―06―

 五時のチャイムの音を聞いて、二人は帰ることにしました。 

「ワイシャツ……洗って返すので、今日は体育着とかで帰ってもらえますか……?」

「そんなの、気にしなくていいって」

「いえ、詳しくは言いませんが、なんか不安なので。お願いだから、どうかこの場で引き取らせてください」 

 ……釈然としませんが、断ると光莉の危惧する人物像が定着するような気がしたので、しぶしぶ上だけジャージに着替えました。

 脱いだワイシャツをたたんで光莉に差し出すと、光莉は、まるで表彰状でももらうみたいに頭を下げながら、それを受け取りました。


「そういえば、あいつは?」

「さあ……いつの間にかいなくなってましたが」

 声があからさまに不機嫌になりました。

「さっき、本当にいたの?」

「いましたよ! 次に出てきたら即消毒しますから……」

 どうやら、おせっかいが過ぎて親切な友人から悪霊へと降格したようです。

 真弥は、次に現れた時の彼の境遇を憂いて苦笑いしました。

 ……それから、光莉に言いました。


「由香の件……やっぱり、おれも協力させてくれ」


 光莉が、困った表情で真弥を見ます。

「お気持ちは嬉しいですが――」

「いや、ダメって言われてもやるよ」

「え……」

「なにもできないかもしれないけど……とりあえずさ、悩んだり、つらかったりする時は話してくれよ。こんな重たいもの……親子だけで持つことはないさ」

 光莉はあきれたように、笑って小さくつぶやきました。

「……双子ですね」


 そして、二人で教室出ようとした時――


「……――ってまた、あなたはッ!」


 光莉が急に叫んで、殺気立った様子で教壇の方に振り返ります。

 ことに、バッグからスプレーを取り出す動作は抜刀のごとく洗練されていて、なだめる間もなかったのですが――すんでのところで、彼女はトリガーを引く指を制止しました。


「……大丈夫って、なにがですか……?」

 真弥に言ったのではありません。自分を呼び止めた世話焼きな霊体に対してでした。

「どうした、また変なこと言われた?」

 光莉にたずねると……しばらくして振り向いた彼女の顔には、困惑と……憂いがにじんでいました。

「……真弥さん……彼もう……」

 真弥はとっさに、光莉が見つめていた空間へと意識を集中しました。


 窓辺から差し込む日差しが、サーチライトのように見えました。

 その光の中――教壇の上に、一人の少年の姿が浮かび上がります。


『うん、もう大丈夫だね。彼女を大切にね――――真弥くん!』


「……真弥くん……か」

「聞こえたんですか……?」

「どうかな……。見えたような……聞こえたような……そんな気がしただけかも」

「……笑ってくれてましたよ」

「…………ああ」 


 彼は――高校での、真弥の最初の友達でした。

 


 病院に寄るため、光莉とは校門で別れました。

 着くと、まっすぐ集中治療室に向かいます。まだ、家族以外は面会できない状態にありました。


――目を覚ましているかもしれない。


 ここを訪れる時に抱く期待は、今日は、よりいっそう強く胸に満ちていました。

 ……それは、願いからでした。今日だからこそ、真陽瑠にかえってきてほしかったのです。

 しかし、多くの医療機材に囲まれたベッドの上で、彼女は相変わらず眠りについたままでした。

 電子音と一緒に、呼吸器からもれる吐息が、かすかに聞こえます。そのゆっくりとした呼吸の音に合わせ、高鳴っていた真弥の鼓動も落胆とともに静まっていきました。


 あの日、本当に死んでしまったのかと思うくらい白かった顔には、だいぶ血色が戻っていました。医者からは、もう少ししたら、一般病棟に移れるとも言われました。

 でも……いつ、目を覚ましてくれるのでしょうか? 

 あくびをしながら、『はぁ、よく寝たー……』などと、頭の悪い科白で笑わせてくれるのでしょうか?


「真陽瑠……」 

 この声は……届いているのか。 

 どうして、妹はこんな場所で眠っているのか。

「どうして……」


 帰り際のことを思い出しました。

 教室で最後に見た――ような気がした友達の笑顔は、もう記憶にありません。

 代わりに、違和感……いえ、彼を失った損失感だけが残っていました。

 他の誰かなら良かったなどと思いたくはありませんでした。

 でも、生徒は他にもいたはずなのに、どうして、よりにもよって――

「どうして……おまえらだったんだ……?」

 

 光莉は、あの世の存在を信じていないと言っていました。だったら、神も信じていないのだろうと思いました。

 真弥も信じてはいませんが、自分ではどうしようもない時に、その存在にすがったのは、記憶に新しいところでした。

 真陽瑠が、なんとか一命をとりとめた時には、感謝の念も抱いていました。

 しかし……そもそもが、こんな理不尽な痛みや苦しみを被る道理などないはずなのです。


「なあ、神様さ。こいつら、本当にいいやつだったんだよ……」

 真陽瑠の頬に触れると、自分の体温より少しだけ冷たく感じました。

「それなのに……どうして、こんな目に合わなきゃいけないんだ? こいつらが、なにしたって言うんだよ? どうして……――」


――……どうして……?


 その時――今まであてどない嘆きを放出するすべとして繰り返されていた『どうして』が、ふいに性質を変えて真弥の思考へと割り込んできました。

 それは、単語が本来持つ疑問詞としての形でした。

 彼は、もう一度、繰り返しました。


「どうして……おまえらだったんだ……?」 

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