試合観戦
明くる土曜日、わたしは内藤とデートをすることにした。行き先は『マカロニ』からは少し離れた『ぶどうが丘公園』だ。緑豊かなこの公園には、有料の予約式で利用できるスポーツ区間が設置されている。
フットサルコートを一面予約したわたしが時間通りに到着すると、既に内藤は準備ができていて、寒空の下、ひとりで動きの確認を行っていた。
長袖長ズボンのジャージに身を包んだわたしとは違って、内藤は半袖半ズボンの気合の入った格好をしていた。ハーフパンツから突き出た両足は厚い筋肉を伴っている。
準備運動を施し、わたしのウォーミングアップがてらにパス交換からはじめた。試しに腰の高さの受けにくい位置にボールを蹴りこんでみると、すぐに内藤の有能さがわかった。
彼はこともなげにそれを受け、ワントラップで一番蹴りやすい位置にボールを置く。
「左利きか」
わたしがそう呟くと、わたしの右足に吸い付くようなボールが送られてきた。
体の届く位置に送られる、あらゆるボールに内藤はうまく対応した。時に太ももや胸を使い、わたしの送るパスたちを、すべて左足手前の一番蹴りやすいところにコントロールするのである。
次はラストパスの処理を見てみよう。
トラップの方向を変え、ゴールのひとつに向かってゆっくり歩く。軽いアイコンタクトで意図を察した彼は、そのゴールに向かって駆けだした。
もちろん全力疾走ではないのだろうが、方向転換の鋭さ、加速しトップスピードに乗る勢いと、内藤はわたしの予想を大きく上回る動きを見せた。
頭も悪くはなさそうだ。わたしは彼の走る速さを頭に入れ、良い按配の場所にわざと不正確なボールを蹴った。内藤は走り込んでパスを受け、ワンタッチで容易にゴールに蹴り込んだ。
フットサルコートのふたつのゴールを往復し、わたしは様々なアシストパスを内藤に送った。速いグラウンダーや難しいバウンドにも内藤は合わせられ、ボールを受ける前の動きにも大きな欠点は見当たらない。ディフェンダーがいないにも関わらず、それを想定した正しい動きが体に染みついているのだ。
「僕、どうですか?」
休憩中、水を頭からかぶりながら、内藤はわたしにそう訊いた。息はほとんど上がっていない。流れた汗が水と混ざり、湯気となって彼の体を包んでいる。
「悪くない。というか、年齢やカテゴリーを考えると、とても良い方だと思う」
わたしは思ったままを口にした。
正しい鍛錬を積み重ねているのだろう。実際内藤の技術は確かなもので、Bチームの実戦で鍛えられていないのが不思議なほどである。
1対1に難があるのかもしれないと思ったわたしは休憩を終え、ボールをもった内藤と対峙した。
ハーフライン付近からつっかかってくる内藤を迎え、わたしは彼の周囲に注意を払った。
股を抜かれないよう足は大きく開かず、左右の動きに対応できるよう極端な半身にもならない。わたしの防御姿勢を見た内藤は感心したようにステップを変え、細かく肩を揺すってわたしを幻惑しようとした。そんなフェイントはわたしには効かない。
わたしはスピードに乗って迫り来る内藤と適切な距離を取るように、やや後退しながら彼の行動を見守った。
内藤がボールを素早く跨ぐ。わたしはそれにつられない。わたしは彼の足捌きに集中し、またボールの動向にも集中しながらも、彼の体全体を眺めるように注意を払う。プロになっていてもおかしくないほどの能力をもつ内藤に対して積極的にボールを取りに行けるような技術はないので、わたしは抜かれないことを第一に心がけた。
再び内藤がボールを跨ぐ。わたしはそれにつられない。そう思った瞬間、内藤は爆発したように加速した。わたしの足の届かないギリギリの位置をボールが走り、彼はそれについていく。
それでも伸ばしたわたしの足をものともせず、内藤はわたしを完全に抜いた形でボールをコントロールし、腹が立つほど丁寧に、ボールをゴールに蹴り込んだ。
ネットに絡んだボールを内藤が拾う。何度試してもわたしは抜かれた。
内藤はスピードを利用したフィジカルな抜き方でゴールし、細かなフェイントを駆使したテクニカルな抜き方でゴールした。
「まいった。降参だ」
やがてわたしは完全に息が上がってしまい、流れる汗を袖で拭いながら両手を挙げた。
