―06―

 夜、校舎の屋上に久と垣原の姿がありました。

 時刻は、学生だった垣原たちが心中を行おうとした頃合でした。

 うす暗い月明かりの下、熱帯夜の湿り気を含んだ風が音もなく吹き、肌にまとわりつきます。

 しかし、垣原はそのぬるい風にさえ凍えるように身を震わせ、手を組んでかつての親友があらわれるのを待っていました。

 喪を意識したのか、黒で統一したツーピースはシスターの修道服を思わせ、その姿は教会で祈りをささげているようでした。


 久は彼女を後ろから見守りつつ、絶えず周囲に気を配っていましたが……やがて、自身の心音の間隔が早まったことに気が付きました。

 いつもの、前兆のようなものでした。

 メガネの位置を調整し、屋上のフェンス付近を注視し――それを捉えました。


『垣原さん……いらっしゃいました……』


 垣原は、はっと目を見開いて、自分の前方を見据えました。

 ひとりの少女がたたずんでいました。薄手のパーカーとジーンズ姿で、虚ろ気にもの悲しく。

 その存在は希薄で、後ろにある風景を彼女を透かして見ることができました。

『……由香……?』

 垣原が夢見がちにつぶやくと、その声に反応して少女――由香が顔を上げました。

『……千種……』

 成長していても、由香にはそれが千種だとわかりました。

 霊体は、ゆっくりと歩み寄ってきます。それとともに、今までぼやけていた身体は密度と色彩を宿していき、やがて、セミロングの後ろ髪が風になびくまでになりました。

 由香が千種の目の前まで来た時、久は最大限の警戒を持って身構えながら――

『……垣原さん……!』

 垣原に、事前に打ち合わせたとおりの行動を促します。


 ……しかし、垣原は反応しませんでした。

 まさか、すでに憑依トランスが行われたのかと、久は焦りましたが……。

『……え……由香……?』

 垣原は――目の前の由香に目もくれず、周囲を見回しました。

『いるの……? 由香! ねえ、わたしはここだよ! 出てきて、由香!』

『……垣原……さん……』


――見えていない……。

 久はすぐに気づきました。垣原もしばらくして悟ったのでしょう。由香を呼ぶ声に悲壮感がこもります。

 でも、それを認められない――認めたくない彼女は、懸命に由香を呼び続けました。

 由香は……垣原の手を取ろうとしました。

 しかし、その手は垣原をすり抜けました。由香からすれば、まるで垣原の方が霊体であるかのように――

 それを確認した後――由香はさびしそうな顔をして、また身体の色彩を失い、境界の輪郭は希薄に戻り、やがて空気に溶けるように姿を消していきました。


「……垣原さん……駄目だったようです……」

 久はそう告げましたが、垣原は諦めきれずに由香を探し続けます。たった今まで、目の前に由香がいたことにも気づかないまま。


 ……いつの間にか、久の隣に白いワンピース姿の少女があらわれ、まぼろしの様な声でささやきました。


――つらいね。友達が見えないなんて。

『……ええ。つらい想いなら彼女はもう、十分にしてきたというのに……』


――でも、仕方ないんじゃないかしら。

『……………………』


――これは、彼女が望んだことだから。


 少女も、そう言い残して消えました。

 残された久は、遠い日に離れ離れになった二人の再会を見届けられないまま、無念さを抱きたたずんでいました。



「霊が見える――霊障を受けるかどうか――は、一般に言われる霊感より少し複雑で、あいまいな言い方ですが『波長』が合うかどうかに左右されます。結果として……お二人は、その関係にはありませんでした……」

 もし、波長が合ったのなら……かつての親友との接触は解決の足がかりになったかもしれません。

 それは、逆に言うなら……。

「そうなると……打つ手なしってことですか?」

「……いえ。手段がないわけではありません。過去に何度か、対話によって成仏まで導いた事例があります」

「対話って……霊相手に、カウンセリングするんですか?」

 拍子抜けしたように言う真弥に、久は真剣な面持ちで答えます。

「はい。心もとないように思えるかもしれませんが……これだけが、ぼくの武器なんです……」

 以前ほど心強く受け止められませんでしたが、カウンセリング室で目的を明かしてくれた日の既視感がありました。

 ただ、それでは……。


「……それだと、おれにできることはないと……?」

「それ以前に……」

 わずかな沈黙の合間をぬって、光莉が言いました。

「……真弥さんも、由香さんのこと見えてませんでしたよね……」

 指摘されて、言葉を失いました。

 唇をかみ締める真弥に、久が言いました。

「あなたの無念な気持ちに報いるすべが、今のぼくにはありません。あなたの分まで……などと、軽々しくも言えません」

 それは、久に限らずこの場にいる誰にも果たせないことでした。

「ただ、これ以上は傷つく人を出さない……その為に、全力を尽くすことをお約束します……」

「……おれは…………」

 何かを言いたくて……しかし、何も言えずにいました。


 重い沈黙をやぶったのは、真弥の携帯への着信でした。

 母親からです。焦って出ましたが、こわばった表情はすぐにやわらぎました。

「帰りの時間が知りたかったみたいです……」

「そうでしたか……。だいぶ、時間をいただいてしまいましたね……」

 いつの間にか、日は傾いていました。

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