第四話 「わたしのせいなの」
―01―
近づいてきた悲鳴のようなサイレンは、夕闇の迫る校舎に残響を轟かせて消えた。
人だかりが道をあける。白衣たちが少女を担架に乗せ――彼女のそばで、ずっとその名を叫んでいた彼と担任の先生が車両へと乗り込んでいった。
……もう一人。少女の友達が一緒に付き添いたいと懇願したけれど、担任はその肩に手を乗せ首を横に振り――どうやら、ねがいは聞き届けてはもらえないようだ。
そして、三人を乗せた救急車を茫然と見送ってから……置いていかれた少女は我に返ったように携帯を取り出して、悲痛な声を上げた。
「――父さん……父さん、真陽瑠さんがぁ!」
空も――校舎も――回るランプも――あの子の血も――
全てが、赤かった。
*
病院に到着する一台の車――正面の入り口付近に停車すると、助手席から光莉が飛び出しました。彼女を下ろした車はそのまま駐車スペースへと向かいます。
受付で事情を説明し目的の場所へとたどり着くと、そこには長椅子に腰をおろす真弥と、担任の中西の姿がありました。その奥には突き当りに部屋が一つだけあり――ドアの上には『手術中』と書かれた表記に赤いランプが灯っていました。
その光景に、立ちすくむ光莉――
最初に気づいたのは、中西でした。立ち上がり、小走りで光莉へと駆け寄ります。
「来たのか……。今、倖田の妹は手術中だ。心配なのはわかる。……けどな、ご家族もそろそろ到着すると思うが、これから長い時間、祈って待つことしかできないんだ。……だからな――」
学校の時と同じく、光莉を説得しようとする中西でしたが、その後ろから真弥が歩み寄ってきました。額には、救急車の中で施された応急処置の包帯が巻かれていました。その痛々しい姿に、光莉は顔を背けました。
……違う。彼を面と見れない理由は、そんなことではありませんでした。
「先生……呉ヶ野と話したいことがあるんです」
虚ろな声でした。
「……二人にさせてください……」
中西は二人の教え子に一度ずつ振り返ってから、目をつむり言いました。
「……わかった。ちょっと、学校と連絡を取ってくる」
中西の靴音が遠のき、聞こえなくなるまで、二人は無言のまま待ちました。
そして、冷たい静寂が訪れると……真弥は口を開きました。
「……呉ヶ野……なにが起きたんだ?」
光莉は、口をつぐんだままでした。
「教えてくれ。真陽瑠がこんなことになったのに……理由もわからないままなんて、やりきれない……」
「ぼくから、お話します……」
いつの間にか、久の姿がありました。
「……先生……」
真弥の声に、意識が宿りました。それは……憤りでした。
「先生……どういうことですか……? おれに言ってくれましたよね? もう、あんなことが起こらないようにするために……解決するために自分が来たって! なのに……」
声に次第に怒気をはらませながら、真弥は久へと歩み寄ります。
「防げなかった……! 守れなかったよ、真陽瑠のこと!」
今にも久の襟首に掴みかかりそうな真弥――その右手を、光莉が後ろから掴みました。
「……悪いのは、わたしだから……父さんを責めないで……」
光莉はうつむいたまま、か細い声でそう言います。
「いえ、光莉……ぼくの責任です。認識が甘かった。そして、こうなる前に解決することができなかった……」
「……二人とも、なんの話を――」
その時、足早でこちらに近づいてくる靴音が聞こえました。
母親かと思い視線を向けた先に居たのは、別の若い女性でした。真弥が知る、ある人物に似ていましたが、
「倖田くん……」
名前を呼ばれて、確信しました。
「垣原先生……?」
それは、高校入学当初の担任だった垣原でした。もう自分たちとは関わりのないはずなのに……。
(どうして……)
混乱している真弥の肩を、垣原が掴みます。
彼は次の瞬間、かつて自分たちに教育者として接していた人間が、その権威や威厳のすべてを瓦解させる様を目の当たりにしました。
「ごめんなさい! わたしがいけないの! みんな、わたしのせいなの! ごめんなさい……!」
思考が焼き切れました。
絶句するしかない真弥に対し、まだ言葉つたない子供が泣きじゃくるように理解不能な謝罪を続ける垣原――そして、
「垣原さん、どうしてここに……」
それを口にしたのは、久でした。
蜘蛛の巣のように、いつのまにか身の回りに張り巡らされていた得体の知れない関係の糸は、思考を止めた真弥には、ただただ不快で不気味なものとだけ映りました。
「先生……! ニュースで見たんです。また、学校で生徒が飛び降りたって! また関係ない子が犠牲に――また、あの子が!」
「ちょっと、待てって!」
真弥は、とうとう耐え切れずに叫びました。
「……誰のせいか知らないけど……おれを外して、好き勝手やらないでくれ! わかるように説明してくれ!」
外の騒ぎにたまりかね、手術室の扉が開き、切迫した女性看護師が顔をのぞかせます。
「……
全員が、吐露したい感情を押し殺し、沈黙する以外にありませんでした。
真弥は砕かれたように長椅子に沈み――しばらくして、久が動きました。
彼は、真弥の前で深々と頭を下げます。
「……真陽瑠さんを守れなかったこと……申し訳ありません……」
「…………」
「今回の件、あなたには経緯をお話しなくてはいけないと思っています……。ただ……長くて、つらい内容です。そして、真陽瑠さんが予断を許さない状態である、今は……」
真弥はくやしそうに、ただ沈黙を守っていました。
「……必ずお話します。落ち着いた時に、連絡をください。いつでも構いませんから……」
そう言って、久は自分の連絡先が書かれた名刺を真弥に差し出しました。
しかし、真弥はうなだれたまま反応せず――久は真弥の膝の横に名刺を置き、また、深々と頭を下げてから光莉と垣原を連れて、その場を後にしました。
去り際、廊下を歩きながら光莉は振り返って、真弥と――その奥の暗がりの部屋の中で死と戦っている真陽瑠を見つめ――
「――……めんな……さい……」
あふれる涙をぬぐうように、久の手が光莉の顔を覆いました。
残された真弥は、自分の膝の横に置かれた久の名刺をつかみ……それを握りつぶして、震え……また深くうなだれました。
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