三章 夢追い
三章 夢追いー1
1
午後のレクリエーションは、まったく身が入らなかった。
平林や直輝が忍の気をひこうとやっきになっていたようだが、馬耳東風で、彼らをガッカリさせたようだ。
「ねえ、教官。聞いてくれないの? 新しい曲を作ったんだよ。電子ピアノのやつ。
ほんとは、ぼく、本物のバイオリンとか習ってみたいんだけど、楽器を買うには評価ポイントがすごくいるからね。ぼくの音楽家の評価があがれば、奨学ポイントがおりるよね? そしたら、二百年前に作られたバイオリンを買うんだ。作ってから、そのくらい経過したほうが、いい音なんだって。
でもね。ぼく、音楽家もいいけど、もうひとつ好きなことがあるんだ。ナイショだけどね。平林さんにしか教えてない。教官には特別に教えてあげてもいいんだけどなぁ……」
忍が返事をしないので、直輝は肩を落とす。
すると、かたわらでコンピューターにむかって薬剤の化合式らしきものを組みかえていた平林がふてくされた声を出す。
「大尉。いいかげん機嫌なおせよ。直輝にまで八つ当たりするのは、どうかと思うぞ」
しかし、忍は音楽より化学より、生物の問題で頭がいっぱいだ。またもや生返事をする。
「なんだよ。心のせまいヤツだなぁ。ちっとばかし、あんたのこと見損なうぞ?」
反論したのは忍ではなく、ゾロメだ。
「ただいまマスターは深いレベルでの思索中です。俗に言う、心ここにあらずです。なにとぞ、ご了承の上、暴言はひかえてください」
チェッと平林は舌打ちする。
「しゃあねぇな。これだから、おぼっちゃまは——って、おれのせいなのかッ?」
わあッと声をあげて、自分の髪をクシャクシャにかきまわしたので、忍は心づいた。アームチェアから立ちあがる。
「すまない。私は見まわりに行ってくる」
「だから、その前に直輝の新曲、聞いてやれよ」
「え? 何? ゾロメ、行こうか」
直輝と平林が顔を見あわせて肩をすくめていた。
忍は二人と別れて歩きながら、またも深く考えに沈む。
博士は明日から彼を外に出すと言っているが、そんなことをして大丈夫なのだろうか?
彼が無菌室の外でも平気らしいことはわかった。が、なんとなく心配だ。
いちおう博士の計画では、昼食をはさんだ前後四時間、忍の仕事についてまわらせて、外の景色を見ることやレクリエーションを通して、記憶回復をはかろうというのだが。
しかし、そんなことをしなくても、彼はちょっとずつ思いだしかけている。かえって、それが気がかりだ。それは、ほんとうに思いだしてもいい“記憶”なのだろうか?
一日中、そんなことばかり考えていた。
疲れきっていたので習慣の日記もおざなりにして、午後十一時に就寝した。
次の瞬間、忍はあの世界にいた。
この日はソフトも使用していなかったし、この夢に来るとは思ってもいなかったので、まったく、ふいをつかれた。
「忍! 追っ手が——」
昨夜の続きだ。
トーキョーシティーの地下街のまんなかで、忍は彼とともに袋小路に追いつめられていた。公安員がまがりかどのむこうから迫ってくる。
いや、違う。あれは公安員などではない。
公安員の白い制服に似ているが、人間ですらなかった。
アンドロイドだ。黒い強化プラスチックのスケルトンの顔面は、内部の回路やパーツが透けて見える。赤外線センサーの一つ目が赤く光っている。
一瞬、なんで、そんなものに追われているのかわからなかった。だが、アンドロイドは両手をこっちにむけて、指のさきから赤いレーザー光線を発射してきた。
あやういところで、忍は彼をかかえてよけた。
レーザー光線で金属の壁面がバターのようにザックリ切れる。
なぜかなんて考えているヒマはない。
忍は床を一回転して起きあがり、腰に手を伸ばした。右手に電子サーベル、左手にレーザーガンをにぎって、アンドロイドに立ちむかう。
