従うことだと、自分の心に語った。

 

 母親は、子どもと共に家へ帰った。

 夫の死後、耕作地を3分の2に減らされ、夫の死去税を払い、村人の助力はあったとは言え、女手一つでの農業生活には苦しいものがあった。毎日を大麻や亜麻や蕎麦の畑で過ごし、あるいはたった1頭の雌牛を世話し、バターやチーズを作り、冬には大麻や亜麻の糸を撚り続けた。この地方の特産の有塩発酵バターや発酵乳から作ったチーズは、多くを税として払い、あるいは売り出し、自家で取り分は少ない。

 そのため彼女と子どもの普段の食事は、食べられる野草や、漿果、木の実、そして茸類など自然のものが重要となる。 

冬には野ヂシャや野生の根セロリが得られるのがありがたい。庭には品種改良が最近とみに盛んになった、様々な野菜類も年中栽培されている。夏は気温が上がらず春秋は雨の多い気候だが、冬はさして寒くなく雪も降らないのが幸いだと彼女も思っていた。

 彼女は昨日の土曜日に作り置きをした、日曜の正餐用の煮物を温めた。それには野菜と一緒に蕎麦粉を水で溶いて袋に入れたものが入っている。今ではこのブルターニュ半島名物として知られる、キッカ・ファルスという煮込み料理である。

 牝牛のための飼料が冬場は少ない。飼料用のネズミ麦は税として、あるいは畠仕事の手間賃として持っていかれた。牝牛は翌春に向けて身籠っている。冬場は飼料の不足と牝牛自身の妊娠のため、牛は乳を出さなくなった。以前は、蕎麦殻やチーズを作るときに残る乳漿で、鶏や豚すら育てていたが、今はそんな家畜はいない。

クリスマスには仔牛を屠殺し塩漬けにした。もちろん塩漬け仔牛の美味しい部分は手元に残らない。冬は有塩バター代わりに大麻油と塩漬け内臓で煮込み料理の味付けをする。

 いつもは鈍いくらいおとなしい子どもだが、お腹が空いているためか、機嫌が悪くぐじゃぐじゃと泣き始めた。

「もう少ししたら昼ご飯はできますよ」

 母親はつとめて穏やかに言う。

 煮上がった蕎麦粉の袋を出して木の皿に乗せる。野菜と内臓の煮物は別の木の鉢に入れ、スプーンを添える。母親は子どもの食べる分だけを盛り付け、自分は一緒に食べないことにした。

 子どもは食前の祈りもそこそこに、不器用な手つきで食べ始めた。

 母親は、我が子との別れを何と話そうかと悩んでいた。もう、今日の夕方には子どもと永遠の別れをしないといけない。一方、主任司祭の話は正しいと思っていた。夫の死以来、彼女の頭の中にはいつも再婚話がよぎっていた。もし再婚したならば、この醜いかわいそうな子どもは、新しい夫からどんな扱いをうけただろう。

「ねえ、リンゴ酒も入れてあげようか」

 母親は優しく声をかけ、木製の把手が付いた器にリンゴ酒を注いだ。リンゴは、生食に向かないのでリンゴ酒にする。

もし今日の昼飯が我が子との別れだと事前に分かっていたのなら、もっとご馳走を張りこむことができたのにと母親は後悔していた。せめて蕎麦粉のガレットに鶏卵を包んだものを食べさせたい。しかし叶う願いではなかった。一方では不潔なCagotsの子どもだから、自分は今は一緒に食事を摂りたくない。使った食器は後で焼いて捨てようという気持ちもわいている。

「あんた、今、何才なの?」

 母親は子どもに尋ねた。子どもは質問の意味と答えが分かったらしく

「7」

 と答えた。

「もう7つね。あなたは今夜から新しい親方の所で奉公をするのよ。もう母さんとは会えないわ」

「……」

 子どもは黙っている。その胸の内は母親である彼女も知ることができない。子どもの目に涙が溜まり、やがて泣き声が加わった。

「泣くのはおよしなさい」

 母親はつとめて優しく言った。

「あんたのお父さんは死んだでしょ? だから、もう会えないの。そしてあんたは7才になったから、他所で働かないといけないわ。これは司教様とそして、神様が決めたことです。神様の御心に従うのが人でしょ?

