―03―

 その日は、朝から暗雲が空をおおっていました。

 しかし、雨はいつまでも降らず、結局その状態が放課後まで続きました。

「……呉ヶ野が転校してきた日も、こんな天気だったよな」

「そういえば、そうでしたね。よくおぼえてますね」

 真弥はなかなか帰ろうとはせず、後ろから覗くとゲームアプリで遊んでいました。

 また、相談したいことがあるのではと思って、光莉も居残っていたわけなのですが……。

「……機種、変えましたか?」

「うん。何日か前にドジって壊しちゃってさ。まいったよ……データ飛んだし……」

 世間話の域を出ません。

 彼はそのうち、きりが良いところでゲームを終えて伸びをしました。

「今日はこの後は?」

「うーん…………バイト。シフトが変わったから、けっこう時間潰さないといけなくてさ」 

 さり気なく予定を訊いてみましたが、たんなる時間調整のようです。それなら、先に帰って差し支えないかもしれません。

 けれど、今日の真弥はどこか――


「……怪談ちゃん」 


「はい。――って、待ってください。なぜ今、その呼び方を……?」

「最近、呼ばれてないから成分が不足してるだろうと思って」

「わたしを構成する物質を、勝手に生み出さないでください」

「やっぱ、気に入らない? かわいい名前だと思うんだけどな……」

「百人にアンケとってから、自信を持って言ってください」

 辛辣な言葉とともに向けられた光莉のジト目を、真弥は対照的に穏やかな瞳でしばらく見返し……かすかにほほえみました。

「――……な、なんなんですか!? キモっ……」

「酷くない?」

 しかし、毒づきながらも顔を赤らめる光莉にもう一度笑みを浮かべ、真弥はバッグを肩に席を立ちました。


「あ……帰るんですか?」

「ああ、そろそろ行くよ。それじゃあ――」

「え、はい……それでは……――」

 お互いに――その時、自分が言った言葉に、何かが欠けているような感覚がありました。


「はぁ……なにやってるんだろ、わたし……」

 真弥に付き合っていたつもりが、結果的に取り残されてしまった光莉。ため息を一つこぼしてから、自分も教室を出ました。

 廊下に真弥の姿はすでにありませんでした。

 光莉が靴をはきかえ、校舎を後にし――


 その様子を、下駄箱付近の階段の影から見届け、真弥は校内のどこかへと消えていきました。


 *

 

 だから、訊いたのに。『本当に知りたい?』って。


『倖田真陽瑠の兄です。今回の件で、おれも関係者になりました』


 わかってたよね? 知れば、きっと、こうなるって。


『今晩、使うかもしれないから借りておくよう、呉ヶ野先生に言われました。このことは、直接、校長先生に頼むように……って』


 わかってるよね? 本当は、そうしたいからだって。


 あの子たちが言っていた、『最悪な日常』――

 その繰り返す歯車の中で弄ばれる悲劇が、また一つ、無意味に増えるだけだとしても。


 *

 

 その夜、光莉が部屋で勉強をしていると、玄関のドアが開く音がしました。久が帰宅したようです。

 出迎えると、そこには久と――彼に肩を貸す運転代行業者の姿がありました。

「! 父さん、どうしたんですか!」

「ただいま、光莉……。大丈夫。ご近所の迷惑になるので、声は抑えましょう……」

 そう言って、青ざめた顔で笑いました。

 光莉はすぐに布団を引いて、久を寝かせます。

「驚かせてしまいましたね……。大したことはないんです。クリニックの案件で、相性のよくない霊体と会ったら気分が悪くなって……。ちょっと、車を運転するのは危なそうだったので、代行で贅沢をしてしまいました……」

「連日無理してるから、身体が弱ってたんですよ……。明日は休んでください……」  

「いえ……一晩寝れば良くなりますよ。……光莉?」 

「おねがいだから……休んでください……」

「……ええ、わかりました。なにも、泣くことじゃありませんよ……?」 

「ごめんなさい……。夕飯……おかゆなら、食べられますか……?」

 

 久が寝てから、光莉も早々にベッドに横たわりました。

 しかし、消耗した父を目の当たりしたショックからか胸中は不安で満ち、部屋の明かりを落としても眠ることはできませんでした。

 彼女が無自覚に他人との繋がりを求めた時、放課後の――今日、なぜか放っておけないと感じた真弥の顔が浮かびました。

 ……めずらしく、自分から真弥に通話アプリランカでメッセージを送ってみました。


〈バイト終わりましたか?〉と……まあ、内容はなんでも反応がほしかったのです。

 すぐに既読にはなりました。しかし、いつもは即返信してくるのに、今日は待っていても音沙汰ありません。

「ふぅん……既読スルーですか……」

 腹いせに、中指を立てたパンダのスタンプで追撃しようかとも考えましたが、そこは思いとどまりました。

 皮肉にも不満は不安を和らげ、いつしか瞼は重くなり、少女はふて寝がちにまどろみへと落ちました。


 ……眠りは、長くは続きませんでした。

 なにか悪夢を見ていたのは、たしかなようです。上体を起こし荒い呼吸をしながら、光莉は何時か確認しようと携帯を手に取ります。

 時刻より先に、通知が目に入りました。

 真弥からの返信でした。確認すると、ルンルン♪と階段をあがるパンダを横から描いたスタンプが一つ。

 過去のやり取りで、それが、階段と怪談をかけた『怪談ちゃん』を意味することを知っていました。

 素っ気ないし、意図も不明。けれど、返信があったこと自体は、ほっとしました。


 しかし、その絵を眺めている内に……再び動悸が高まってきました。

 そのスタンプの絵と同じ構図で――暗闇の中、息を殺して階段をのぼっていく人物がフラッシュバックしました。


 さっきまでどんな夢を見ていたのか――思い出して、衝動的に監視カメラのライブ映像へとアクセスしました。

 カメラは暗視モードに切り替わり、不可視の光で色彩を欠いた屋上入り口の踊り場を映し出していました。

 人に本能的な不安を抱かせる光景でした。

 でも……それだけ。怖れていた光景は、そこにありませんでした。

 ――が、安堵に浸ろうとした矢先、その映像が突然途切れました。

 あっけに取られていると、間もなく回線切断を知らせる表記が……。


「え、ネットワーク障害……? カメラの故障……?」

 原因はいくつか考えられます。

 でも……もしそれが彼女が恐れているものだったのなら――

 光莉はふたたび通話アプリランカを開き、トーク……いや、通話発信します。

(夜分にごめんなさい……。でも――)

 楽観視はできませんでした。真陽瑠の時、光莉に突きつけられた現実は、まさにその最悪のシナリオだったのです。

 ……やがて、相手がオフラインであることが告げられました。

 光莉は呆然として――しかし、何かの間違えであってほしいと願いながら、再度、通話発信しようとして――震える指で、画面の意図しない場所をタップしていました。

 遷移した画面には、なぜか地図が表示されていました。

 そうだ……真弥が言っていました。


――初期状態だとメッセージ送った相手に、自分の現在地がわかるようになってるんだよ。


 位置を告げる矢印型のアイコンが指し示していた場所は――


「――――ばかぁぁっ!」



 息を切らして、全力で自転車を走らせる、その道すがら――転校前に、久が言っていた言葉がよみがえりました。


――……いいえ。光莉、このことを話したのは、特に注意してほしいからなんです。学校で彼女を見かけることがあっても、決して接触はしないでください。


 きっと、きみにとって彼女は……――

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