―05―
廊下の先に、光莉の後ろ姿が見えます。
このまま帰られでもしたら真陽瑠としてはショックでしたが、下駄箱付近の階段で上の階にのぼって行きました。用事があるのは本当のようです。
「……二階に行ったね」
「三階かもしれないけどな」
「四階ってことも?」
「……真陽瑠さん。うちの校舎、三階までだ……」
相変わらず、真陽瑠は抜けています。
「お、屋上のことだよ!」
「へえ、屋上でどんな用事だろうねー?」
そう言って、負け惜しみを言う真陽瑠をからかった直後……真弥は、自分の言葉の迂闊さに気が付きました。
今しがたの別れ際に見た、光莉の生気のうすい『さようなら』が脳裏によみがえります。
――ひょっとして、新生活への不安に、心を病んで――。
光莉がのぼっていった階段の手前まで来ました。
そこで、二人ともぴたりと足を止めます。
「し、真弥! 呉ヶ野さんの用事がなんなのか興味ない?」
「ま、まあ、暇だし付き合ってもいいぜ!」
二人は不吉な思いをひたかくし、白々しいまでに明るいノリでやり取りを交わした後――血相を変え、階段をかけ上がりました。
……が、あわてたわりに、光莉はすぐ上の二階であっさりと見つかりました。まずは一安心です。
「そういえば、屋上って今、外に出れないようにドアにチェーンの鍵かかってるから心配なかったね。なんかすごいんだよ、監視カメラとかも付いちゃってて」
「へえ、そんなことになってんだな。それにしても……あの子は、どこ行くんだ?」
西校舎の方に歩いていきますが、そこにあるのは理科室や家庭科室、社会科資料室に図書館といったところです。
「……あ、家庭科部!」
真陽瑠はピンときたようです。
「あそこ、放課後は家庭科部で使ってるの。そっか、呉ヶ野さん料理とか裁縫に興味あったんだ!」
真陽瑠は、エプロン姿の光莉を思い描いて、口元を緩ませました。
一方、真弥も同じ姿を想像したのですが、暗い表情で包丁を握る姿が浮かんでしまい、真陽瑠とは対照的に緊迫した面持ちとなりました。
そうこうしているうちに、光莉は予想どおり通路の突き当りにある家庭科室へと入っていきました。
真陽瑠は、「ヨシ!」と親指を立てましたが、直後に家庭科室の戸が開き、あわてた光莉が飛び出してきました。
「……あれさ、どう見ても部活してるの知らなかった感じだろ」
部活見学ではなかった?
では、家庭科室そのものに用事があったのでしょうか?
引き続き観察していると、今度は理科室に入って行きました。
実は目的は理科部?
……いいえ、この学校にそんなものはありません。無人の理科室で何をしているのか、皆目検討がつきません。
「なにしてるんだろ? あたしたちも行ってみる?」
「いやいや、待て…………ってか、出てきたぞ」
そして、今度は理科室の横の図書館に注目しているようです。結局ここにも入っていきました。
こうなると、考えられる可能性は一つ。
「ひょっとすると、決まった場所に用事があるわけじゃないのかもな」
「どういうこと?」
「オリエンテーション。転校したてだから、いろいろ見て回りたいんじゃないか?」
「あ……なるほど! それならあたしたちで案内しようよ!」
そう言って、飛び出していこうとする真陽瑠の襟首を掴みます。
「尾行してたのがバレるだろ。逆に印象悪くなるぞ?」
「そうかなぁ……?」
そうこうしているうちに、光莉が図書館から出てきました。
あと、残っているのは社会科資料室ですが、その前に、付近にあるトイレの存在も気にかけているようでした。
「……居ませんように……」
尾行する二人には届かない声でボソリとつぶやき、女子トイレへと入って行きました。
「トイレ見学? それとも、ふつうに使いたかったのかな?」
「お、おれに聞くなよ……」
ほどなく、トイレから出てきた光莉ですが……今度は男子トイレへと視線を向けます。
――まさか……と、二人がハラハラしていると、
「……さすがに無理……」
光莉はぷるぷると首を横に振って、今度こそ社会科資料室へと入って行きました。真弥と真陽瑠は、同時にホッと胸をなでおろします。
「そうだよね、ちょっと無理だよねぇ」
「ちょっともなにも、ふつうは悩まないだろ……」
「それよりどうする? もう見る教室無いから、こっち来るかもよ?」
たしかに。次は三階に行くのだろうと予想した二人は、今度は階段の影に身を潜めることにしました。
しばらくすると、資料室の引き戸が開く音がして、予想通り光莉がやってきました。
……ところが、様子が変です。すぐに階を移動せず、しきりに自分の後方を確認しているのです。
(なにしてんだ? 誰かついてきてるのか……?)
――と、次の瞬間。
「うわわわ!」
――――!? さきほどから気にかけていた何かが、急激に迫ってきたのでしょうか? 光莉が驚きの声をあげて、後ずさりしました。
しかも、後退の最中にバッグから除菌スプレーを取り出すと、自分へと迫ってくる者に向けて連続で噴射しはじめたのです。
その姿はさながら、ホラーゲームのゾンビに対するガンアクションでした。
『……………………』
ただ……おそろしいのは、その光景を見守る二人には、光莉に迫っているものが見えていないことでした。
――おまえはいったい何と戦ってるんだ? とは、何の台詞だったでしょうか……。
ここまで直接的に使用されるものではなかった気もしますが、現状にこれほどマッチしたフレーズはありません。
さて、光莉はひとしきりスプレーを連射した後、それをバッグにしまい、入れ替わりに小瓶を取り出します。
中には白い粉――真陽瑠の報告によると塩。
蓋を開けそれを手に取ると、異様なアルコール臭ただよう空間めがけ、トドメの一撃とばかりにまきちらします。
そこまでやって、ようやく気が済んだのか……彼女はワイシャツの袖で額をぬぐい、
「あー……こわ……!」
そう一言つぶやくと、バッグから手のひらサイズのほうきとチリトリのセットを取り出し、ばらまけた塩を片付けてから、ようやく三階へと上っていきました。
(こ……怖いのは、おまえだ……!)
真弥は声に出して叫びたい衝動を、物陰で必死にこらえていました。そんな真弥の耳元で真陽瑠がささやきます。
「ね……ね! 見たでしょ! すっごくおもしろい子でしょ!」
「おもしろいっていうか、あれはもう……」
光莉が暴れた場所まで行くと、まき散らした除菌スプレーのアルコール臭がただよっています。
いや……ここまで強い香りは除菌スプレーなんかじゃありません。むしろ、酒そのものかもしれません。
(やばい……。こりゃ、思った以上にやばいやつかもしれない……)
これ以上付けまわすと、さらに衝撃的な場面を目撃してしまうかもしれません。
即刻、尾行を中止すべきと真陽瑠に提案しようとした時――。
「おや、アルコールのにおいがしますね……」
背後から男の声が聞こえました。声質からして生徒ではありません。
「あ、おれたち、酒とか飲んでませんから!」
「はい、きっと除菌スプレーのにおいだと思います! 無実ですから退学にしないでください」
二人はとっさにそんな言い訳をします。
言い訳というか事実なのですが、事情を知らない者からすると、逆に無理のある説明でした。
しかし、それを聞いた男は、納得したようにうなずきました。
「たしかに……。これは、ぼくがよく知っている『除菌スプレー』のにおいですね」
その顔には見覚えがありました。
今日の始業式で紹介されていたスクルールカウンセラーで、今まさに尾行している光莉の父親――呉ヶ野久、その人でした。
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