五章 ファントムー3
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こんなことは、これまでなかった。
夢の続きを見ることができなかった。
マリーはファントム将軍にさらわれたまま、忍のおとずれを待ちぼうけしたのだろうか?
それとも、王女を将軍にさらわれてはいけなかったのか?
ゲームオーバーになって、二度と夢は見れないのか?
やはり、忍の予感は的中したのだ。
牢屋のなかで夢からさめるときに受けた、拒絶の感触。
あれは、気のせいではなかった。
(まさか……私はもう、あの夢を見ることはできないのか?)
だとしたら、なぜだろう?
夢の世界に永住できた木場老人と、忍の違いはなんだろうか?
日にちがたちすぎたのか?
今日でもう一週間ほどになる。
決められた期限内に、夢のなかで何かをしなければならなかったのだろうか。
それとも、夢のありかたそのものが変わってしまったのか?
(夢の……ありかた? まさか……私が室谷を殺したからか?)
ありえない話ではない。
もともとあの夢を見たきっかけは、室谷の作成したソフトを見たことだった。
ゲームバランスがくずれてしまったと、マリーも言っていた。
それに、ガーディアンを殺してはいけないと、何度も言われていた。ガーディアンを殺すと世界が変わると。
あの夢が、忍をふくむ大勢の人間の見る夢がかさなりあうことで構築された世界だとしたら、室谷のソフトに触発されることで始まった忍の夢は、ソフトを作った室谷が死ぬことで、ほかの夢とのつながりが断たれてしまったのかもしれない。
室谷の夢が死んでしまい、密接につながりあった忍の夢だけが、夢の集合体から切り離されてしまったのかもしれないのだ。
もう、どうしていいかわからない。
夢の入口を見失ってしまった……。
忍はふらふらと立ちあがり、あてもなく所内をうろついた。
時刻は真夜中だった。昼寝したから、長く眠ることができなかったのだ。
うつろに明るい地下の迷路のなかは、どこもかしこも白く清潔で、どこか非現実的に空々しい。
なれ親しんだはずの地下世界に
地上へ出ると、ビックリするぐらいの満天の星が、夜空にちりばめられていた。さえぎるもののない星空が、どこまでも広がっている。
見つめているうちに、忍は涙があふれてきた。
この空のどこかに、あの人がいるのではないか。
そんなとりとめもない空想が浮かんでくる。
(キューティーブロンド……マリー……君に会いたい。会いたいんだ)
あてもなく空を見あげながら、さ迷った。
畑地や果樹園を通りぬけ、家畜小屋の前をよぎり、どこまでも歩いていく。
森のとばぐちにかかった。
初めて彼を見た場所だ。
ここで待っていれば、あのときのように彼が現れるのではないか。はかない希望をいだいたが、もちろん、いつまで待っても彼はやってこなかった。
ほんとはあれも夢で、たしかに彼が現実に存在したと思ったことは、すべて忍の描いた幻だったのではないだろうか。
忍は森のなかへ入っていった。
月光も星明かりもさえぎられ、森のなかは暗い。
忍を飲みこむ悪魔の口のようだ。
この森をぬけたさきには海がある。
いっそ、そこから飛びこんでしまえば……。
とびだした根っこや倒木に足をとられながら、酔いどれたような足どりで歩いていくと、とつぜん、背後から誰かに肩をつかまれた。
「大尉。これ以上、夜の森のなかへ入るのは危険です。逃げだして野生化した家畜もいる」
ふりかえると、黒い人影が立っている。見きわめがたいが、声でわかった。新島だ。忍は反射的に新島の手をふりはらった。
「さわるな」
自分でもおどろくほど冷淡な声だった。
新島は一瞬、すくんだ。が、視界がきかないので、ハッキリとはわからない。
「……すみません。でも、ほんとに危険です。それ以上、行かないと約束してください」
「おまえには関係ない。だいたい、どうやって私のあとをつけてきたんだ」
新島はだまって、彼のあとについてくるゾロメを指した。
