最終話 「助けたいだけだった」
―01―
授業中――真弥の携帯が鳴り、廊下に出て電話を受けた彼は、それきり教室には戻ってきませんでした。
残された光莉も、落ち着いて授業を受けられる状態ではありませんでした。
後を追って早退し、病院へと急ぎました。
前に来た時と同じように受付で事情を説明すると、真陽瑠の様態が急変したことを告げられました。
面会は謝絶。
しかし、このまま帰ることはできませんでした。ひとまず、集中治療室のある階へと移動し、人気のない待合の椅子を探して座り……そこで、ただ待ちました。
彼女が、祈ることはありません。
昔、決して裏切られてはならない祈りを、嘲笑うかのごとく踏みにじられたから。
そこで、世界の悪意を垣間見たから。
救いを懇願すれば、また、それを逆手に取られてしまうだろうから。
だから……感情の一切を殺して、ただ、待つのです。震える自分の肩を抱いて。
やがて――うつむいているせいで、前髪に上半分を遮られた彼女の視界の前を、棒のように細く白い足が、ひた……ひた……と、横切っていくのが見えました。
足は、半分、透けていました。
『おい、先生よぉ……! せっかく手術したのに、ちっとも良くならないよ……! このままじゃ、オレ死んじゃうよ? おい、先生……!』
光莉の目に、涙がにじみます。
「母さん……たすけて……」
そう、つぶやいた時――また、人の足が視界にあらわれて……そこで止まり、靴のつま先がゆっくりと彼女の方へと向きました。
「呉ヶ野……」
顔を上げると、そこには、
「……真弥さん……」
彼は驚いていましたが、すぐに笑顔をつくり、
「来てくれたのか……ありがと。大丈夫……持ち直した!」
そう言って、親指を立てます。光莉は脱力して、目をこすりました。
「ごめんな、連絡もせずに……」
「わたしのほうこそ、勝手に来てごめんなさい……」
「ひょっとして、先生も?」
「今日はクリニックの日で――でも、連絡したから、もしかしたら向かってるかも。そうだ、大丈夫って知らせないと……」
そう言って、うれしそうにスマホを取り出した時――真弥の笑顔が曇っていることに気づきました。
「……あの……もしかして、まだ……」
「いや、今は本当に平気なんだけどさ……」
真弥は、せつなく笑いました。
「一般病棟に移るって話も出て……もう、あとは目を覚ますの待つばかりだと思って……それが、急にこんなことになるなんて思ってなかったから……」
かける言葉が見つかりませんでした。光莉は自分の軽率さを悔やみました。
「……横いいかな? 真陽瑠には悪いけど、さっきから気が張りっぱなしだったから、息抜きに来たんだ……」
そう言って、真弥は光莉の隣に腰を下ろしました。ソファーでもない椅子が深く沈んだように見え、彼の疲労が伝わってきました。
「……ご家族は?」
「来てる。おふくろは、逆にずっと付き添ってないと不安みたいでさ……。そうだ、本当は身内以外は病室に入れないんだけど、呉ヶ野だったら……」
「いえ、わたしは……無事さえわかれば……」
真弥にとっては恩人でも……やはりまだ、光莉は自分自身を許しきれてはいませんでした。
そんな心中を察してかどうか、真弥もそれ以上は言いませんでした。
「それにしても……起きてても眠ってても、あいつは本当に周りを振り回すよなぁ」
内心では同意しましたが、口には出せませんでした。もっとも――
「呉ヶ野も身に染みてるだろ?」
「それは……まあ、たしかに、いろいろとありはしましたが……」
「いろいろ……か……」
「…………」
この後に続く話題に関しては、今まで二人の間で暗黙の了解があったように思います。
だから、今回のことが起きてもあえて確認もせずに、そこに新たな情報を積み上げてきたのかもしれません。
「真陽瑠は、どれくらい知ってたんだ? 呉ヶ野たちのこと」
「……わたしたちの立場と……関わっていた霊的な案件。そのいくつかについてですね……」
いまさら、二人ともなんら驚く要素もありませんでした。
「ひょっとして、あいつも手伝ってたとか?」
「言い方は、失礼ですけど……首を突っ込んできてた感じです」
「だよなぁ……」
「父さんは霊に対しても、プライバシーを重んじてるんです。わたしも協力する時は、必要最低限のことしか教えてもらってません。ですから、部外者の真陽瑠さんに、こちらから積極的な協力要請や情報開示をしたことはありませんでした。……なのに毎回、どこかしらで独自に調査してきては、無理やり関わってくるんです……」
「また、無駄に行動力を発揮したか……。苦労かけたな……」
「でも……時々は、本当に助かったこともありましたけどね……」
わずかな間でしたが……真陽瑠は、光莉に宣言したとおり、彼女を支える存在でいてくれました。今になって、それを実感します。
「迷惑ばかり、かけてたわけじゃないみたいでよかったよ。……でも、あいつって霊は見えたの?」
「波長の合う霊体は、いくつかあったみたいです。ふだんは気づいてないみたいですけど、そっちの方に意識が向くと、視認できる時もありました」
「なるほど……ね……」
ふいに、真弥から凍えるような冷たい気配を感じ、光莉は思わず彼の顔を見ます。
「? どうかした?」
「い、いえ……なんでも……」
これを機に、一度、会話は途絶えました。
沈黙の中、光莉は事故の日に中西から言われた言葉を思い出しました。無事は確認できたのだし……自分は、長く居るべきではないのかもしれません。
「……あの、ごめんなさい。疲れているのに。わたし、そろそろ……」
「あ……待って、そんなんじゃないんだ」
光莉が腰を上げると、それまで物憂げに浸っていた真弥があわてて呼び止めました。
「むしろ、話し相手がいてくれた方がいいくらいなんだけど……。わるい……さっきから気分が沈んじゃっててさ……」
真弥の顔を見て……光莉はもう一度、元の席に落ち着きました。
「この状況で、それは当然だと思います。それに、わたし元気な人は苦手なんで、逆に今くらいが落ち着きます」
「そっか……。でも、真陽瑠なんて、まさにその苦手なタイプだよな?」
「ええ。本来なら生涯をとおしてお近づきになりたくない人種です」
「えぇ……そんなに……」
「…………でも、大好きです。真陽瑠さんは」
真弥の瞳の奥が、かすかな痛みとともに、熱を帯びていきました。
「……知ってるよ。実は『真陽瑠ちゃん』なんて呼ぶ仲みたいだしな……」
「あ……あれは、『二人の時だけでいいから、そう呼んで』って、しつこく言われたから仕方なく――」
赤くなって弁明しながらも……真弥の瞳に光るものを見て、光莉はそっと視線をそらしました。
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