第一章  よもぎと鷹助4

 「道から外れると泥が多くてぬかるんでるから気を付けてね。」

 「…ああ」

 鷹助はよもぎに連れられて坂道を進んでいった。

 この道は村人が鷹助は薪に使えそうな枯れ枝を拾いに行くために切り開かれた道だという。登り始めた所は穏やかな山道と日差しから優しく守ってくれる豊かな木々という印象であった。

 それが今は見渡すと木々の枝と枝が押し合い格闘しているようだった。各々自己主張するかのように地中から好き放題生えている。

 二人の歩く道は凹凸しているだけでまだ優しい方だった。道を外れるといびつな生え方をした森が迫っている。下手に踏み出せば帰らずの森になるかもしれない。地面を見ると彼女の言う通り山道に比べぬかるんでいるように見えた。

 「敵が攻めてこようにも超えるのは難しそうだな。」

 鷹助がつぶやいた。

 「あの森の地面の下は水でも通っているのか?」

 やけにぬかるんだ山。山中には地下水が流れている。その分、地面が泥状となった。鷹助はそう想像して、よもぎに尋ねた。

 「さあ?地面を掘ろうとする人がいないからね。」

 「薪拾いに行く奴はいても山芋を掘ったりする奴はいないのか?」

 「むやみに山をいじろうとする人はいないよ。だって大蛇は泉だけじゃなく山全体を支配してるんだから。」

 村人は大蛇を恐れている。村への印象が鷹助の中で刻まれていく。

 「じゃあ薪拾いはいいのか?」

 「薪は地面に落ちた枯れ枝を拾うだけだからいいの。とりあえず山のおこぼれをちょっともらう程度ならやっている。といっても道から大きく離れようとする人は少ないし、大蛇を恐れて山の中に入る人自体少ないからね。特に泉の近くまで登る人は。」

 そう答えながらよもぎの足は止まることを知らない。鷹助が凸凹に気を付けながら歩いている間に彼女は軽快に進んでいった。

 「ずいぶんと慣れているみたいだな…」

 「こっそり登っているって言わなかった。それより先は狭くなっているし道の右側は崖になっていて足踏み外したら大変だから。」

 彼女が得意げに話した時だった。

 「きゃーーーーー」

 切り裂くような甲高い悲鳴が響いた。


 よもぎと鷹助は驚いて前方を見た。悲鳴はその先からだ。足を速めた。よもぎの後を鷹助が少し遅れながら進んでいく。

 道の幅が少し狭くなった。今までは二人三人と余裕に歩けそうだったが、ここは一人が限界だろう。道より右脇は繁みがある。おそらく彼女の言う「道の右側は崖になっていて」はここの事だろう。その向こうには崖下の地面から伸びているのか背の高い木々が見える。 

 「待ってくれ」

 今度は別の声がする。足音も聞こえてくる。一人分ではない二人のようだ。

 「あっ」 四十くらいの男が凸凹に気をつけながら坂道を降りてきた。この男に見覚えがあった。村に住む男で徳左衛門の腰巾着でもある伝吉だ。昼まで寝ているという怠け者で横柄なため村人からの評判は好ましくなかった。伝吉は二人を見るなり反射的に足を止めた。

 「おおい。待ってくれ」

 伝吉の後ろから徳左衛門が追いかけるようにして降りてきた。着物が破けたり汚れたりしないようにするためか伝吉以上に注意してゆっくりとしている。しかし、さすがに汗には濡れていた。

 「庄屋さんも悲鳴をきいたのですか?」

 よもぎが尋ねた。

 「…ああ…そうなんだ…。」

 徳左衛門が答える。何かドキドキとした様子だ。


 鷹助は辺りを見回した。狭い道。せいぜい一人が通り抜けるくらいの道幅。よもぎの後ろに鷹助が立ち、向かい合うようにして伝吉が立っている。その後ろには徳左衛門。

 「誰なんだ?あの悲鳴?」

 その場にいる全員を鷹助が見渡すが声を上げた主はいないようだ。

 「女の人みたいでしたよね?」

 「そうみたいだな。」

 よもぎの問いにぶっきらぼうに伝吉が答えた。

 「お前たちは誰にも会わなかったのか?」

 徳左衛門がきょろきょろしながら尋ねた。

 「いいえ。鷹助と歩いてましたけど庄屋さんと伝吉さんに会うまでは誰とも…」

 「それなら、その女の人はどこへ行ったんだ?私たちだってお前たち以外の者には会っていないんだぞ。」

 「そうだ。俺も庄屋さんと同じく見ていないんだ。だとするとあんたらの通っている道であんたらが見ていないとおかしいぞ。」

 伝吉が非難するように問い詰める。

 「本当に見てないの。」

 言い合う三人のそばで鷹助が辺りを観察し始めた。そして道の右脇に視線を移した。

 「鷹助あんたも誰ともすれ違わなかったよね。って何してるの?」

 よもぎの声が響いた。

 「ここさあ、繁みの所だけど、つぶれてない?」

 「えっ?」

 「ほら、ここの所。」

 鷹助が指さす。一同は鷹助のそばで示す先を見た。

 その先は繁みの葉が散り細い枝が折れている箇所があった。膨らみも他のと比べると押しつぶされた感じがした。

 「もしかしてだけど…」

 言いにくそうに鷹助が口を開く。その声はどこか重い。

 「その悲鳴を上げた女の人ってここから落ちたんじゃないかな…」

 「冗談はやめてくれ。繁みの向こうはちょっとした崖みたいになっているんだぞ。落ちたりしたら頭打って助からないさ。」

 「しかし庄屋さん。その人が誰も見てないというなら、ここしか考えられませんか?」

 「うっ確かに…」

 鷹助の見解に徳左衛門は言い返す言葉が出なかった。

 鷹助は少しだけ繁みから身を乗り出した。凸凹の斜面が見える。その下の地面はぬかるみ泥だらけであった。泥の上の物体に目が奪われた。

 「たえさん。」

 鷹助が叫んだ。

 「えっ」

 「何っ。たえが…」

 一同も繁みに近づき身を乗り出した。

 仰向けに着物は着崩れ、袖からは細い手が飛び出て、裾からは足が大股に広がっていた。目は威嚇するように見開き、口はあんぐりと開いている。無残なたえの姿だった。

 その時、鷹助が身を低くして繁みの中から丈夫そうな太い枝をつかんだ。そしてゆっくりと足を崖に降ろした。

 「何やってるんだ。」

 徳左衛門が口元にしわを寄せ叫んだ。

 「たえさんの所まで行くんです。」

 驚く庄屋を気にせず。鷹助は足を崖から出っ張っている小さな岩場に足を乗せた。ぴくりとしない。大丈夫そうだ。そのまま別の岩場にもう片方の足を置いた。地面と枝を触っていた手を片方ずつ離し持ち場を変えていく。この光景をよもぎはじっと見つめていた。気が付けば鷹助は下の地面まで達し、両足を着けていた。


 鷹助は体勢を整えるとたえの所へ駆け寄った。

 「たえさん。たえさん。」

 声をかけゆすってみたが反応はない。片手の手首に指を静かに当てた。脈が無かった。

 「死んでる…」

 小さなつぶやきが彼の口から漏れ出ていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る