独房に入れられたとき、ゾロメとも離されてしまったが、それを新島があずかっていたようだ。ゾロメなら忍の脳波をキャッチできるから、深夜の異常行動を察知して、追ってきたのだろう。
「マスター。帰りましょう。ただいま睡眠時間です。収容所の敷地を出ることは禁止されています」
忍はウンザリして怒鳴りちらした。
「帰ってくれ! 私は一人になりたいんだ!」
新島がひきとめる。
「一人になって、どうするんです? 死ぬつもりですか? それなら、ほっとけません」
忍は彼らを無視して、森の奥へ歩きだそうとした。
すると、新島が思いがけないことを言った。
「室谷のソフトなら、もうないんだ。死ぬ必要はない」
「なんだって?」
聞きかえすと、新島がふるえる声を出した。
闇のなかで、いやに目だけがギラついて見える。
「以前、あなたが室谷を食堂から呼びだしたとき、気になって、あとをつけた。あいつに盗撮の趣味があることは知っていたから。あなたが室谷に脅迫されるのを聞いた。あなたには……ほんとにすまないと思ってる。これ——」と、見おぼえのある室谷の映写機を手渡してくる。
「死体が運ばれる前に、すりとった。あいつの部屋にあったディスクやデータ類も全部デリートした。あのことを知ってるやつは、これでもう誰もいない。あとは、おれだけ……」
新島の声が、ますます、ふるえる。
「おれはいいんだ。気味悪がられるのも、罵られるのも、バカにされるのも、なれてる。もういいんだ。どうせ、おれは同性しかダメな倒錯者で、生きている価値はないんだ。あなたにこれ以上、迷惑かけたくない」
「新島——」
忍はとうとつに気づいた。
さっきから新島の声がふるえているのも、目だけが光って見えるのも、彼が泣いているせいだということに。
新島は暗闇のなかで、何かをとりだすような音をさせた。
ザラザラと小さなものをケースから出す音がして、しばらく、だまりこむ。
「新島、何をした?」
「これでいいんです。大尉。ほんとに悪かった。おれなんかが、あなたを……好きになって。だけど、どうしようもなくて。嫌われるだけだって、わかってるのに、どうしようもなくて。これでもう、ゆるして……ほしい。こんなふうに生まれてしまったこと……」
急に大きな音がした。
新島が倒れたのだとわかった。
かけよると、新島は汗だくになって、けいれんを起こしていた。近くに経口用のカプセルが散らばっている。風邪薬などに見せかけて出まわっているドラッグだ。
「ゾロメ! 新島を医務室へ運べ。今すぐ胃洗浄だ!」
さっきまで自分が死ぬ気でいたことも、ふっとんだ。
忍は医務室へ急いだ。
うたたねしかけていた夜勤当番をたたきおこして、胃洗浄させる。
「助かるのか?」
乱れた脳波と脈拍のグラフをながめながら、宿直看護士が答える。
「五分五分ですね。胃の内容物を調べてみましたが、致死量の五倍は服用していました。即効性ですし、すでにかなりの量を吸収しています」
「なんとかならないのか?」
「まあ、即効性といっても経口ですし、吸引や注射にくらべたら、持ちこたえる可能性が——どうしました?」
看護士に問われて、忍は我に返った。
今一瞬、目がどうかしてしまったのだろうか?
診療台の上で人工呼吸器をとりつけられた新島の全身が、ぼんやりと光って見えたなんて。
「ああ……いや、うわごとを言っているな」
「トリップしているんですかね?」
看護士はアクビをかみころして、またモニターを見た。
忍は看護士のうしろをまわって、診療台に近づいていった。
耳を近づけると、かすかにうわごとが聞こえる。
「見える……とびら…………」
直後に新島の脳波が大きく乱れた。
忍の目の前で、新島の体が発光し、光のなかに溶けるように、すっと消えていく。
忍は声もなく立ちつくした。
*
行方不明者が夢のなかへ行ってしまったのだということは知っていた。
しかし、それをまのあたりにしたのは、このときが初めてだ。
こうこうと明るい照明のもと、ハッキリと目撃した。忍だけではなく、看護士も見ている。