手前の二、三体を銃でしとめると、赤い血のような燃料を噴出して、ロボットは倒れた。
「私のうしろに!」
彼をピッタリ背中にかばって移動しながら、さらに二体、ひたいを狙い撃ちする。
一体が高速で突進してきた。それを電子サーベルで切りつける。
電子サーベルの通称は警棒。
ふだんは平べったい棒のようだが、スイッチを入れて高圧電流を流すと、恐ろしく鋭利な刃になる。
電流の強弱を切りかえることができ、最低ボルトでは人をしびれさせるていどだが、今は最大出力だ。白いボディーのアンドロイドは、肩からけさがけに切断され、ズルッと上部がくずれおちた。下半身は電子頭脳を失って、踊りのような奇妙な動きをしながら倒れた。
「いいか? 走るぞ」
「うん」
彼に声をかけておいて、せまい通路をいっきに走りぬける。
その間、むかってくるアンドロイドをとにかく切りふせた。十体か、二十体は。
袋小路をぬけだすと、百メートル前方にエレベーターが見えた。
「あれに乗って、ステーションへ」
「うん。来るよ。うしろ」
ふりむきざまに三体を銃で倒す。
すると、とつぜん、どこからか、パラリラリンと変な音がふってきた。なんだか場違いに明るい。
「なんだ?」
「レベルがあがったんだよ。どっかに
「はッ?」
「昼間、ゲームしただろ? だから」
あの室谷のヤツか——?
あぜんとする忍に、彼は冷静に注意する。
「ゲームオーバーにならないよう気をつけて。銃は私も得意だから、手を貸したいんだけど……」
わけがわからない。
ゲームオーバーになったら、どうなるというのだろう?
わからないが、とにかく襲ってくるものは放置できない。
忍はしみついた軍人の習性だけで、次々に追いすがるロボットを撃ち殺した。待ちぶせやトラップが、ふいに目の前に現れるので油断がならない。
「あの色違いの赤いヤツ! あいつが充填エネルギーを持ってる」
なんで、そんなことがわかるのか、彼は断言する。
言われたとおり、赤いボディーのアンドロイドが通りをよぎった。忍は狙いをつけて引き金をひいた。
こっちのレーザー光線は、アンドロイドの放つものと差別化するためなのか青い。青い光線が赤い機体に吸いこまれていくのは、すこぶる美しかった。
赤いロボットは銀色のパーツをとびちらせて、こなごなに分解される。青く点滅する光の球体につつまれた充填用エネルギーパックが、空中に浮かびあがる。
「まかせて。とるよ」
彼はそう言って、分解されたパーツの山の上で光るエネルギーパックに手を伸ばした。
その瞬間、彼の足元の床がひらき、落とし穴が現れた。
彼の体が床下の闇に落ちる。
忍は両手の武器をすて、手をさしのべた。あやういところで、彼の手をつかみ、ひきあげる。
「……ごめん」
「いいんだ。走れ」
だが、それは連鎖式のトラップだった。
彼が穴に落ちた瞬間、エレベーターの入口から、大量の爆弾が流れだしてきた。何かと接触すると爆発する、浮遊爆弾だ。威力は弱いが、一つが爆発すると、次々に誘爆していく。
全部で五十個はある。
あれが一度に爆発すると、手足がちぎれとぶだろう。
通路はせまいから、よけて通ることはできない。
エレベーターまで残り十メートルほどだ。
脇道もない。
背後には殺人マシーンが迫ってきている。
「忍。どうするの?」
「こうする」
忍は銀のパーツの上に浮かぶ充填エネルギーパックをひろった。
爆弾はエレベーターの手前二メートルあたりに、かたまってフラフラと浮遊している。
忍はエネルギーパックを浮遊爆弾のもっとも密接したところへなげつけた。エネルギーパックが銀色の放物線を描き、小さな火花が一つ散った。
とたんに五十の火花が炸裂し、忍と彼は爆風にあおられる。
忍は彼をかばって床にうつぶせた。
