第95話 エミリアの正体 (前半)
翌朝、エミリアがふと目を覚ますと、ルイスは部屋の端でネクタイを締めていた。
エミリアの視線に気づきルイスが声を発する。
「明日は朝早く出発するから。暖かい格好しろよ」
はい。
ベッド横の窓際を見ると、ビロードのような真紅の薔薇が飾られていた。
昨日の夕方、寝ていた間に飾ってくれたのだろうか。
エミリアはルイスを見つめた。
「何?」
お花、いつもありがとうございます。
そう言うとルイスは照れくさそうな顔をした。
◇ ◇ ◇
夜、エミリアのベッドに腰掛け、ルイスはアーデルランドのマップを開いた。
「汽車でシルド駅から中央のエマブル駅まで行って、西部線に乗り換えて、ガレーザ、ヴィーヴォかな……」
地方から地方への旅なので、移動に予想以上に時間がかかりそうだ。
エミリアは昨日より容態が悪化していた。横になり、わずかに開いている目で瞬きのみしてマップを見ていた。
何かを言ったので、ルイスは聞き直すと、「箒に乗りたい」と言った。
「え、寒いよ?」
エミリアの意思は固い。
「じゃあ、ガレーザからヴィーヴォまで箒乗る? 1時間くらい」
もっと、先輩の箒に乗せて?
結局、病院からエマブル駅までの1時間と、ガレーザからエミリアの実家までの1時間の距離を箒で移動する事になった。
夜明け前、ルイスが先に起きてエミリアの顔を覗いた。呼吸しているのを確かめて安堵し、「エミリア」と声を掛けると、エミリアはゆっくりと目を開けた。
ルイスは看護師を呼びに行き、エミリアの身仕度のサポートをしてもらった。
病室の外に待機し、看護師の合図で戻ると、エミリアはベージュのニットワンピースにマフラー、コート姿をしていた。
微笑むエミリアに、ルイスはどきりとする程の可愛さを感じた。
ただし、足元は黒いタイツを履いているが寒そうで、自分の鞄の中から戦闘服の防寒着を取り出してエミリアに渡した。エミリアは困ったような顔をして、渋々防寒着を受け取った。
そしてエミリアは薔薇を一本花瓶から抜いて懐に入れた。
薔薇なんていつでも買ってやるのに、と思ったがルイスは何も言えなかった。
看護師に見送られ、ルイスとエミリアは病院に背を向け箒で夜空を飛んだ。
夜明け前の空はまだ暗く静かで、空気は澄み渡っている。
箒に取り付けている魔法灯を照らして西へ向かって飛んだ。
ルイスはエミリアをしっかりと自分の腹につかまらせた。
久しぶりに箒に乗せたエミリアは、何だか軽くなった気がした。
何度もエミリアに振り返りながら駅に着く。
ベンチに座るエミリアはすっかり体が冷たくなってしまっていた。
ホットドリンクを勧めたが、飲むことはなかった。
汽車に揺られている間、エミリアはずっと眠っていた。
長い間、汽車に乗り、西部ガレーザ駅に到着した。ここからエミリアの故郷ヴィーヴォまでは特急列車がない。日はすっかり昇り、雲一つない青空だ。
「箒、乗れる?」
座席で眠っていたエミリアに声をかけた。
エミリアは乾いた唇の端を少し上げた。
エミリアにはもう動ける力は残っていなかった。また気を失うように青白い顔で眠ってしまった。
次に目を覚ましたのは、ガレーザ駅から30分程箒を飛ばして、丘の上で地図を広げていた時。エミリアは小さな声で「ここ知ってる」と言った。
「あと30分程でエミリアの故郷に着くよ」
連れてって……
「え?」
…………
「花畑!? そんなのどこに……」
ルイスは目頭を拭い、エミリアが言葉にした名前を地図で探した。
その場所を見つけ、急いでエミリアを担ぎ、箒を飛ばした。
故郷ヴィーヴォの街の上を通り過ぎ、少し先にある林に入ると、そこには冬だというのに花畑が広がっていた。滑り込むように花畑の上に降りると、色とりどりの花が咲き乱れ、奥には太陽の光できらきらと輝く湖があった。リパロヴィナで見た景色に似ていた。そういえば、故郷にも花と湖の綺麗な場所があるとエミリアがはしゃいでいた事をルイスは思い出した。
「エミリア! 着いたぞ!」
膝の上にいるエミリアに語りかけたが、エミリアの反応は無く、目は虚ろ。
ルイスは震える手で、ポケットの中から小さな箱を取り出した。
箱を開け、エミリアの左手薬指にピンク色に輝く指輪をはめた。
そして指輪のはまった左手をエミリアの目の前まで持っていった。
「これ、パパラチアサファイアって言うんだ。……エミリアに似合う色を探したら、偶然エミリアがくれたブルーサファイアのタイピンと同じくサファイアだったんだよ」
エミリアの頰に雫が落ちる。
「……寿命を全うしたら俺もそっちに行くから……それまでこれ付けて待っててくれる?」
綺麗……
エミリアの左手がルイスの手をすり抜けて下に落ちた。
「エミリア……?」
呼びかけに応じない。顔を近づけると息をしていない。
「エミリア――」
ピリリと空気が変わった。静かな緊張に包まれる。
ルイスがよく知っている重く張り詰めた空気。しかしこれほどの存在感を出せるものはそう出会う事はない。
ルイスはエミリアを抱えたままその存在の方向を強く睨みつけた。
視線の先には、白い一枚の布を体に巻きつけた、髪の長い女が立っていた。
「……失せろ」
エミリアは渡さない。
その女は、ルイスの言葉を無視し、ゆっくりと口を開いた。
「あんた誰?」
無愛想な顔をルイスに向ける。
「お前こそ誰だよ」
「ベラは? いないの?」
「ベラ……?」
「まぁ、いいわ、時間がない。その子を寄越して」
「誰が渡すか」
ルイスがしっかりとエミリアを抱え込むと、女はしかめっ面をした。
「エミリアが死んでもいいの!?」
女はそう叫ぶと、ずかずかとエミリアの元へ進んだ。
そしてエミリアの胸に手を置き、女の身体がエミリアの中へと入っていく。
「止めろ!」
ルイスの言葉を無視し、女はずぶずぶとエミリアの体の中へ入っていく。
そして今や顔だけエミリアの体から出た状態でルイスをジトリと睨んだ。
「あとで説明する」
そう言って女はエミリアの中に消えた。
何が何だか分からない。ルイスはただただエミリアを見つめた。
とくんっ
とくんっ とくんっ
エミリアが呼吸を始めた。血色が見る見るうちに良くなっていく。
そして、ゆっくりと目を開いた。
「エミリア!!」
ルイスがエミリアに抱きつこうとすると、頭をがっとエミリアの手によって止められた。そして、鋭い目をルイスに向けた。
ルイスは青ざめた。
――エミリアではない。
ルイスが言葉を発する前に、エミリアが口を開いた。
「弁明させて」
「エミリアを返せ」
ルイスはエミリアを乗っ取っている女に対して睨んだ。
「取り敢えず、話を聞きなさい!」
「――エミリアを返せよ……」
エミリアを抱えながらルイスが懇願した。
「……大丈夫。エミリアは生きている」
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