内藤は1対1にも弱くない。わたしの技術はプロレベルには遠く及ばないが、ひとつの物差しとして利用することはできる。少なくとも、それを理由に受け入れられないことはない筈だ。
「なんで君はユースチームなんだ? 問題はまったくないように見える。熱心な守備が求められるのか?」
水を飲みながらそう訊くと、「最近点が取れなくて」と内藤は答えた。
「フォワードは、点を取れなければ評価されません。なんだか最近点が入らず、何が原因なのかもわからないんです」
ピザまんに頼りたくなるほどです、と内藤は苦笑混じりに呟いた。
動きや技術に問題はない。もちろん身体的な問題もなく、シュートまでは持っていけても不思議とそれが入らなかったり、いつもは成功するトラップが少し流れてしまったりするらしい。
軽いイップスのようなものなのかもしれない。残念なことだが、同時によくあることでもある。
わたしは大きくひとつ息を吐く。そしてこの小柄なフォワードの選手をしばらく眺める。
「ピザまんは好きか」とわたしは訊いた。
「好きですけど、それがどうかしました?」
わたしはそれに答えず、質問を続ける。
「点を取るのは好きか?」
「もちろん好きです」
「それが、どのような得点であっても?」
「もちろん。泥臭い得点もPKでの得点も、1点は1点です」
その答えを聞いたわたしは顔を上げ、少し雲の流れを目で追った。内藤は純粋な目でわたしの言葉を待っている。
わたしは駆け出しとはいえ雑誌の記者で、今のところ専門はサッカーだ。様々な選手をこれまでに見てきた。当然ながら、その中には類まれな才能に恵まれながらもほかの何かに恵まれず、そのまま大成しなかった選手もいる。プロの選手になるためにいくつものふるいにかけられ、プロになってからも続く競争の果てに、途方もない道のりを経たものだけが『良い選手』、そして『優れた選手』と呼ばれるのである。
凍りついた局面を打ち壊すことのできる、ほんの一握りの優れた選手。わたしたちはその者を『クラック』と呼ぶ。わたしは世界のクラックたちを知っているが、どうすればその境地に至れるのかは想像もつかない。
おそらく内藤はまだ基礎をきちんと習得すべき年代で、目先の数字や契約に囚われるべきではない、というのが常識的な考えというやつだろう。わたしも完全に同意する。彼のような若い選手は小手先の技術を得るよりも、まず確固たる基礎を大きく築き上げるべきである。
しかし、と同時に考える。彼に大きな器が伴っているとするならば、わたしの小ざかしい介入など、問題になる筈がないのではないだろうか。わたしがこの場で与えられる知識など、彼は遅かれ早かれ手に入れるだろう。それがどのように彼のキャリアに作用するかは誰にもわからない。
いずれにせよ、わたしは今後彼のキャリアを追うことだろう。大きくひとつ息を吐き、わたしは内藤の目を見て軽く微笑む。
「シャワーを浴びて帰ろうか」
わたしは彼にそう言った。「このままでは風邪をひくよ」
拍子抜けした様子の内藤は不満げながらもわたしの言葉に従う。わたしたちはシャワー室で身をすすぎ、普通の服に着替え直した。
「君に魔法をひとつ与えよう」とわたしは言った。「これも何かの縁だから」
まだ濡れている髪をタオルにこすりつけながら、内藤はわたしをじっと見つめた。
フォワードにとって、点の取れない時期は避けられないものである。まずもってわたしは、内藤にそのような前置きを話した。
「君のように能力は十分にある場合でも、なぜだか点が入らない、ということは珍しくない。たいていの場合、どうにか1点入れば呪いは解かれ、次々にゴールが生まれるものだ」
「今の僕には、その1点が遠いんです」
「そうだろうね。これからわたしが授ける魔法は、その1点を生み出すものだ。それ以上でも以下でもないし、ゴールが続かない場合、君の評価はむしろ落ちるかもしれない」
それでも良いか、とわたしは訊いた。内藤は少し迷いながらもはっきりと頷いた。
「それでは教えよう。なに、反則ではないよ。反則だと点が入らないからね。それでも君のような若い選手は小手先ではない技術を伸ばすべきで、わたしは本来このような方法を取るべきではないと思っている」
