第94話 (注意:残酷描写あり) 二人の時間

 デュポン暦2024年1月末


 窓の外の景色を覗くと曇天。風が強く、落ち葉が舞い、今日は一段と寒い。


 ルイスはベッドの上で座っているエミリアをじっと見つめた。


 何ですか?


 エミリアはかすれた声を出し、頰を赤らめた。


「いや、……可愛いなと思って」


 どこが……


 エミリアは困った表情をした。



 ・・・


「そういえば去年のこの時期、ヒュドラと戦っていたな。あの後、沢ガニ持って帰ってきたらエミリアに怒られたっけ」


 エミリアが相槌を打ち、笑う。


 幼少期の話もした。

 エミリアは西部の街ヴィーヴォで母と二人で自給自足をしていた事をゆっくりと短い単語で話した。


 ルイスは、シルドから南に1時間列車を乗った場所にあるアジリタで住んでいた事。なに不自由もなく過ごしていた事。でもある日街が魔人に襲われて両親も亡くなった事。自暴自棄になっていた時期もあるが軍人になった事を話した。


「エミリアとパートナーになった時、箒に乗れないわ、攻撃魔法使えないわ、いくら新人とは言え訓練学校本当に出たのかっという程の無知だわ、本当驚きの毎日だったけど、」



 ルイスは言葉に詰まり、それ以上の事は言えなかった。

 エミリアも話の続きを促す事はなかった。




 * * *


 朝、いつものように清掃スタッフが病室の掃除をして、花瓶の花の水換えを行なってくれている。


 綺麗な花ですね。


 エミリアは、ぼうっとした表情で、ボソリと清掃員に話しかけた。

 すでに飾られていた花束に加えて、花瓶がもう一つ用意されて花が増えた。

 ピンク、白、赤など色とりどりの花が飾られている。


「花があると気分が明るくなりますよね」

 清掃員が笑顔で言った。


 エミリアは頷き、花、好きなんです。と言った。


「それは良かった」


 他の部屋もこんなに沢山の花を飾っているのかと尋ねてみると、清掃員は「たまたま花が手に入ったので」としどろもどろに答えて、少し慌てながら部屋を出て行った。



 エミリアは毎日不安で押しつぶされそうになり過ごした。気づいたら涙が溢れていた。しかしルイスの前ではもう泣かない事を決めていた。


 ベッドに机を取り付けてもらい、ソフィアとルジェクから届いた手紙に返事を書いた。手が自由に動かなくてゆっくり文字を書いた。


 ソフィアには、無事だという事。赤ちゃんが安産で産まれますように。ソフィアと家族の幸せをいつも心から願っている。と手紙をしたためた。


 ルジェクには、元気だという事。数ヶ月前に軍人を辞めて、幸せに過ごしています。と手紙を書いた。



 良い友人に恵まれて、先輩に出逢えて、幸せだった。

 大丈夫。死んだら、母に会える。

 ゴールド色の障壁を出した時、隣に確かに母が見えた。

 死んでからも守っていてくれたのだ。

 私もそちらの世界に行くだけ――



「今、入院患者が多く、サキュバス、インキュバスが出没していますので、エミリアさんも気をつけて下さい。ご存知かと思いますが、サキュバス、インキュバスの場合、病棟に障壁を張っていても、本人が受け入れてしまうと侵入を許すことになりますので」


