第4章 チェンジ

第88話 チェンジ

 デュポン暦2023年10月


「飯食べてるか?」


 夜、ルイスがエミリアの部屋にやって来た。


「食べてますよ」


 エミリアが玄関で対応する。


「……痩せた気がする」


「先輩も過労が顔に出てますよ」


「とりあえず部屋に入れろ。話がある」



 食卓の椅子に二人は対面して腰掛けた。


「一つは良い話。来年3月までは士官寮に住んで良いらしい」


「あ、ありがとうございます……」


「あと求人票持ってきた」


 ルイスが封筒から紙を複数枚取り出してエミリアに渡した。


「今現在、イル師団で募集している仕事はそれが全てだ。時期的に正社員の募集はなかった……」


 求人票にはそれぞれ、清掃業、給食調理業、売店販売員と書かれている。


「イル師団以外なら、さらに仕事はあるけど……」


 ルイスが少し黙り、エミリアは顔を上げた。


「俺としては、来年、師団の事務職採用試験を受ければいいと思う」


「試験はいつですか?」


「5月」


「……半年後ですか……」


「エミリアは軍人の経験があるから、筆記試験さえクリアしたら受かるよ」


 エミリアは黙り込んだ。


「まぁ、無理にとは言わない。考えとけ」


 そう言って、ルイスは部屋を出て行った。



 ルイスが先の事を考えてくれエミリアは嬉しく思うものの、気持ちは晴れなかった。半年後に試験だと今から猛勉強をしなければいけない。しかし、教養試験の数学なんてとっくに公式すら忘れている。そして受かったところで、安定した仕事なのは分かるが事務職に興味がない。そんな気持ちではまず受からないだろう。


 エミリアは自分でも仕事を探していたのだが、医療関係の仕事ならシルド市でも沢山見つけていた。しかし、それにも興味を持てないでいる。頭にはいつもイザベラの存在が浮かんだ。もし仮に長生きできないなら、少しでも長くルイスの側にいたいという思いしかなかった。



 翌晩

 エミリアは本部大隊長室へ向かった。

 相変わらず、忙しそうに残業をしているルイスへ、タイミングを見計らって伝えた。


「先輩、私、売店販売員のアルバイトに応募したいです。事務職は……今回はやめておきます」


「そうか……。分かったよ。まぁ、魔人の件があったばっかりだし、今後の事はゆっくり考えろ」


「はい……」



 デュポン暦2023年11月

 エミリアは軍人を退役し、イル師団、歩兵下士官寮の売店販売員になった。


 売店ではすでに一人のおばさん従業員が働いていた。お喋りの好きな面倒見の良い方で、気さくに仕事を教えてくれた。

 売店での仕事は忙しい。朝、掃除から始まり、品出し、レジ対応。お金を扱う仕事は初めてだったので、初めはとても緊張したが、沢山の兵士が売店を利用するので、3日程でレジの仕事は慣れた。


「先月まで軍人だったんだってね」


 どこから情報を得たのか。おばさん従業員マリーさんが、エミリアに尋ねた。


 エミリアは誰にも教えてはいなかったのだが「はい」と頷いた。


「女の子があんな危ない仕事するもんじゃないよ。辞めて正解だわさ」


「はい、ありがとうございます……」


「あなた可愛いんだから、もっと笑った方がいいよ。この仕事も一番大事なのは愛想よ!」


 マリーは、ふっくらとした顔で、にこやかな笑顔を作る。お喋りな点は要注意だが、マリーと一緒に働いているとエミリアも元気が湧いてくる気がした。


 軍人を辞めてからは、ルイスとは会っていない。本部に行く事は出来ないし、箒兵部隊寮は期限付きで使わせてもらっているが、ルイスと会うことはない。夜遅くに帰ってきている音だけは隣の壁から聞こえる。