使うかどうかは君次第だ、とわたしは言った。「ご利用は計画的に」
そして、わたしは内藤に、何をすれば良いのか説明をした。
取るべき動きとその根拠、得点をあげられるメカニズムについての説明を聞いた内藤は感心のため息をつきながら、大きく何度も頷いた。
「――こんな方法があるんですか」
「あまり上品なやり方とは言えないね。こういう点の取り方をどう思う?」
「正直言って、あまり好きではないですね」
「だろうね。おそらく君は性格が良いのだろう。わたしは正直なところ、実はこういうのも好きなんだ。だから知ってる」
きっとわたしは性格が悪いんだろうね、とわたしは言った。「試合は明日だっけ」
「観に来てくれるんですか?」
「行くよ」
「それじゃ、僕と賭けをしませんか」
「賭け?」
彼は大きく頷いた。
「魔法を使わず得点したら、また僕にピザまんをおごってください」
「ピザまんか」とわたしは呟いた。「そんなにピザまんが好きなのか?」
「そういうわけじゃないです。確かにあの店のピザまんはすごく美味しかったけど」
ピザまんは縁起が良いんですよ、と内藤は言った。
「河相さんとの思い出になったら、いっそう縁起が良くなります」
「そんなことで頑張れるのか?」
わたしが少し笑ってそう言うと、内藤は力強く頷いた。「頑張れます」
「そうか」とわたしは小さく呟いた。内藤に近寄り、右手で作った拳で彼の胸部を軽く突く。「それならがんばれ。わたしはそれを見ていてあげよう」
内藤は、やはり大きく頷いた。
○○○
日曜日は晴れだった。試合日和だ。わたしは欠伸交じりに内藤に教えられた場所に足を運んだ。それは小さな、スタジアムと呼ぶのは気が引けるような試合場だった。
それでも試合場である。まがりなりにも芝の敷かれたフィールドは、見ていてうらやましくなるほど美しかった。
どうやら無料で見られるらしい。わたしは観客席に登ると、一番高い位置にある席に向かった。選手を間近には見られないかわりにフィールド全体を見渡せて、わたしは最前列で観戦することはほとんどない。
狭い観客席にも人はまばらだった。いるのはわたしのような物好きか、あるいは選手たちの身内くらいだ。
試合がはじまる時間になると、選手たちが入場してきた。内藤の姿が現れた瞬間、観客席から黄色い声援が飛ぶ。
「内藤! 点取るのよー!」
内藤の家族か友人か、あるいは恋人なのかもしれない。活発でかわいらしい女の子だった。ふわふわとした金髪が動きに伴い揺れている。
「やれやれだ。わたしというものがありながら」
わたしが勝手なことを呟いていると、試合開始のホイッスルが鳴った。
内藤はふたりいるフォワードの、右側にポジションをとっていた。相方を組むのは長身の選手で、小柄な内藤とは相性の良い組み合わせなのかもしれない。
相手のボールになると勤勉にプレスをかけ、味方のボールになると一度中盤付近まで降りていってパス回しを楽にする。相方フォワードがどっしりとペナルティエリア付近に収まるのとは対照的に、内藤はフィールド内を所狭しと駆け回っていた。
「どうやら思った通りだな」わたしが頬杖をついて呟くと、
「何が思い通りなんだい」と声をかけられた。
声のした方に目を向けると、西片さんが立っていた。
「何してるんですか」
「まだ何も。これから試合を見るつもりだけど」
「そうじゃなくて。店はどうしたのですか」
「バイトに任せたよ。僕だって、なにも不眠不休で店にいるわけじゃない」
「そうなんですか」
バイトがいるとは知らなかった。それも、昼間とはいえ西片さんが店を空けられるほど信頼しているバイトがいるとは。西方さんが体調不良以外の理由で店を空けるというのが信じられない。
「実は僕、サッカー見るのはじめてなんだ」
驚愕しているわたしの横に腰を下ろし、西片さんはそう言った。
「じゃあなんで来たのですか?」
「いやー、河相さんの指導の成果が見たくって」
西片さんはインタビュアーっぽい口調を作って訊いてきた。「手ごたえはどうですか?」
「わたしは何もしていませんよ」
「あ。そうなんだ?」
「そうですよ。というか、一日で何かが劇的に変わるのだとしたら、逆に憂慮すべき事態じゃないですか?」
「あ。そうなんだ。つまんないの」
