―07―
運良く、光莉とは途中まで帰り道が一緒でした。
真陽瑠を真ん中に、三人は並んで歩きました。
学校周辺の田園地帯を横断する道は、少しすると木々に囲まれた下りの坂道へと続きます。
周囲にはまばらに家が何件か建っているだけなのですが、夏は蝉がこれでもかと鳴きわめく、自然の騒音地帯と化していました。
「え、武士? お侍さん?」
真陽瑠のアンポンタンな聞き間違えに、光莉はうんざりしながら声を張ります。
「虫です! 虫! 昆虫! それを撃退したんです! 虫が大嫌いなんです!」
「あぁ、虫かぁ。あたしも虫は嫌いだけど……虫に除菌スプレーかけたの?」
「は、はい。わたし特製の除菌スプレーはアルコール度数が高いので、虫にかけると死にます! あと、痴漢撃退にも使えます!」
自分も噴射されたことを忘れたのか、真陽瑠は素直に「すごい、便利!」と感心しました。
「じゃあ、その後に塩まいたのは?」
「……あ、あれは、塩ではありません。あれも虫を殺す薬物です。ダメ押しにと思って散布しました」
「え、そうなの……? 味は塩そっくりだったんだけど……」
「味? 味って……まさか、食べたんですか?」
「うん……ほんのちょっとだけど……あたし大丈夫かなっ!?」
「……マジですか……?」
「うん、マジ! それって、ヤバイ? ひょっとして……死ぬ!?」
言うまでもなく、得体のしれない粉末を拾い食いするという行為に対してのドン引きですが、真陽瑠はその反応を『死の宣告』と受け止め、真っ青になります。
「解毒剤は無いのっ!?」
泣き出しそうな真陽瑠の顔から目をそらし、光莉は投げやりに言いました。
「……少量なら、人間に害は無いかと……」
「そ、そうなんだ……良かったぁ……」
真陽瑠は、ほっと息をはきます。
「殺虫剤を味見して中毒死とか、残念な死に方しなくて良かったな」
「うん!」
小馬鹿にして言った真弥でしたが、真陽瑠は心底うれしそうでした。
そんな彼女の横顔を、光莉は憐れみをもって眺めました。
(……あぁ。この人、やっぱバカなんだ……)
さて、命の危険が去った真陽瑠は、意気揚々と質問を再開します。
「でも、その薬が保健室の床に置いてあったのは?」
「……寝てる間に、寄って来られると嫌ですから。……習慣なんです」
「そうだったんだ。ぬいぐるみがないと眠れないのと一緒だね!」
全然違うのですが、面倒なので「まあ……」と生返事しました。
しかし、次の質問はそうもいきませんでした。
「じゃあ、あたしに除菌スプレーかけた後、『人間?』って言ったのは?」
光莉は、一瞬、言葉を詰まらせたようにも見えました。
しかし、すぐにそれが気のせいだと思わせるような、自然な調子で答えました。
「虫と間違えました」
「ああ、なるほ――」
「いや、それは無理だ」
真陽瑠が納得しようとした傍らで、真弥は思わずツッコんでしまいました。
すると、光莉がこの帰りの道中において、初めて彼へと視線を向けてきました。
……どことなく、恨みがましさがこもっていました。
(この人は、一応まともか。面倒くさい……)
(こいつ、さては、おれを真陽瑠と同レベルに見てたな……)
その点は不名誉ですが、二人の交流を邪魔する気など毛頭もない真弥にとって、ツッコミが「余計なこと」だったという認識自体は共通していました。
ぽかーんとする真陽瑠越しに光莉を眺め、なんらかフォローを考えていると……ふと、気が付きました。
「あ、呉ヶ野さん。頭に毛虫がついてる」
「え…………」
光莉は、ぴたりと足を止めます。
その足の先から発生した震えが、次第に全身へと伝播し、ただでさえ色白の顔を、さらに蒼白へと変えます。
そして――
『うわわわわわわわわわわわわわわわわっ!』
クールだった少女のキャラ崩壊に、真弥は思わず吹き出しました。
しばらく眺めていたいですが、さすがにかわいそうです。
「冗談だよ」
……暴れていた光莉が、ピタリと動きを止めました。
「ごめんな。ちょっとからかってみたくなって……」
唖然としていた光莉の表情が一瞬だけ安堵し……すぐに、さっき以上に険悪なものへと変わりました。
「ちょっと、真弥ぁ、最低! 信じらんない!」
真陽瑠がきびしい口調で真弥を責めますが、光莉から背けている顔は半笑いでした。
この顔をコキっと反転させ光莉に見せてやりたいところですが、無言で道端の石を拾った彼女を制止するのが最優先です。
「はい、待った。呉ヶ野さん、そのまま動かないで」
「はっ?」
光莉が一時的に警戒を解いた隙に、真弥は手で光莉の頭を軽く払います。
……何かが地面に落ちました。
女子二人が、かがんで確認すると――それは、指の先くらいの大きさの毛虫でした。
「うあっ!」
「ひゃあっ!」
二人は、バックステップで飛び退きます。
「じょ……冗談じゃないじゃないですか……!」
「あばれてると、取りにくかったからさ。ここらの木の下を歩く時は、気をつけたほうがいいよ」
してやったという顔で、真弥が笑いました。
「虫嫌いは、本当なんだな」
光莉はその言い方に、何かふくみを感じとったようです。
「……ありがとうございました」と礼を述べるも、声も顔も不満気です。
「こらぁ、真弥! ごめんね、呉ヶ野さん。こいつ、こうやって人をおちょくる癖がある悪いやつだから!」
「今のはそんなんじゃないって。呉ヶ野さん、こいつこそ、いろいろと遠慮がなくてごめんな。なにしろ空気が読めないやつでさ」
「ええ! なんであたしが、フォローされるわけ?」
そんな風に小競り合いを始めた二人を見て、光莉はあきれたように息を吐き、先に歩みをすすめます。
真陽瑠はあわてて、彼女に追いつき言いました。
「ごめん、ごめん! たしかに、あたしばっかいろいろと質問攻めしちゃってたよね。よし、攻守交替しよう! 呉ヶ野さんも、あたしになんか訊きたいことない? なんでも答えるから!」
本当に唐突な娘です。光莉は、「いや、別に……」と困惑していましたが、ふと思い出したように言いました。
「……そうだ。あの学校にまつわる『怖い話』って、なにかありますか?」
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