―06―

 由香の冷たい虚無を宿す灰色の目に、光莉の火のような眼光を灯した瞳が映りこんでいました。


 死生邂逅かいこう


 二人の少女を焦点に広がる静謐せいひつな空間は、絵画であればそのように名付けられたかもしれません。

 やがて、目を逸らしたのは由香でした。口をわずかに開き、ため息をついたのでしょうが、吐息の音は聞こえませんでした。

 直後、その身体から徐々に色彩が褪せていきました。


「!――――待ってッ」


 由香は呼びかけに応えることなく背を向け、夜に溶け込もうとしていました。

 その彼女の手を――光莉は掴みました。

 自ら形成した結界の外へ踏み出て繋ぎとめたのです。

 由香が振り返ります。瞬間、繋がれた手を通じて彼女の意識が濁流のように流れ込んできました。

  

(――わたしは、呉ヶ野 光莉――これは、わたしの身体……!)


 それを覚悟していた光莉は、憑依防衛アンチ・トランスで自我による防壁を構築します。

 意識同士が衝突した時、視界はカメラのフラッシュが直撃したようなまばゆい閃光に見舞われました。たてつづけに、眼の奥で明滅を繰り返す白と黒……目眩と頭痛、嘔吐感に襲われます。

 自らを侵食しようとする他者の意識に抗うほどに、身体と精神は苦痛を発しました。それらを抑えこみながら、光莉は声を上げます。


「真弥さんは……死ぬことなんて望んでいません!」

 由香は反応を示しません。それでも、光莉は続けます。

「他の人たちだって、みんな――」

 そこまで言うと、こみ上げた感情が、涙をあふれさせました。

 

「――……みんな……あなたのことを助けたいだけだった! それなのに……あなたには、わからなかったんですか……?」


 霊体は生前のように、論理的に考えたり倫理的な判断ができる存在ではない。

 そんなこと嫌というほど知っているはずなのに、言わずにはいられませんでした。

 この理不尽で残酷な運命の――命を断ってまで逃げ出したかったはずの、哀しみを生み出し続ける世界だったのに――その歯車の部品に成り果ててしまった少女を前にして、光莉はこらえきれませんでした。

 そして、無意識に願っていました。由香に残存する生前の人格が、自分の言葉に何らかの反応を示してくれることを。

 その思いは――――届きました。


『でも……あんたは望んでるんでしょ?』

「……え……」

 その時、光莉は気がつきました。

 由香を捕まえた左手の――長袖のTシャツの袖から覗く手首の傷痕に、彼女の視線が向けられていることに。

 由香が、自分の左手首をかざして言いました。

『……同じじゃない。あんたも……』


 自我の防壁がほころび、制御しきれない量の意識が押し寄せてきました。

 視界が激しい明暗の果てに暗転し、黒く塗りつぶされました。


「ちが……わたし……は……」


 その、意識の中に――白いベットの上で目を閉じた、一人の女性に泣きつく映像ビジョンがありました。


『なんで……!? 誕生日までは、がんばるって言ったじゃん……! プレゼント用意してたのに、なんで……――』


――……母さん。


 泣きついている女性の顔が、光莉が知っている、懐かしい顔へと変わりました。

 久の声が聞こえました。

 

――きっと、きみにとって彼女は……痛いほどに、共感してしまう存在だから。


 ……苦痛が消えました。スプレーが手からすべり落ちて地面に転がります。

 決壊した防壁。

 意識――記憶――彼女が生まれ、そして死に至るまで。

 倉癸 由香のすべてが流れ込んできました。

 それらが、自分を侵食しながらも、優しく絡みついて溶け合い同化していき――やがて、彼女たちの境界があいまいになった時、光莉の瞳から輝きが潰えました。


 二人は手をつないで、フェンスの前に立ちました。

 柵の向こう側には、ただ、漆黒の闇が広がっていました。

 

 やがて、その闇の中へと、彼女の身体は落ちていきました。

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