第90話 ルイスとサーモン巻き

 アーデルランド、イル師団管轄区域に魔人が出現した後、すぐにリパロヴィナに嫁いだソフィアから安否を確かめる手紙が届いた。エミリアは怪我はなく無事だという事のみ伝えていたが、「仕事を辞めて、今は駐屯地の売店で働いている」と記載して再度手紙を出した。


 ソフィアに混血の事、魔力回復薬が効かない事は伝えていない。

 伝えてもソフィアは今までと変わらない態度で接してくれると思うが、少なくとも手紙では伝えられない。


 ソフィアからはすぐに返事が来て、1月にアーデルランドに帰省するのでその際に会おうと約束を交わした。



 デュポン暦2023年12月


 約束していたルイスとの食事の日。

 嬉しくて仕方がないが同時に緊張する。


「遠征先でちゃんと食べてますか?」

 エミリアはキッチンで料理をしながら言った。


「食べてるよ。外食とレーション」

 ルイスがダイニングテーブルの椅子に座ったまま返事をする。


「最近遠征期間長いんですから、ご自分で料理作れるようになったらどうですか?」


「作り方分かんねーもん」


「簡単な料理なら教えますよ」


「じゃあ教えて」

 ルイスがキッチンにいるエミリアの隣に立った。


「い、今ですか!?」

 隣に立たれて、エミリアは一瞬頭が真っ白になった。たまにしか会わなくなると、今までどう接していたのか分からなくなる。


「何作んの?」

 ルイスがエミリアの手元に置いてある食材を見つめている。


「サ、サラダ作りますか? 一緒に。簡単ですよ。スモークサーモンに、フレッシュチーズとスプラウトを巻くだけで、おいしいオードブルの出来上がり!」

 エミリアはくるくる巻いて、見本をルイスに見せた。


「……やってみますか?」

 変な話かも知れない。元上司と料理なんて。


「やる」

 ルイスが、シャツの腕をめくった。


「あ、手洗って下さいね」


「はい……」


 ルイスがスモークサーモンをくるくる巻いて、エミリアが皿の上に置いた見本のサーモン巻きの隣に、ボテっと乗せた。


 エミリアの綺麗な仕上がりとは異なり、ルイスの作ったサーモン巻きは、具の量が多く、巻きも緩いので、すぐに崩れそうだ。


「あはは。先輩のサーモン巻き、大きいですねぇ」

「むぅぅ」


 ちょっと拗ねた顔が可愛らしい、とエミリアは思った。

 明日になったらまた会えない日々。時間が止まればいいのに……


「あとは同じくフレッシュチーズにペッパーと、スライスした玉ねぎをパンに挟むだけで、美味しいサンドイッチもできますよ」

 エミリアが手際良くサーモンを巻きながら話す。


「まぁ、時間があればやってみるけど……こっちに戻ってきた時は作ってよ」

 ルイスがエミリアの隣でぼそりと言った。


「……はい」

 エミリアは熱くなる顔をどうにか鎮めようと、懸命に手元を動かした。



「どこか行きたいとこある?」

 食事が終わった後、ルイスが雑誌をテーブルの上に置いた。


 食器洗いが一段落してエミリアが雑誌を見ると、一流レストランがいくつも記載されていた。特集のタイトルは至福の高級レストラン。


「……会議で使うんでしょうか」


「違う」ルイスが苦い顔をして、言葉を付け加えた。

「いつもご馳走になってるから、奢ってやる」


 ちらりと表紙を見ると「アーデルランドウォーカー〜東部編〜」と書かれていた。ひとり身には中々縁がない雑誌。エミリアが別のページめくろうとすると、ルイスが「この中から選べ」と言った。開かれたページには、シルド市、リュミヌ市、アジリタ市の高級レストランが掲載されている。リュミヌ市は、東部で一番栄えていてシルドから列車で1時間の場所にある。アジリタ市は、エミリアは行ったことがないが、旧市街地が隠れた名所と言われていて、シルドから1時間半くらいの場所にある。


「ど、どこでもいいです」


「えぇー……興味ない?」


「いえ、行きたいですけど……こういう場所、よく分からないので……」

 エミリアはゆっくりと言葉を紡いだ。

 エミリアには、自分をこんな場所に誘う理由を聞く勇気はない。今まで散々スパルタだったのに、急に優しいルイスにも戸惑う。


「じゃあ、この店どう?」

 ルイスが指定したのは、シルド市内にある名店「ポーション」。

 エミリアはこの店を知っている。伝統的な建築様式の外観で、立派な門構え、一流ホテルを彷彿させるかのように入り口の両サイドに、スーツをピシリと着たスタッフが立っている店だ。いつか入ってみたいと思っていたが、ふらっと入れる雰囲気ではなく(もちろんメニューも路地に出ていない)、敷居が高いので憧れるのみだった。