(あの夢へ行ったんだ。まちがいない)
看護士は信じられない出来事に呆然自失している。
忍は脳波計に歩みよると、さきほどの新島の脳波パターンをプリントアウトした。これを夢分析ソフトにかければ、消える直前まで新島の見ていた夢を見ることができる。
もう一度、あの世界へ行けるのだ。
忍はそのまま医療室をとびだした。
すでに夜は明けていた。でも、まだ六時すぎだ。今からなら、あと一時間は眠っていられる。いや、時間なんて、どうだっていい。このまま永遠に眠ってしまいたい。
「マスター。ろうかを走ってはいけません。ろうかを——」
こうるさいゾロメをけりとばして、忍は自分の部屋へかけこんだ。
ふるえる手でパソコンを操作し、ソフトに新島の脳波を読みこませる。分析した映像を睡眠時に再現するようにセットしておけば、あとは眠るだけだ。
忍はベッドによこたわり、目をとじた。
早く、早く、早く。早く行きたい。眠りたい。
遠くから羽音が聞こえる。
力強く羽ばたく巨大な鳥を思わせる音だ。
その音が、ぐんぐん近づいてくる。
あたりは白い闇だった。
「さあ、つかまって!」
誰かの腕に、グイとひきよせられた。
いちめんの霧のような白い闇のなかを飛んでいく。
「今日だけは私の夢に同乗できる。でも、一度きりですよ。私はもう、むこうの世界には帰れないから」
聞いたことのある声が告げる。
意識がもうろうとし、気がついたときには、ナインスドラゴンは夜明けの草原に立っていた。ヒーラーに薬湯をもらった、あの草原だ。
すでにヒーラーの姿はなく、たき火を消したあとだけが、さっきまでそこに人がいたことを物語っている。
ポケットからキメトラがとびだして、抱きついてきた。
「よかったニャー。ナイドラ、いつまでたっても起きないから、もう目がさめないかと思ったニャ」
「ああ……すまない。ケガをしたせいだろう」
「うにゃ。顔色が悪いニャ。でも急いだほうがいいニャ。ナイドラが気絶してるあいだに、ジャンクシティーから東が封印されてしまったニャ」
肉球を見せて、東をさしてみせる。
「封印? 将軍のしわざか?」
「そうニャ。将軍はナイドラがジャマなんニャ」
そう言われれば、東の空が、どんよりと暗い。
薄桃色に明けそめる西の空とは対照的だ。
「どうにかして封印をとけないのか? マリーを助けに行かなければ」
「封印をとくには将軍を倒すしかないニャ。あんまり長いあいだ封印されてると、あっちの世界だけで、かたまってしまうニャー。こっちとは別の世界になってしまうニャよ。そしたら、ナイドラはもう入れないニャ。わがはいもニャゴヤに帰れにゃいニャ」
「それは困る。なんとか手立てはないだろうか? 将軍をこっちにおびきだすか、我々がむこうに侵入するかだ」
にゃおーんとうなって、キメが腕組みする。
「森の聖女なら、いい方法を知ってるかもしれないニャ」
「聖女?」
「お告げとか占いをしてくれる巫女姫ニャ。こっからずっと西のほうにある深い森の奥に住んでるニャ。誰も姿を見たことないのニャ。とってもキレイな歌声が森じゅうにひびくから、木霊とか、天使の歌声とか呼ばれてるニャ」
「木霊か」
そのウワサは王宮でも聞いたことがあった。
巫女姫の占いや予言は外れたことがないという。
「よし。聖女のところへ行ってみよう」
羽を広げると激痛が走る。
今飛べば、二度と飛べなくなると、ヒーラーは言っていた。
だが、しかし——
急がなければ、封印のむこうへ行くことができなくなる。
マリーに会えなくなるくらいなら……。
羽ばたこうとするナインスドラゴンを見て、キメトラが足をバタバタさせた。
「ニャア! ダメにゃー。ムリしたらダメって言われたニャ!」
「だが、一刻を争う。ケンタウロスに乗ってもいいが、やはり私が空を飛んだほうが早い」
「ダメにゃあッ!」
ジタバタしているキメを抱きあげて、ポケットにつっこもうとしていると、背後に四つ足のひづめの音が聞こえた。
「聖女の森へは私がつれていってあげましょう。ムチャをしてはいけません」
