第五話 「彼女が選ぶのは」

―01―

 悲壮、絶望――あの子が最期に抱いていた感情。


 それらを受け入れ同調しながらも、意識の片隅では密かに抗い――彼はかろうじて自我の糸を紡いでいるようだった。


 目の前には鉄の扉があった。ノブには南京錠。二人はしばらく立ち尽くしていた。

 少女に目線で何か訴えられたあと、彼は首をゆっくり横に振る。


『……ぼくには無理ですね』

『……そう……』


 短いやり取りを交わし、また立ち尽くす二人。

 やがて、あの子は目を閉じて深く息を吐いた。吐息の音は聞こえなかった。


 ため息を吐く時に目を閉じるのが癖だったね。

 その後は、独りきりになりたくてどこかに行ってしまう。

 そういうところも、変わってないね。

 

 解放された後、彼は片膝をついて息を荒くしていた。

『すみません……。本当はできなくもなかったのですが……』

 上着のポケットから取り出した鍵を見つめ、彼はつぶやいた。

 でも、わたしに気づくと呼吸を整え無理して笑顔をつくる。

『こんばんわ、お散歩ですか? お見苦しいところを見せしてしまいましたね』

 こんな時にも紳士な人ね。


――おツかれさま。

 

  *


 久しぶりの登校でした。

 ほとぼりは、まだ冷めてはいないでしょう。教室に向かうのは気が引けました。

 階段が目にとまると、足が自然と段を踏みます。最上階の踊り場には、刑事ドラマで見るような黄色いテープが張り巡らされていました。

 真弥は、テープを乗り越えて扉の前へと立ちます。


(ひょっとすると、今、この向こう側には――)


 その時、焦燥感に満ちた足音が階を駆け上がってくるのが聞こえました。

 血相を変えて現れたのは光莉でした。

「真弥さん……! なにしてるんですか?」

「呉ヶ野……どうして?」

「ここ……人が侵入すると、知らせてくれるんです……」 

 言われて、天井の監視カメラの存在を思い出しました。迂闊うかつでした。

「……べつに、なにをしに来たわけでもなかったんだ。ただ、なんとなく……」

 光莉は真弥を責めず、逆に自分に非があるかのような暗い表情で視線を落とします。

「……教室、行きませんか? そろそろ、授業――」 

 言ってるそばから、チャイムが鳴ります。

「……わるい、呉ヶ野まで……」

「……いえ……」


 二人が帰ろうとしたところに、遅れて久が駆けつけました。また説明にならない説明をします。

「そうでしたか。真弥さん……あなたとの時間は、積極的に設けたいと思っています。近々、またお話させてください」  

 去り際、久はそう言って真弥を気遣いましたが、連日の多忙さが堪えているのか、普段に増してやつれて見えました。

 教室に入ると、すでに授業は始まっていました。

 教師は最初、遅刻を注意しようとしましたが、相手が真弥だとわかると咎めるのをやめ、そのまま席に着かせました。


 その日の真弥への反応は、主立っては二通りでした。

 真陽瑠と仲が良かった友人らは、いまだ信じがたい出来事の真相と、彼女の容態を聞きだそうと取り巻きましたが、大半は腫れ物に触れるように、よそよそしく振る舞いました。

 光莉はそんな真弥の姿を後ろの席で見つめながら、彼女自身もまた、自分から話しかけることができずにいました。


 わだかまりを抱えたまま一日は過ぎて……放課後になって、声をかけたのは真弥の方からでした。

「あれから……いろいろ、知りたいことが出てきてさ……」

「……ええ。父さんは忙しいだろうから、わたしで良ければ……」

 教室には、もう他に生徒はいませんでしたが、まばらながらも廊下の人通りが気になったので、二人は教壇の方に移動して、そこを椅子代わりに腰をおろして話し始めました。 


「最初に……『霊』と、『霊体』っていう言葉の違いっていうか、使い分けについてなんだけど……」

 緊張して構えていた光莉は、気が抜けて思わず笑みをこぼします。

「ごめんなさい……つい。意外と細かい部分を気にするんですね。それほど厳密な話じゃなく、霊って言うのは、『人類』みたいに、彼ら全体を総じて言う時。霊体は逆に、特定の対象を指す感じですね」

「なるほどな。大したことじゃないけど気になってたんだ」

 真弥も少しだけ笑みをこぼした後――


「それじゃあ、本題だけど……由香っていう霊体は、具体的にはどうやって生徒を襲ってるんだ?」


 光莉は真剣な面持ちに戻り、語り始めました。

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