パラパラととびちってくるのは、さっき分解した赤いボディーの残骸だろう。
忍たちのところまで追いついてきていた手前のアンドロイドが数体、まきぞえをくって爆風に吹きとぶ。
風がやむ。
今がチャンスだ。
「走れ!」
忍たちは立ちあがり、力のかぎり走った。
追っ手がすぐ背中まで来ている。
エレベーターにかけこんだときには、白い機械のアームが今しも二人のえり首にかかるところだった。
ギリギリ、逃げこんだ。
ロボットの赤い目の光る黒いフェイスの鼻さきで、ドアをしめてやる。
するとまた、どこからか電子音が鳴りだす。ピラリロリラリロ、今度のは少しハデだ。
彼が笑いだした。
「一面クリアしたんだ。ついでにクリアボーナスの経験値でレベルアップしたみたい。忍は今、レベル三だね」
彼の笑い声を聞いて、忍もおかしくなってきた。
地下十階のボタンを押しながら、大声で笑う。
「レベルがあがると、どうなるんだ?」
「基礎能力値があがったり、使える武器の種類が増えるみたいだね。このゲームでは」
「でも、もう武器がなくなってしまった」
「この手のゲームは、たいてい一面クリアしたら新しい武器が手に入るよ」
「なんで、そんなことがわかるんだ?」
「わたしがわかるのは、ここまでだよ。忍、一面でゲームオーバーだったから」
それは、昼間のことだろうか?
たしかに、何度やっても一面の途中でゲームオーバーになってしまった。
「なんだか、私の心を読んだみたいな言いかただね」
彼はビックリしたようすで、忍の顔を見つめた。
まるで神の啓示でも聞いたように。
「……うん。読める。わたしは、人の心が読める」
彼が考えこんでしまったので、エレベーターのなかは無言になった。
このときの彼のようすはふつうでなかったと、忍は気づいておくべきだった。のちに、イヤというほど悔やむことになる。
地下十階でドアがひらき、銀色の壁にかこまれた通路が待っていた。
せまい通路の十五メートルさきに、大きく空間がひらけている。ステーションが、かいまみえた。ときおり、見張りらしいアンドロイドが、銃をかまえて通路のむこうの、その広い空間をよこぎっていく。
エレベーターの近くに小さな銀色のハッチがあった。
警備員休憩室と書かれたプレートが張ってある。警備員というのは、アンドロイドのことだろう。
「あそこからロボットが出てくるんじゃないか?」
「わたしの勘では、武器を補充するところだと思う」
「そういうものかな」
「ゲームってのは、クリアするために作られてるものさ。まだツーステージだから難易度も低いだろうし。さっきのステージだって、指さきのレーザーで攻撃してきたのは、最初の一発だけだった。あれをバンバンあびせられてたら、こっちはあっけなく、やられてたよ。攻略バランスのいいゲームなんだ」
日ごろゲームをしない忍にはわからないが、そう言われれば、そういう気もした。
「では、休憩室をさぐってみよう」
「だけど、ろうかのむこうをウロついてる見張りには見つからないで」
「わかった」
言われたとおり、スキを狙って休憩室まで走っていく。
ハッチは自動で音もなくひらく。
なかは無人だった。
ありがたいことに、見張りロボットが持っているのと同じ銃が壁にかけてあった。レーザーガンより大ぶりのやつで、そのぶん威力も高い。
火薬の弾丸をこめる旧式の銃のように、引き金をひくごとに一発ずつ弾が発射されるが、弾丸にこめられているのは火薬ではなく、ターゲットに命中すると高圧電流が放電するプラズマガンだ。
もちろん、人間も黒こげになるが、とくに機械類に対する破壊力はものすごい。うまくすれば、これ一発で戦闘機も撃ちおとせる。
「これは火力は高いが、弾にかぎりがあるのが難点だ。数が少ないんだ」
言いながら、忍は武器を点検した。
