第二話 「だから、ここに来ました」

―01―

 教室の戸を、少女は静かに開いた。

 まだ、生徒は誰もいない。

 

 陽がのぼっても、明かりを灯していない室内は、こんなにも、うす暗い。

 外の日差しはむしろ、この閉塞された空間に影たちを追いやる。


 少女が席に着くと、それに気づいて一人の少年が話しかけてきた。

 はにかんだような笑顔で、いろいろと気さくに語ってくる彼……しかし、少女は対照的に、物憂げな表情で、ひとつ、息を吐いた。


「……いったい、どんな人でしょうね。あなたをこんな風にしたのは……」


 また、一日がはじまるね。


 *


 真弥が教室に着いた時、光莉の机はまだ空席でした。

 そして、始業一分前になっても、音沙汰ありませんでした。


(おいおい……登校二日目にして遅刻か? いや、もしかして休み? まさか、もう二度と学校に来ないなんてことは……)


 段階的に悪い方へと心配をつのらせていた真弥でしたが、チャイムとほぼ同時、後ろの戸から光莉が入室しました。

 しかし、彼女は手ぶらで、よく見ると席にはすでにバッグがかかっていました。 

 ……登校はしていたようです。



「おはよ。朝、どこに行ってたの?」

 休み時間になってからたずねると、光莉はきまりが悪そうに目をそらしました。

「べつに……ちょっと席を外してただけです」

「ひょっとして、昨日の『ひとりオリエンテーション』の続き?」

「……あまり、バカにしないでください……」

 からかったら、しゅんとさせてしまいました。これはいけません……。

「ごめん、そんなつもりじゃなくて……ほら、真陽瑠が言ってたじゃん。どうせなら自分が案内するって」

「……あれって、本気ですか? わたしは――」


 光莉の表情が憂鬱に曇った時、タイミングを計ったように後ろのドアから真陽瑠が登場しました。


「おっはよ!」

「うあ、出た……」


 真弥の耳は、光莉の動揺の声をしかと拾っていました。

 そんなリアクションをされたとも知らず、真陽瑠は光莉の机にいきおいよく両手をつきます。

「次、移動教室なんだけど、通りすがりに顔見に来た!」

「はぁ……それはどうも」

「でさ、昨日も言ったけど、今日の放課後も学校まわるなら、あたしが案内するからさ!」

 旬な話題です。

「お……おかまいなく。ほら、真陽瑠さんも他に友達づきあいとかあるでしょうし……」

「友達? うん、いるいる! そうだ、その子たち昼にでも紹介するよ!」

「そ、そ、そういう意味じゃなくて、わたしなんかに付き合ってると、そちらの交友関係に支障をきたすんじゃないかなと……」

「ううん、全然! それに、放課後はみんな部活に行っちゃうし」

「……真陽瑠さんは、部活はやってないんですか?」

「あー、あたし実はテニス部に入ってたんだけどね、練習がきつくて一週間でやめちゃったんだよねー!」

「おれもバスケ部に入ったけど、一週間でやめた」

「……なんか、そういうところ、双子ですね」


 まだまだ話し足りない様子の真陽瑠でしたが、「授業遅れるぞ」と真弥が煽ると、しぶしぶ教室を出て行きました。

「ふぅ、身内ながら、ほんとさわがしいわ。――そういえば、昨日の夜に真陽瑠から連絡あったろ? 『返事がなーい……』とか、しょげてたぞ」

「ああ……そういえば。わたし、あのアプリの使い方、よく知らないので……さわるの億劫なんですよね……」


 光莉は携帯を取り出すと、昨日の帰りに真陽瑠にインストールさせられた無料通話アプリ『ランカ』を起動しました。

 通話だけでなくインスタントメッセージのやりとりもできるので、いまどきの学生は、これで連絡をとりあうのが定石です。

 ……それを、よく知らないということは……言わずもがな。

 真弥は、アプリの使い方をざっくりと説明してあげました。


「――と、こんな感じ。まあ、あいつの話はくだらないから、適当に一言、二言返して、あとは『もう疲れたから寝る』とか返事しとけばいいさ」

「そうですか。……あの、訊いてもいいですか?」

「うんうん! なに?」

「適当な返事を自動で返してくれる機能ってありますか?」

「……いや、あんたさすがにそれは……」

 そんなやりとりをしているうちに、始業のチャイムが鳴りました。


 次の休み時間には、移動教室から戻った真陽瑠が笑顔で手を振り廊下を通り過ぎて行きました。

 それを見届けてから、真弥は光莉に尋ねます。

「そういえばさ、昼はどうするの?」

「昼食を食べます」


 ――ディスコミュニケーション。


「そりゃ、食べるだろうけど……ほら、真陽瑠が一緒に食べようって誘ってくるかもなって」

「……わたし、父さんのところに行こうと思ってます。もし真陽瑠さんが来たら、適当にとぼけておいてもらえますか?」

 すでに、露骨な回避行動に出ています。……にしても、父さんのところというと。

「カウンセリング室のこと?」

 教員は、担当教科の研究室を持っていますが、久は三階の一室を割り当てられ、そこが研究室を兼ねたカウンセリング室ということになったようです。昨日の始業式でそう説明がありました。

「でもさ、生徒の面談って昼とか放課後に集中するんじゃないの?」

「……そうなんです。まだ開業してないから、今日とかはいいんですけど……」

 開業という言葉を使うあたりが、クリニックの娘です。

「あとさ、非常勤だから、学校にいない日もあるんだろ?」

「……ですね……」

 光莉が消沈します。真弥は、ここらを落とし所と見ます。

「だからさ、そういう日は、真陽瑠と一緒に食べたらどうかなってさ」

「……真陽瑠さんと、その量産機みたいな、さわがし――いえ、元気なお友達と一緒にってことですよね? あまりそういう雰囲気は得意じゃなくて……」

「いやいや、真陽瑠みたいなやつ、そう何人もいないから……」

「とにかく……ひとりで、気兼ねなく居られる場所が欲しいんです。どこか知りませんか?」


「……――ト」

「トイレ以外で」

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