最終話 エミリアとルイス

 退院後、エミリアはルイスと二人、アジリタ駅に降り立った。


 荷物を持つルイスの隣をどきどきしながら歩いた。ルイスが何か色々街の説明しているが、エミリアの頭の中は「今日」の事でいっぱいだった。


 今日は土曜日。ルイスは土日は泊まっていくと言っていた。


 入院中、朝まで一緒のベッドで過ごした事はあるが、恋人になってから夜を共に過ごすのは初めてなわけで、何かあるかもしれなくて、恋人が出来たのも初めてなわけで、つまりはエミリアは自分の下着の事で頭がいっぱいだった。


 自分の持っている下着の中では一番まともなものを身につけてきた。本当は新調したかったが、入院していた為、買いに行く暇はなかった。


「エミリア」


 名前を呼ばれて、エミリアは「はい!」と体をびくりと震わせて返事をした。


「ここが俺の実家」


 閑静な住宅街の端、木に囲まれた場所に、白い壁に黒い屋根の一軒家があった。庭には植物が植えられていて管理が行き届いている。


「結構綺麗な家なんですね」


 空き家と聞いていたので、手入れが必要な家だと思っていた。


「最近まで人に貸していたし、精霊も棲んでいるから」


 ん? 精霊?


 エミリアが聞き返す暇なく、ルイスはさっさと玄関のドアを開けた。


 木材の壁や天井、暖炉、黒い革張りのソファー、落ち着いた色味の絨毯。可愛い雑貨などは置いていなくて男の人の家という感じだ。


 ルイスが昔住んでいたのかと思うとなんだか感慨深い。


「いつまで住まわれていたんですか?」


「14歳まで。ずっと賃貸に出していたから、家具とかは全部今までの住人が置いていったものなんだ。好きに変えていいから」


「はい」


 ルイスは部屋の案内を始め、キッチンに向かった。


「ひ! ゴブリン!」


 エミリアがキッチンの一番奥で椅子に座る茶色い生物を見て叫ぶと、それは目だけを動かしてエミリアを睨んだ。


 ルイスは何故かゴブリンのような生物にエミリアを紹介した。


「エミリア、こちら、うちの掃除をしてくれている妖精。特に害はない」


「あ、はい……よろしくおねがします……」


 エミリアは妖精に挨拶をした。


 先輩は妖精が好きなのだろうか? 私も半分その血が流れているし。


 ルイスはキッチンを出て、広い家を案内し、また別の部屋の扉を開けた。


「ここ、エミリアの部屋」とルイスが言った部屋を見て、エミリアは固まった。


 他の部屋より広く、一段と綺麗な部屋で、部屋の中央には、エミリア一人では持て余すサイズの大きなベッドがどんっと置かれていた。


「こ、こここ、これ、元から?」


 震えながらベッドを指差した。


「いや、これは急遽買った」


「エロい!!!」


「野郎が使ってた汚いベッドを使わす気になれなかっただけだ!」



「……嫌なら一緒に寝ないし」


「い、嫌じゃない、よ……」



 デュポン暦2024年4月

 ソフィアがアーデルランドに一時帰国する事になり、シルドで会うことになった。

 待ち合わせ場所に現れたソフィアはふっくらとして、お腹はすでに大きくなっていた。

「予定日まであと2ヶ月だよね!」


「そうなの。不安でいっぱい」


 ソフィアがへらりと笑い、二人は離れていたとは思えないくらい自然に会話を始めた。


「こっちで産まないの?」


「そうだね、アーデルランドで産みたいけど、姑さんも手伝ってくれると言うし、今通っている病院で産むつもり」


「そっかー!」


 ゆっくりと歩き、軍人時代に二人でよく行ったカフェに入った。


「体調は大丈夫?」


 いきなり陣痛が来ないだろうか。


「今は安定してるよ。私の事よりエミリアはどう?」


 エミリアから「無事」と手紙が届いたが、師団は魔人に襲われたし、文字が震えていた気がして、ソフィアはとても心配していたらしい。


「大変だったけどもう大丈夫」とソフィアに伝えた。


「もしかして、私の為に帰国してくれた……?」


「もちろん、それもあるよ!」


「そっか、ありがとうね、ソフィア」



「本題」と言い、ソフィアの眼鏡がキラリと輝いた。


「住所が変わったと連絡くれて、文末に書いてあった事だけど……」


「あ、はい……」


「ルイス中佐と付き合う事になったんだね! それでもう同棲もしてるの!?」


「同棲ではないんだけど……。はい、付き合い始めました」


「おめでとう! エミリア!!」


「ありがとう」


