第89話 マフラー

 デュポン暦2023年11月


 エミリアは売店の仕事が休みの日に、シルド市立図書館へ来ていた。

 100年前に膨大な魔力と金色の魔法を持って活躍したイザベラという女性についてもっとよく知りたかったからだ。しかし、リパロヴィナの風土史、歴史書を色々読んでみたが、イザベラについては載っていなかった。

 そもそもシルド市立図書館には、リパロヴィナの本自体も少なかった。エミリアが興味のある料理本も新しいものはなく、古い本ばかり置いてあり、あまり借りる気になれない。イザベラについては結局何も分からず、夕方、図書館から出ることにした。


 図書館の入口で、エミリアは心臓が飛び跳ねた。

「先輩!?」

 驚くことに図書館に入ってきたルイスと鉢合わせをしたのである。

 すぐにルイスもエミリアに気づいた。

「おゎ。エミリア今日休み?」

「そうです……そう言う先輩は、出張帰りか何かですか?」


 ルイスは、ロングコートにビジネススーツ姿であった。

「ボーデからの帰り」

「最近、出張多いですね」

「まあね。この後、予定ある?」

「ないですよ。今から帰る所です」

「じゃあ一緒に夕飯食って帰らねぇ?」

 ルイスはエミリア同様、図書館に背を向けた。

「いいですけど、図書館に用があるんじゃないんですか? 私、待ちますけど」

「今日はいいや」

「そうですか?」


 二人はビストロで早めの夕食を済ませた。

 会計時、ルイスは当たり前のように奢ってくれようとするので、エミリアは断った。

「自分で払いますよ」

「アルバイト勤務の奴に、払わせる気になれない」

「うーわー。これでもちゃんと貯蓄はあるんですけどね」

「来年事務職員になったら、奢ってもらうよ」

「残念ながら、そんな気はないんですよねぇ」

「事務職員いいのに」


 そして、駐屯地行きの馬車に乗る為、シルド駅に向けて、石畳の路地を二人で歩いた。気温は、11月半ばに入ってから、急に下がり寒くなった。もう冬である。

「最近、寒くなりましたね」

「そうだな」

「風邪に気をつけて下さいね」

「うん。あんま風邪引かないけど」

「そうですね。先輩が風邪引いてるの見たことないです……」

「百貨店入ろうぜ、寒いから」

「はい」


 シルド駅に直結する形で、クラシックな外観の長さ200メーター程の百貨店がある。外の路地を歩くより、百貨店内を通り抜けて馬車待合所に向かう方が、暖房が効いていて束の間だが暖かく過ごせる。

 百貨店は二階建てで中央は吹き抜けになっており、窓はステンドグラスで装飾されている。首都ボーデに比べると規模は小さいが、高級ブランド店やアクセサリー、化粧品、カフェなどが入っている。


 ルイスは革靴ですたすたと先を歩く。

 そして、急にピタリと止まり、服屋に視線を向けた。

「ちょっと来て」

 ルイスが手招きする。


 社会人向けの有名なアパレルのセレクトショップ。女性向けと男性向けの衣服を取り扱っている。男性向けは、ルイスが好きそうな服が並んでいるが、来たのは女性エリア。

「このマフラーどう思う?」

 ホワイト、ベージュ、パープル、レッド色のカシミアのマフラーが並んでいた。

「素敵ですねぇ」

「何色がいい?」

「……誰かにプレゼントするんですか?」

「まぁ」


 エミリアは顔を強張らせた。

 マフラーをプレゼントする女性がいるのか。

 誰にあげるのだろう。こんな上等な贈り物。


「先輩が……、いいと思った物を選べばいいんじゃないですか……?」


「えー、そう? じゃあ白かな……どう?」

 どうと言われても。

「いいんじゃないですか……?」

 ルイスは白いマフラーを手に取って、エミリアに向けた。

「白、持ってない?」

「持ってないです」


 エミリアは、まさか、と思ったが、エミリアが言葉を発する前に、ルイスは一人レジに向かって行った。

 ルイスは店員に何かを言い、会計の後、店員はマフラーのタグを切り、マフラーを渡す。そしてエミリアの元に戻ってきたルイスは、エミリアの首にそっとマフラーを巻いた。


「は!!」

 呆然と立ち尽くしていたエミリアは、一気に顔を赤くした。

「何でですか!?」

 首に巻かれたマフラーを両手で握りしめながら、エミリアが言った。

「寒そうだったから」

「そ、それだけで!?」

「誕生日プレゼント」

「 し、し、知ってたんですか!」

「たまたまエミリアの入隊時の書類見てたら、誕生日が11月だったから。まだ数日早いけど」

 エミリアの誕生日は11月22日。あと5日後である。

「あ、ありがとうございます……」



 百貨店内を今度は二人並んで歩いた。


「先輩は、誕生日いつですか?」

「8月」

「もう終わっちゃったんですね」

「来年期待してる」

「来年……」


 来年の8月もイル駐屯地にいるだろうか。ルイスはよく分かってないのかもしれないが、今の寮を3月いっぱいで出た後は、シルドでアパートを探して、そこから通うことになる。家賃、光熱費など生活費を考えると、このまま売店でアルバイトを続けていくのは正直厳しい。