声のしたほうをふりかえる。
純白に輝くような美しい馬が一頭、近づいてくるところだった。
ナインスドラゴンは失神していたときに見た、夢とも幻ともつかない白い闇のことを思いだした。
あの闇を切りさいて、つれてきてくれたのは、この馬だったのではないかと思う。あのとき聞いた羽音は、馬の背中にある雄々しい翼の音だったのだと。
それはただの馬ではなく、天馬だった。
長い顔のなかで、青い目が恥ずかしそうに、ナインスドラゴンを見ている。どこか人間的な表情だ。ガーディアンであることは、ひとめでわかった。
「ガーディアンにも完全な獣型の者がいるのだな」
「私は名前が静馬でしたし、顔も長かったりしたものですから」
遠慮がちによってくるのだが、近よられると、なぜか虫酸が走る。
「ああ……名前は? そうか。静馬か」
「いえ、それは昔の名前です。サイレンスと呼んでください。あなたのしもべです」
ナインスドラゴンは思わず、あとずさった。
「……ガーディアンなんだろう? なら、おまえの守るべき種族があるはずだ」
「私はあなたを守るためにガーディアンになったのです。ガーディアンを守るガーディアンがいても、おかしくないでしょう? さあ、乗ってください」
「乗ってくださいと言われても、なんだかわからないが腰がひけるなぁ」
「そんなこと言ってる場合じゃないニャ。乗るニャよ。ナイドラ」と、キメにせかされる。
「キメをなでるのは平気なのになぁ……」
「時間がありませんよ。ナイドラ。今日の日没までしか、私はあなたを助けることができません。それまでに聖女の森へ行かないと」
時間がせいているのは、ナインスドラゴンも感じていた。
しかたなく、鳥肌が立つのをガマンして、天馬の鞍もない裸の背にまたがる。
天馬が感きわまったように、いななきをあげたので、ナインスドラゴンは逃げだしたくなった。強い敵にかこまれたときとは、また違うおののきをおぼえる。
「イヤだなぁ。身の危険を感じる」
「安心してください。体形が変わってしまったから、もう何もできませんよ。ですが、あなたに乗ってもらえるだけで……」
いちいち言うことが薄気味悪い。
しかしまあ、速いことは速かった。
大きな翼で羽ばたき、空をかけると、地上はぐんぐん遠くなり、草原や森がいくつも眼下を通りすぎた。
「ナイドラ。私をゆるしてください。私はあなたを苦しめました。そんな気はなかったのです。
私はただ、あなたをひとめ見たときから、友人としてでもいい、親しくなれたらと……遠くからながめているだけでいいと思っていたのです。
私がおろかでした。私のせいで、ネズミなんかにつけいるすきをあたえてしまって。
どんなにわびても、わびつくせないのに、あなたは私を助けようとしてくださいましたね? 嬉しかった。ほんとに、嬉しかった……」
すすり泣きながら言うので、ナインスドラゴンはサイレンスの首をなでた。
「もういいよ。わかってる。まあ、じっさい、おまえの気持ちはちょっとばかり迷惑ではあったが、人を好きになる気持ちは自分でどうにかなるわけではないしな。むこうでのことは忘れよう」
「そう言ってもらえると……ううん……そこをなでられると、なんとも……」
「わッ! 変な声を出すな」
恐れおののきつつ、いちおう和解にはいたった。
一路、西をめざす。
やがて、サイレンスが叫んだ。
「見えた! あれが聖女の森だ」
とても深い森だ。
上から見ただけでも、神秘的な森だとわかる。
森ぜんたいの木々が、ガラスのように半透明に透きとおり、ほんのりと青白く輝くオパール質の枝の一つ一つに、赤、黄、オレンジ、緑、青、紫、ピンク、金、銀——色とりどりの光の玉が、蛍のように点滅している。
雪をかぶったクリスマスツリーのような、可愛らしい森だ。
「あの森のなかに聖女がいるのだな?」
「聖女に会えるのは、気に入られた人だけニャ。気に入られないと、いつまでも森のまわりをグルグルするニャ。グルグルなうニャ」
「気に入られることを願おう」
ちょうど森の上空にさしかかったときだ。