 ソフィアの優しい笑顔にエミリアは目頭が熱くなった。


 エミリアはここ数週間とても幸せな日々を送り、すっかり忘れていた事があったのだが、ソフィアの何気ない言葉でそれを思い出された。


「そのうちエミリアに子どもが出来たら、一緒に遊ばせたいなぁ」


 ――人間が他の生物と交接、婚姻する事は禁じられているという事。



 ・ ・ ・


 なんでそんな大事な事を忘れていたのだろう。


 実はまだルイスとはごにょごにょは出来ていないから、法律は守れていた。

 母は禁忌を破ったけれど、ルイスは軍人でしかも責任ある立場の人間だから、法を犯させるわけにはいかない。


「エミリア?」


 ダイニングテーブルで、えんどう豆の筋取りをしているエミリアの目の前で、ルイスが声をかけた。


「え? あ、何ですか?」


「今度さ、連休が取れるんだけど、南部に旅行に行かない? リゾート地で海も見れるんだけど」


 アーデルランド南部は高級リゾート地で有名だ。エミリアは行ったことはないが、白い壁の建物と青い海の景観が美しく、また食べ物も美味しいと言われている。


「良いですね」


「良かった」


 ルイスが優しく笑った。


 先輩はどういうつもりなのだろうか。法を犯してもいいと思ってるのだろうか……



 初夏、風は暖かく、過ごしやすい季節になった。

 ルイスと二人、二泊三日でアーデルランド南部のリゾート地に汽車で向かった。


 海沿いの街。エミリアはワンピースと帽子を被った。

 ルイスは長袖シャツの裾を少しまくった姿だ。


 エミリアは汽車の中で観光雑誌を見ながら、行きたい場所とマップを交互に見て、どう回るかわくわくしながら考えていた。


「まずビーチ行こっか。駅から徒歩10分だし」


「良いですよ」


 駅を出て、歴史的建築物が並ぶ綺麗に整備された大通りの道を歩き、しばらく行くと、透き通った綺麗な青色の海が広がっていた。まだ真夏ではないが観光地ということもあり、浜辺にはたくさんの人が寝そべったり、パラソルの下で過ごしている。


「綺麗ですねぇ!」


 海見ながらエミリアが喜んでいると、隣でルイスが「うーん、俺、海の魔物、倒せるかなぁ」と腕を組んで考えていた。


「どんだけ仕事脳なんですか」


 白い砂浜をただただ歩き、人が少なくなってきた場所でルイスが立ち止まった。


「どうしました?」


 魔物を見つけたのだろうか。


 波音が響く中、ルイスはふと緊張した面持ちでエミリアに向かい合った。




「結婚しよ」


「…………へ?」



「えっと……いきなり、ですね」


「いきなりじゃないよ……」


「……この指輪、やっぱり?」


「うん……」


 ルイスの真剣な顔に、エミリアは戸惑った。


「エミリアはそんなつもりはない……?」


「だって……」


 砂浜では子どもたちの笑い声も聞こえるのに、エミリアは泣いてしまいそうな気持ちだった。


「私の母は自由に父と恋愛したようだけど、先輩は軍人じゃないですか。法律を破るわけにはいかないじゃないですか」


「法律?」


「忘れちゃったんですか!? 異種族との婚姻や行為は禁止されているんですよ!」


 どんなに望んでも、先輩と結婚することも、子どもを産むこともできない。



「異種族だろ。エミリアは異種族じゃねーもん」


「ウンディーネ族との混血ですよ!」


「そう、混血。混血児が婚姻できないとは法律に書いていない」


「へ……」


「念の為、法律に詳しい知人にも聞いてみたけど、大丈夫だそうだ」


「そうなの……?」


 エミリアの問いにルイスが頷いた。


「そっか……」


 結婚できる。子どもも……。


 エミリアはルイスに思い切り抱きついた。


「結婚する?」


 ルイスがエミリアの頭上で言った。


「あ、待って!」


「……まだ何かある?」


 エミリアはそっとルイスから離れて戸惑いながら言葉を発した。


「その……まだ出来てないけど……いいの?」


「何が?」


「……察してください」


「俺は別に、出来ても出来なくても。触れ合えればそれで」


 そっか……


 エミリアがルイス見上げると、ルイスは優しくエミリアを抱きしめた。


「……ルイスさんは、そんなに私の事好きだったんだね」


「今更気づく?」


 えへへ


「よろしくお願いします」




〈終わり〉

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