エネルギーも満タンだし、弾倉には十発の弾がこめられている。手入れもされて、よい状態だ。
「ほかにも何かあるかもしれない」
プラズマガンのストラップを肩にかけ、忍は室内を物色する。
乱雑なテーブルの上。ひきだしのなか。壁ぎわのスチール製の二段ベッド。ベッドの枕の下から、刃渡り十五センチほどの飛びだしナイフを見つけた。
「忍。来て」
「ああ」
ナイフをベルトにさしこみ、彼のもとへ歩いていく。
彼は戸棚のなかから、アストロノーツ用の宇宙食をとりだした。
よくある栄養ドリンク剤だ。
トーキョーシティーなどの都市では、新鮮な食材はほぼ手に入らない。こういうドリンクや固形化合食品に空腹緩和剤をまぜたものが、市民のふつうの食事だった。
「とすると、人間のガードマンもいるんだろうか?」
「どうかな。栄養も補給しておけってことじゃないの? ゲームって、変な場所に都合よく回復薬が置いてあるじゃない」
彼がムグムグと電解質飲料を飲んでしまったので、忍も覚悟を決めて、手渡された一方を飲みほした。たしかに体力が回復していくのがわかる。
「じゃあ、行こうか」
「うん。通路の近くを歩いてたやつ、銃を持ってたね。あれをうばいとれないかな?」
「できるだけ近づいて、不意打ちしてやろう。君はプラズマガンの使いかたはわかる?」
「教えて」
あつかいはカンタンなので、すぐに彼は飲みこんだ。
休憩室を出ると、忍たちは壁に張りついて、ステーションのほうへむかう。
見まわりのアンドロイドは駅構内を一周しているわけではなかった。この通路に面した構内の一端を往復しているだけだ。右から左へ、左から右へ、行きつ戻りつしている。
通路のかどからむこうは横長に広い空間だ。
改札口へ続く階段がならんでいた。
忍と彼は、通路のかどのところで、アンドロイドが近づいてくるのを待った。
「駅、広いね。どれが二番ホーム?」と、彼がささやき声でたずねてくる。
「右から二番めの階段だな」
「早くナゴヤシティーに行きたいね」
「ああ——しッ。足音だ」
ジー、ガシャン、ジー、ガシャンと金属質の足音が近づいてくる。今日一日で、イヤになるほど聞いた、アンドロイドの足音だ。
忍はプラズマガンの引き金に指をかけた。安全装置はとっくに外してある。
通路の端に、かまえたプラズマガンの先端が現れた。
続いて、銃をにぎる機械のアーム、白いボディーが順にせりだしてくる。
忍が頭部に狙いをつけた瞬間、むこうも気づいた。ふりかえり、こっちにプラズマガンの銃口をつきつけてくる。
そのときには、忍の指は引き金をひいていた。
ロボットの顔のどまんなかに大穴があいた。
ロボットはあおむけに倒れ、その手から銃がころがりおちる。プラズマ弾の放電が始まる前に、忍は銃をひろった。ロボットのボディーをとびこえる。
「急いで!」
彼も続いて、とんでくる。
直後に弾丸の放電が始まった。
アンドロイドの内部から、すさまじい閃光が発する。あたりは青白い光につつまれ、ロボットは爆発した。燃料に引火したのだ。
それらをチラリとかえりみて、忍は走る。
走りながら、プラズマガンの片方を彼になげ渡す。
爆発と閃光に気づいて、改札口の左右から、わらわらとロボット兵がかけだしてくる。
なのに、この緊迫したふんいきとはかけはなれたヨーロピアンムードのボーカル入りの音楽が、さわやかに構内にひびいていた。
「シャンソンじゃないか?」
「フレンチテクノだよ。二千年のミレニアムごろに流行ったやつ。趣味いいね」
著作権にひっかからない古い音楽や映像は、借用権が必要ない。だから、ゲームのバックグラウンドミュージックに使っているのだろう。
妙なとりあわせだが、軽快ななかにも甘く切ないメロディーが、なぜか心地よい。
まるで愛する人と恋の逃避行をしているような錯覚におちた。
