六章 夢の終わりに

六章 夢の終わりにー1

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 彼は何かを探していた。

 何かをしなければならないと言っていた。

 それが、いったい、なんだったのか……。


(だが、どちらにせよ、わかった。なぜ、私があの世界へ行けなくなったのか。私が彼を怒らせたからだ。室谷を……ガーディアンの一人を殺してしまったからだ)


 もう一度、忍があの世界へ行くためには、彼にゆるしを乞い、信頼をとりもどさなければならない。


(どうやって? その彼に会いたくて、会えないのに?)


 彼にうとまれてしまったのだと思うと、たまらなく悲しい。


 忍が物思いに沈んでいると、外から扉がたたかれた。

 インターフォンをつなぐと、風間曹長の声がする。


「九龍大尉。届けものです。トーキョーシティーからですよ」

「そうか。今日は輸送機の来る日だったか」


 すっかり忘れていた。時計を見ると午後二時をすぎていた。


 電子ロックを解除してドアをひらくと、忍の顔を見た風間曹長がギョッとした。いつも身だしなみの正しい忍が、髪にクシも入れず、ヒゲもそらず、ひどいかっこうをしていたので、おどろいたのだろう。


 そういえば昨日から食事もほとんどしていない。


「大尉! どうされたのですか? ずいぶん疲れていらっしゃるようですよ。ちゃんと食べているんでしょうね? ひどく、やつれて……」

「なんでもない。届けものというのは?」

「これですけど」


 小さなUSBメモリを渡してくる。

 それで用はすんだはずだが、去ろうとしない。


「今から食堂へ行きませんか? 二時半ごろまでなら、昼の残りがとってありますよ」

「かまわないでくれ。私は忙しい」


「いくら忙しくても——大尉。失礼ですが、今日になって鏡をのぞいてみられましたか? 昨日から、たった一両日で四、五キロはやせたんじゃありませんか?」

「さあ。そうかもしれないな。たしかに受けとったよ」


 ドアをしめようとすると、風間はむりやりドアのすきまに手足をはさんで、忍をひっぱりだした。

「食事をしましょう。かるいものでいいですから」


 いやおうなく、つれていかれる。

 以前なら抵抗できたはずなのに、忍にはあらがう力がなかった。自分が思っている以上に体力が落ちていた。


 それで、意思に反して遅い昼食をとることになった。

 が、よく考えれば、とくに急ぎの用はない。

 夢の世界については調べられるだけ調べた……。


 いや、ほんとにそうだろうか?

 何か忘れていないだろうか?


 やはり、食べ物は摂取してみるものだ。食べるうちに脳の働きが活発になり、思いだすことがあった。


 まだ、藤川たちの脳波グラフを分析していない。

 あれは新島の脳波グラフより以前の日付だから、夢の入口にはならないだろう。だが全員のものを調べれば、新たにわかることがあるかもしれない。


 室谷にジャマされて、藤川たちの日記を調べることはできなかったが、それはもういい。


 おそらく日記の類があっても、行方をくらます以前に書かれたものは、今の忍にはあまり役に立たない。すでに忍のほうが真相には近づいている。


 ただ一点、藤川たちと忍には決定的な違いがある。

 むこうの世界の住人になれたかどうかだ。


 連日、あの夢を見ていながら、行ったり来たりするだけで住人になれない忍と、むこうへ行ったまま、もどらない彼ら。


 いったい、何が異なるというのだろう?

