第二章 深見山の死1

 普段人気の無い深見山山中に珍しく人が群れを成していた。

よもぎたちがたえを発見し、伝吉が村へ降りて人を集めに言ったからだ。崖の下に数人の男が集まり上の道からは人々が顔を覗き込むようにして立ったりしゃがんだりしていた。

 「おいおい。どうやってたえさんを運べばいいんだ。」

 「そりゃ上から縄を垂らしてもらって引き揚げてもらえばいいんじゃないのか?」

 崖下に降りて行った男たちの内二人は、たえの亡骸を前にして言った。その横で鷹助がすぐに反応して上に向かって叫んだ。

 「おーい。縄を降ろしてくれ。」

 「鷹助」

 鷹助に声をかける人物がいた。

 「万兵衛様。」

 伝吉からたえの事を知らされた時、村人だけでなく万兵衛率いる動ける足軽たちも駆け付けた。万兵衛は誰かに言われた訳でもなく自ら崖から降り、たえの元に集まったのだ。

 「鷹助。お前が見つけた時、庄屋と一緒だったのだな」

 「…はい」

   

 たえの遺体は崖の上まで引き上げられた。狭い一本道をたえが占領する。松之介がたえの死を確認すると遺体は広めの道まで運ばれていった。

 たえに近づいて念仏を唱える者、離れてこそこそ噂する者、様々だった。よもぎはそれらの人物を遠巻きにして見つめていた。

 今、下に降りていた男たちが岩場を足場にして登っているところだ。

 「たえさん足を滑らしたんだね」

 「ここは岩場が多いからね」

 中年の女たちが話している。

 「いや、そうとも言えん。」

 急にダミ声が割って入った。女たちはビクリとした。

 見ると崖から万兵衛の顔が現れた。驚く女たちをよそに上半身を崖の上に登らせた。全体が登りきると女たちを見ていった。

 「もしかしたら誰かに突き落とされたのかもしれん。」

 断言するように言った。人々は各々顔を見合わせる。

 「どういうことですか?」

 徳左衛門が聞いた。妻が突然の不幸に見舞われたというのに平然としている。よもぎは耳を澄ませた。他の人たちも同じことをしている。

 そこへ鷹助が崖の上を登りきった。

 「んっ?何だ?」

 「しっ、黙ってて」

 きょとんとする鷹助によもぎは言った。万兵衛が口を開く。

 「それはだな…たえ殿は…」

 「たえは…?」

 聞き返すが万兵衛は答えなかった。言葉に詰まっているようだった。周囲を気にしてるのか視線を右往左往させ口をもごもごさせた。

 突然、声を荒げた。

 「とっとにかく、たえ殿は誰かに殺されたに違いないのだ。」

 「理由を教えてください」

 「それは…言えん…」

 「何故ですか?」

 万兵衛は唇を噛みしめ真一文字にしたまま黙っている。 

 「どういう理由か存じませんが。どう見ても足を滑らせただけではないのですか?」

 徳左衛門は呆れるようにして言い放った。

 「だって私がたえの悲鳴を聞いた時は伝吉と一緒にいて一本道を駆け付けたのですよ。そして、向かい側からはよもぎと鷹助がやって来たのですよ。私たちもよもぎたちも怪しい人影は見てはいません。」

 よもぎは二人の視界に入っていないが小さく頷いた。確かにそうだ。たえは徳左衛門たちとよもぎたちの間で歩いていたのだろう。誰かがたえを崖から突き落としたとするならば何処へ消えてしまったのだろうか。森の中へ逃げたとしても…。

 「怪しい者を見かけなかったから何だと言うのだ。どうせ、あの森の中に逃げ込んだに決まっている。」

 万兵衛は憤りを見せながら崖とは反対の森を指さした。

 「ですが、この山はぬかるんでおります。あの泥のような地面をご覧ください。足跡が一つもありません。」

 万兵衛は悔しそうに唇を噛みしめる。

 徳左衛門の言う通り森の地面はぬかるんでいるように見えた。誰かの足跡らしき物は見られない。

 「たえを突き落とした者はおりません。ただ足を滑らせただけです。これでも殺しだと言えるなら大蛇しかおりませんが。」


 ―大蛇。その言葉に一同がざわついた。


 「兵が集まり戦の準備をしたために大蛇が怒り出したのかもしれません。」

 「……」

辺りを一陣の風が吹いた。雨雲が現した。最初は小雨だったが段々と強くなっていく。

 皆びくりとした。突然天気が変わった。

 「…大蛇」

 誰かがが口を漏らしたが、それ以上追及する者はいなかった。

 「庄屋さん早く帰ろうぜ。」

 伝吉が片腕を引っ張る。たくさんいた村人と足軽たちが我先にと山を降りて行く。

 よもぎと鷹助はたえと彼女の近くにいる松之助に近づいた。出遅れた男を二名捕まえ、たえの遺体を五人がかりで運び上げた。

  

 雨はまだ続いている。

 村に着いてから皆無言であった。村に残っていた者は詳しい話を聞こうとしたが山に登って行った者から何やら異様な様子を感じ取り口をつぐんでしまった。早々と我が家またはお堂へと引き揚げていった。よもぎたちはたえの遺体を庄屋の家へと運んだ。一同は解散となった。


 鷹助は一人で雨に濡れながらお堂へと帰っていった。

 「鷹助。」

 後ろから万兵衛に呼び止められた。すぐに振り返ると彼と同じくずぶ濡れになりながら立っていた。

 「何か御用ですか?」

 万兵衛のもとへ近づいて行った。万兵衛は小声で言う。

 「庄屋から目を離すな」




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る