第四夜 桜の花が咲く頃にはきっと……

 この庭に桜を植えてから、今日で『三周年』を迎えた。いや、それとも迎えてしまったと言うべきだろうか。つまり、彼女がいなくなってから、丸々四年の月日が過ぎたということなのだから……。


 桜が咲き誇る春のある日、突然、彼女はいなくなった。娘は深い悲しみに暮れ、学校にも行かずに、ずっと家に引きこもる日々が続いた。その期間は実に一年近くにも及んだ。


 そんな娘を見ていたら、あまりにも不憫でいられなくなり、ぼくはこの庭に桜を植えることにした。


「この桜の花が咲く頃には、きっとママも帰ってくるよ」


 娘にそう言い聞かせて、元気付けようとしたのだ。


「パパ、本当に? 本当にこの桜が咲いたら、ママは帰ってくるの?」


 まだ幼かった娘は必死な顔で訊いてきた。


「ああ、本当だよ。パパがウソをつくわけがないだろう」


「うん。それじゃ、あたしも頑張る! 頑張って学校に行くから!」


 翌日から、娘はまた学校に通うようになった。ママが家に帰ってきたときに、自分がどれだけ頑張っていたのか子供心にも見せたかったのだろう。


 その娘もこの春から中学に進学する。時の流れはなんて速いんだろうと驚いてしまう。


「もしかしたら君は心配しているかもしれないけど、君がいなくても娘は立派に成長しているから大丈夫だよ」


 ぼくはまだ花を咲かせない桜の若木に向かって声を掛けた。今となってはこの桜は彼女の分身ともいえる大切な存在なのだ。つい彼女に話しかけるような口調になってしまう。


「パパ、そろそろお昼ご飯だよ!」


 リビングから娘の呼ぶ声が聞こえてきた。彼女がいなくなってからというもの、孫娘のことを心配したのか、実家に住んでいたぼくの母親がこの家に同居するようになった。娘もすぐにぼくの母親に懐いてくれたので良かった。


「パパ、お昼ご飯って言ってるでしょ!」


 娘の大きな声がまた聞こえてきた。年頃の娘は何かと難しいと周りから散々言われたが、ぼくの母親の躾が良かったのか、それとも娘が責任感を持つようになったのか、今まで大きな親子ゲンカをせずに、今日まで何とかやってこられた。


 母親が突然いなくなるという悲劇に見舞われたが、逆にそのおかげで、ぼくと娘の繋がりはより深くなったのかもしれない。


「ずっとここでのんびりと桜を見ていたいけれど、そろそろリビングに行くことにするよ。これ以上娘を待たせて、嫌われたくはないからね」


 ぼくはリビングに向かった。


「もうパパ、遅いよ! 今日はばあばに料理を習って、わたしがお昼ご飯を作ったんだからね」


「ごめんごめん、ついいろいろと考え事をしていてさ」


「パパ、また庭の桜を見ていたの?」


「ああ、そうだよ」


「あの桜、いつになったら花を咲かせるんだろうね」


 一人娘が庭の方に視線を向けた。


「さあ、いつになるのかな。桜が花を咲かせるまでには、一般的には五年から十年は掛かるみたいだからね」


「えっ、そんなに掛かるの? その間に枯れたりしないよね?」


「それは大丈夫だよ。パパがちゃんと桜に養分をあげているから」


 ぼくは心配する娘に対して太鼓判を捺した。



 昔から『桜の木の下には屍体が埋まっている』という言い伝えがある。その屍体から養分を吸い上げることで、桜はあんなにも綺麗な花を咲かせるというのだ。



 だとしたら――庭に植えてあるあの桜も、必ずや綺麗な花を咲かせることだろう。



 だって、あの桜の木の下には、ぼくが殺した『彼女の屍体』が埋まっているから――。



「さあ、お昼ご飯にしようか」


 ぼくは娘に微笑みかけると、食卓に置いてある箸を手に取った。

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