忍はとなりを走る彼に笑いかける。
「弾のムダづかいはしないで。改札口をぬけてしまえば、追ってこれない」
「そうだといいけど」
「もうすぐ十一時だ。列車に乗ってしまえば……」
改札口までは十メートルほどだ。
忍たちの出てきた通路は右よりだったので、二番ホームへ続く二の数字のかかげられた階段が、間近に見えている。
構内左からかけてくるロボットは、まだ遠い。
ふりきって逃げきれるだろう。
だが、右手から来る一隊は、正面から衝突する。
「右手の敵に一発くらわしてくれないか。なるべく、かたまっているところを」
「オッケー」
指示しているあいだに、忍は二人のチケットをポケットからとりだした。
全速力で走る横手で、ズンと大きな音がとどろき、ロボットの一隊がひとかたまりになって青白くスパークした。ボディーが金属だから、一発の弾丸の放電が、近くのロボットに次々に通電していくのだ。
「いいぞ!」
「わたしも忍と同じ武器が使えるってことは、レベル三なんだね。仲間で経験値をわけあうシステムなんだ」
そのスキに改札口にチケットをさしこんだ。一枚ずつしか入れられないのが、もどかしい。
「さきに行って。二番ホーム」
「うん。忍も急いでね」
一人ずつ無人改札口を通り、階段をかけあがる。
ロボット兵は追ってこない。
改札口には不法侵入をふせぐ電磁バリアがおりるので、しばらく足止めされているだろう。
とはいえ、まだ安心はできない。
構内に発車を告げるベルの音がひびいている。
忍たち二人が階段をのぼりきったとき、二番ホームの列車はゆるやかに動きかけていた。忍が見たこともないような旧式の蒸気機関車で、見るからに豪華だ。
彼が歓声をあげた。
「オリエント急行だ!」
忍より二メートルさきを走っていた彼は、嬉しそうに金メッキの手すりにつかまり、タラップにとびのる。扉は手動でひらいた。
「忍!」
列車のスピードが少しずつ速くなる。
忍は夢中で走りながら、さしのばされる彼の手をつかんだ。いや、つかみかけたが、指さきをかすめて、すりぬけた。
つかめそうで、つかめない。
彼が思いきり身をのりだす。
忍はせいいっぱい手を伸ばしながら跳躍した。
今度こそ、しっかりと手がつながれる。
危なかった。
あれ以上、わずかでも時間がかかっていたら、もう人間の足では列車のスピードに追いつけなかった。
きわどいタイミングで車内に乗りこみ、そのまま、彼の体を押し倒すようにして床にくずれる。
息が切れて、しばらく口もきけなかった。
五分もたっただろうか。
「……こういうの、古い映画でよく見るけど、じっさいにやると心臓に悪いな。まにあわないと思った」
「喜ぶのは早いよ。第二ステージをクリアした音がしてない」
彼の言うとおりだ。
あのハデな音を聞きのがすはずがない。まだ、ステージは続いているということだ。
忍たちの乗りこんだ最後尾の車両は無人だった。
車内はマホガニーや絹がふんだんに使用され、壁には花や昆虫や美人の絵がかけられている。
中央に通路があり、両側には個室コンパートメントがならんでいた。コンパートメントのなかは高級ホテルのようだ。
「アンドロイドがそぐわない場所だな」
「見て。窓の外。あれじゃない?」
列車はもう、かなり速いスピードで走っていた。
オレンジ色の照明にてらされる地下トンネルの、どこまでも同じ景色が物憂く窓外を流れていく。
そのオレンジ色の光のなかを、チラチラと赤い光がかすめる。
だんだん接近してくるにつれ、正体がわかった。
監視虫だ。市民の行動を見張っている、どこにでもいる小型ロボット。ただし、サイズが並みじゃない。通常一センチていどの虫型ロボットが、三十倍にも巨大化して、列車を追いかけてくる。尻のさきに、とがった針が光る、ハチともムカデともつかない形状だ。