 その違いを生じさせるものがあるとしたら、彼らが消える直前に見た夢が関係しているはずだ。


(昨夜の新島のグラフもあわせて、全員のぶんを調べてみよう。むこうの世界に永住できる方法がわかるかもしれない)


 むこうへ行くことさえできれば、彼に謝罪できる。

 とにかく、行かないことには始まらない。


 忍は勇みたって自室へ帰った。

 再度、コンピューターの前にすわって、八人ぶんのデータを読みこむ。


 しかし、全員の夢を再現するのは、さすがに時間がかかりすぎる。忍は全員に共通の部分がないか、グラフの形をくらべてみた。


 コンピューターに解析させると、脳波形の九割はそれぞれ異なっていた。


 が、一部だけ八人とも、ほぼ完全に一致するかしょがあった。脳波が消失する直前の数分間だ。その直後、彼らの脳波はピタリととだえ、現実の世界からその存在が消えた。


(ここだ。ここを再現してみれば……)


 新島は今朝がた見たので、藤川のグラフを再現することにした。今は睡眠時ではなく、起床時再生で試みる。


 目をとじると、まもなく始まった。


 白い。いちめん、白い世界だ。

 ミルクのなかに沈みこんだように濃密な純白の世界。


 はるか彼方に光が見える。

 光にむけて一直線に飛んでいた。


 あたたかい金色の光……いや、門だ。

 あれは光りかがやく金色のゲートだ。

 ゲートの扉がゆっくりとひらく。


 光のなかに誰か立っているようだった。

 その人の名前を呼んだ。


 その人は微笑み、手をのばしてきた。

 その手をとり、門を越え、光のなかへ——


 そこで夢は終わった。


(あの門か!)


 あれを見つけて、くぐりぬけることができれば、夢の世界の住人になれる!

 あの門こそが、現実と夢の世界をつなぐ境界なのだ。


 今朝の新島の夢でも、たしかに白い闇のなかを飛んでいた。

 あのとき、新島は門をくぐったのだ。


 だから新島は、自分はもう現実の世界には帰れないと言った。

 忍は新島の夢を接点にしただけで、門をくぐったわけではないから、覚醒と同時に現実世界へもどってきた。


 試しにほかの七人の夢を再現したが、やはり、どれも同じだった。


(どうやったら、あの門を見つけることができるんだろう?)


 むこうの世界の住人になった誰かなら知っているだろう。

 だが、彼らに会うことができない。またも堂々めぐりだ。


 こんなことなら、以前、有田や木場老人に聞いておけばよかった。それが、こんなに重要なことだと知っていたなら……。


(そうか! 平林にたのめばいい)


 ヒーラーが平林なら、彼はむこうの世界へ行き来できる。

 忍の代わりに木場老人に聞いてきてもらえばいい。

 ジャンクシティーより東の封印は、忍の夢を入れないためのものだ。平林なら問題ない。


 いや、すでに門のありかをつきとめているかもしれない。


 時計は四時前を示している。

 まだ収容者は外で農作業をしている時間だ。


 忍は立ちあがり、外へむかった。


 平林は家畜の係だ。愛情をこめて育てた牛を食べる酪農家の気分を味わえるから、家畜係を選んだのだそうだ。

 家畜といっても牛、豚、羊、ニワトリの部門にわかれているが、平林は牛の係である。


 牛を放し飼いにしている囲いのところへ行っても、平林はいなかった。


「平林を知らないか?」


 日暮れ近くなり、牛を小屋にもどそうとしている収容者にたずねるが、答えてくれない。妙な顔をしてだまりこんでいる。イヤな目つきだった。


 それで初めて、忍は自分を見る収容者たちの視線に気づいた。軽蔑の目だ。あるいは失望や怒り。


(ああ……そうか……)


 以前はあんなにウルサクつきまとっていたくせに、さっきから誰一人として、忍を呼びとめようとしない。


 みんな、知っているのだ。

 忍が室谷を殺したことを。


 そうなった原因も察しているのかもしれない。

 新島がいなくなっても探しにも行かなかった。

 室谷の盗撮癖は有名だったようだし、つきつめて考えたら、だいたい想像できる。


 わかっていたことだ。

 収容者たちが本気で忍を慕ってくれているわけでないことぐらい。今さら傷つくことではない。


(どうせ、みんな、最初から私をだましていたんだ。影で私を笑い者にしていたんだろう?)