「——マ……ター……マス…………マスター……起きてください。マスター!」
どこからか女の声が近づいてくる。
しだいにその声は大きくなり、頭の割れるような大声になった。
「やめろ! 呼ぶな!」
もう少し——もう少しで聖女に会えるのに。
しかし、その声は無情に巨大になり、世界いっぱいに膨張する。ナインスドラゴンたちは、声の衝撃で聖女の森へ落下していった……。
「マスター。起きてください。仕事の時間です。七時二十分です。さっきからずっと非常呼びだしブザーが鳴っています。朝ですよ。マスター」
とびおきた忍は、自分をのぞきこむ鉄のかたまりを見て憤慨した。
「なぜ起こしたんだ! たった一度のチャンスだったのに! 聖女に会いさえすれば、もう一度、あの世界へ自由に行き来できたかもしれないのに!」
ゾロメは数歩ぶん、とびのいた。おどろいているようだ。
「マスター……正気とは思えない言動です。ブロークンハートですか? 人間は失恋すると、非生産的な行動に出るとデータにあります」
「機械のおまえに何がわかる。出ていってくれ!」
「わかりません。わたしには、マスターがわかりません……」
ゾロメを追いだしても、もう遅い。
忍は一度きりのチャンスをふいにしてしまった。
ちゃんとゾロメが入ってこないよう、別の用事でも言いつけて追いだしておくべきだった。非常呼びだしもスイッチを切って。
忍は布団のなかで放心していた。
もう何をする力もわいてこない。
(もう一度、新島の脳波グラフを使ってみるか? でも、たぶん、ダメだ。今だけは、あいつの夢に同乗できると言っていた。一度使うと効力を失うんだ。そのさきの夢とは、つながらないから……)
グラフの夢を見ていた時間と、現在の時間のあいだに大きなひらきができると、夢の世界とのへだたりも大きくなってしまうのではないだろうか。
夢の世界の現在点に接触できなくなるのだ。
そんなことをぼんやりと考える。
それにしても、非常呼びだしブザーが鳴りっぱなしでウルサイ。
しかたなく、インターフォンをつなぐ。
平林の声がとびだしてくる。
「よかった! あんたまでいなくなったのかと思った。新島が消えたよ」
忍は舌打ちした。
「新島なら、どうなったかわかってる」と言って、インターフォンを切った。
(あの馬、新島だったんだな。新島静馬。静馬だからサイレンスだと言っていた)
そういえば、今、気づいたが、夢の世界でのガーディアンの名前は、現実世界での名前をもじったものが多い。
新島もそうだが、忍自身も名字を横文字に変換しただけだ。木場老人や有田、室谷なども、身体的特徴とあわせて、すぐに誰のことかわかった。
それでいくと、ほかのガーディアンの正体も、名前からつかめるかもしれない。
(ファントム将軍は、あれもガーディアンだろうが、本名がわからないからダメだな。ファントムは種族の名前だ。ほかに正体のわからないガーディアンは、ヒーラー……いやし人。ヒーラー。ヒラ——平林か!)
わかってしまえば、なんのことはない。
平林は農業用の化学肥料を調合したり、どうも裏では不正のドラッグを作って売りさばいているらしい。薬剤師であることと、名前から、夢の世界では、あの形態をとるのだろう。
(とすると、かんじんの森の聖女は? あれもガーディアンのはずだ。これまで重要な役割を持つ者は、みんなガーディアンだった。
聖女というからには女だろうか? いや、それはない。なぜかはわからないが、あの夢を見るのは、この島の住人にかぎられている。
人間が馬になるくらいだから、性別くらいは変わるのかもしれない。もっとほかに、本人の素性をつかむパーソナリティーがあるはずだ)
考えているところに、もう一度、ブザーが鳴った。
あの夢に関することかもしれない。
そう思いなおして、インターフォンをつなげる。
妙なまがあって、篠山博士の枯れたような声が聞こえてきた。
「……九龍くん。今すぐ、研究室へ来てくれたまえ」と言って、すぐに切れた。
あの精力的な博士が、どうしたというのだろう?