「私たちを狙っている」
「どうするの?」
「とりあえず、前の車両に逃げよう」
窓の外に輝く監視虫の赤外線スコープの目は、一つや二つではない。こっちは弾にかぎりがある。ムダには使えない。
「列車の走行スピードをあげることができればいいのだがな。こういうレトロな型の列車なら、機関室には運転士がいるだろう」
「運転士なんか、とっつかまえて縛りあげておけばいいよ」
彼の言動には、ときどき、おどろかされる。
「そうだな。ゲームだと思えば気がラクだ」
忍は連結部の扉をあけ、前の車両に入っていった。
こっちの車両は満席だ。どのコンパートメントにも、十九世紀風に着飾った優雅な客がすわっている。
それが、みんな人ではなく、マネキンなのだ。
本を読む、会話をする、窓の外をながめるといったポーズのまま、ピクリとも動かない。
静かで、非日常的で、無気味な光景だ。
彼の声が忍の惑乱をさます。
「来たよ!」
ガラスの割れる音が車内にひびきわたる。
ムカデのようなハチのような怪物が、走行中の列車内に入りこんできた。
忍は迷わず、プラズマガンを撃った。
弾は貫通してキラービーも落ちたが、コルセットで腰をしめつけたドレス姿の女のマネキンの肩も、いっしょにぶちぬいた。
マネキンだから、どうでもいいと思っていたが、そのときだ。
すべてのコンパートメントの人形の首が、百八十度もまわって、いっせいに忍を見た。
耳元で、ブブーッと警告するような音がする。
彼が肩をすくめた。
「乗客を撃つと、ペナルティーがあるんじゃないの?」
「じゃあ、どうしろというんだ」
「車内に侵入する前に撃ち落とすんだね」
「わかった。では、私は右を、君は左から来るヤツをやってくれ。弾がつきる前に機関室へ急ごう」
「ラジャー」
ふざけた調子で、彼は敬礼する。そんなようすも愛くるしい。
「行くぞ!」
忍が前になって通路をかけぬけた。
窓のむこうに、いやらしい虫の姿が現れるたびに、プラズマガンが弾を吐きだす。窓ガラスがこなごなにくだける。虫はバラバラに破裂して、オレンジ色の闇のなかに消えていく。
だが、じきに新手がやってくる。
キリがない。
いったい、何両の車両を走りぬけただろうか?
食堂を通りすぎ、さらに一両。
忍の弾は二発しか残っていない。
「君の弾は、あと何発?」
「三発」
「私は二発だ。最初のステージで電子サーベルをなくしたのが痛かったな」
電子サーベルなら、キラービーが車内に飛びこんできたところを切りつけてやればよかった。だが、とびだしナイフでは、超合金の虫には太刀打ちできない。
さっきから、やたらに頭上でパラリラとレベルアップの音がしていたが、そんなこと気にしていられない。
忍は軍人の訓練された感覚だけで動いた。
また一匹、撃ち落とす。
さらに一匹。
「弾がつきた」
「わたしは、あと二発——あッ、ごめん!」
急に彼が緊迫した声をあげる。
「どうした?」
「子どものマネキン、撃ち殺しちゃった。マネキンなのに頭から血があふれて、すごくリアル」
その瞬間、コンパートメントのマネキンたちが総立ちになった。カックン、カックンと関節をならしながら、通路に出てこようとする。
「おそってくる気だ。虫はもういいから走れ!」
「うん」
彼の手をひいて、忍は走った。
前の車両に入ると、そこでもマネキンが立ちあがり、すでに何体かは通路に出ている。とろくさい動作で、ギクシャクと忍たちのほうへむかってくる。
忍はプラズマガンを肩にかけなおし、とびだしナイフをにぎった。パチンと刃を出し、手前のフロックコートを着た紳士のマネキンに切りつけた。
ビニールのような手ごたえ。
切りくちから、ドロッと血に似た物体が流れだしてくる。
そのまま、五、六体のマネキンを切りさいた。