 みんな、火星送りだ。

 おまえたちなんて、みんな火星へ行ってしまえばいい。


 忍はお腹の底によじれたような、ひきつった笑いの発作をかかえながら、平林を探した。


「平林! どこにいる? ドラッグでも売ってるのか? おまえも火星に行きたいのか? どうでもいいから、出てきてくれ!」


 笑い声をあげながら走りまわるうちに、ウワサが広まったらしい。平林のほうから忍を探して、かけつけてきた。


「バカ! しッ。なんてこと言ってまわってるんだ。ちょっと来いよ。こっち」


「私は真実を言っただけだ。知ってるんだ。みんな私を笑っているが、私だってバカじゃない。火星の赤い土を自分の足でふみたいらしいな」


「大尉。どうしたんだ? まともじゃないぜ?」


 平林は忍を無人の家畜小屋のなかにひっぱっていった。

 忍の言動にあきれているようだ。


「しっかりしてくれよ。あんた、正気か?」

「さあな。もうどうだっていいんだ。こんな世界のことなんて。たのむ。教えてくれ。門のありかを知っているか?」


 平林はだまりこんだ。

 忍は平林の両肩をつかんで、すがりついた。


「たのむ。おまえしかいないんだ。おまえがヒーラーなんだろ? 教えてくれ。あの門をくぐるには、どうしたらいいんだ? どうしたら、あの場所まで行けるんだ? 行きたいんだ。むこうの世界へ行きたいんだよ」


 平林はあわれむような目つきで、忍の手をふりほどく。すみにつまれた干し草の上に無言のまますわった。

 忍は平林の前にひざまずくようにして、しゃがみこんだ。


「お願いだ。知ってることがあったら、なんでもいい。教えてくれ。私は自分では、あの世界へ行けない。彼を怒らせてしまった。室谷を……殺してしまったから。だから、たのむ。どうか、もう一度、彼に会わせてくれ!」


 ワラの散乱した地面に頭をこすりつける。

 とつぜん耐えきれなくなったように、平林が口をひらいた。


「やめてくれ。頭なんかさげないでくれ。おれは……言ったじゃないか。あんたに行ってほしくないんだって」


 忍は顔をあげた。

「やっぱり、君だったのか」


「ああ。そうだよ。あんたが変な夢を見ないか聞いてきたときに、ピンときた。あんたが来る少し前からだった。あの夢を見たの。最初はおもしろがってたけど……わかるだろ? あれは、よくない夢だ。ここんとこ人が消えるのも、あれのせいなんだろ?」


「それでも、私は行きたいんだ」


 とりすがる忍を平林が押しかえす。

「あんた、さっき言ってたな。彼って誰のことだ? 彼を怒らせたって? あんた、ほんとはおれより、たくさん知ってるんだ」


「話せば、私の知りたいことを教えてくれるのか?」

「……知ってることならな。話せよ」


 平林の態度は硬質なままだ。


 だが、ほかにすがるもののない忍は、あらいざらい話した。

 森で彼を見かけたあと、博士の研究室での実験や、その夜から見始めた夢のこと。


「あの人は、たしかに存在していた。研究室へ行けば、彼の血液サンプルやデータが残っている。博士がヤケを起こして処分しているのでなければ。あの人が何者でもいい。会いたいんだ」


 忍は混乱していたし、細部は省略したので、要領を得なかったかもしれないが、平林は持ち前の頭の回転のよさで理解した。


「待てよ。あんたの話を聞いてると、そいつは——たぶん、あの夢のなかで、おれが別の名前で知ってるやつだと思うが。まるっきり人間じゃないみたいだ。夢をあやつって、人間にとりついて……悪魔だ。化け物だよ」

