二章 神の遺伝子ー3
3
めざめたとき、まだ胸がドキドキしていた。
とんでもない夢だ。
この自分が父にそむいて犯罪者になり、公安員に追われるだなんて……。
しかし、これでハッキリした。
あの夢は室谷の作ったソフトのせいではない。
忍のがわに、なんらかの要因がある。
今夜の夢は、まさに忍の心のなかの闇そのもの。
忍が知らず知らずのうちに心の奥底にいだいていた、社会への反逆の意思だった。
自分のなかに、あんな願望がうずまいているなんて、これっぽっちも忍は意識したことがなかった。
しかし、そうでなければ、社会のルールをかたっぱしからやぶり、反抗していくことに、あれほど爽快な気分は感じなかったはずだ。
忍は強い罪悪感にさいなまれ、しばらくベッドに半身を起こしたまま、何もする気になれなかった。
あたりは真っ暗だ。
地下の生活では起床時間になると、室内の照明がオートで点灯するようになっている。まだ、その時間に達していない。
時計の電光表示を見ると、五時少しすぎだった。
昨夜は十一時に就寝したから、四回めのレム睡眠が終わったあたりで覚醒したようだ。
ソフトをセットしたのは、前回同様、二度めのレム睡眠にかかる就寝の二時間半後だ。夢を見始めたのは、その時間帯だろう。たしかに、夢の最初は室谷のソフトの草原のなかにいた。
とすると、室谷のソフトが、あの夢に入るためのスイッチになっているのだろうか?
(もうあんなソフトを使うのはよそう。あれが夢の起爆装置になっているのなら、使用をやめれば夢は見なくなる)
あのあと、彼はどうなったのか?
ちゃんと逃げられたのか?
緊張した場面で目がさめてしまったので、後味が悪い。
気になってしかたないが、このまま夢を見続ければ、何が起こるのか予想もつかない。
忍はあのソフトを室谷に返してしまうことに決めた。
中途半端な時間に起きてしまったが、もう寝る気もしなかった。忍は熱いシャワーをあび、食堂がひらく六時まで、オーディオルームで時間をつぶすことにした。古い映画などのソフトが無料で視聴できる。
(そういえば、室谷のほかのソフトは、どんなものだろう?)
ふと考えたのは、やはり内心ではあの夢のことをあきらめきれないのだ。
いや、これは仕事だ。室谷の不正を調べなければならないからだ、と自分に理由をつけて、忍はオーディオルームに入った。
早朝だが、意外に利用者は多かった。
収容者は自由な時間がかぎられているので、労働前の朝くらいしか、ここに来ることができないからだ。
リラクゼーション用の風景が映しだされる大スクリーンの前を素通りし、忍は個別にしきられた端末のところへ歩いていく。
その途中、大スクリーンに面した座席の一つから手が伸びてきて、忍の服のすそをつかんだ。
ふりかえると、だらしなくイスにくずれた酔っぱらいのような体勢で、平林がすわっていた。
「何か用かね?」
忍が身がまえて問いかけると、平林は視線を大スクリーンから忍に移して、苦い笑みを浮かべる。
「昨日のことなら悪かったよ。反省してる。そんな、けむたそうな顔しなさんなって。自己嫌悪で、あんま寝らんなかったんだぜ。あんたもか?」
平林の手をふりきって行ってしまいたい。が、平林の落ちこんでいるようすを見ると、どういうわけか、むげにできない心地になった。
性格はまるっきり違う。正反対だ。
なのに、うまがあうのだろうか?