むしょうに胸がさわいだ。
博士が意気消沈することといえば、研究のことしか考えられない。
忍は服を着替えると、研究室へ走っていった。
さっきのことがよほどショックだったのか、ゾロメも何も言わない。
「博士! 何かありましたか?」
研究室は閑散としていた。
いつも意欲的な研究員が十人ほど出入りしていた研究室に、今は博士しかいない。
博士は静かな研究室のなかで、石のように微動だにせずすわっている。声をかけると、かすかにふりむいた。
「死んでしまったよ。彼の細胞が。もう、おしまいだ」
博士をなだめて詳細を聞きだすのに時間を要した。
博士はあらゆることに絶望しきっていた。
その気持ちは忍にもわかる。忍も夢の世界を失って、博士と同じ気持ちだからだ。
「死んだとは、どういうことですか? 彼の血液サンプルですか?」
「血液も細胞も全部のサンプルがだよ。今朝になって、急に……」
「死んだって、細胞が破壊されたのですか?」
博士は力なく首をふる。
「死んだも同然だ。彼のテロメアが回復しなくなった。細胞の異常増殖も起こらない。免疫細胞の攻撃力は千分の一以下に落ちた」
「え?」
忍が見つめると、博士は深い嘆息をしぼりだす。
「遺伝子配列などは変わらん。試薬に入れれば人並みの反応もする。ただ、彼の持つ神秘的な力だけが失われてしまった。科学で説明のつかなかった力だけが、きれいに消えた。なぜかはわからんが、今日になってとつぜん、どこにでもいる人間のごくふつうの細胞になってしまったんだ」
彼は言っていた。
自分は決して不死身ではないと。
生きたいと思う意思がなえれば、細胞も死滅すると。
まるで、彼自身の意思が、みずからの細胞に神秘の力をあたえているかのようなことを。
「……そうか。彼の肉体から離されてしまったからだ。それで、彼の意思力が分離された細胞におよばなくなった。彼の物理的な肉体そのものには、最初からなんの神秘的な力もないのかもしれない」
奇跡を起こしているのは肉体の現象ではなく、もっと別の力だったのだ。それは一種の超能力と言えただろうか?
(そうだ。私は初めから知っていた。彼が不思議な力を持っていることを)
自分は根本的なところで勘違いしていたのだ。
ほんとは心のどこかで知っていながら、気づかないふりをしていた。それを認めたくなかったから。
彼が——彼こそが、この一連の不可思議な夢を見せている根源なのだ。
忍は研究室をとびだした。
博士が何か言っていた気がしたが、それどころではない。
あのグラフだ。
いなくなる前の三日間。研究室のなかに囚われていた彼は、睡眠中、脳波を記録されていた。以前、博士にたのんでグラフをプリントしてもらっている。
忍は自分の部屋に帰ると、非常呼びだしブザーを切った。
ゾロメにも収容者たちの監督をたのんで追いだす。
ドアの電子ロックの暗証番号を登録しなおした。
これで誰にもジャマされない。
十月十四日から十五日にかけての夜。
十五日から十六日にかけての夜。
十六日から十七日……。
この三つのグラフを夢分析ソフトにかけてみる。
一見ふつうの波形だが、何度、読みこませてもエラーになった。解析不能の文字が赤くモニターに浮かびあがる。
(変だな。眠っているあいだに、彼が電極でもいじったんだろうか? でも、それなら見張りの研究員が何か気づきそうなものだが)
しかたなく、忍は三つのグラフを手動操作で解析してみた。
その結果、肉眼ではごくふつうに見えた波形に“切れ”が見つかった。一、二ヶ所の切断ではない。倍率をあげてよく見ると、彼のレム睡眠時のグラフは、全面に渡って寸断されていた。一、二秒おきに、0コンマ単位のきわめて短い時間、グラフがとぎれている。
つまり、そのあいだ、脳波が停止していることになる。
あるいは、脳波計では読みとることのできない種類の脳波が発されている——
忍は食いいるように、その波形を見つめた。
(もしかしたら……)
ふと思いついて、忍はコンピューターに自分の生体反応プレートのナンバーを入力した。
マザーコンピューターから、十月十四日から十七日までの脳波パターンを呼びだす。それを夢分析ソフトにかけて、一夜ぶんずつ三つにカットする。
自分のグラフと彼のグラフをならべてみたとき、すでに予感はあった。ふるえる手でマウスをあやつり、自分の波形の上に、彼の波形をかさねる。
(やっぱり……)
思ったとおりだ。
彼の波形は忍の波形にピッタリと一致する。寸分の狂いもない。
(同じ夢を見ていたんだ。同じ夢の世界にいて、そして……)
あのグラフの妙な切れ。
脳波計で測定できないパルス。
(そして、私の夢をあやつっていた——!)
夢……魔……。
人の夢に入りこみ、あやつる者。
それが魔物でなくて、なんであろう。
ひきつった笑いが喉の奥からこみあげてくる。
忍はその発作に身をゆだねた。
そうだ。悪魔だ。それなら、すべて説明がつく。
あの異常な細胞の働き。
それらをコントロールする意思の力。
数々の不思議な能力。
それに、あの恐ろしいまでの美貌も。
(サキュバスだったのか。君は……)
忍は笑った。
悪魔に恋した、おろかな自分を。
そして今になってもなお、嫌いになれない、やるせなさを。
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