「それでもいい」


「よせよ。悪魔だぜ? 取り殺されるのがオチだ。おれの予感は正しかったんだ」

「なら、君は行かなければいい! 私は行きたいんだ。あそこしか、私の生きていける場所はないんだ!」

「なんでだよ? ここでだっていいじゃないか。こっちにだって、あんたを必要としてるヤツはいるよ」


 忍は冷笑した。


「そんな人いない。私はずっと一人だった。ずっと、ずっとだ。誰からも必要とされなかった。これからさきも、ずっとだ。君には関係ないだろう? さあ、話してくれ。約束だ」


 平林は忍を落ちつかせるように肩をたたいてくる。


「もう一度、よく考えてみろよ。あんただって家族はいるんだろ? お袋さんだって悲しむ」

「…………」


 母のことを言われると弱い。


 母は今でも忍をおぼえているだろうか?

 忍が行方不明になったと聞けば悲しむだろうか?


 火星権戦争の出征者のなかに忍の名前を見たときには心配しただろうか?


 それとも、そんなニュースさえ届かない暮らしをしているのか。


 母もどこかで、忍のように、ひとりぼっちでいるのではないだろうか?


 そう考えると決心がゆらぐ。

 そこをねらったように、平林は続けて言う。


「今日はもう、あれこれ悩むのはよしなよ。それに教えてくれって言われても、おれは『門』なんて知らないよ」


 言いくるめられて、忍は沈黙した。

 平林は再度、忍の肩をたたいてから小屋を出ていった。

 あとを追おうとしたが、できなかった。ゆらいだ決心をたてなおせない。


 暗くなってくる家畜小屋にすわりこんでいると、逆光にシルエットになった人物が入ってきた。


 小柄な影だったので、一瞬、忍はドキリとした。

 彼が帰ってきてくれたのかと、あわい期待をいだく。だが、もちろん、そんなことはない。


 両手をうしろにまわして、近づいてきたのは直輝だった。

「ごめん。聞いちゃった」


 直輝は物思いに沈むような顔をして、すとんと忍のとなりにすわる。


「ぼく、ほんとはさ。大尉にあやまらないといけないんだよね。前の教官にもナイショにしてて。平林さんは知ってるんだけどね」


 直輝が二人の前に置いたのは鳥カゴだった。

 あざやかな水色の小鳥が二羽、入っている。

 博物図鑑で見たことのあるセキセイインコだ。


 二十世紀から続く環境破壊などの影響で、野生動物はいっとき深刻に激減した。もちなおしたのは最近だ。人間が地下に広がるドームシティーで暮らすようになったからだ。


 忍も生きているセキセイインコを見るのは初めてだ。


「これは、どうしたんだ? ペットを飼うには評価ポイントをとてもたくさん消費するだろう?」


「これは、ぼくが増やしたんだ。最初に森でつがいを見つけてさ。平林さんにたのんで捕まえてもらったんだ。森にはフクロウとか、トンビとか、小鳥を食べる猛禽類がいるからね。


 だから、いっぱい増やして、もう二百羽くらい放したかなぁ。インコって、かんたんに増えるんだ。手乗りにしないと、あんまり、なつかないけどね」


「なるほど」


「ぼくの夢はね。いつか世界中を鳥でいっぱいにすること。鳥っていいよね。空、飛べるから」


 忍は静かに聞いていた。

 少年のおしゃべりは鳥のさえずりに似ている。


「……ぼくは、ダメなんだよね。わかってるんだ。一生、ここから出られない。ぼくはお父さんには逆らえないし、気が弱くて。こんなんじゃいけないって思うけど、どうにもならないことってあるよね」


「ああ……」


 直輝は微笑して立ちあがった。


「ねえ、大尉。約束してよ。この鳥は今、ぼくが放すけど、部屋に隠してるヤツら、朝になったら自由にしてやってほしいんだ」


 直輝がなぜ、そんなことを言うのかわからない。

 薄闇のなかで目をこらしていると、直輝は入口のところでふりかえった。


「今夜は早く寝るといいよ。大尉」


 直輝の真意がわからないまま見送った。

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