平林のことを嫌いになれない。
もしかすると、自分でも気づかないうちに、彼の奔放な生きかたに、あこがれるのかもしれない。
今夜の夢を見なければ、そんなふうに考えることなどなかっただろうが。
「私は気になどしていない」
「大尉はウソつくのヘタだな。顔見りゃ、わかる。あんた、たぶん、軍人むいてないんだよ。軍人なんて笑って人を殺せるヤツでなけりゃ。あんたは優しすぎるよ」
「それは、どうも」
「だからさ。そうやって、チクチク、おれのこと責めるのやめてくれる? おれはさ、ただ、あんたに、もっと知ってもらいたかったんだよ。こんな生きかたもあるんだって。あんたみたいにキツキツで生きてるヤツ見ると、こっちまで息苦しくなる。昔のおれ、見てるみたいでさ」
「君の忠告はありがたいが、私は私なりの生きかたしかできない。しかし、君の気持ちは買うよ。手を離してくれないか?」
「寝られないんじゃないなら、なんで、こんなとこ来たんだ?」
「私用だ」
やっと平林が手を離したので、忍は端末の前にすわった。
まず、所内の販売リストをひらく。
手作りの工芸品などはとばして、コンピューターグラフィックスやバーチャルリアリティーなどのデータ類の項目を選ぶ。
作成者名で検索すると、室谷の作品はかなりの数があった。
自作だけでなく、直輝や画家の藤川と共作のものもある。
ほかにも、忍の担当グループではない数人の男が、原案、脚本で作成に関与していることが多く、沢口伸一、陣内博史、原田良といった名が見られる。
所内で販売されるリストは企業の大量生産用ソフトではないため、制作にたずさわった人間一人につき、評価ポイント一点でコピーできる。室谷のソフトのほとんどは二、三点だ。
バーチャルリアリティー、ドラマソフト、ゲームソフトがメインになっている。ゲームソフトは室谷が一人で作るらしく、一点の文字がならんでいる。
全部で二十作以上あった。
忍はいろいろなジャンルから五作選んで購入した。
身分証を挿入すると、指定したディスクがコピーされて出てきた。
この時点で時間は六時十三分。
平林につかまったから少し時間を食ったが、まだ充分にゆとりがある。買ったばかりのソフトを一枚、試してみることにした。
読みこみが始まって、画面に操作方法が表示される。
シューティングゲームのようだ。
説明が終わると画面がきりかわる。
いきなり、白昼堂々、ドームシティーのなかで銃撃戦が始まったので、忍はビックリした。
こんなの不道徳だと思うが、いちおう敵はアンドロイドに想定されている。白いのっぺらぼうみたいなのが、次々おそいかかってくる。
忍はゲームなんてしたことがないので、すぐにゲームオーバーになってしまう。何度やっても同じなので、すぐにあきらめた。
(本物の撃ちあいは得意なのにな)
火星開発権をかけた火星戦争では、大勢の人間を宇宙の
忍の人生は照日に出会うまでは、挫折とはまったく無縁だった。家庭内では孤独だったが、そのぶん社会のために一心不乱につくすことができた。社会に認められることが、自分の幸福でもあったのだ。
しかし、照日を妻にできないと悟ったとき、信頼していた社会から、手痛いしっぺ返しをくらった。
信用していた社会が、じつは自分が心血をそそいだほどには、自分を思ってもくれないし、大切にしてもくれないことに気づいてしまった。
もう一度、戦場へ行くよりは、変人たちの番人を買ってでたのも、そんな心の表れだった。
(たしかに平林の言うとおり、私は軍人にはむいていないのだろう)
忍は説明文の字面を目で追いながら、そんなことを考えた。
我に返ると六時五十分をすぎていたので、ソフトをケースにもどし、ゾロメに命じる。
「ゾロメ。このソフトを私のコンパートメントに置いてきてくれ」
「マスターは、どうされるのです?」
「少し早いが食堂へ行く。今日は予定より二十分早く農作業の監視につき、そのぶん昼休みをくりあげよう。スケジュールを変更しておいてくれ」
「早めに研究室へ行かれるのですね?」
「うん。そうだ」
「マスターは研究室の任務に逸脱した執着をお持ちです。他の業務に支障をきたさぬよう、重々ご注意ください」
機械に釘をさされて、忍は苦笑した。
「君にはわからないだろうな、ゾロメ。これでも私は自制しているほうなんだよ」
ほんとうは今すぐにでも彼に会いにいきたい。
でも、必要以上に忍が出入りしては、博士の研究にさしつかえるだろう。