 売店でアルバイトを始めて1週間後。

 今日も朝から品出し。お客が来る足音がして、エミリアは「いらっしゃいませー」と声がけをして入り口付近へと振り向いた。

 そこにはルイスが立っていた。


「先輩……」


「おう……なんか様になってるな」


 エミリアは私服にエプロン姿である。

 なんだか仕事風景を見られとても恥ずかしい気持ちになる。

 エミリアは足元を見て俯いた。

 せっかく来てくれたのに気の利いたセリフが言えない。

 二人はしばし無言で佇んだ。


「……順調?」


 ルイスが目の前に立っているエミリアに言った。


「はい……! レジ、最初は難しかったけど慣れました」


「そか」


 ルイスは軽く微笑んで、エミリアは胸が痛くなった。


「……仕事、忙しいですか?」


 エミリアはルイスの目を見れずに俯きがちに喋った。


「うん、明日からボーデで、戻ったらすぐにフィーネに出張」


「そうですか。いってらっしゃいませ」


 エミリアは無理矢理笑顔を作り、微笑んだ。


「何か困った事あれば、いつでも連絡しろ」


「はい」


 ルイスは、ドリンクとパンを買って帰って行った。


「今の彼氏?」


 マリーがレジ裏のバックヤードから、にっと笑って顔を出した。


「違いますよ!」


 エミリアは顔を赤らめて叫んだ。


「違うの? じゃ片思い?」


 エミリアはうっと言葉に詰まる。


「若いっていいわねー」


 マリーがエミリアの横に立って言った。


「おっす! エミリア! 本当に売店で働き始めたんだな」


 エミリアと同期の第19歩兵大隊所属の女性ゾーイが、ひょっこりと売店にやってきた。鍛えられた筋肉、高身長、褐色肌に、長い髪を高い位置で一つくくりにしている。


「ゾーイ!」


 エミリアが品出し中の牛乳を片手に持ったまま言った。


「驚いたぜ。軍人辞めて売店員になったって、人づてに聞いたから」


「ごめん……」


 エミリアはまだ辞めたことを友人に伝えていなかった。


「んでも、良かったよ、無事で。魔人が出て、沢山の箒兵の死傷者が出たから、エミリアが心配だった。レイちゃんは第9箒兵部隊だから街の警護だったようだけど」


「死傷者……」


 黙り込むエミリアの肩にゾーイがポンっと手を置いた。


「生きてくれてて本当に良かった。ゆっくり休みなよ。頑張ったんだからさ」


「うん……」



 その日は、歩兵部隊のヘルプに行った際に知り合ったレイズとカイルも売店にやってきた。


「あ、エミリア兵長が本当に売店にいるー!」


 爽やかな笑顔でレイズがレジにいるエミリアに一目散に向かってきた。


「体調は大丈夫ですか?」


 レイズは台越しに話し掛けるが、身を乗り出していて距離は近い。エミリアは「はい」と言って少し後ろへ下がった。


 エミリアが退職した事はすでに広まっているようだ。しかし金色の防御魔法を使用した事は誰も触れてこないので、エミリアが唱えたと言う事までは知られてないのかもしれない。


「エプロン姿も素敵ですねー♡」

 高身長、筋肉隆々のカイルも目をパチパチさせてエミリアを褒める。


「お前ら誰にでも口説くのは止めろー」

 ガスパー班長が二人の後ろから、商品のパンとドリンクを持ってやって来た。


「女性を口説くのは男のさがですよ」

 カイルがにこりと笑って言った。


「お前ら、昨日のパブの女、お持ち帰りしたんじゃないのか?」

 ガスパーが眉間に皺を寄せる。


「ちょ、エミリア兵長の前ですよ!」

 とレイズ。


「レイズ、お前彼女いるくせに昨日お持ち帰りしたのか!?」

 カイルが大きな声を出した。


 相変わらず歩兵部隊は騒がしいと思いながら、エミリアはレイズ達を傍観した。



 ルイスがフィーネ区に出張に行って一週間。今日帰って来るはず。売店に来てくれるだろうか、とエミリアはそわそわしながらルイスを待った。しかしその日ルイスは売店に来なかった。