 そういえば以前、ルイスに「行ってみたい」と言ったかも知れない。ルイスが覚えているのか偶然なのかは分からないが……。


 エミリアが承諾すると、ルイスが「よかった」と笑った。

 そんな顔をされると期待してしまうではないか、とエミリアは思ったが、冷静になれと自分に言い聞かせた。


 名店「ポーション」の紹介記事を読んでいると、備考に「ドレスコード : スマートカジュアル」と記載されていた。


「ド、ドレスコード! そんなレストラン行ったことないですよ!」


 そんな店に行けるなんて嬉しく思うが、それ以上に不安になった。


「スマートカジュアルってなんですか……?」


「落ち着いた格好してくればいいと思うけど」


「落ち着いた格好?……先輩はどんな服着るつもりですか?」


「ジャケットかな」


「ジャケット……。じょ、女性はどんな服を着れば……」


「スカート履いておけば大丈夫だと思う」


「スカート!? もっと具体的に!」


「えぇー、……ワンピースが多いかな」


「ワンピース!」


 ワンピースと言っても色々ある。スマートでカジュアルなワンピースとは、一体どのようなものなのか。


「休みいつ?」とルイスに聞かれ、エミリアはシフト表をルイスへ見せた。


「中々合わないな」


 シフト表を見ながらルイスは眉間に皺を寄せた。


「私、土日仕事が多いですからね」


 お互いの休みが重なったのは一ヶ月後。1月中旬に「ポーション」でランチをすることになった。



「ルナさん……ポーションに行くことになりました……」


 翌日、エミリアは歩兵隊寮売店にて、同僚従業員のルナに呟いた。


「ポーションって何?」


 エミリアの隣でレナが尋ねる。二人は暇な時レジに並んでよくお喋りをする。


「シルドにある高級なレストランです」


「もしかして、例のマフラー男と?」


 エミリアがコクリと頷く。


「……これってデートですかね……?」


「そりゃそうでしょ」


 エミリアは顔を赤らませた。


「あぁー、いいな、恋」


「ルナさんは、彼氏は?」


「今はいない。セッ○○はしてるけど」


 エミリアは、聞き間違いだろうか、とただただその場に固まった。




 デュポン暦2024年1月


 兼ねてからの約束通り、シルド市でソフィアと会うことになった。

 約半年ぶりの再会に喜び、二人は行きつけのカフェに入り、ガレットとドリンクを注文した。


「ソフィア、綺麗になったね?」


「実はね、手紙では書かなかったんだけど……」


「え?」


「エミリアには直接報告したいなって思って……」


「ん?」


 ソフィアが控えめに微笑んだ。


「私、に、妊娠したんだ」


「え! え! おめでとうー!!!」


 エミリアはつい大声を出してしまい、周りの客が振り向いた為、声のボリュームを下げた。


「出歩いて大丈夫なの!?」


「うん、安定期に入ったからね。今5カ月なの」


 と言うことは結婚してすぐ妊娠した事になる。


「おめでとう……」


 あまりにも急で驚きつつもソフィアの妊娠はとても嬉しい。


 ソフィアはリパロヴィナでの生活について沢山喋ってくれた。

 アーデルランドが恋しくなる時もあるけど、義両親も優しいようで、上手くやっているようだ。


「お腹触っていい?」


「まだあまり出てないよ」


 そう言いながらソフィアはお腹をエミリアに向ける。


「わぁぁぁ」


 エミリアはソフィアの側に行き、そっとお腹に触れた。


「元気な赤ちゃんが生まれますように」


 エミリアは心を込めて祈った。


「エミリアに祈られたら、元気な赤ちゃんが生まれる気がするよ。ありがとう……」


 ソフィアが微笑んだ。



「ところで何かあったの? 辞めるなんて」


 一息ついてからソフィアが言った。


 妊娠中のソフィアに混血の事は言えない。心配させるだろうから。


「うん、魔人が出たからね。ちょっと休憩しようかなって……」


「そっか……大変だったよね」


 エミリアが静かに頷く。ソフィアはそれ以上の事は聞かなかった。


「今まで頑張ってきたんだし、ゆっくり休めるといいよね。もし時間があるようならリパロヴィナにも遊びにおいでよ」


「行きたい! あ、でも、今はまだ売店でのアルバイト始めたばかりだから、長期休暇は取れないな……」


 四月までにアパートも探さなければいけない。


「こちらはいつでも大丈夫だから。好きな時に遊びに来てね」


 ソフィアが優しくエミリアに言った。



「恋は順調?」


 デザートを食べながらソフィアが言った。


「聞いてよ、ソフィア!」


 エミリアは今度、高級レストランに行くこと、ドレスコードがあること、食事のマナー本を読んでいることをソフィアに語った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る