「気になる相手から、誕生日プレゼントを貰ったのですが、これってどうなのですかね……?」

 歩兵下士官寮の売店レジで、エミリアは、先輩従業員のルナに聞いた。

 ルナは30歳前後の格好いい黒髪美人女性で、売店で勤める前は、転々と飲み屋で働いていたらしい。ルナからはいつもほんのり煙草の匂いがする。

「何貰った?」

 エミリアの隣でルナが言う。

「マフラーです……」

「脈ありでしょ、それ」

「でも、なんだかんだ世話好きの人だから、大した意味はないのかもしれないんです。引退した私に責任感じてるだけの気も……」

「マフラーなんて、好きでもない女にあげないと思うけどね。仮に大した意味もなくプレゼントあげるような奴なら注意が必要かも。他、心当たりないの?」

「心当たり……」

 エミリアはふと図書館で抱き締められた事を思い出した。

「ある、かも、です……」

「おぉ〜」



 エミリアは、またルイスと会えない日が続いた。ルイスは寮にも帰っていないように思える。第1箒兵部隊がどこにいるのか確かめようにも、知り合いの箒兵と会う機会がなく、情報が何も得られない。つい一か月前まで一緒に戦っていたのに。一般人になった事を痛感する。


「いらっしゃいませー」

 エミリアは営業スマイルで元気良く声がけをして、一生懸命売店の仕事をした。魔法が使えなくなっても軍に関われるのは有難く思いつつも、兵士達が四六時中、懸命にモンスターと戦っているのに一緒に戦うことが出来ず辛かった。


「店員さん、いつも笑顔が素敵ですね」

 会計中に若い男性歩兵隊員に話しかけられた。後ろには数人の仲間と思われる歩兵達がにやにやしながら立っている。エミリアは何となく気まずい気分になった。自意識過剰かもしれないが。

「ありがとうございます。1000リベラです」

 隊員から紙幣を受け取る。

「いつも遅くまで仕事されているのですね」

「あ……そうですね」

 エミリアは早番の時は夕方に帰れるが、遅番の時は夜9時まで仕事をしている。

 エミリアは袋に詰めた商品を隊員に渡して「ありがとうございました」と決まったセリフを言った。

「今度一緒に――」

 隊員の言葉を遮るように、横から別の客がぬっと歩兵隊員の前へと割り入って、蒸留酒をカウンターに置いた。

 エミリアと共に歩兵隊員もギョッと驚いて、そのまま歩兵隊員達は静かに客の後ろに回り、帰って行った。


 客、今日のルイスは、戦闘服姿である。

「……箒兵が歩兵寮の売店に頻繁に来るのは、あまり良くないんじゃないですか」

 そんな事を言いたい訳ではないのに、可愛くないセリフを吐いてしまう。

 本当は来てくれてとても嬉しいのに。

 エミリアは営業スマイルはせずに、無愛想にレジ対応をした。

「450リベラです……」

「ん」

 紙幣を受け取り、お釣りをルイスに渡した。

「じゃな」

 ルイスは購入したボトルを持ってレジを離れた。

「へ!?」

 ルイスはエミリアに背を向けてそのまま帰っていく。

「え! もう帰るんですか!?」

 エミリアが慌てて声を掛けると、ルイスが怪訝そうに振り向いた。

「箒兵なんで」

「ジョークですよ!」

 まさかそのまんま受け取られるとは思っていなかった。

「もうすぐ閉店時間なので、一緒に帰りません!?」

「いいよ……」


 歩兵寮売店から箒兵部隊寮までの夜道を二人で歩いた。

 エミリアはルイスに貰ったマフラーをつけて歩いたが、特に何も言われなかった。

「先輩、寮に帰ってました?」

「一週間、野営してた」

「ひぇぇ、大変ですね」

 冬に長期の野営は辛い。

「ダンジョン出現したのですか?」

「いや、出てないけど、東部の警備強化の為」

 相変わらずあまりよく分からない。

「今、頻繁にフィーネ区に行ってるから、あまり駐屯地に帰れない」

「そうですか……」

「近くに飲み屋が少なくて、すぐに常連客になってしまった」

「お疲れ様です。美味しいお店ありましたか?」

 ルイスの機嫌が悪い時は、だいたい食事関連な気がして質問した。

「美味しいけど、エミリアの料理の方が美味しいよ」

「ありがとうございます……」


 そうこうしているうちに、あっという間に寮の入り口に着いてしまった。

 一週間も待っていたのに、10分程度しかまともに話せなかった。

 また会えなくなるのかと思うと寮に入りたくない。

「入んねーの?」

 ルイスが扉を開けたまま言った。

「は、入ります……」

 エミリアは慌てて先に寮へ入った。


 寮の廊下を静かに歩く。そして二階にある自分の部屋の前に着いた。

「せ、先輩」

「ん?」

「今度また一緒に夕飯食べませんか?」

 ルイスのキョトンとした顔を見てエミリアは慌てて言葉を付け加えた。

「レーションと外食ばかりで辛いでしょ? 私の料理で良ければ」

「食べる」

 ルイスは即答した。

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