 母親は、そう語りながら声が涙ぐんで来た。

「今夜、村の主任司祭様があんたを迎えに来ます。そして新しい親方の元へ連れて行きます。親方様の言うことなら、何でも聞いて我慢をしなさい。正しい道を歩いていれば、神様が救って下さるはずです」

 子どもは突っ伏して泣き出した。

「あんたの着替えを用意するわ。日が沈めば月曜日となり、司祭様が迎えに来ます。さあ、あなたは神を信じて真実に生きなさい」

 Cagotsになれば、目立つ赤茶色の服しか着用は認められない。しかし新しい服が揃うまでは、これまでの衣服が必要だろう。この子を暖かく守りたい。母親は、狭い家の中の長持やら衣装掛けやらを掻き出した。日の入りまで時間は短い。


 夜になった。彼女は独り、硬い寝台の上で寝返りを打った。眠れない。涙が止まらない。

 女子修道院に入れば、彼女は隣村に暮らす自分の生母や兄一家とも、一生会えなくなる。血縁よりも地縁を重視する村の生活だが、やはり生母は何歳になっても恋しいものだ。村の主任司祭の勧めとは言え、我が子を奉公に出し、自分は女子修道院に入ることを、兄や年老いた生母はどう思うだろう。

 幸い、Cagotsの件は、主任司祭と彼女だけの秘密にするということなので、彼女は自分の生母に余計な心配をかける必要がないことに喜んでいた。

 修道女となれば生母にも兄にも、彼女が名付け親となった姪にも絶対に会えない。どんな生活を送っているのか、生死すら知らずにこれから生きていくのかと思うと、我が子と別れたのとは違う悲しみと苦しみが襲って来る。

(あの子はもう寝たのだろか)

 彼女は主任司祭に連れられ消えた我が子のことを、また思い出してしまった。

 風が木の窓を打つ。子どもは今夜は主任司祭のいる教会で眠っているはずだ。彼女は子どもがどの村のCagotsと同居するのかを全く知らされていない。彼女は母親として我が子に会う権利もなく、俗世間と縁を切って修道女になるのだから。

 深い悲しみの中にもゆるい眠気が訪れてきた。彼女はやがて夢の世界に落ちた。


 夢の中では現実の苦しみとは全く別に、週末の夜の踊りの輪の中にいた。ブルターニュの踊り、フェスト・ノズである。老若男女問わず手をつなぎ合い輪になって踊る。右へ左へ前へ後ろへ。定まったステップに従い踊る。踊り手の人数が増えると輪は渦状になる。春から夏の夜の楽しい社交の踊りであった。踊りが大きくなると隣の村まで踊りにいく。巧みな笛吹きが木製の笛を吹いて踊りの伴奏をする。

 夢の中で、彼女は自分の握っている隣の人の手が、亡き夫のものになっているのに気付いた。彼女は13歳、夫となる若者は17歳だった。彼女は自分の頬が乙女らしく紅潮しているのを感じた。

 季節は移ってクリスマスとなった。彼女はヤドリギの下で恋人から口づけを受けていた。

 双方の両親にも許され、自分は純潔なままでいる。おそらく村人の中にこの結婚に異議を唱える者はいないだろう。彼女はその時、誰に対しても後ろめたいものはなかった。

 重ねた唇が変わっていく。今日別れたばかりの我が子の唇だった。

 夢の中なのか現実なのか、彼女は思う。

 Cagotsの血を引く子どもと口づけをした。その唇で、夫や他の我が子とも接吻をした。

 ―だから夫も他の子ども達も亡くなってしまったのだろうかと。

 悲しみの中で目を覚ました彼女は、再び別れたばかりの我が子を思った。あの子はCagotsの子どもなのだ。そう思うと司教様はあの子を寝台の上には寝かせていない、あの子はおそらく教会の中の床の上で眠っているのだと。

 風が木の窓を打つ。冷たい風があの子を冷やさないかと、彼女は案じた。

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