 ルドルフが診察時にエミリアに言った。


 サキュバス、インキュバスとは、人間に取り憑いて、精気を奪う悪魔の事である。体力のない者が取り憑かれると、最悪死ぬ事もある。


 魔人とモンスターが多発する事件があった後なのに、まだ悪魔がでるのか。

 もう休ませてほしい。


 徐々に動かなくなっていく身体。

 せめて先輩の前だけは気丈でいたい。


 エミリアは毎日、清掃員の方が飾ってくれる新しい花と、ルイスとの時間だけを楽しみに日々を過ごした。


 今日はいつルイスが来てくれるだろうと窓の外を眺めていて、エミリアは心臓がどきりと止まりそうになった。


 ルイスが女性と二人で歩いて病院に向かっている。

 ルイスと同じ年くらいのその女性は、勤務服をぴしりと着こなして、二人仲良く喋っているように思えた。




 ◇ ◇ ◇


「それで? 私はビシビシ自分流にやっちゃっていいのよね?」


 ルイスの隣で、ブロンドの長い髪を三つ編みにしてアップにしている女性が言った。足はすらりと長く、背筋がピシッと伸びている。勤務服についている階級章は大尉。


「とりあえず、それでいいんじゃね」


 ルイスが低い声で言う。


「とりあえず! アバウトすぎ!」


「デューク大隊長と相談しろ」


「そうだけど、入院中の人にしつこく聞けない」


「まぁな」


 ルイスの隣を歩くアンジェリナ大尉は、ルイスと魔法防衛大学時代の同期である。

 今回大量の欠員と人事異動で、中央ボーデ師団からイル師団第12箒兵大隊の中隊長になることになった。


「こんな時になんだけど、中隊長就任おめでとう。そして宜しく」

 ルイスは無愛想な表情のまま言った。


「わ! 口だけ感半端ない! まぁ分かるけど。宜しく」

 アンジェリナはルイスと握手をした。

 大量の仲間が負傷し、亡くなり、出世を喜ぶ人間はここにはいない。



 ルイスはアンジェリナと別れ、エミリアの病室に向かった。

 病室のドアを開ける瞬間はいつも緊張する。しかしエミリアが笑顔で迎えてくれてホッとするのである。


 ルイスが部屋に入るとエミリアはシーツを顔まで覆って眠っていた。具合が悪いのではないかと怖くなったが、眠っているようだった。ルイスは起こすのは躊躇い、しばらく隣にいたものの、部屋を出た。




 * * *


 エミリアはとてもルイスと顔を合わせる事は出来なかった。

 あの女性は誰だったのだろうか。仲が良く思えた。

 今までの関係でいようと言ったのだから、ルイスにいつ彼女が出来てもおかしくはない。


 エミリアはまた涙が出た。


 幸せを願っているのに――



 オマエノ ノゾミ、カナエテ ヤロウカ



 エミリアの頭の中に声が響いた。

 ふと気配のする方向を見ると、窓の外に異様に顔の整った男が宙に浮いていた。

 黒い角と、黒い翼。インキュバスだ。


 カイホウ シテ ヤロウカ?


