―03―
垣原による由香への拒絶――彼女の絶望を目の当たりにした真弥には、決して思いつかない発想でした。
「垣原は由香が見えないことで苦しんでたじゃないか! それが、嘘だっていうのか?」
「いえ……本心だと思います。ただ、由香さんが亡くなった夜――垣原さんは、すぐに家に逃げ帰りました。その理由、おぼえていますか?」
「ああ……。眠って目を覚ませば、みんな元通りになる気がしたって。……現実逃避だったんだろうけど……」
それは、真弥も毎晩考えることでした。
「そうですね……。ただ、動機はなんであれ垣原さんは、由香さんの死を――彼女が命を絶った世界を、渾身の想いで否定したんだと思います」
――由香は死んでなんていない。
「もちろん、その行為が世界を変えることはありませんでしたが……垣原さんの中では、ある種の儀式として成立したんです。結果……彼女の身体は、由香さんの死を受け入れなくなった……」
「死を受け入れない? いや、さすがに――」
「頭ではわかっていても、身体は由香さんからの霊症に対し、絶対的な抗体を形成してしまったんですよ……」
死を認めないから、その霊体も認識しない。
「……そんなこと、素人にできるのか?」
「稀ですよ……素人に限らず。本来は気持ちでどうにかなるものではないです」
力を持つ光莉や久ならまだしも、垣原にそんなことが可能とは、にわかには信じられませんでした。
でも、にわかではない光莉が言っているのです。
「垣原には、このことは?」
「憶測ですし、伝えても追い込んでしまうだけですから……」
同感でした。いずれにしても、垣原はもうこの件に力添えできる状態にはないと思いました。
「この先、先生だけでなんとかできそうなのか?」
問われて、光莉は由香に激昂した真弥と、少しでも救いのある結末を語る久とを交互に思い返しました。
「……真弥さんは、由香さんを消しさることを望んでいますよね?」
「できるならな……」
「もし、その望みとは違う結末になったら、受け入れてもらえますか……?」
つまり、成仏させることができなかった場合――
「今のまま放っておくっていうなら無理だ。真陽瑠が例外だったとしても、悪霊を野放しにしておくなんて。……お祓いとかは、やっぱりダメなのか?」
久は一時しのぎにしかならない場合があると言っていましたが、やってみる価値はあるのではと思いました。
しかし、光莉は首を横に振ります。
「軽率に行うと、かえって危険なんです……。
現状が、『やらない』のではなく、『できない』のだということを、真弥は次第にに痛感していきます。
一方で、彼は久が言っていた解決手段を、ないがしろにしていることに気づいていませんでした。
「だから今、父さんは由香さんの行動周期内から、『道連れ』を取り除く方法を検討しています」
「取り除く……?」
それもまた、真弥の中に無かった発想でした。
「厳密には、行動周期を『上書き』するんです。自殺しようとしている霊体なら、悩みを打ち明けてもらえるよう接してみる。うまくいけば、次に現れた時は自分の話を聞いてくれる人を探すように――当初の目的を上書きすることができるんです」
「す、すごいな、それ……! そうか、それが先生が言う霊体を相手にしたカウンセリングか!」
「もちろん、簡単ではありません。霊体にとって劇的な刺激となる介入なら、一回で上書かれることもありますが、通常はある程度の期間、継続して介入し続ける必要があります」
「でも、それで『道連れ』を上書きすることができるかもしれない。ひょっとしたら、未練も解消されて……」
「はい、彼女を消滅させることも可能かもしれません。この現象は『代償行動』と言って、元は心理学用語で――」
そこまで口にし、光莉はようやく自分の迂闊さに気がつきました。
希望が見えた真弥――その隣で、彼女の心音は密かに高鳴っていました。
「ちなみに、また細かい話だけど……呉ヶ野は、どうして成仏って言わないんだ?」
光莉が口にする、消し去るだとか消滅という単語には、成仏とは違う意味合いを感じます。
「あー……成仏って、あの世的なところに行く感じじゃないですか。わたし、それ信じてないので……」
「なんで、そこ信じないの!?」
「そ、そんなに驚きますか? 霊がいるからって、あの世があるとは限らないじゃないですか。だって、霊はふつうの人の目に見えないだけで、わたしたちと同じ世界に存在しているんですよ?」
……言われてみればそうです。
「よく、『この世の住人ではない』みたい言い方されてますが、そもそも彼らに本来の居場所なんてもの、あるんでしょうか?」
たしかに。雲の上、みんなが頭上に謎の輪を浮かべて暮らす世界が実在するかと問われれば……いや、そこまで露骨でないにしろ。
「……そうか。もしそうなら、お祓いで『ここはお前の居る場所じゃない』とか言われて、成仏せずに別の場所に移動するっていうのも納得できる……――」
――……待て。そうだとしたら……。
「ならさ……『成仏させる』って行為は、呉ヶ野はどう認識しているんだ?」
光莉は、一時の間を置いて答えました。
「……ですから……消滅させることかと……」
「それって……」
霊体にとっての命の概念が、人間と同じだとは思っていません。
しかし、それはつまり――
「……だからといって、その方法を避けたいわけじゃないです。逆に、由香さんみたいに苦しみに囚われた霊体は、一日も早くそうするべきだと思ってますから。……本人のためにも……」
光莉は……いえ、真弥の前では成仏という言葉を使っていた久でさえ、実はその行為に重責を感じているのかもしれません。
そして今、真弥も――人ならざる存在の由香に対し望んでいることが、人間に対するそれに相応する可能性があるのだと、認識せざるをえなくなりました。
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