―05―

 彼とまた会える時に思いを馳せながらも、真弥はふと気になりました。

「先生の話だと、死に際の体験が行動周期になることがあるって言ってたけど……あいつの場合は……」

「死の直前は、由香さんによる憑依トランス状態にあって状況を理解できなかったんだと思います。だから、負の感情ではなく、彼が生前に思い描いていた学校生活が踏襲とうしゅうされたのかと」

「良かった。でも、これからもずっと教室ここに?」

「この学校は、霊が住まうのに適した環境です。長い期間、定着し続けることもあるでしょう。……でもいつか、その時は来ます」

「いつか……」

 その時まで、彼に見守られながら学校生活を送るのも、悪くないかもしれない――そう思いました。


「なんか……垣原の気持ちが、ちょっとわかった。あいつの姿だったら、見えてもいいかなって思うのに。……波長が合わなかったんだな」

「どうでしょう。目で見えなくても、声が聞こえたり、変な胸騒ぎがしたりということもあります。それに、本当は見えているってことも……」

「どういうこと?」

「存在感がない人って、視界に入ってるのに気づかない感じ……わかります? あるいは、見た直後に忘れてしまうこともあります。朝起きた瞬間、見ていた夢の内容が飛んじゃうみたいに。そういういった場合、違和感だけが残ることがあります」


――違和感……?


「あとは、記憶自体がされないことも……――真弥さん?」

「ひょっとして、先生のカウンセリングに殺到してる生徒たちが抱えているものは……」

「そうですね……。その可能性はあります」

「……そういうことか」

 光莉が感知しないところで、一つの可能性へと糸が紡がれました。

「それにしても、やつらは人の記憶の操作までできるのか……」

 すると、光莉はきょとんして言いました。

「あー……これは憑依とは違って、自分の身体がやってることですよ?」

「え……?」


 さっき、光莉たちがどんなに大変か、想像することしかできないと言っていた真弥は、実際のところ、想像すらできていませんでした。

 彼は、根本的に誤解していました。


「垣原さんと同じですよ。見えない、聞こえない、記憶に残さない――全部、身体が霊に関する情報を無視してるからなんです」

「そんな、どうして……!」

「単純に、生活に支障が出るからだと思います。わたしを見てたら、わかるでしょうけど……」


 霊障を受ける条件は、その霊体と波長が合うかどうか――と。

 目に見えないだけで、同じ世界に存在している――と。

 久も光莉も、最初からずっとその前提で話していました。

 当たり前のこととして、欺くつもりなどなく。


「霊に限らず、外部からの情報を身体が取捨選択する事例は多いんです。目は紫外線とか見ないようにできてますし、耳は一定の周波の音が聞こえませんし」


 つまり、存在しないものを認識しているのではなく、存在しているものを認識していないだけなのだと……。


「霊が目に見えた時点で、霊障として扱うのはそのためです。本来、人間の身体は霊に関する情報を受け入れることを歓迎していません。トラブルなんですよ。そのため、記憶障害はくくりとしては霊障ではありません。視覚機能が素通りさせてしまった不適切な情報を、脳が後始末するという正常な処理なんです」


 霊を認識できることを、『力』などとは表現していませんでした。

 花粉症と同じだと……そう言っていました。


「ただ、たちが悪いことに、それだと普段は使わない器官が無理するので、頭痛や車酔いみたいな症状が併発するんですよ……。よく霊との接触で具合が悪くなるって言われるのはそのせいです。わたしや父さんも、記憶が飛ぶようなことは稀ですけど、体調不良はしょっちゅうで。……ようするに――」


 彼女たちは――


「霊能者なんて呼ばれてる人の本質は、身体に本来備わっているはずの免疫機能に欠陥があるだけで――人として、生きづらいだけなんですよ……」


 なんの打算もなく発した言葉が、今日、もっとも真弥を深くえぐりました。

 言い終えて、光莉は場の静寂から、ようやく異変を感じとります。

「……ご、ごめんなさい。つい愚痴っぽくなってしまって」

 真弥に目を向けると、彼は思いつめた表情で自分を見つめていました。

「……真弥……さん?」

「ごめん……」

 心のどこかで、彼女たちを創作のヒーローと見境ないほどに英雄視し、抱いていた期待――それを裏切られたと感じた時の、失望と憤り――

 すべてが、巡り巡って自身をさいなんでいました。


「たった今まで……おれたちには無い、特別な力を持ってると思ってた」

 光莉は、知らずに真弥を追い込んでいたことに気づきました。

「いや……ある意味そうだ。人並みに生活するのにも大変な思いをしてるのに、自分からそれに関わって、他人を助けようなんて……ふつうはできない。それなのに、おれは……」

 今度は、光莉の胸が苦しくなりました。

「待ってください……。正直に言えば、今までこちらの苦労も知らずに、父さんに対して好き勝手言う人を恨みがましく思うこともありました。だから、真弥さんにわかってもらえることは、本当にうれしいです。でも……」

 今、彼女はそれ以上を望めません。

「……間違っても、今回のことで、真弥さんが負い目を感じる必要なんてありません……」

 

 教室に差し込む赤みを帯びた陽射しが、次第に眩しくなって、彼女の視界を奪っていきました。

「だって、あの日のことは……」

 そして、屋上で一人で倒れ伏す真弥の姿がフラッシュバックします。

「――真陽瑠さんのことは、わたしのせいだから……――」


「呉ヶ野のせいじゃない」


 また、自責の呪縛に締めつけられようとしていた光莉に、真弥は静かに……強く訴えました。

 光莉の視野が教室へと戻り、目の前には心配そうな顔の真弥がいました。

「呉ヶ野のせいじゃない……。それどころか、おまえがいなかったら、おれは屋上にたどり着くことさえできなかった……」

「……でも、わたしが、もっと早く教えていれば……」

 光莉の声は震え、目には涙があふれていました。

「それも違う。おれ……ちゃんと間に合ったと思ってる。あいつの手をにぎることができた……」

「手を……?」 

「ああ……。それであいつ、足から落ちたんだ。もし頭からだったら、きっと助からなかったって、医者が言ってた……」

 真弥が微笑みます。どこかで見たような、懐かしさを感じました。


「もっと早く、ちゃんと言うべきだった。呉ヶ野は……真陽瑠の命の恩人だ。ありがとう……」

 瞳から一筋の涙を流した直後に視界はぼやけ、光莉は真弥の顔を、真陽瑠――あるいは久と混同しました。

 彼女はそのまま、真弥の胸へと――


「「…………!」」


――顔をうずめる寸前に、正気へとかえって急停止しました。

 真弥はすっかり、光莉を受け入れようと腕を広げた間抜けな体制で構えていて、二人はそのまま気まずく固まりました。


 ……が、急に光莉が「ふえ?」っと、とぼけた声を上げ、

「――うあぅ!?」

 そのまま、真弥へと突っ込んできました。

「えぇ? あなた、さっき帰ったんじゃなかったんですか!?」

 背後を振り返り、裏返った声をあげる光莉。

 あわただしく、今度は寄りかかったままの真弥へと向いて、

「ち、違うんです……! これは今、彼にいきなり押されて……」


 瞳と両頬を涙の軌跡できらめかせながら、赤面して取り繕う少女を、真弥は――

「……ま、どっちでも、いいよ……」

 そう言って、両腕で包み込むと、今度こそ自分のワイシャツへとうずめました。


 光莉は驚いて、突発的に真弥の顔をペチンと叩きましたが、それでも真弥が離さなかったので、仕方なく、その胸でしばらく泣き続けました。

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