 インキュバスはみるみるうちに、容貌をルイスに変えて妖艶に笑う。



 ……もう十分頑張ったよね。


 軍人の最期がコレなんて笑われるかな。失望されるかな。


 いや、許してくれるよね。何だかんだ言って、先輩優しいもん……



 エミリアはルイスの姿をした悪魔に手を伸ばした。


 それは窓をすり抜けて、ベッドの上にいるエミリアに跨り、抱きしめた。


 もう大丈夫。


 悔しくもルイスと同じ声、同じ表情で笑うのだ。




 ◇ ◇ ◇


「あら、ルイスも帰り?」


 病棟の玄関でアンジェリナが言った。


「うん、まぁ。デューク大隊長はどうだった?」


「思っていたより、元気そうだったわよ」


「良かった」


 病院の外を歩きながら、ルイスはふと病棟の上階の窓に振り返った。

 インキュバスが病院内に入るのを目撃した。

 場所はエミリアのいる部屋。


 驚くアンジェリナを置いて、ルイスはエミリアの病室へ走った。




 * * *


「エミリアさん、聞こえますか?」


「聞こえたら、目を動かして下さい」


 真っ白な視界の中、聞き覚えのある声が響く。


「起きて下さい」


 そうか、起きなければ。


 エミリアは目を開けた。


 白い天井にはライトが一つ。8畳程の部屋。


「目を覚ましましたか」


 声の主、ルドルフ医師が言った。


「何が起こったか分かりますか?」


 これは夢か現実か。


「インキュバスに襲われましたが、間一髪、精気を吸い尽くされる事なく、退治出来ました」


 ルドルフはエミリアを見つめたまま話を続けた。


「インキュバスに頼らなくても、エミリアさんには大切に想って下さる方がいらっしゃるのではないですか?」


 そう言ってルドルフは席を立ち、エミリアは再度眠った。



 朝日の光で、エミリアは目を覚ました。

 血圧を測りに看護師がやってきた。エミリアは聞きたいことがあったが、体が思うように動かず声も出ず、看護師はテキパキと働き部屋を出ていった。


 朝8時頃、またいつものように清掃員がノックと共に部屋を訪れて、慣れた手つきで清掃を始めた。花束はさらに増え、窓際の棚の上はたくさんの花瓶で埋まった。


「ちょっとした花屋さん並みの花束ですねー」

 と清掃員が呟いた。


 昼、看護師が訪れた際に、力を振り絞って質問をした。うまく喋れなかったが、看護師は真剣に聴いてくれた。


「そうそう、インキュバスを退治したのは軍人さんですよ」


 エミリアはその先が聞きたく、看護師を強く見つめた。


 看護師は少し困った表情をしながらも答えた。


「退治したのは、いつもお見舞いに来てくれている方ですよ」


「う……あ……」


 エミリアは震える手で顔を覆った。


「大丈夫、大丈夫」


 看護師がエミリアの肩をぽんぽんと叩き、優しく励ました。


「エミリアさん、図鑑見れるかなぁ。良かったら後ほど持ってくるから、気分転換に読んでみて」


 後ほど、その看護師は花の図鑑を持ってきた。


「窓際の花の名前を調べてみてはどうかな。このお花ちゃん達、実は毎日持ってきてくれてる人がいるのよ。病院側が用意した事にしておいてと言われてたんだけど……」


 看護師がエミリアの寝ているベッドの背もたれを上げた。そして机をベッドにセットして、図鑑の付箋の貼っているページを開けて部屋を出て行った。


 エミリアは図鑑に目を落とした。


 花の写真と名前、出回り時期、開花時期、花言葉が載っていた。

 ヒヤシンス、アネモネ、ラナンキュラス、ガーベラ


 どの花も共通する花言葉だった。



 ふと目を開けると部屋は真っ暗。

 眠っていたようだ。

 身体が鉛のように重い。息苦しい。目眩がする。


 部屋の片隅の明かりが灯っている方向見た。

 ルイスが小さな電球の下で本を読んでいた。

 エミリアがじっと見つめていると、ルイスは気づいて本を閉じた。

 エミリアの眠るベッドの脇まで歩いてきて優しい顔を見せた。


 エミリアは恥ずかしさと申し訳なさで目を逸らした。


 けほっ! けほっ! ヒュー。


 呼吸が浅くなり、ルイスが「大丈夫か?」と背中をさすった。


 背中をさすってもらい少し楽になる。



「エミリアが目を覚まして良かった……」


 背中をさする手を止めて、ルイスが呟いた。


 軽蔑しない?


 エミリアが言った言葉に、ルイスは「何が?」と言った。



 どれくらいの時間が経ったのだろうか、エミリアが時計を見ると、夜11時を回っていた。


「先輩、帰らなきゃ」という意思を込めてルイス見ると、「こんな時間に帰れと言うのか」と苦い顔をした。


「寒いし、モンスター出るじゃん」


 隊長らしからぬ台詞。


「泊まっていっちゃ駄目……?」


 ルイスも不安なのだとエミリアは悟った。


「ここ、ソファーが簡易ベッドになっていて、泊まっていいみたいなんだけど」


 エミリアは頷いた。


 心臓が止まってしまわないかと思うほど緊張する。



 ヒュー、ヒュー


 急に呼吸が出来なくなった。胸が苦しい。


「エミリア」


 ソファーに横になったルイスが急いでエミリアのベッドに駆け寄った。


 すぐに発作は収まり、はぁはぁと息を荒げる。



 なんとなく、死期が迫っている気がした。



 胸を押さえるエミリアの手を握りながらルイスが言った。


「一緒に、寝てもいい……?」


 エミリアは、目頭を熱くさせ、ゆっくりと頷いた。



 シーツの擦れる音。足が触れ、近くに感じる呼吸。

 ルイスが後ろからエミリアを抱きしめて、エミリアは身を固まらせた。


「付き合ってないのに」


「俺の気持ちは変わらないよ」


「うん……」


 ルイスの心臓の音が聞こえる。


「先輩」


「ん?」


「私の故郷に連れて行ってもらえますか?」




 シルドから、エミリアの故郷ヴィーヴォまでは500キロあり、列車で7時間かかる。

 何かあってもすぐにこのシルド市立病院へは戻れない。


 エミリアはするすると自分から離れていく。

 きっともう戻る気は無い。


「分かったよ」


「ありがとうございます」


「いつ?」


「明日、ルドルフ先生にお別れして、明後日」


 すぐに返答出来ず、気持ちを落ち着かせてからルイスは「分かった」と頷いた。

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