ピッチ上では、内藤のチームがカウンターの機会を得ていた。
中盤右サイド付近で内藤にボールが繋がった。
精度の高いパスではなかったが、内藤のトラップ技術は相変わらず見事なもので、彼は正確にボールをコントロールした。すかさずチェックをかけてくる相手プレイヤーをヒラリとかわし、彼はドリブルを開始する。
2ステップの間にトップスピードまで加速した。内藤は右サイドを駆け上がる。左サイドにフリーの味方が一人走り込んでいて、チラリとそちらを目で追うと、相手プレイヤーの何人かが大なり小なり意識を引っ張られる。
その隙を逃さずボールを切り替えし、内藤は縦方向の進路を中央に向けた。
相手の対応が完全に後手に回っている。中央に踊り出た内藤には無数の道が開かれていた。
その中から彼はパスを選び、敵ディフェンダーを背負う形を取っている相方フォワードにボールを任せた。すかさず走り込み、壁から跳ね返ってくるボールを、右サイドに流れながら再び受ける。
ワントラップで縦に走った内藤の前には、敵サイドバックが待っていた。一度中を意識させているため、その位置取りは内藤に有利な形に偏ってしまっている。
内藤は細かくステップのリズムを変え、変則的な動きでその相手を幻惑する。縦だ。餌のように内藤の少し前に出されたボールに飛び込むや、その寸前で軌道を変えられ、敵サイドバックは軽やかに抜き去られた。
ゴールライン付近まで切り裂いた内藤は相方フォワードの走り込みを確認し、マイナスの角度に高いクロスを放り込んだ。身長の優位性を考えた球だ。長身のフォワードはそれに勢いよく飛び込むが、その前の動きがイマイチだった。ディフェンダーに貼りつかれながらのジャンプとなったため完全にはヒットせず、ヘディングのボールはバーを叩いて跳ね返った。
その跳ね返りのボールを走りこんだ中盤の選手がボレーで蹴った。十分な抑えを効かせられなかったシュートはゴールのはるか上空を過ぎていく。
「こらー! 決めんか!」
先ほど内藤に声援を送っていた少女が最前列で野次を飛ばす。
「へー。なかなか面白いね」西片さんはそれなりに楽しんでいるようだった。
このカウンターが前半戦最大の見せ場となった。内藤の鋭い切れ込みを見せつけられた相手チームは危険を冒して攻めることができなくなり、これといった手を取ることができずに時間ばかりが経過する。
「なんだかつまらないね」
なんと正直な人なのだろう。しかし実際退屈であろう展開なので、わたしは西片さんに同意した。
「そうですね。でも、なかなか面白いところもありますよ」
「どこがさ」
「内藤のプレッシャーのかけ方は、おそらく指示されているのでしょうが、面白い動きをしています」
良い按配に敵のボールとなったため、わたしは西片さんに解説をはじめた。
「見たところ、敵チームのディフェンダーは左サイドバックを除いてパスが下手ですね。だから内藤は、敵の右サイドにボールがいくよう、囲い込むように動きます」
わたしが指さしながら説明すると、西片さんは曖昧に頷いた。十分に理解はしていない様子だったので説明を重ねようとしていると、前半終了の笛が鳴った。どうやら30分ハーフのようである。
「これからハーフタイムってやつなのかな」
「そうですね。何分かはわかりませんけど」
「それじゃあこれを食べようよ」
西片さんは鞄からアルミホイルに包まれたものを取り出した。手にとって開けてみると、サンドイッチだった。ライ麦のパンにハム、トマト、チーズにレタスなどが挟まれている。とても美味しそうである。
実際、とても旨かった。奇抜なメニューの変更を行わずにベーシックな営業をしていれば『マカロニ』はもっと繁盛するのではないかと思うのだが、それではこの男は満足しないのだろう。
そんなことを考えながら西片さんを眺めていると、さすがに視線が気になるようだった。
「なに?」
「なんでもありません」
ベーシックな営業で繁盛されて困るのは、わたしのように席を長々と占拠する常連か、内藤のように奇抜なメニューを買う人間だ。
サンドイッチを食べ終える頃には後半戦がはじまりそうな雰囲気となっていた。
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