その車両はなんとか通りぬけた。が、次の車両はもう扉のむこうに、ぎっしりと十数体の人形紳士淑女が集まっていた。連結部のあっちとこっち、二重になった扉のむこうがわに体を押しつけて、亡者みたいに、にらんでいる。
「君の銃には弾が残っていたね?」
「うん」
「貸してくれ」
忍は自分の銃と彼の銃を交換した。
手早く、手前がわの扉をあけ、連結部に立つ。
早くしないと、うしろの車両からもマネキンが群れになって押しよせてくる。
だが、弾を撃ちこむには、むこうがわのドアがジャマだ。
プラズマガンは反動があるから両手でなければ撃てない。
忍は彼にたのんだ。
「むこうのドアをあけてくれないか。あけたら、すぐにもどってきて、しゃがむんだ」
「うん」
前の車両のマネキンたちは、自分からはドアをあけようとしない。彼が近づき、ドアノブに手をかける。
忍はそのあいだに、二発残ったプラズマガンの弾を一つ、弾倉からぬきだした。そして、片ひざを床につき、プラズマガンをかまえる。
「あけるよ」
「やってくれ」
彼の手でドアがあけられる。
忍はさきほど、ぬきだした弾を車両のなかへなげいれた。
五センチの弾丸を狙い、残り一発の貴重な弾を発射する。
そのときには、彼はもうドアノブから手を離し、忍のところまで、かけもどっている。
弾と弾がぶつかった瞬間、すさまじいプラズマ放電が車両じゅうを満たした。その光景はドア越しに見る花火のようだ。青い火花が美しく散る。
光がやんだとき、扉のむこうに人影はなくなっていた。
恐る恐るあけてみると、通路に黒こげの死体がかさなりあっている。こうなると、マネキンなのか人なのか見わけがつかず、逆に生々しい。
死体をふみこえて走る。
「やったぞ。次が機関室だ」
「でも、うしろが——」
さっきまで二人がいた連結部まで、後部車両から追いかけてきたマネキンが来ている。その数、五十か六十……? パッと見では数がわからない。怒り狂っているらしく、ドアをたたきわりながら進んでいた。
あの腕力でつかまれたら、人間の首など、かんたんに、へし折られてしまう。
「客室車両を切り離してしまおう」
忍は、そう決断した。
彼の手をひいて、機関室まで走る。
だが、そこで初めて、連結を切り離すためのレバーが、客室がわの車両についていることに気づいた。
「これじゃ、客車を切り離せないな。しかたない。機関室にヤツらが入ってこないよう私が死守する。君は機関車の操縦はできるか? レトロな外観なのに、機関室は最新式だな。これなら、ほとんどはオート操縦だから、君でも運転できると思う」
すると、こんなときなのに、彼は笑った。
「君じゃイヤだよ。名前を呼んで」
「なんだって?」
「連結は、わたしが切り離すから」
「何を言うんだ!」
忍は止めようとした。が、そのときにはもう、彼は走りだしていた。逃げてきたばかりの客室の前へもどっていった。
「約束だよ。わたしのほんとの名前を見つけてほしい」
「バカッ! こっちに来い!」
ひきかえそうとする忍を、強い語調で彼がとどめる。
「来ちゃダメだ! 思いだしたんだよ、忍。私が何をしに来たのか。何を探していたのか。心配しなくても、このくらいでは私は死なない。ここは夢の世界だから」
彼の手がレバーをひいた。
連結部がひらき、二つの車両は、ゆっくりと離れていく。
忍はただ虚しく、彼にむかって手を伸ばした。
名前を呼びたいのに、彼の名がわからない。
彼の声が聞こえる。
「約束! 必ず、わたしの名前を見つけて。そしたら、会えるから。あなたの望む、ほんとのわたしに——」
その声がしだいに遠ざかり、彼の姿はマネキンの群れに飲まれていった。
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