 寮に戻るとルイスの部屋の明かりが付いていた。もうパートナーでもないのだから、そう頻繁に会ってくれるものでもないか。

 翌日もルイスと会う事はなかった。仕事を辞めると本当に会う機会がない。


 その翌晩、エミリアは一人で商品の前出しをしていると、背後から声が聞こえた。


「エミリア……」


 振り向くとルイスが売店の入り口付近で立っていた。

 泥だらけの戦闘服姿だ。


「先輩。今帰ってきたんですか?」


 すでに夜7時半を回っている。


「そう。腹減った……パンある……?」


「あぁ……パン。もう閉店間際なので全部売り切れました……」


「マジか……腹減った。もうレーション(携帯食)嫌だ」


 捨てられた犬の様な表情で腹に手を当てている。


「……何か作りましょうか?」


 考えるより先に言葉が出て、エミリアは焦った。断られたら立ち直れないかもしれない。しかしエミリアの不安はよそに、ルイスは「作って!」と目を輝かせて言った。


 ルイスはエミリアが仕事を終えるのを待って、二人で歩兵下士官寮の売店から箒兵士官寮へと帰った。ルイスが仕事を終えて直接エミリアの仕事場に来てくれたのかと思うとエミリアは少し嬉しい気分だった。エミリアより売店のパンが目当てなのかもしれないが。


「先輩、先にシャワー浴びてきちゃって下さい」


 寮の部屋の前でエミリアが言った。


「待っててくれる?」

「待ちますよ、それくらい」


 ルイスは「分かった」と言って、急ぎ自分の部屋へと入っていった。今日のルイスは本当子犬のようだとエミリアは思った。


 料理をテーブルの上へ並べて、戻って来たルイスと二人で夜ご飯を食べた。

 急だったので、材料は少なく、料理したとは言えない素朴なメニューが食卓に並ぶ。最近はエミリア一人で食べていたので、豪勢な料理は作っていないのである。


「やっぱうまいなエミリアの料理」

 ルイスがばくばく食べる。


 そんなこと言って最近は全く食べてなかったくせに。

 中央出張の一件以来、ルイスはエミリアの料理を食べていなかった。せっかく作ったのに台無しになった日々。エミリアの料理をルイスは避けていたはずだ。レイズ同様、男の言葉は信じられない。



「先輩、仕事どうですか? 支援隊員は足りてますか?」


「大丈夫。今他の部隊からヘルプ沢山来てるから」


「そっか。そうですよね。元々パートナー要らないって言ってましたし、やっと私が辞めて、自由になれた感じですよね」


「は?」


 負の気持ちが溢れてくる。ルイスと喧嘩したいわけではないのに。


「……パートナーにするんじゃなかったって言ってたじゃないですか」


「言ったっけ」


「言いましたよ! それにずっと邪魔者扱いしてたじゃないですか」


「してねーよ」


「してましたよ!」


 エミリアは声を張り上げた。こんな事を言ってしまう自分が嫌いだと思いながらも、エミリアは冷静になれなかった。


「……エミリアが辞めて俺もショックだし」


「嘘だ」


「嘘じゃないし」


「嘘……」


「もうやめよう」


「……じゃあ、パートナーにするんじゃなかったって言ったの謝って」


「はい。ごめんなさい……」


 あまりにもルイスが素直に謝るのでエミリアはそれ以上の事は言えなかった。


「邪魔者扱いしてないよ。私情挟んでしまっただけ」


「私情……?」


「まあ、それは置いといて」


「置いとくんですか」


 久々にルイスとゆっくり二人きりになり、エミリアは急に顔が火照ってきた。

 気持ちを切り替えるために、紅茶を入れようとキッチンに立った。


「夜、眠れてる?」


 エミリアの背中に向けてルイスが話す。


「眠れてますよ」


 本当は眠れていないがルイスに言うのは憚られる。きっと心配させるから。


 食後のお茶を飲み終え、使った食器を二人で片付けて、ルイスは玄関へ向かった。


「おやすみ」

「おやすみなさい……」



 次はいつ会えるだろう。

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