(今夜の夢も、彼は私と同じものを見たのだろうか? まさか、そんな、ぐうぜんがあるはずはないが……)
むしょうに落ちつかない気分で、忍は午前中の仕事のために外へ出た。
あいかわらず、収容者たちは忍を見かけると、あちこちから親しげに声をかけてくる。だが、平林からあんなことを聞いてしまうと、素直に喜べない。
まっすぐ室谷の受け持ちの野菜畑へ行った。
昨日のことがあるので警戒しているのか、室谷はちゃんとナスビ畑にいた。
「室谷。ディスクを返そう。合格点だ。これなら政府の検閲に出しても及第点をとれる。検閲局にコピーを送ってみてはどうだ?」
室谷は用心深い顔をしつつ、ディスクを受けとった。
「それもいいかな。九龍教官のおすみつきなら、まちがいないだろうし」
「所内の販売リストに載ったら、私も購入しよう。とても美しいソフトだ」
「そこまで褒められると、なんか、くすぐったいなぁ」
そのあと、重い沈黙が続く。
室谷がソワソワするので、忍も困った。忍がつきっきりでいては、室谷は裏取引に出かけないだろう。
てっとりばやく、ぬきうちで所持品検査をすれば、尻尾をつかめるかもしれない。だが、いくら教官でも、なんの落度もない人物に、そこまでできない。
いい方法はないかと考えているうちに、室谷は逃げだした。
追いかけようとする忍を呼びとめる声がある。
「行かないほうがいい」
ナスビのかげから、新島がのぞいていた。
新島の顔は腫れて、いくつも青あざができていた。あきらかに、なぐられたあとだ。
「その顔、どうした? ケンカか? どんな理由にしろケンカは禁止だ。誰になぐられた?」
新島は困ったようすで、ナスビの葉陰に小さくなる。
「これは……ころんだのです。なんでもありません」
「そんなころびかたがあるものか。見せてみろ」
忍が近づいていくと、新島は真っ赤な顔をして逃げだそうとした。
「待て。一方的になぐられただけなら、減点はしない。ちゃんと見せてみろ」
肩に手をかけて押さえつけると、新島は困惑しきった表情でおとなしくなった。
あたりには忍と新島のほか人影はない。
近くに果樹園があるので、巨大なバナナの林のせいで、眺望がきかないのだ。
新島はおとなしくなると、逆に忍をしつように凝視してきた。相手の態度が急変したことに、忍はとまどった。思わず、新島の肩にかけていた手をひっこめる。
すると、今度は新島が忍のほうへ身をのりだしてくる。
「このあざは昨日、おれがあなたを納屋へ行かせたので、制裁をくらったんです。おれが、ひきとめておかなかったのが悪いんだと。だけど……しかたないですよね? あなたは、いつも、私から逃げだすんだから」
「おい、新島……」
新島はひきつった笑みとも泣き顔ともつかない顔つきで迫ってくる。忍は気味が悪くなって、あとずさった。
「新島。なんのつもりだ? 私はおまえを心配してーー」
「私の心配なんてしないでください。どうせ、わかってるんだ。おれは、けがらわしい倒錯者で、あなたにバイ菌のように嫌われているんだ」
待て、落ちつけと言おうとしたときには、新島はとびかかってきていた。
だらしないことに、忍は足がふるえて動けなかった。土の上に押したおされて、むりやり唇を押しつけられた。嫌悪感に全身の毛が逆立つ。押しかえす腕に力が入らない。
ナスビ畑の端っこからゾロメが飛んできて、変形させたアームで新島をひきはなした。でなければ、どうなっていたかわからない。
「マスターに何をしているんですか! 乱暴はよしなさい。忠告します。マスターに暴力をふるうとゆるしません。二十秒以内に離れなければ、アタックモードに切りかわります!」
新島は蒼白になって立ちつくしている。
数瞬、忍を見おろしていたが、そのまま、どこかへ走っていった。
「マスター。おケガはありませんか? 脳波がひじょうに乱れています。危険数値です」
ようやく、忍は起きあがることができた。土まみれになった自分を、ぼうぜんとながめる。
「マスター? 新島を処罰しますか? ゾロメが捕まえましょうか?」
「いや……いい」
こともあろうに、自分が異常性愛の対象にされたなんて、とても明るみにできない。暴力で辱しめられた娘の気持ちは、きっと、こういうものなのだろう。
悔しい。おぞましい。
けれど、人に知られるのは、もっと恐ろしい。
忍はやり場のない怒りにうちのめされて、みじめな気持ちで服についた泥をはらいおとした。
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